第5話「突然の再会」

 荒谷美星アラヤアースが真っ先に選んだのは、開店直後のファッションセンターだ。安価な値段で一通りの衣服がそろうので、普段から美星もよく使っている。

 道中の電車でもそうだったが、辰乃タツノの姿は酷く目立った。

 目も覚めるような美少女が、時代錯誤じだいさくご羽衣はごろもごときいでたちで立っているのだ。

 やや混雑気味だった社内で、彼女を中心に謎の空白地帯ができたくらいだ。

 誰もが驚きに言葉を失い、愛でて一歩下がってしまう。

 辰乃の華奢きゃしゃ矮躯わいくは、無意識へと訴えてくる神々しさがあった。


「美星さん、こちらは?」

「ん、服屋。その格好、目立つでしょ」

「そう、ですか?」

「そうです。……まあ、他にも色々必要になるからなあ」


 平日の朝なので客の姿はまばらだ。

 広い店内のフロアには、色とりどりの服がそれぞれの売り場で固まってる。下着やタオル、シーツといた寝具類も必要だし、寝る時はパジャマを着て欲しい。

 辰乃の柔肌やわはだは温か過ぎて、そのぬくもりにおぼれそうになるから。

 周囲を見渡し大きな目を丸くして、辰乃は驚きに言葉も出ないようだった。


「凄いですね……こんな大きなお店が。あ、でも、美星さん!」

「うん? ああ、お金のことなら心配しなくても……稼ぎはそれなりだし、残業代だけはきっちり出るのが今の会社のいいとこなんだ」

「いえ、その……わたし、見た目や格好ならある程度なんとかなります! 神通力じんつうりきで!」

「神通力」

「はいっ、神通力です!」


 辰乃が言うには、龍神とはその名の通り龍の神……非常に強い力を持っている。1,500年という月日の中で、辰乃はこの日ノ本ひのもとを守護してきた龍神の一柱いっちゅうなのだ。

 今の服装も、人間の姿を借りる時に神通力で生み出したものだという。


「そうか。まあ……ちょっと早く言ってほしかったな。電車に乗る前に」

「すっ、すみません! ですので、服は――」

「まあ、そう言わずに。何か、こう……買ってやりたいんだ。嫌か?」


 すぐ横の小さな辰乃を見下ろし、不思議と美星は自分の気持ちがおかしい。

 ある時期をさかいにドゥカティ以外の趣味がなく、ここ一ヶ月は会社に缶詰かんづめだった。それで財力に余裕があるのだが、なくてもないなりに同じことを思っただろう。

 突然押しかけてきたお嫁さんに、服や携帯電話を買ってやりたいのだ。

 そう思って見詰めていると、辰乃はほおを赤らめ戸惑とまどいに両手を振る。


「でっ、でで、でもっ! あの、わたしわからないんです。どんな物を買っていいのか、それが高いのか安いのかも! 人界じんかいは随分久しぶりですし、その」

「好きなのを買えばいい。ここ、そんなに気取ったお店でもないし」

「で、でも」

「下着とかはまあ、ん……俺より店員さんに聞いてみてくれ。ああ、丁度いい」


 辰乃の背後を、若い女性店員が通り過ぎた。

 早速美星は彼女を呼び止めた。

 スタッフを示すエプロンをつけた、ショートカットの女性だ。白いうなじの上で綺麗に切りそろえられた黒髪が、わずかに揺れて振り返る。

 次の瞬間、美星は小さな驚きに言葉を失った。


「いらっしゃいませ、お客様。何か――あっ! あんた……アァァァスゥゥゥ!」

「ああ。久しぶりだな、千鞠チマリ。バイトか? 学校は休みか」

「……相変わらず反応薄いわね、おどろきなさいよ!」

「いや、びっくりしてるんだが。それより、このに色々と選んでやってくれないか?」

「切り替え早っ! で……誰よ、この娘」


 顔立ちの整った、少女とさえ言える容姿ようしの女性だ。

 千鞠と呼ばれた人物は、やや釣り目の瞳をさらに釣り上げ寄ってくる。

 かわいそうに、美星と千鞠に挟まれて、辰乃はオロオロしていた。

 そんな彼女の頭をポンとでると、美星は改めて千鞠を見やる。

 そして、店内で彼女が顔見知りだと気付かなかった理由を口にした。


「髪、切ったのか」

「そうよ! しっ、失恋、したもん……」

「そうか。ま、俺と一緒だな」

「ッ! そ、そう! 一緒! ……一緒、だね」


 千鞠は目を伏せ顔をそらした。

 その時にはもう、状況が飲み込めず辰乃が双眸そうぼううるませ始める。

 美星自身も実は、動揺していた。

 同時に、思った。

 

