第26話「おかえりなさい」

 美星アースは空港から、二時間かけて電車で帰った。

 辰乃タツノが待っててくれなかったことは、少し嬉しかった。

 泣いてる自分を、見せたくなかったから。

 涙をこらえて旅立った百華モモカには、見せなかった涙。

 だが、家に戻っても辰乃がいないのは、とてもこたえた。


「……まあ、そうだよな。元カノに会うのに新妻の手を借りてりゃ、世話ないか」


 夕暮れ時に、我が家は闇の中で沈黙していた。

 いつもの温かな明かりは、ない。

 そして、以前のように辰乃が中でドラゴンになって落ち込んでいるという訳でもなさそうだ。きっと、百華との仲が終わるにしろ戻るにしろ、彼女は決めていたのかもしれない。

 小さな小さな花嫁は、最後に美星のために力を使ってくれた。

 本当の自分を見せてくれた、神々しい姿をさらしてくれたのだ。


「今日から本当に一人、か。……ちゃんと一人に、なれたんだな」


 少し誇らしいのは、強がりだ。

 それでも、一つの恋にがれて終えられた、その気持は確かだった。

 だから、ようやく新しい日々が始められる。

 だが、そう思う美星の全てが終わった訳ではなかった。

 玄関を開けた瞬間、パン! パンパン! とクラッカーの音が響く。点灯した明かりの中から、小さな少女が抱きついてきた。


「おかえりなさいませ、美星さんっ! お誕生日おめでとうございますっ!」

「た、辰乃!? どうして」

「ここはわたしのおうちです! 美星さんとわたしのお家ですからっ!」


 以外にも思えて、当然だとわかって嬉しかった。

 あまりに安堵の気持ちが大き過ぎて、美星は言葉を失う。

 ただただ、しがみつくように首に抱きつく辰乃を抱き返すしかできない。

 だが、そのぬくもりと柔らかさが、とてもとても重かった。

 恋する間もなく愛してた。

 愛してくれたから、今がある。

 そのことを今、ケジメをつけた美星には何よりとうとく感じられるのだ。


「ただいま、辰乃」

「はいっ! 美星さん、ちゃんと百華さんに向き合ってくれたんですね。そして……わたしを選んで、戻ってきてくれたんです。それが今、嬉しいんです!」

「答はとっくに出てたんだ……それを言えなかった日々から、辰乃が押し出してくれた。だから、なんというか、まあ……ありがとう」


 見上げる辰乃のひとみが、キラキラとまばゆい光で輝いている。

 そして、吸い込まれそうになる。

 そんな気持ちに素直になって、美星が見つめていると……辰乃はそっと目を閉じた。くちづけをねだる彼女の紅潮こうちょうした顔へと、その吐息といきが感じられる距離まで顔を近付けたその時だった。

 不意に声が響く。


「そういうのさ、美星……二人きりの時にやってくんない?」

「オヒョー! 駄目ッスよ、ちまりん! 今、すっごーくイイとこッス!」

莱夏ライカ、その……ち、ちまりんっての、やめない?」

「なんでー? やーだ、嫌ッス! 千鞠チマリだから、ちまりん!」


 何故か玄関には、炸裂し終えたクラッカーを持つ莱夏と千鞠がいた。

 思わず「は?」と変な声が出て、美星は固まる。

 薄目うすめでそれを見て、ほおにキスしてから辰乃はゆっくりと離れた。

 くちびるで触れられた場所が、火をつけられたように熱い。


「……何でお前らがここにいる?」

「いやー、たつのんのラブラブお誕生日大作戦を見届けにきたッス!」

「まあ、私も似たようなもんかな。あと……お礼、言いたくてさ。お姉ちゃんに、会ってくれてありがとう。見送れたみたいじゃん」


 千鞠がはにかむ。

 莱夏はバカみたいに笑ってる。

 とても、嬉しい。

 二人の間で、辰乃も笑顔だった。


「さあ、美星さん。夕餉ゆうげの準備ができてます! 今日は千鞠さんも莱夏さんも一緒です!」

「ああ」

「おーっし、メシを食うッスよ! そのあとケーキ! そしてぇ、ガチ対戦ッス!」


 莱夏はまるで我が家のように振る舞って、ドスドスと足取りも豪快に居間へとさってゆく。その背を追う千鞠は、ふすまの前で一度だけ振り向いた。

 彼女は小さく笑って、辛辣しんらつな一言をくれる。

 だが、言葉の音が持つ柔らかさが、自然と美星には心地よかった。


「美星、オタクなんじゃん? 辰乃にそういう格好させてさ」

「いや待て、これは」

「……あー、キモッ! キモいキモい! ……ふふ、キモいのに、やっぱり嫌いになれないよ」

「あ、そう」

「何? 感動薄いな、相変わらず!」


 言われて初めて気付いた。

 辰乃はまだ、魔法少女まほうしょうじょラジカル☆はるかのコスプレのままだった。

 用意した莱夏が、部屋から顔だけ出してニシシと笑う。


「言ってくれれば、ちまりんにも衣装を用意するッスよ!」

「いらないっ! ……あーあ、また髪伸ばそうかな……ね、美星」


 それだけ言って、悪戯いたずらっぽく舌を出すと千鞠も行ってしまった。

 玄関でくつを脱ぎつつ、美星は辰乃を改めて見下ろす。

 小さな奥さんは、美星を見上げて頬を赤らめていた。


「なあ、辰乃。一つ、頼みがあんだけど」

「あっ、はい! どかてぃさんのことですね」

「うん……あいつ、海の中から探せないかな」

「帰りにちょっともぐってみたんですけど、沖に流されちゃったみたいで……で、でもっ、もっと力を使えば、大丈夫です! 明日、もう一回探してみます!」

「あ、いや……うん。ありがとな、辰乃」

「わたしっ、美星さんの妻ですから! もう、すっごい頑張っちゃいます!」


 居間から千鞠の呼ぶ声がする。

 莱夏が行儀悪く、スプーンで皿を叩いている。

 その騒がしくも愛おしい中へと、辰乃と一緒に美星は歩き出した。

 自然と手と手が結ばれ、握り合う中に思いを閉じ込める。

 こうして今、一人の青年が日常に帰った。

 ごくごく普通の、当たり前の恋と、その終わり……まだ若かったから、こじらせ過ぎて芯をれ合った恋だった。その迷走する気持ちと気持ちが、最後にようやくぶつかり合った。

 別れるため、次へと飛ぶため二人で着地した。

 そこから先は一人と一人……だが、美星はひとりじゃない。

 そしていつか、愛した人にもそうであって欲しいと今は思える。

 この日、美星は30歳の誕生日をにぎやかに迎えるのだった。

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