第8話「嫁にはまだまだ生えてます」

 帰宅後、荒谷美星アラヤアースは自宅のことをアレコレと辰乃タツノに言い聞かせた。

 炊飯器すいはんジャー洗濯機せんたくきの使い方、お風呂のボイラーにテレビ等の家電製品。特に辰乃が驚いたのは40インチの薄型テレビで、言われるまでテレビと気付かなかったらしい。真空管しんくうかんがどこにあるのでしょう、と首を撚る彼女は、やっぱりちょっとかわいかった。

 そうこうして辰乃のご飯を食べて各々に入浴を済ませると……あっという間に夜になっていた。


「……とりあえず、密着はまずいな」


 寝室に二組の布団をきつつ、美星はその間をちょっとだけ離す。

 だが、変に距離を置くと……遠ざけられてると思うのではないだろうか?

 あわててくっつけるが、それで昨夜の感触を思い出した。

 淡雪あわゆきのような手触り。

 温かなぬくもり。

 甘い匂いがほのかに香る。

 そして……立派な雄々おおしいつの

 慌てて脳裏の妄想を振り払い、何度も布団の位置を変えてみる。

 美星はつい、考え過ぎてしまう……思考で動いてしまう。

 彼の感情は機能不全で、よかれと感じることを論理ロジックが許してくれないのだ。

 そうこうしていると、ふすまが開いて辰乃が戻ってきた。


「美星さん、お風呂頂戴ちょうだいしました。すっごくいいお湯でした!」

「ん、そうか」

洗髪料せんぱつりょうがすっごいいい香りです……髪がサラサラです! ほら、美星さん! サラサラなんです!」

「ただのシャンプなんだが……ま、まあ、よかったな」


 布団の上にあぐらをかく美星の前に、ぽてんと辰乃は座った。

 ファッションセンターで買ったパジャマは、水色の星柄ほしがらである。少し子供っぽいのだが、それが優雅な起伏を描く辰乃のシルエットを包んでいた。スタイルの良さがアンバランスで、どこか妙な背徳感があった。

 

 そう断言できるし、辰乃は童顔どうがんの小さな女の子だがからだは大人だ。

 大人の女性へ開花する直前の、その豊かさを湛えた曲線で構成されている。


「あの、美星さん?」

「あ、ああ……また、買い物にいこうな。かがみが部屋にないと不便だろうし」

「は、はい」

「あ! いや、何でも買ってやるという訳では。それに、買い与えればいいとはもう思ってなくて、その」


 目の前で正座する辰乃から、つい目をらす。

 バツが悪くて頭をボリボリとかきながら、美星はこれ以上はと思った。

 が持たないし、辰乃がまぶしくて直視できない。

 神様公認の夫婦なのに、あまり何も思わない……感じない。

 かわいいだし、嬉しいはずだと考えてしまう。

 結局美星は、小さく鼻から溜息ためいきこぼして逃げを打つ。


「よし、辰乃。寝るか」

「は、はいっ」

「家事とか、あんまり頑張らなくていいからな?」

「いえ、わたしは美星さんの妻ですから。家を守る女として、炊事すいじ洗濯せんたく、お掃除と全てをやらせて頂きます! 花嫁修業はなよめしゅぎょうだけで軽く400年は研鑽けんさんを積んできた自信があります!」

「お、おう……そっか。じゃ、頼むわ」

「はい!」


 布団に逃げ込もうとした美星だったが、ふと思い出して振り返る。

 そこには、まくらを抱き締めてこっちの布団に上がり込んでくる辰乃が近い。


「ええと、辰乃。奥の部屋な、もう一つ十畳じゅうじょう客間きゃくまがあって……今は物置になってる。そこだけは絶対に入らないでくれ」

「わかりました! ……お掃除とか、いいんでしょうか」

「いいんだ。その、見られたくないものとか……あるからな。それと」


 辰乃は笑顔でうなずくと、ポンと自分の枕を置いた。

 美星の枕の隣に。

 そして、うるんだ目を伏せながら美星の膝に手を伸べる。すっと細い人差し指が、いじらしく触れて八の字を書いた。彼女は徐々に頬を赤らめながらも、何かを言いかけては口籠くちごもる。

