第13話「生を実感する痛みが生まれた場所」

 その日の夕食は、美星アースの好きなおでんだった。

 それも、牛すじや粗挽あらびきソーセージが入った肉食系のやつである。

 辰乃タツノの料理はいつも美味しいが、好物でもあまり感動が表現できない。大根もほどよく味が染みているし、定番のこんにゃくや練り物からチーズ餅巾着もちきんちゃくまで具材は豊富だ。

 辰乃は「ぐうぐるGoogleさんに電話で色々聞いてみました」と表情を明るくさせる。

 そんなこんなで夕食と、その後に手伝った後片付けが終わった。


「ふむ、二日続けてこいつを引っ張り出すことになるとはな」


 美星は居間のテレビに、再びゲーム機を繋げていた。

 有名な家電製品メーカーのもので、Blu-rayブルーレイやDVDの再生機能がついている。昔は毎日たっぷり6時間は稼働していたし、ゲームからアニメ、特撮まであらゆる娯楽の発信装置だった。熱暴走したこともあるし、縦置きや逆さ置きも試したことがある。

 そんな昔の専有は、二日続けての出番に元気のいいシーク音を返してくれた。


「辰乃、ちょっといいか?」

「はいっ、美星さん。今、ちょうどお風呂の準備が」

「ん、それはあとでいいから。ちょっと話そう」

「は、はいっ!」


 洗面所の方から現れた辰乃は、すでにエプロンの下に服を着ている。

 緊張しているのか、部屋の外にひざを折って座るなり恐縮した様子だ。彼女なりに、おしかりがあると神妙しんみょうにしているのだろう。

 勿論もちろん、美星に辰乃を叱るつもりはない。

 何故なぜなら、それは終わったことだから。

 そう、

 オタク趣味を隠してまで欲しかったものは、得たまま次のステージに向かうことはなかった。隠していたことの意味すらもう、失われているのだから。


「もっとこっちに来いよ、辰乃。……怒ってないぞ、俺は」

「ほ、本当ですか?」

「ああ。俺の隣に」

「は、はい!」


 ポンッ! と辰乃の頭につのが現れた。

 つまり、彼女は嬉しいのだろう。

 凄くわかりやすいので、美星も正直ホッとした。辰乃はどうやら、ごく一般的な女性が持つ感情を生じさせなかったらしい。アニメやゲームに傾倒してグッズを買い込む、時間をそれにばかり使う……そういうオタクを人はよくは思わない。

