大会三日目

一ノ瀬アザト VS サキっち

 最強無敵のメイドの次にどんな相手が待ち受けているのか戦々恐々としていた一之瀬アザトであったが、アザトにとっての第二試合、大会三日目の試合の相手は、小柄で愛らしい少女、サキっちであった。


「また殴りにくい相手か……」


 ただでさえ過去の経験から暴力、それも女性に自分が振るう暴力を最も嫌うアザトにとって、見目麗しい少女との二連戦は精神へのダメージがあまりに大きい。


「なんじゃ、一ノ瀬とやら、相手のことを調べもせなんだか。よほど俺を侮っているのか、勝つ気がないと見える」


「なるほど。全力で戦わないと相手に失礼、というのは事前の準備も含めてのことか。その意味で言うと、この大会のために研鑽を積んでいない俺は最初から超弩級の無礼者、ということになる」


 サキっちが放つ正論に首肯を返しつつ、アザトは自らの不誠実を恥じた。やはり大会参加による元の世界への帰還などという方法ではなく、守護霊になんとかさせた方が良かったのではなかろうかとさえ思いつつ。


「その通りじゃよ。今更気づきおったか、たわけめ」


「返す言葉もございません」


 愛らしい外見に似合わぬ、まるで歴戦の武人のような貫禄を持つ少女、サキっちの言葉に、ただただアザトは低頭する。それを、どうしようとてなく正論と認めて。


「それで、かかって来ぬのか? 来ぬのならばこちらから参るが」


「いや、襲い掛かられて仕方なく女の子を殴ったとか自分に言い訳したくない。ハンデを頂くようで恐縮ながら、先手はこちらに譲っていただけると幸い!」


 サキっちの、どこからどう見ても誘いでしかない言葉にあえて乗り、アザトは右の拳を弓のように引いて踏み込んだ。今から己が振るう暴力を、一身上の都合で少女に拳を振り下ろす邪悪をしかと見据え、アザトは……自らの腕を大きく切り裂いた。


「ぐっ……!」


 拳の軌道にただ差し出された剣。自ら力を込め、腕を切り裂いたのはアザト。


「全て読み通りじゃよ、小童こわっぱ


 アザトならば必ずこうする。サキっちは確信していた。だから、予想した拳の軌道にただゆるゆると剣を持ち上げただけだ。

 周到な準備とは相手の調査も含む。アザトが本来は暴力を嫌っていること、自分に弁護の余地を与えず、自分でその悪を糾弾するという面倒な性格をしていること、その程度ならばもはや戦いの場に立った時点で知らないほうがおかしいとさえ言えるレベルで、サキっちの調査は徹底している。弱点を探し、それを衝く。幾度となく軍師として繰り返してきた作業を、サキっちは呼吸するかのように当たり前に行った。


「おみそれしました」


 アザトはそんなサキっちの行動を賞賛し、左手で右腕を握って即席の止血とする。その間に守護霊による強制的な自己修復が働き、数秒と経たずにアザトの右腕は元通りになっていた。


「全く、その守護霊とやらだけは底が見えなんだわ。おぬしに勝機があるとすれば、まだ見せたことのない力で俺を圧倒することじゃろうな。あるか? 隠し札」


「恥ずかしながら、俺にも全く分かりません」


 アザトの返答に、サキっちは呆れ果てたと言わんばかりに肩をすくめた。


小童こわっぱよ、敵を知り己を知れば百戦危うからずという言葉を知っておるか?」


「存じ上げています」


 知らないのならまだしも、あろうことか、この戯けは知っていると抜かした。軍師としてのサキっちにとって、それは度し難い侮辱であった。

 基本中の基本を弁えながら実行しないなど、控えめに言ってナメている。


「ならば問おう。何故敵も己も知ろうとせんのだ。よもや、本当に勝つ気がなくてこの大会に出ておる、などという世迷言は言うまいな」


 こめかみをひくつかせながら、サキっちはアザトに問う。


「弁解をお許しいただけるならば、一朝一夕に知ることができるほど相方は分かりやすい存在ではなく、また、俺の頭脳も彼女を知るには甚だ不足していた、と」


 アザトは気まずそうに言い訳を口に上らせた。

 それに対し、サキっちは納得顔で頷いて見せた。


「なるほどのう。つまり小童こわっぱよ、お主は心底戯けなのじゃな」


 アザトは、深く深く頷いた。


「返す言葉もございません」


 その姿を見て、サキっちは不敵に笑った。


「面白いわ。軍師が最も苦手とするは心底の戯けよ。戯けは時に予想もつかぬことをしでかすからのう」


「お褒めに預かり光栄です」


「褒めとらんわ!」


 背筋を伸ばし見当違いの感謝を述べるアザトの間抜けぶりに、サキっちは剣を地面にたたきつけて怒りをあらわにする。そして、はっとアザトの顔を見やった。


「なるほど。俺の心を乱して隙を作ろうという腹か。これは一本取られたわ」


 愚者のふりをして相手を欺くのもまた、駆け引きの初歩である。そして、途方もない愚者を演じることで相手を苛立たせられれば、相手が冷静さを欠いた分だけこちらが有利になる。石田三成ほどの人物がそんな基礎を見落とそうはずもない。


