最終話「まだまだ嫁には生えてます!?」

 ふと、スマートフォンのメロディで目が覚めた。

 暗い中、見もせず頭上へと手を伸ばす。たたみの上に歌うスマートフォンを見つけて、それを美星アースは目の前へと連れてきた。

 メールの着信は、莱夏ライカからだ。


「何だ、いったい……まだ2時だぞ?」


 身を起こそうとしたが、そのまま柔らかな重みを感じて身を固くする。

 胸の上では今、辰乃タツノがやすらかな寝息を立てていた。

 彼女の翡翠色ひすいいろの髪が、広がる海のように波打っている。

 寝ている彼女を起こさぬよう、美星は静かにそのままの姿勢でメールを開封した。


「空港上空に未確認飛行物体……怪獣騒ぎ? ああ、それで飛行機が遅れてたのか」


 昨日のことを思い出すと、自然とほおゆるむ。

 もう、胸の奥の傷は痛まなかった。長らくんで疼痛とうつうをもたらしていた、その確かな感触だけが繋がりを教えてくれた。だが、それをようやく終わらせられたのだ。

 百華モモカは今頃、まだ雲の上だろうか?

 あの奔放ほんぽうでラジカルな恋人のことを思い出す。

 元恋人として、振り返ることができる。

 彼女は振り返らずに前へと、夢へと向かって進んだ。

 自分もまた、新たな日々に歩み出す時だった。


「で……あー、この写真は……辰乃、だなあ」


 莱夏の興奮気味のメールには、写真が添付されている。

 どう見てもうちの嫁です、本当にありがとうございました。などと返信できるはずもなく、解像度の低い写真に溜息がこぼれた。

 昨日、自分を助けてくれた辰乃の、真の姿だ。

 航空便が全て遅延したのは、どうやらこれのせいらしい。

 輪郭のにじんだ巨大な龍の画像は、その翼の強さと速さを無言で語っていた。

 寝ている辰乃がもぞもぞと動いたのは、そんな時だった。


「ん……ふぁ? 美星、さん?」

「ああ、すまん。起こしたか?」

「いえ、ただ」

「ただ?」

「呼ばれた、気がして」


 胸の上で見上げてくる辰乃の、その碧色みどりいろひとみうるんでいる。

 そっとほおに触れれば、彼女もその手に手を重ねてきた。

 だが、次の瞬間には……美星は異変に「うん?」とマヌケな声を発してしまった。


「辰乃、あの……だな」

「はい。あ……そ、そうですね! こんな時間に目覚めてしまいましたし」

「ああ、うん」

「……また、さっきは駄目でしたし。だから……もう一回、もう一度だけ……今夜は」

「それは、まあ、無理すんな」


 今夜は莱夏と千鞠チマリが来てくれて、四人で盛大な誕生パーティが催された。人に誕生日を祝ってもらえるなど、美星には何年ぶりのことだろうか?

 えんたけなわでお開きとなったあと……自然と二人きりになったら、言葉は必要なかった。

 後片付けもそこそこに、二人はこうして布団に入ったのだ。

 だが、結局今宵こよい夫婦めおとちぎりを結ぶことはかなわなかった。

 からだの相性がよくないのか、やっぱり辰乃の痛がりようは尋常じんじょうではなかったのだ。


「それより、な……辰乃」

「は、はい」

「……お前、?」

「あっ! つのですか、尻尾しっぽですか!?」

「や、それはいいんだが……むしろ、出しといて構わないんだが」


 辰乃に触れる美星の肌に、違和感。

 普通に考えると、男性にしか生えていないモノがある。


「辰乃……お前、生えてるぞ? ……が」

「ヒゲ!? あっ、ああ、これはですね、美星さんっ!」

ねこ、みたいだな……あ、触るとまずいか?」

「ひぁっ! ん……ビリビリ、します」


 美星が手で触れる辰乃の頬に、針金のようなヒゲが何本も生えていた。それが見えたのは、頭の角がぼんやりと光って明るいからだ。

 勿論、布団の中では尻尾が甘えるようにからみついてくる。

 そう、うちの嫁には生えてます。

 辰乃は龍神りゅうじんの化身、1,500年も生きているドラゴンなのだから。


「ご、ごめんなさいっ! 気が緩んでました!」

「あ、いいけど……他にこう、出しちゃった方が楽なもん、ある? つめとかきばとか」

「い、いえっ! ちゃんと人間の姿でいます! なるべく! ……その方が、美星さんにも……かわいい、って思ってもらえるかもしれないから」

「うん」

「でも、角と尻尾は出しちゃうと楽ですね。っていうか、そのぉ……嬉しいと、出ちゃいます」


 張り巡らせたアンテナの用に揺れるヒゲが、すっと消えてゆく。

 薄明かりの中で微笑む辰乃が、美星にはこの上なく愛しく思えた。彼女がいたから、過去にケジメをつけることができた。そして、彼女と一緒だからこの先も今を生きて行きたい。そして、二人でどんな未来にも……二人だからこそ、踏み出せる筈だ。

