第15話「生えてる嫁にも芽生えます!」

 夫婦ふうふの夜がやってくる。

 なんやかんやで、美星アース辰乃タツノと過ごす夜もいつもの日常になっていた。そして、毎夜毎晩繰り返される……夫婦のいとなみへのチャレンジも恒例だ。

 美星としてはまあ、嫌ではない。

 嫌ではないのだが、辰乃の頑張り過ぎが時々心苦しい。


「あ、あの……美星さん。その、明かりを」

「お、おう」


 さてさて、今日はどうしたものかと、とりあえず美星は蛍光灯けいこうとうひもを引っ張る。

 辰乃は出会ったあの夜から、とても同衾どうきんにこだわっている。

 家事はほぼ完璧だし、最初こそ家電製品に戸惑っていたが、今では炊事すいじから洗濯から百点満点だ。数日間で驚くべき習熟を見せ、ここは素直にありがたい。

 明かりの点いた暖かな我が家に帰るのは、とても嬉しいものだ。


「えと、美星さん……今夜こそ、わたしと夫婦めおとちぎりを」

「それは、いいんだけど……辰乃? その格好は」

千鞠チマリさんとお買い物した時に……殿方とのがたは皆、こういうのが大好きだと勧められて。あの、これが人界じんかいで言う、勝負服なんですよねっ!」

「……いいや、全然違うと思うぞ」


 すでにやる気満々の辰乃は、今日は開幕から下着姿だ。

 だが、その下着というのが、

 小さな月明かりの差し込む寝室で、夜露よつゆれたような徒花あだばなが咲いていた。

 白い肌を局所的に覆う、薔薇色ばらいろ薄布うすぬの

 ほんのり透けたレースが浮かべる刺繍模様ししゅうもよう

 恥ずかしげにうつむく辰乃のあどけない表情を、全力で裏切る肢体の豊かさ。それを引き立てるようにアダルティな下着が散りばめられていた。


「なあ、辰乃」

「は、はいぃ……や、やっぱり、変ですよね? これ、おかしいですよね!」

「うん。なんてーか、そうだなあ。とりあえず、角と尻尾、出していいぞ」

「あ、はい。では失礼して」


 シュポン、と辰乃の頭に角が現れる。

 相変わらず見事なもので、わずかな明かりを拾ってぼんやりと輝いて見えた。

 尻尾も並んだうろこの光沢が艶めいて、しゅるしゅると闇の中で畳に広がる。

 布団の上に座った美星は、小さく鼻から溜息をこぼした。


「まずな、辰乃。えっと……お前、そんなに頑張らなくていいからな?」

「えっ!? で、でも、わたしは美星さんの嫁ですから! 頑張らなくて、いいというのは……」

「出会ってまだ数日だろ? その間、色んなこともあったし……そう急ぐなよ」

「は、はい……ごめんなさい」

「や、怒ってないぞ? 怒ってないから……ちょっと、こっち来なさい」


 シュンとしてしまった辰乃が、おずおずととなりにやってくる。

 膝を折って座るや、彼女は小さな身をさらに小さくたたむように下を向くばかり。そんな辰乃を見下ろして、やれやれと美星はそっと両手を伸ばした。

 牡鹿おじかのように枝分かれして広がる辰乃の角を、両手でそっとつかむ。

 そうして上を、自分を向かせて覗き込んだ。


「あ、あの、美星さん!?」

「なあ、辰乃……千鞠のことな、許してやってくれな? あいつも、その……本当は俺が義理の兄貴になるはずだったんだよ」

「は、はい。……あ! だからですね! それで千鞠さん、失恋だって」

「ん? それは? いや、それよりな……幻滅したのも当然で、そうならないように、俺はこぉ……趣味を隠してた。好きなことをな、好きな人達のためにやめてみたんだ」

「……美星さん」


 結果的に言うと、失敗だった。

 美星も十年近く社会人をやってきて、自分なりにわかったこと、経験則けいけんそくというものがある。それに照らし合わせてみても、大失敗だったと今は思える。

 何かのために新たに取得する、前進する、手を伸ばす。

 これはいい。

 ただ、何のためであれ欲求、ないしそれに近いものを抑えるのは一苦労だ。

 我慢するということ自体が苦しければ、それは無理をしているということなのだ。


「あのな、辰乃。お前にはまあ、全部見せるからさ。俺は何も隠さないし、辰乃のことも全部……まあ、受け止めるといったら格好付け過ぎだけど。辰乃の好きにしてもらって、そういう辰乃を好きでいたいというか」

「美星さんっ!」

「うん? だからこう、お互いもっとあせらずにだな」

「は、はいっ! わたしも、その、ちょっと自信がなくて。だから、性急過ぎたかもしれません。ただ、やっぱり美星さんはわたしの旦那様なので、夜はしとねを共にしてもらって……それで、それ、で……っ、へっぷし!」


 辰乃が小さくくしゃみをした。

 まだまだ寒い二月の末だ。

 慌てて美星はぱっと手を離す。


「とりあえず、寝るか。辰乃、俺も色々あってこう、なんだ。あんまし無感動で動じない人間だから、不安だろうけど」

「そ、そんなことないです! 美星さんは、くしゅん!」

「今夜も冷えるな……ん?」


 おずおずと辰乃は、美星に抱きついてきた。

 パジャマの上からでも、彼女の素肌すはだの柔らかさが浸透してくる。

 妖艶ようえんとさえ言える扇情的せんじょうてきな下着が、彼女の無垢むくな純真さを否が応でも引き立たせてくる。毒々しく飾られてるからこそ、一層清らかに見える辰乃のひとみうるんでいた。


