第23話「愛しているから、こそ」

 雨が降り出す前に、美星アースは家へと帰ってきた。

 もはや誕生日のお祝いどころではない。

 だが、まだ魔法少女まほうしょうじょラジカル☆はるかのコスプレをしたまま、辰乃タツノは旦那様を出迎えた。バイクのエンジン音が聴こえたので、玄関から飛び出したのだ。


「美星さんっ! おかえりなさいませ、あのっ!」

「ん、どした? ……その格好、どうしちゃったんだ」

「あ、いえ、これは! 莱夏ライカさんが教えてくれて、美星さんが喜ぶって」

「まあ、嬉しいかもな」

「あ、ありがとうございます。でも、そうじゃなくて!」


 言葉を選ぶことすらもどかしい。

 だが、ヘルメットを脱ぐ美星は、いつものぼんやりとした真顔でそんな辰乃の頭をポンポンとでた。グローブ越しに大きな手の体温が、じんわりと浸透してくる。

 辰乃は少し自分を落ち着かせると、ゆっくりと喋り始めた。


「美星さん、先程百華モモカさんがいらっしゃいました」

「……そっか。んで?」

「今から飛行機に乗って、ウィーンに行くそうです。それで、美星さんに会いに来たって」

「うん。まあ……夢がかなったんだな。いや、ここからが本当の挑戦の始まりか」


 美星は驚く程に落ち着いていた。

 冷静を演じているとさえ思えた。

 それがわかるくらいには、辰乃は美星とのきずなを深めていた。今も、無感情で無表情な顔は仮面で、その奥に動揺した素顔が隠されている気がした。


「それで、飛行機の時間があるからって……ついさっき、行っちゃいました」

「そうか。うん、まあしょうがないな。辰乃、これお醤油しょうゆな」

「いいんですか? 美星さん……百華さんと会わなくて」

「まあ、もう終わったことだからな」

「終わってなんかいませんっ! 二人の中で、両方共……終わってなんか、いないんです」


 びっくりするくらい大きな声が出た。

 受け取った醤油のボトルを、両手でギュムと握り締めてしまう。

 流石さすがの美星も、少しおどろいた顔をした。


「わたし、嫌な女です……でも、それでも! 美星さんに、百華さんとのこと……決着をつけて欲しいんです。それでもし、元のさやに収まっても、それでも」

「辰乃、それはないな。俺さ……辰乃がよめに来てくれて、嬉しい」

「でも、だからこそ……最後のチャンスになるかもしれないから」

「俺の気持ちはとっくに整理がついてるからさ」


 嘘だ。

 全てが嘘ではなくても、いつわる気持ちが入り混じっている。

 確かに心の整理は終わっているのかもしれない。

 だが、そうして片付け封印することは苦しいはずだ。

 自分の趣味を客間に押し込み、アニメやゲームを封印した以前の美星と同じである。本当の気持ち、本気と本音とを押し殺すのは、それはとても辛いことだ。

 神の下僕しもべとしての使命から解放された今、辰乃にはわかる。

 自分で欲して望んだことの価値、とうとさを。

 それを自ら封じるのは、血を吐くような苦しみの連続だと思う。

 もし、今の辰乃が美星を奪われたら……

 でも、その未来が可能性として広がる瞬間へ、美星を押し出したい。


「嘘、です……美星さん、今も苦しんでます!」

「……あんましさ、辰乃。知ったようなこと言うなよな。ちょっと変だぞ、お前」

「知らないです、美星さんと百華さんのこと! でも、わかるんです……感じるんです」


 グローブを脱いだ美星の手が、そっと優しく頬に触れてきた。

 その指が拭ってくれて、初めて辰乃は泣いていることに気付く。

 自然とあふれた涙が、とめどなく流れる。


「辰乃、その……怖いけど、聞くぞ? 煮え切らないまま、時間に解決を任せて……その、ちょっと逃げてる俺は……嫌いか?」

「そんなことないです! どんな美星さんでも、わたし……好きなんです。愛して、しまったんです」