 上手く言葉が見つからないまま、そのことを伝えるように美星は目を細める。

 とりあえず莱夏への返信は明日にして、もう少し辰乃と朝まで寝ていたかった。

 だが、辰乃はよじ登るようにして美星へ額を寄せてくる。


「あ、あのっ! 美星さん!」

「ん? どした」

「あの、昨日……莱夏さんから聞きました! えと、そのぉ……夜のいとなみ、わたしがもっと床上手とこじょうずならと!」

「あー……すまん、それは別に。っていうか莱夏、明日はきつく説教だな」

「それで、この家に秘蔵してある……!」

「……は?」


 真剣な目で辰乃は、大きくうなずいた。

 甘やかな雰囲気の夜が、一気に台無しになった。

 だが、彼女は大真面目である。


「その薄い本というのは、同人誌どうじんしだそうです! きっと、恋人や夫婦の短歌や和歌が」

「あ、今はな、同人誌ってそういうのじゃないから」

「しかし、わたしにはわかりません……莱夏さんは『』と言ってました。美星さんっ! これはもしや……何かの暗号ですか? 何か、こう、美星さんがアツくなれるような……わっ、わわ、わたしを……愛してくださる、ような」


 思わずおかしくて、美星は吹き出してしまった。

 声を出して、笑った。

 何年ぶりかはわからない、それすら覚えてない程昔のころ以来だ。

 呆気あっけに取られた辰乃は、プゥ! と頬を膨らませた。

 それがまたかわいくて、美星は笑いが止まらない。


「と、とりあえず、待て、待てな、辰乃……ま、まあ……ええと、とりあえずだ。莱夏、明日説教に加えて作業追加だな。あいつめ、はは」

「もーっ、美星さん! 何がおかしいんですか。わたし、気にしてます! その、美星さんと……なかなか、結ばれなくて。わたし、いつも痛くて」

「ああ、気にするなっての。それとな……確かにこの家にその、薄い本? はある」

「ならば是非! 是非わたしに読ませて下さいっ! 妻として、美星さんをアツくたぎらせることができるかもしれません。そうすれば、きっと」

「や、女の子が見るもんじゃないから。それと……俺も少し、それは流石さすがに恥ずかしい」


 きょとんとしてしまった辰乃の頭を、でる。

 温かな黄金色の光で、角が二人の顔を照らしていた。

 見下ろす美星の視線がうながしてしまったのか、そっと辰乃は瞳を閉じる。

 唇を重ねて、そのまま美星は辰乃を抱き締めた。


「辰乃、焦ることないからな? 最近は人間、80や90まで生きるのも当たり前だから。俺なんか、昨日ようやく30になった青二才あおにさいさ」

「は、はいっ! 美星さん、長生きしてくださいね?」

「ん、そうする。辰乃はまあ、長生きだろうけど……一緒の時間を長く過ごせるよう、頑張るかな。だから、焦るな。それと、薄い本のことはワスレテクダサイ」

「……何で敬語なんですか?」

「い、いや……ダイジョウブ、健全ナ本ダヨー」

「今、嘘つきました! 美星さんが! わたしに!」


 でも、辰乃は笑った。

 抱き寄せる腕の中で、満面の笑みを咲かせてくれる。

 美星の元に突然押しかけてきた花嫁は、今日も愛らしい笑顔で美星を見守ってくれていた。そのぬくもりを全身で閉じ込めるようにして、再び二人で眠りにつく。

 こうしてようやく、美星は辰乃のおっとになれた気がした。

 良き伴侶はんりょを得たと思うし、これからどんどん恋に落ちる……そんな予感だけは確かで、古傷となって掠れてゆく記憶の上から、辰乃の存在感を上書きしてゆくのだった。

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うちの嫁には生えてます!? ながやん @nagamono

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