「美星、さん……今夜も、その……温め、合っても、いいですか?」

「ん、まあ……馬鹿だな、辰乃。そういうのな、いちいち聞かなくてもいいんだ」

「は、はい……えっと、では」


 美星もアニメやゲームに精通した、いっぱしのオタクだったからわかる。これぞまさしく、世のオタクが渇望してならないギャルゲー的な……それを通り越してである。

 誰もが望んで手に入れられぬ全てが、辰乃という絶世ぜっせいの美少女に凝縮されていた。

 ただし、恥ずかしげに目をつぶりつつ……辰乃の尻尾が抱き寄せるように腰に巻き付いてくる。この尻尾が意外と力持ちなのを、美星は一緒に寝ててよく知っていた。

 強請ねだられるまま、美星は今宵こよいも辰乃とくちびるを重ねる。

 いつもより少し、互いの味覚を感じ合う場所が近くで何度も触れ合った。


「ふあ……えと、美星さん……今夜でも、いいですか? あの、焦るわけでは、ないんですが」

「ん、まあ……じゃあ、するか」

「は、はいっ!」


 パジャマを脱ぎつつ、何だか妙な感じだが……そういえばと思い出す。

 こういう時にムードも何もあったもんじゃない女を知っている。

 あけすけなくて何でも直球ストレート、常に豪快に笑ってる人だった。

 恋人、だった。

 辰乃とは何から何まで真逆まぎゃくのタイプだったと思う。

 そのことを思い出す自分を、美星は嫌な奴だと感じた。

 目の前でおずおずと裸になった辰乃に、少しだけ申し訳なかった。

 が、成人男性として自分の肉体はしっかりと、健全な健康体を主張してくる。


「で、では、あの……美星さん、どうぞ」

「ああ、じゃあ……ちょっとお邪魔して」

「これで……夫婦、ですね。わたし、嬉し――!?」


 次の瞬間だった。

 からだを開いた辰乃に覆いかぶさり、夫婦の契を交わそうとした、その時。

 悲鳴と共に、小さな両手が首にしがみついてきた。

 思わず美星は、ピタリと固まってしまった。


「……痛かったか? 辰乃」

「い、いえっ! 平気です! これしきのことで……ど、どうぞ! 美星さん、続けてくださいっ!」

「じゃ、じゃあ」

「あ、っっっっっ! ぐ、んぎぎぎ……ま、待ってください美星さん! あ、いえ、ごめんなさい! 続けてくださ――んんんっ!」

「……辰乃、ちょっとタイム。いいか?」


 涙目で小さく辰乃はうなずいた。

 互いの準備が万端なように見えたし、手と指で触れた辰乃自身もしっとりとそれを肯定してくる。

 だが、彼女の痛がり方は尋常じんじょうではなかった。


「ど、どうしてでしょう……こんなに痛いなんて! ……ひょっとして、人間はみんなこうなのですか!?」

「いや、個人差があると思うが」

龍殺りゅうごろしの剣で刺された時だって、こんな痛みは……で、でもっ、耐えます! ですから、美星さん!」

「えっと、ちょっと待とう。落ち着こう、辰乃」


 そうとう痛いらしい。

 そして、実質二人は交わり結ばれたとは言えない状態で立ち止まっていた。

 互いの粘膜が触れ合って、その奥へと進もうとした瞬間の絶叫だったのだ。

 辰乃は歯を食いしばるようにして、広げた両手がシーツをギュムと握っている。

 よほどのことなのか、彼女の尻尾は力むあまり美星の足首にガッチリ巻き付いていた。


「……ちょっと、辰乃」

「は、はいっ! ど、どうぞ!」

「いや、何ていうか……そういうのな、人間でもあるから。痛いの、嫌じゃない?」

「大丈夫です! 平気です!」

「そういうもんじゃないだろうし……辰乃、初めてだろう。こういうのさ、最初は痛いとかいうし、初めてじゃなくても痛い時があんの。だから、辰乃が変な訳じゃなくて」

「……す、すみません。あの、美星さん……なんておびしていいか」


 しょぼんと辰乃は顔を反らしてしまった。

 その頬に、一筋の光が走る。

 彼女なりに美星の妻として頑張ってるつもりで、それは痛いほどにわかる。だからこそ、本当に痛い思いはしてほしくないというのが美星の思うところであった。

 それに、彼女の健気さ、一途さが自分には少し痛い。

 胸の奥の生傷に、良薬のごとく染み過ぎて痛むのだ。


「よし、辰乃。こうしよう。とりあえずな、毎晩一緒に寝るんだから……いけそうな時だけチャレンジしてみて、駄目だったら駄目だったで、まあ気にせずそのまま寝る。いいか?」

「は、はい……でも、美星さんがそれだと」

「ん? ああ」

「えっと、あの! 旦那様が収まりがつかないのも、妻として、嫁として!」

「あ、ちょっと、待ちなさいよ辰乃。ってか、そう強くつかまな――!?!?!?!?」


 結局、この夜は双方痛み分けとなった。

 辰乃が痛いのも困るが、その痛みが自分にも伝わったかのようで……美星も今夜はになったのである。互いのデリケートな部分に対しては、どうにも無知と未熟があって、辰乃の場合はそれが極端なのだ。

 結局、その夜も抱き合うだけでそのまま寝てしまった。

 今まで買い集めたどんな抱きまくらよりも、辰乃のぬくもりは心地よくて、やわらかで……それだけでも満足だが、物理的に愛し合えないのは辰乃が困るかもしれない。そして、精神的には恋だ愛だというのをまだこなしていないことに気付く。

 とりあえず、その辺も今後は話し合い、気遣きづかいたいと思う美星であった。

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