 キモいと忌避きひの言葉を口にした千鞠チマリの方が、一般的で普通な対応だ。

 だが、パタパタと美星の隣に来て、安堵の表情で辰乃はちょこんと座る。


「尻尾もいいぞ、出して」

「い、いいんですか?」

「二人の時は楽にしろって言ったろ?」

「では、失礼して……」


 ぽややんとはにかむと、辰乃は膝を崩して座り直した。

 そして、彼女の尻の上あたりから尻尾が生えてくる。エメラルドを散りばめたような緑色のうろこが、今日も艶々つやつやと光っていた。

 美星はゲーム機にBlu-rayをセットすると、辰乃に向き直る。

 辰乃もまた、間近な距離で真っ直ぐ美星を見上げてきた。


「辰乃、昨日の俺と莱夏ライカの対戦は見てたな? ゲームでやったやつ」

「はい! 美星さんも莱夏さんも、とてもお上手でした」

「まあ……ちょっと昔、やりこんでたから。でも、世間一般じゃ……ああいう遊び、これから見せる趣味は大人になると卒業する。と、思ってる人が多い」

「そうなのですか?」

「そうなのです。おおむねな」


 キョトンと辰乃は小首を傾げる。

 彼女の頭上に広がる角が、枝葉を広げた大樹のように揺れた。


「ま、とりあえず見ながら話すか。辰乃、アニメは……見たこと、ないよな?」

「あにめ、ですか?」

「要するにな、テレビ漫画のことだ」

「そんなものがあるのですか……」

「一緒に見てくれるか?」

「はいっ! 美星さんの好きなもの、もっと知りたいです!」


 美星は辰乃の笑顔に少しだけ緊張が和らいだ。

 そう、美星もまた緊張していた。

 何しろ、オタクであった過去をカミングアウトするのは初めてだから。そして、辰乃の口から千鞠が予想通りのリアクションを返してきたことも知っているから。

 静かに画面が切り替わり、アニメが始まる。

 約二時間の劇場用アニメで、美星にとって思い出深い作品だ。


「まあ……美星さん、これも絵が動いてます! あにめとは、げえむのことなのですか?」

「ちょっと違うかな。アニメは映画やテレビで見るもの、ゲームはそのアニメとかを自分で動かして競う遊びだ」

「成る程……今の人界じんかいは凄いんですね。あっ、始まりますよ美星さん!」


 導入部からの主題歌が流れて、流麗な絵が動き出す。

 まるで生命の息吹を吹き込まれたかのように、線と線とが躍動し出した。

 色彩豊かなグラデーションは、髪の毛の一本に至るまであざやかだ。


「凄い……これが、あにめ」

「この映画は、今からそうだなあ……7年くらい前か? 俺が社会人になりたての頃に流行ったんだよ」


 物語は、戦国時代の日本が舞台だ。

 だからだろうか、そうした時代背景を感じさせる細部の作り込みに、いちいち辰乃は嬉しそうに美星のそでを引っ張る。彼女にとっては恐らく、現代よりも見慣れた光景だろう。

 そして、北方の青年が、神の呪いの謎を求めて西へ旅をする。

 文明と文化、自然と信仰が交錯する、一つの時代の始まりと終わり。

 そんな中で青年は、人ながら古き神々と共に森に暮らす姫君に出会うのだ。


「あっ、鉄砲です! 美星さん、鉄砲!」

「ああ」

「あれ、結構痛いんですよね。でも、本当に怖いのは念を込めた矢の方で、そうした神通力じんつうりきを宿した武器の方がもっと痛いです。凄い……まるで本物みたいです!」

「お、おう」


 辰乃は夢中で前のめりにテレビを見詰めていた。

 そんな彼女の華奢きゃしゃな肩を、そっと抱き寄せる。

 びっくりしたように身を震わせたが、辰乃は嫌がる素振りを見せなかった。

 そっと辰乃も美星に身を寄せ、胸に手を当ててくる。

 話さなければと思っていたのだが、美星はそうして辰乃とくっついたまま映画を半分くらいまで消化してしまった。久々に見たが、今でも全ての台詞を暗証できる程度によく覚えている。何度も見たので、VHSのビデオテープならきっと擦り切れてるだろう。

 主人公が人の文明と神の自然の対立に向き合うシーンで、ようやく決心する美星。


「俺は会社に入りたての頃、やっぱりデスマーチ……まあ、仕事の修羅場に放り込まれてさ。簡単に言うと、ずっと会社に寝泊まりして仕事し続けてた」

「それは大変です! そんなことばかりしてたら、美星さんが死んでしまいます!」

「や、死ななかったからこうしてるんだけどな」


 辰乃は美星のこととなると、何でも本気にしてくれる。

 まるで自分のことのように驚き、自分のこと以上に心配してくれるのだ。

 だから、美星はゆっくりと自分でも心境を整理しつつ言葉を続ける。


「ある日、数時間だけ休んでいいって言われて……でも、会社内は悲鳴と怒号が行き交ってて。俺だけ休めるんだけどさ、先輩も上司もてんてこ舞いで」


 辰乃は胸の中で、ゴクリと喉を鳴らした。

 角を避けるようにして、翡翠色ひすいいろの髪をでつつ美星は喋り続ける。


「とにかく眠くて、寝たくて……会社を離れたくて。でも、数時間だから家にも帰れない。で、映画館に入った。暗くて眠れる場所ならどこでもよかったんだ。それで、たまたまやってたこの作品をだな」

「それで、それでどうなったんですか! 美星さん、大丈夫でしたか!? なんて酷い会社……あ、でも、皆さんも大変だったんですよね。うう、わたしがその時とついでいれば、美星さんと仲間の皆様の為に戦いましたのに」

「あ、お得意さん消滅させるのとかやめてね。駄目、絶対」


 辰乃なら本当にやりかねない。

 それくらい、美星のアレコレに本気で接してくれる。


「で、さあ寝るかと思ったけど……眠れなかった。気付けば俺は、この映画を食い入るように見てたんだ。わざと興味なさそうな、普段見ないアニメを選んだのにな」

「これは、そうですよ! 凄い作品です! だって、こんなに絵がイキイキと……わたしでもわかります。これは名のある高名な創作者が作ったものに違いありません!」

「まあ、実際そうだし、監督以外にも関わる大勢の人が頑張ったんだな。アニメーターから営業、広報と全員が」


 そして美星は、普段から存在すら疑っていた自分の心を揺り動かされた。

 久しく忘れていた感動を知った、再会したのだ。


「俺ぁ、変な名前キラキラネームのせいで色々面倒でさ。人付き合いもそうだし、趣味もなるべく一人がよくて……それで、バイクの免許取って。でも、アニメでなんていうか……救われた。もっと見たいから、仕事を頑張って趣味のために稼ぎたいって思ったんだ」


 そう、ずっと気持ちが動くことのない日々だった。

 そしてそれは、仕事の忙しさで硬く凍っていった。

 バイクに乗って走っている時だけが、気持ちの安らぐ時間だったのだ。バイクにとって自分が『操縦を担当する部品』だと思うと、風切る一体感の中でスピードが心地よかった。

 だが、一本のアニメが美星の全てを塗り替えてしまった。


「で、そこからオタク……こういうのが好きな人達をオタクっつーんだけど、俺もそうなって。友達も色々できて、結構楽しくてさ。うち、結構仕事がキツい時もあるけど、残業や休日出勤の各種手当だけは手厚く出るから、ガンガンつぎ込んじゃって」

「わかります! わかりますよ、美星さん! これは凄いです……わたしも財宝を集めてた昔なら、絶対に欲しくなります。何度も見てしまいそう……綺麗ですもの」


 辰乃は美星に寄り掛かって、夢中でアニメを見ている。

 だから、その先の話を美星はできなかった。

 正確には、しないことを今は選んだ。

 多くの友人と趣味を語らい、皆で秋葉原に行ったり夜遅くまで騒いだり……そういう毎日を封印し、その痕跡こんせきを友人ごと葬り去った理由を伏せた。

 口に出してしまえば、本当にそこで終わりな気がしたから。

 趣味と友人を捨ててまで選んだ恋が、本当に終わってしまうから。

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