 千鞠とは親しい時期が長かったし、彼女はよく自分になついていた。そして、決定的な別れから疎遠になって、この再会も数カ月ぶりだ。

 だが、やっぱり心が動かない。

 驚いてはいても、それが表現できなかった。


「と、とにかく! 仕事は仕事、いいわ。こっち来て! 何よ、こんなかわいい彼女を作って」

「や、辰乃は恋人じゃない」

「ホント!? あ、いや……そうよね。こんな子供が恋人だったら犯罪よ。ロリコンよ!」

「だから、恋人じゃないんだ。嫁だ。妻なんだ。一応」

「……は?」


 ようやく辰乃は、二人のやり取りの間に入り込んできた。

 身を正して千鞠に向き直ると、深々と頭を下げる。


「はじめまして、ええと、千鞠さん。わたしは辰乃と……荒谷辰乃と申します。昨日、美星さんのところに嫁いで参りました。いつも美星さんがお世話に、お世話に……なって、たんですか?」

「あ、や、これはご丁寧に……ん、まあね」

「そう、ですか。あ、でも! 大丈夫です、その方が……美星さんは甲斐性かいしょうのある人だなって! だから一人や二人くらいは……平気です、嬉しいです!」

「……あんた、美星と違ってすっごく動揺してない?」

「は、はい……実は」


 美星もしまったと思った。

 それで、順を追って話さなきゃと情報を整理する。

 美星にとって千鞠はどういう存在だったかというと……まず説明を思ったその時だった。

 腰に手を当て、グイと千鞠は身を乗り出して辰乃をのぞき込む。

 背格好は同じくらいで、スレンダーな千鞠の方が目線二つほど背が高い。


「私は早瀬千鞠ハヤセチマリ! 美星の……いもーとよ! いもーと! いもーと、でも、今は、いっか」

「まあ! そ、そうでしたか。妹さん……あら? 名字みょうじが」

「ちょ、ちょっと事情があんの! で、服でしょ。何を買うの?」

「は、はい! その、何を買っていいかがわからなくて」

「はぁ? ……何か足りないものは? 逆に、何なら持ってるの」

「今着てる服しか」

「……わかった、ちょっと来て」


 千鞠は辰乃の手を引き歩き出した。

 そのあとをぼんやり続くと、肩越しに振り返る千鞠が子犬のようにえる。


「美星はそこにいて! 下着とかも買うでしょ、他にも色々!」

「ああ、わかった」

「っとに……あんたに選ばせる物の時は呼ぶから! 少し店内でぶらぶらしてて」


 慌ただしく千鞠と辰乃は行ってしまった。

 ぽつねんと取り残された美星は、自然と昔のことを思い出してしまう。

 それはまだ、千鞠の髪が長かった頃の思い出だ。半年くらい前までは、辰乃くらいの髪の長さで千鞠は笑っていた。その笑顔に、美星も心が安らいだ。

 確実に、そして着実に……幸せに近付いていると感じた。

 そう思えること自体が、幸せそのものだった。

 だが、今は実現しなかった可能性を引きずる過去でしかない。


「そっか、失恋したのか……ん? 早いな、辰乃。どした?」


 何を見るでもなく突っ立っていると、顔を紅潮こうちょうさせた辰乃が戻ってきた。

 耳まで真っ赤になっている。

 その手には、何やら小さな薄布うすぬのが握られていた。


「美星さんっ! 今の御婦人は……こっ、ここ、こんなのをはいてるんですか!?」

「うん? どれ。へえ、どうだろ」

「大事な場所を隠して守る下着が、どうしてこんなに小さくて薄いんです!?」

「まあ、色々あるからな。おーい、千鞠。もっと普通のやつを選んでくれよ」


 辰乃が背伸びして見せてきたのは、シルクのレースに飾られた黒い下着だ。しかも、うっすらと透けている。

 さして気にもとめずそれを手に取り、美星は頭の中で想像してみた。

 肉付きのよい辰乃の尻に、これをはかせてみたとする。

 ……いまいちピンとこない。

 だが、向こうではニヤニヤと千鞠が笑っていた。


「美星さん、これ……美星さんはどう思いますか!」

「そうだなあ。ちょっと大人っぽいかな。でも、辰乃が欲しいなら」

「むっ、むむ、無理です! とてもとてもこんな……昨夜だって、凄く緊張しました。それでも、おなさけを頂戴ちょうだいしたくて……夫婦のちぎりをと」

「あ、それで思い出した。パジャマも買わなきゃな。寝間着ねまきだよ、寝間着」

「ほへ? あ、ああ、そうですね! そうでした。こ、これはとりあえず、なしということで」


 ササッと辰乃が、美星から黒い下着を取り上げる。

 しかし、それを両手でもじもじともてあそびながら……彼女は上目遣うわめづかいにチラチラと視線を投げかけてきた。


ちなみに、あの……千鞠さんはどんな下着を」

「あー、どうだったかなあ。見たことないからわからん」

「ほっ、本当ですか!? そ、そうですよね、いくら……兄妹きょうだいでも。そうでなくても……でも、美星さんがそう言うなら! わたしっ、信じます!」

「えっと、それは、ありがとう? 何だか話が見えないんだが」

「わたし、寝間着を見てきます! 千鞠さん、よろしくお願いしますっ!」


 辰乃は一人で納得して、行ってしまった。

 その姿を迎える千鞠が、フンと鼻を鳴らしてすがめてくる。

 美星はただ、自分の生活圏がせまい世間だなあと、呑気のんきなことへ思惟しいを逃して……極力昔の記憶には触れないように、黙って二人の買い物を見守るのだった。

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