第6話「昭和な彼女はお嫁さん」

 荒谷美星アラヤアースは久々に、買い物する女の子の荷物持ちというのをやった。

 ファッションセンターでは、千鞠チマリがわりと真面目にアレコレ選んでくれた。何を試着しても笑顔を咲かせる辰乃タツノに、不思議と表情筋がゆるむ。

 今日だけで美星は、無表情な仏頂面ぶっちょうづらを何度もやわらげてしまった。

 そして今は、雑貨屋や100円均一ショップを回って遅めの昼食中だ。

 何の変哲もないファミレスでも、辰乃は入店前から目を白黒させていた。


「美星さんっ! お品書きにこんなに洋食が……どうしましょう!」

「いや、どうしましょうって。いいから好きなのを選びな」

「でもでも、ハンバーグだけでもこんなに種類が……ドリア? これはどんなお料理でしょう。それと、カルパッチョとは……!?」


 メニューを広げて、フンスフンスと辰乃がひとみを輝かせている。

 朝からずっと感じていたが、どうやら彼女は現代の日本社会に接したことが少ないらしい。1,500年も龍神とやらをやっていても、驚くほど俗世ぞくせうとかった。

 洋服の一枚一枚に感動し、携帯電話を持たせれば驚きに言葉を失う。

 小さなお嫁さんは、見ていて飽きない素直な感情のかたまりだった。


「どうしましょう、美星さん……ハンバーグは100g単位で大きさを選べます! しかも……追加で海老えびフライも付けられるんです! そして、ごはんがおかわり無料」

「お腹いっぱい食べるといい。辰乃は食いしん坊だからな」

「はっ!? ……そ、そんなにですか?」

「うん。だから、遠慮するな」


 結局辰乃は、一番大きなハンバーグに海老フライをオプションでつけて、それと別にカニクリームドリアを注文した。

 それにしても、よく食べる。

 あの小さな身体のどこに入るのだろう?

 すでに買った服へ着替えているから、改めて華奢きゃしゃなスタイルの良さが際立っていた。今はプリーツスカートにえりのあるシャツを着ていて、ふわふわした以前の着衣よりも柳腰やなぎごしが目立つ。そのくせ、過不足ない胸と尻の存在感が自己主張していた。

 頬杖ほおづえついて辰乃を見ていると、彼女はメニューから顔をあげる。


「あ、あの……美星さん。わたし、何か変ですか?」

「ん? いや、別に」

「その……えと、今日は本当にありがとうございます! こんなに沢山たくさんお洋服を」

「まあ、嫁らしいからな。だろ?」

「はいっ! 辰乃は美星さんの妻です!」

「そゆ訳だから。あとは……じんさん、もとい神様かみさまにもう一度会わなきゃなあ」


 行きつけの焼き鳥屋で会った、謎の老人。

 辰乃が神様と呼ぶその人物が、酒の席で妻にめとれと勧めてきたのが辰乃だ。

 どうしても美星は、老人に確認しておきたいことがあった。

 それは、男女同権の価値観が広まった現代では、当然とも思えることである。つまり、保護者とおぼしき神様に問いたいのだ。本当に自分のような男に、龍神の少女をとつがせていいのかと。

 辰乃には聞くまでもないような気がするが、美星には臆病な気持ちの理由もある。

 そのことを不意に、辰乃はおずおずと訪ねてきた。


「あの、美星さん……先程の女性、千鞠さんは」

「ああ。あいつ、いもうとつったか?」

「はい。……あの、あまり似てない、ですよね」

「そりゃそうだ、血がつながってないからな。そもそも千鞠は――」

「で、では、異母兄妹とかでしょうか。それとも、その」


 彼女なりに、デリケートな話題に触れている自分を自覚しているらしい。

 水の入ったグラスを両手で握って、上目遣うわめづかいに美星を見詰みつめてくる。

 彼女の不安を取り除いてやる必要があると思った。

 美星は、自分でも思わせぶりなことを言っていることに気付けていない。それは、無意識に過去の話題を避けているからだ。

 だが、辰乃はキッと前を向くと、最短コースで核心に触れてくる。


「あのっ! 美星さん!」

「はい。……ちょうど今、もう少し説明をと」

「わたし、ちょっとうれしかったです! その……千鞠さんが妹さん以上の存在であっても、そんなに珍しくないお話ですし! それに」

「待って、ちょっと待って。えっと……珍しく、ない?」

「ええ。古くからどこの集落でも、親族同士での婚姻こんいんはありましたし。血が繋がってなければ、兄妹きょうだい同然に育った関係がそのまま夫婦めおとになることもごく普通に」