 上目遣うわめづかいに見詰めてくる表情は、普段のあどけなさが影を潜めていた。

 そこには、おっとの美星を求める女の顔があった。


「あの、美星さん……今夜こそ、えっと……わ、わたしと……夫婦のちぎりを」

「お、おう……ええと」

「昨夜は随分とお酒をお召のようでしたし。でも、今夜は」

「あー、うん。じゃあ……い、一緒に寝るか? その、夫婦的な感じで」


 耳まで真っ赤になりながら、何度も大きく辰乃はうなずいた。

 彼女は鼻息も荒く、ひざでズズイとにじり寄ってくる。

 自然と間近で見下ろす美星は、なだらかで華奢きゃしゃな肩へ両手を置いた。

 黙って辰乃が目をつぶるので、戸惑いつつもくちびるを重ねる。

 薄紅色うすべにいろの唇に、唇で触れた瞬間……小さく辰乃は身を震わせた。

 そして、脳裏にあの声が蘇る。


 ――美星って、キスが下手だよね? でも、んー……そゆとこ、好きだよ?


 それは一瞬で、そして永遠にも思えた。

 ただ、唇同士が触れただけで、そしてまた離れる。

 舌と舌も触れず、行き来する呼気こきすらまじわらないキスだった。

 それでも、ひとみを開いた辰乃がぽーっと自分を見上げてくる。

 そこに違う女の面影おもかげが浮かんでくる気がして、美星は思わずゴクリとのどを鳴らしてしまった。


「美星さん……あの、明かりを」

「あ、ああ。大丈夫だ」

「いえ、その……消してもらえないでしょうか。やっぱり、少し……恥ずかしい、です」

「あっ! そ、そういう意味か、そうだな! うん、そうしよう」


 いそいそと立ってひもを引っ張る。

 あっという間に闇が寝室を包んだ。

 窓を覆うカーテンだけが、星明かりと月光で絵柄を浮かび上がらせている。ぼんやり浮かぶカーテンの模様を見ていると、少しずつ目が慣れてきた。

 そして、かすかに響く衣擦きぬずれの音を聴く。

 そっと辰乃の手が、美星の手に触れてきた。


「美星さん……ど、どうぞ」

「あ、うん。えっと。あー、なんだ。し、幸せにする方向でな、今後も色々考えるから」

「ふふ、わたしはもう……とっくに幸せです。さあ、美星さん」


 まるでみちびかれるように吸い寄せられる。

 すでに全てを脱ぎ捨てた美星の、その白い肌が薄闇の中で浮き上がって見えた。

 光を集めて輝く真珠しんじゅのような柔肌に、そっと美星は身を重ねる。

 頭にはもう角が現れていたが、洗いたての髪を優しくでた。

 ちょっとでも気を抜けば、壊れてしまいそうな程に辰乃は細い。

 その全てを抱き締めると、頭の中の女は消えてくれそうだった。

 消えてくれと懇願こんがんする美星の胸に、その奥の心に……そっと辰乃が満ちてゆく。


「あ……美星さん、あの。角、邪魔じゃないですか?」

「平気だ、多分。その、全然大丈夫だから」

「は、はい」

「ただ、その……何か、えっと。ど、どうすれば……その、人間と同じで、いいんだよな?」

「はい……触れて、ください。わたしの全てに……どうか、今夜もお情けを」


 そうは言うが、ちょっと美星は自分が情けない。

 勿論もちろん初めてではないし、性欲がない訳でもないのだ。そして、一匹のおすとしての劣情れつじょう励起れいきさせるのに、辰乃という存在は十分に過ぎた。

 だが、どこか神聖で清らかな存在だと考えてしまう。

 龍神の娘という彼女の肩書が、美星に合理での禁欲をうながしてくるのだ。

 言い訳が立ってしまうことに安堵あんどしていて、本当に情けない。


「辰乃、じゃあ、その」

「美星さん……わたし、切ないです。どうか、もっと」

「わ、わかった。その、すまん」


 そっと胸の膨らみに触れる。

 張りとつやは異次元の弾力で、その重みがしっかりと重力にあらがっていた。

 そのまますべやかな肌を撫でて、おずおずと美星は指を走らせる。

 そして、股間のささやかなしげみの、その奥へと――


「……ん?」

「ぁ……美星さん? まあ……忘れてました、その、わたし」

「えっと? 待て、落ち着こうか。落ち着こう、素数そすうを数えるんだ」

「いえ、これは……ええと、嬉しくて」


 布団の中から見上げる辰乃は、暗がりの中でもはっきりわかるほどに赤面していた。

 そして……彼女の内股うちまたへと手を伸べていた美星は固まってしまう。

 そこには、本来ありえない筈の

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