「いえ、そのようなつもりは毛頭」


 だが、サキっちの目の前にいる若造はそうでもないようで。気まずそうにそれを否定した。


「正直なのが常にいいこととは限らんのだぞ?小童」


 剣を拾いなおし、ゆるゆると青眼に構えながらサキっちは忠告する。


「それより、動きが少なくて観客が退屈しておる。少しばかり、俺の手妻に付き合ってもらおうかの。俺はお主と違って、無策でここに上がってくるような無謀はしておらぬ」


 その宣言に、観客席から生唾を飲み込む音が聞こえたのは、アザトの気のせいではあるまい。なにしろ彼女が前の試合で使った切り札は、生物兵器。今度は何を隠し持っているのか。誰もが、固唾をのんで見守っていた。




*** *** ***




 息を飲む観客席。

 確かに三成の言うように、この試合が少々退屈気味であることは間違いない。

 だがそれもここまでである。三成はそう確信していた。


一ノ瀬安里イチノセアザトと申したな。ヤスサトではないのか? 珍しいいみなを名乗りおるわ。烏帽子親は誰ぞ。まあよい。俺はその守護霊とやらをどうにか上回るすべを考えた」


 そう告げた三成は背負っていたリュックサックに手をかける。

 大きい物ではない。

 華奢な背中に収まる程度の、小ぶりなそれ。


「森羅万象を凌駕するがの如き、その方の守護霊とやら。それどうやって上回るかを考えたのだが、コレしか思い浮かばなんだ」


 その中から取り出したのは、黒い犬。

 小型犬とも言えるその犬を、皮で作った専用の胴当てがすっぽりと包み込んでいる。そしてその小犬専用の胴当てから、リードが数本垂れさがっていた。


 アザトは目を丸くした。

 目の前の美しい貧乳少女が取り出した、なんとも可愛い黒い小犬。

 命のやり取りとは程遠い何ともまろやかなその見た目に、自分がいったいどう対処すべきなのか迷う。


 三成は小さな笑みを作ってみせた。


「身に着けられる物であれば何でも持ち込んで良いそうだが、どう言うても犬は別途ペットだと撥ねつけられてな。考えた末にこうなったのだ」


 得意げに言い放ち、目の前に抱えた黒い小犬を己の頭上に掲げる。


「そうであるならば身に付ければ良い。簡単な事、これでどうにか申請を通したわ」


 そしてその可愛らしいモフモフを、己の頭の上に優しく乗せた。


「これは兜じゃ」

ワン!キラーン!

「左近という名の……兜よ!」

ワンワン!ドドーン!


 金髪碧眼の貧乳美少女の頭の上に、黒い小犬が愛らしく乗り、両目をくりくりさせては尻尾を扇風機のように回す。

 そして三成は、左近の胴当てから垂れ下がっていたリードを己の首に回し、顎の下でしっかりと固定した。


月代さかやきなしで兜をかぶるとは思わなんだが、この体で月代などこさえては良い笑いものだからな。これでよい」

ワン!にくっ!


 何やら一人で盛り上がる三成であったが、相対するアザトは勿論の事、観客席も冷や水を打ったかの如く静まり返っている。


「ふん、驚きの声も出ぬ程に臆したか。守護霊の力を凌駕する、我が佐和山の兵十万の力、とくと見よ!」


 大地に両足を張り出して、ドヤ顔付の決めポーズで左手の指先をアザトへ向けた。


「さあ左近、今こそうぬの力を見せる時ぞ!」

ワン!にくっ!

「はっはっは、なあに心配いらん。左近の言うように確かにまだ若いが、元服は済ませておろう。遠慮はいらぬ!」

ワン!腹減った!

「なに? 馬鹿を申すな。手加減など無用じゃ」

ワンワンワン!にく食べたい!