「……それ、何百年くらい前の話かな」

「つい最近です、ほんのつい最近……えっと、あの戦争の前ですから、んと」


 少し視線を外して、辰乃は記憶を辿たどり出した。

 だが、不意に彼女は小さく笑った。

 本当に、つぼみほころぶような笑みだった。


「でも、嬉しいのは本当です。……少し、ちょっぴり悔しいですけど。わたし、この姿になった時に神様に言われたんです。もっと、ええと、ぐらまあ? とにかく、大人の女性になった方がいいと」

「そんな、それこそ服を選ぶような気軽さだなあ」

「わたしが知っている時代は、二十歳はたちを過ぎればもう行き遅れです。さらに歳を取れば、かず後家ごけなんて言われて……でも、神様はこうも言いました!」


 グイと辰乃がテーブルの上に身を乗り出す。

 そして、とんでもない爆弾発言をはっきり言い放つ。


「世の殿方とのがたは全て、程度の差こそあれ……というものらしいです!」

「……おっと。まあ、えっと、あー……まさに、神発言かみはつげん?」

「美星さんも、その、ろりこん? そういうの、ありますか?」

「いや、どうだろう」

「でも、先程千鞠さんを見て安心したんです。……お二人が親しい間柄のようで、美星さんも優しい顔をされてました」


 意外な話だ。

 自分の無感情な鉄面皮てつめんぴには、自覚がある。

 ある日をさかいに、ずっと美星は無感動な日々を送っていたのだ。その時から、顔は五感を感じる器官の集合体でしかなくなったのだ。

 だが、そんな自分から表情の機微きびを読み取ったと辰乃は言うのだ。

 それも、どこか嬉しそうにはにかみながら。


「わたしには、その、ろりこんというのはよくわかりません!」

「えっと、とりあえず連呼れんこはよそう。あと、声が少し大きいよ」

「す、すみません。神様はやまいのようなものだとも」

「まあ、病的な人もいるね、ロリコンってそういうもんだからね」

「でも……千鞠さんもわたしも、そう変わらない姿なので、安心しました。わたしも……あの、こんなこと言ったら、えっと……で、でもっ!」


 真っ赤になって口ごもりながらも、身を乗り出したまま辰乃は目をうるませる。

 その眼差まなざしが不思議と、美星のほおを熱くした。


「わたしのことも、その……すっ、好きになって頂けませんか? 美星さんの妻として、頑張ります。一生懸命働きます。だから」

「辰乃……俺、ロリコンじゃないけど。だけど、とっくに、って話なんだよな」

「え、じゃあ」

「辰乃はいい娘だから、嫌うのは凄く難しいと思うんだよなあ。それと」


 辰乃は先程にもましてまばゆい笑顔になる。

 そのうち周囲に本当に花が咲きそうだ。

 神通力じんつうりきとやらがあると言っていたので、本当にやりかねない。

 その証拠に……頭には


「それとな、辰乃。まず、角が出てる」

「あっ! す、すみません、つい嬉しくて」

「あと、千鞠は22だ。大学四年生」

「えっ!? 成人されてるんですか? ……お若く、見えましたが」

「幼いっていうのかな、童顔どうがんだしツルペタだし。それこそ、辰乃が言うロリコンっていうのは……まあ、その話はよそう」


 ただでさえ目立つ辰乃は、いるだけで周囲の視線を吸い上げるはながあった。

 そんな彼女が、先程から特殊な性癖の名を連呼しているのである。

 自然と店内の誰もが、美星に向ける目を複雑な心境で彩っていた。

 だが、いずれ話すことだからと美星はしっかり言葉を選ぶ。

 隠すことではないし、自分で触れたくなくても辰乃には知ってほしい。

 これからどうなるにせよ、現在進行形で彼女は自分のお嫁さんなのだ。


「俺は……昔、恋人がいた。将来を一緒に考えていた奴がな」

「まあ……でも、当然です! 美星さんはとても素敵な方ですから!」

「いつか、もう少し気持ちが整理できたら具体的に話すよ。がっかりさせるかもしれないけどな」


 辰乃は一生懸命に首を横に振った。

 さらさらと翡翠色ひすいいろの髪が揺れる。

 そして、次の言葉で実星を振り返らせたのは、彼女ではなかった。


「なんじゃ、そういうことを気にしておるのか」


 背後のボックス席から、老人が二人を見下ろしていた。

 突然の再会で、思わず美星は真顔まがおのまま固まってしまう。

 それは、先日美星と辰乃のえにしを取り持った人物……神様だった。

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