 醤油のボトルを胸に抱き締め、止まらぬ涙をゴシゴシと手の甲でぬぐう。

 だが、心が決壊して溢れ出た想いが、言葉に勝手に変換されてゆく。


「でも、美星さんに、もっと……楽になって、ほしくて。重荷を、下ろしてほしくて」

「辰乃……お前」

「わたし、美星さんと一緒になれて嬉しいです。でも、百華さんとのことを知って、嫉妬しっとしちゃって……それで初めて、人の心を得た気がしました」


 美星を見上げて、一生懸命に辰乃は言の葉をつむいだ。

 星をも消し飛ばす龍神の辰乃が、一人の男に全ての力を振り絞る。


「だから、美星さん……百華さんに会って、ちゃんと気持ちを伝えてください。その結果がどうなっても、わたしは美星さんを祝福します。そして……晴れやかな気持ちで、またわたしを選んでもらえたなら」


 美星はバリボリと頭をかいて、バツが悪そうに目をそらした。

 だが、彼の気持ちはちゃんと辰乃に向けられている。

 真っ直ぐにぶつける辰乃の想いが、真っ直ぐに跳ね返ってくる。


「……俺はさ、辰乃。聖人君子せいじんくんしじゃないし、まあ、普通の男だよ。取り立てて夢もこころざしもないし、さ。オタクだし。でも、今は」


 一拍いっぱくの間を置いて、美星は辰乃を真っ直ぐ見下ろしてきた。

 美星の双眸そうぼうに今、涙にれた自分の泣き顔が映っている。


「今は、自分なりにやりたいこと……守りたいものが見つかった気がした。それは、突然の押しかけ女房で、世間知らずで浮世離れしてて……でも、大切にしたいと思ったよ」

「美星さん……」

「ありがとな、辰乃。気持ちの整理が本当についてるなら、それを見せる必要があるみたいだ。百華に……なにより、辰乃に」

「は、はいっ! わたし、美星さんをいつも応援してます! どうか、どうか心のままに」

「だな」


 そして、突然のことに辰乃は驚く。

 美星はいきなり、辰乃を抱き締めてきた。

 力強い抱擁ほうように、鼓動も呼吸も止まりそうになる。

 思わず醤油を落としてしまったが、辰乃も一生懸命に美星を抱き返した。美星の体温と匂いを、全身で受け止め自分の中に圧縮してゆく。

 最愛の旦那様を、身体の全てで感じて受け止める。

 例えこれが最後の抱擁になっても構わない。

 美星が自分で未来を選ぶために、過去に決着を付けて欲しい。

 どんな結末でも、それを選んでほしいのだ。


「よし、じゃあ」

「は、はいっ! いってらっしゃいませ、美星さん」

「ん。ちょっとひとっ走り、だな……必ず帰ってくる。お前のところに戻ってくるよ、辰乃」


 それだけ言うと、美星ははじかれたように辰乃から離れた。

 再びバイクにまたがり、グローブを着けてヘルメットを手に取る。

 辰乃は、精一杯の笑顔を作ろうとした。

 だが、泣き笑いでぐしゃぐしゃな顔を向けるしかできない。それでも、エンジン音を再び響かせる美星をしっかり見守った。


「んじゃ、行ってくる。それとな、辰乃」

「は、はいっ!」

「コスプレ、かわいいぞ。ひょっとして……俺、今日は誕生日か?」

「そ、そうですっ! ケーキも買ってあるんです。わたし、つい先日気付いて」

「そっか。夕飯までには戻る、と、思う」


 そうして美星は、再び愛車ドゥカティに乗って走り去った。

 通りまで出て、その背を見送る辰乃。

 今、美星は自分で選んだ。

 有耶無耶うやむやな中で途切れた関係を、自分と百華で一緒に変えるために。続くにしろ終わるにしろ、その結果を二人で共有するために。

 美星の旅立ちを前に、試練のように空はくもってゆく。

 雲が低く垂れ込める中、遠雷がゴロゴロと近付いていた。

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