 どうにも危険な香りはしないのだが、アザトはかつて感じたことのない異様な困惑に支配されていた。

 中身は戦国武将だと宣う金髪碧眼の貧乳美少女が、黒い小犬を頭に乗せて、やれ十万の兵だ遠慮はいらぬだと言っている。


 笑うべきか、恐れるべきか、それとも……


 アザトが困惑に支配されている中、クスクスと小さな笑い声が観客席からは漏れ始めた。それは次第に波のように広がりを見せ、いつしか会場全てを巻き込んで微笑ましい空気を作り出す。


『頑張れわんこ!』

『お嬢ちゃん、やったれ!』


 野次とも声援とも取れる声が方々から沸き起こり、睨み合う二人を包み込む。


「な、な、なにをしている。さあ左近、目の前の敵を討ち果たすのじゃ!」

ワン……あっ、たいへんだ


 頭に小犬の乗せたきり、一向に攻撃を仕掛けようとしない三成。

 対してアザトはどうにか心の平穏を取り戻そうと躍起になっていた。


 こんな美少女と戦うのに、出来れば姉の力は借りたくない。

 美少女と可愛い小犬を痛めつける事は、己が宿命。悪鬼の如き所業を背負った己には、今更引かれる後ろ髪もない。

 そう言い聞かせる。


「仕掛けてこないのですか? それなら此方から行きますよ」


 いっそのこと、考えない方が良い。

 ならば、先の試合のように激しい戦闘の中に身を投じてしまえばいい。そのほうが遥かに楽だ。

 アザトは腰を落として臨戦態勢を取った。


「ぐぬぬ、おい左近、何をぐずぐずしておるのだ!」

ワン、クーンクーンヤバいよ、ヤバイヤバイ


 何やら頭上で忙しなく落ち着きを失くした左近に、三成は徒ならぬ気配を感じ取った。


「一ノ瀬、待て、しばし待て!」


 青ざめた表情で、慌てて顎の下の結び目を解く。


「左近、ほら、しておいで」

ワン!限界だー


 三成の足元に降り立った左近は、慌てて周囲を見渡した。

 きょろきょろと首を動かし、近い距離に一つの影を見つける。


 ミサイルでも撃ち放ったかのようにその影へ向けて走り込んだ左近は、その影を作り出しているそれに向けて片足を挙げた。


 ――ジョジョジョジョジョジョジョ


 アザトの右の足に、生暖かいそれが広がっていく。


ワン!セーフ!

「こ、こ、これは……」


 姉と結んだ禁断の契り。そしてその姉の願いを聞き届け、堕ちた己。

 とりわけ数奇な運命を背負っているとは思っていないアザトであるが、流石に一般人と同じではない事など理解している。

 あらゆる事が贖罪になるのであれば、全てを受け入れてしまう覚悟もある。

 いや、むしろそれを望んでさえいる。


 例え、そうだとしても。

 流石に犬の小便をひっかけられることになるとは、想像もしていなかった。

 人肌よりも若干温い液体が、じんわりと脛の当たりから足元へと広がって、怒りとも失望とも表現し難い感情が沸き起こる。


 だがこの状況に最も怒気を顕わにしたのは、アザトでも三成でもなかった。

 そしてその第三者の怒気に最も早く触れるのは、アザトである。


「これは危ない……」


 溺愛する弟がどれ程の危機に見舞われようとも、その全てを姉が排除してきた。

 だがその姉でさえ、流石に犬の小便までは意識していなかった。


 愛してやまない弟への、侮辱。

 三成の意図せぬ形ではあるが、左近の攻撃はアザトを守る存在へ直接的ダメージを与えるに至ったのである。


 だがそれはそれで危険な事であった。

 姉の暴走を危惧するアザトの足元では、野性の本能でその怒気を感じ取った左近が毛を逆立てる。


キャイン!怖い!


 今は犬。

 思考も行動も犬。

 全てがただの犬。

 しかし、そうだとしても。その元は、三成には過ぎたるものと言われた名将、島の左近である。


 その脳裏に、どうしようもない危機に瀕した場合の対処法が浮かぶ。



 ――三十六計逃げるに如かず。



キャインキャイン!さようなら~


 脱兎する左近。

 目指す先は、闘技場への入場口。


「えー!? 左近、まって! どこ行くの!」


 想定外の状況に、三成の精神に少女の存在が顔を出す。


「まってー!」


 正しく、飼い犬を追いかける少女。


「まってってばー!」


 時折垣間見られる少女の言動は、三成本人にさえ抑えがたい。

 猛然と駆けた左近は入場口から暗闇へと姿を消し、それを追うようにして金髪碧眼の貧乳美少女も消えた。


 唖然とする会場。

 アザトは無論の事、観客も含めて全ての人間の思考が停止した瞬間である。


 しばしの後、ざわつきを見せ始めた会場にアナウンスが響いた。


『さ、サキっち選手、場外! 勝者、一ノ瀬アザト選手!」


 あまりにあっけない決着であったが、折角なので騒がない手はない。

 壮絶な戦いを期待していた観客は、胸に残った消化不良を吐き出すように、力の限り大声援を送った。


 それは勝者に対する賛辞であるのか、はたまた敵前逃亡の形となった敗者への罵声であるのか。何はともあれ、三日目の第一試合はこうして閉幕となったのである。




*** *** ***




サキっちの後日譚はこちらから!

https://kakuyomu.jp/works/1177354054883965879

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