キリシマ・エンカ VS 白い鳩

 『Peace』と言う煙草がある。

 第二次世界大戦後の混乱期に、敗戦した日本人が夢や希望、豊かな未来を懇願し、『平和』と名付けたその煙草のパッケージには、なぜかオリーブの葉を咥えた鳩が描かれていた。

 これは旧約聖書の創成期、地上に大洪水が起きた際、ノアの方舟より放たれた鳩がオリーブの葉を咥えて帰ってきたことが起因している。外界の様子を見ようと放った鳩が持ち帰ってきたそのオリーブで、地上が緑に溢れ、平和に満ちたと確信したわけだ。


 以来、鳩は平和の象徴として崇められてきた。だがしかし、それは国によって、文化によって変化するもの。豚を神の使いとし、食する事を禁止する国もあれば、クジラを捕食する事に抗議する国もあり、また、ただのねこを食べる国もある。

 つまるところ、キリシマの故郷では、鳩と言う鳥は捕食対象でしかなかったのだ。


 アナウンスに呼び出され、試合会場へと向かうキリシマ。その背には昨晩こしらえた薪が背負われ、手には細く削られた串が握られている。

 試合会場にキリシマが足を踏み入れると、大歓声が突如として困惑のどよめきに包まれた。


 その異様な空気の中、対戦相手である『白い鳩』も会場に現れる。神々しく美しい姿。まさに我こそが平和の象徴であると言わんばかりに、辺りにオーラを振りまいている。対峙する相手の戦意が削がれると言うのもわからん話でもない。


 だが——


 キリシマは元より戦意、敵意、悪意など、微塵も持ち込んでは来なかった。

 あるのは平和の象徴をいち早く己の小腸へとぶち込みたいと言う、人間として至極自然な食欲のみ。




『第五試合 始め!!』




 開戦のゴングが鳴る。

 キリシマは早速背負っていた薪を下ろしては火おこしを始めた。

 昨晩切り倒したばかりの生木である為、なかなか着火しないうえ煙が大量に出る。薪としては不良の部類に入るだろう。


 そんなキリシマを「なにをしているんだ?」とでも言いたそうに鳩は首を傾げた。時々毛づくろいをしながら、首を振りつつてくてく歩きながら、仕掛けることも無く、キリシマが火を起こすのを遠目に見ている。


 会場は一向に闘いを始めない両者に、戦意どころか興すらも削がれつつあった。「早く始めろ」「なにやってんだ」そんなヤジが各所で挙がる。が、キリシマは気にせず火おこしを続け、鳩は気にせずクルッポクルッポ歩き回る。


 困惑しているのは観客だけではなかった。観戦していた他選手も意味不明なキリシマの動向に目が離せない。

 するとそこで、いち早くキリシマの意図に気付いた解説陣が口を開く。


「白い鳩選手……、ヤバいですね……」

「解説さん。と、言いますと……?」

「キリシマ選手の手をよく見てください。持っているあれは……、恐らく串ですね」

「ま、まさか……!?」

「ええ、焼き鳥を作る気です」


 会場が一瞬静寂に包まれ、観客席から大量のごみが投げ入れられた。しかしそれもすぐに収まる。なぜなら憤怒といった感情は、『白い鳩』のパッシブスキルが全て剿滅させてしまうのだから。


「キリシマ選手がなにか呟いています。よく耳を凝らしてみてください」

「本当だ! ……つくね、かしら、ハツ。完全に焼き鳥の口になってますよあの人!」

「今朝、会場近くの街路樹が切り取られていると報告を受けましたが……。恐らくキリシマ選手の仕業でしょう」

「ええ、根元からスパッといかれてましたからね。まさか試合前日に徹夜であの薪と串を用意していたのでしょうか」

「恐ろしい執念です。よほどはらぺこなのでしょう」

「武士は食わねど高楊枝と言いますが……?」

「腹が減っては戦は出来ぬと言ったところでしょうか」

「満たした時には戦は終わってますがね……」


 パチパチと音を立て、ようやく薪に種火が着きだした。火が消えない様に息を吹きかけ、更に種火を拡大させていく。


「それにしても不味いですよ」

「ええ、臭みがあって肉は硬いと聞いています」

「いや、味の問題じゃありません。状況の話ですよ。白い鳩選手は相手の戦意を喪失させる事が出来る。それはある意味最強のチート能力です。対戦相手によってはその姿を見せただけで降伏させるでしょう。……ですが、キリシマ選手は最早戦う意思を持っていません。例えるなら、ちょっと小腹が空いたからコンビニでパンでも買って食べようくらいの気持ちでこの試合に臨んでいるんだと思います」

「つ、つまり……?」

「白い鳩選手の『戦意喪失』が効かないんですよ。言ってしまえばカウンター、相性最悪です」

「なんてこった! キリシマ選手はそこまで計算して——」

「いえ、間違いなく偶然です」


 ようやく薪から火が上がり、キリシマはすっくと腰を上げた。

 ゆっくり、ゆっくりと白い鳩に近づいていく。


「おおーっと! 遂にキリシマ選手が動き出しました! 白い鳩! ここでお昼ご飯にされてしまうのかーっ!?」

「白い鳩、逃げませんねえ。野生の直感で身の危険を感じてくれたらいいんですが……」

「それより白い鳩選手を食べると言うのはありなんでしょうか?」

「大丈夫です。江戸時代までは普通に食べていたそうです。今でもヨーロッパやアジアでは食べられているそうで、繁殖が難しくフランスでは高級食材として扱われているんだとか」

「いえ、そうではなく大会のルール的な視点で……」

「その点についても問題ありません」

「と、言いますと?」

「運営特権です。第一、殺し有のルールで、あらゆるチートと武器が容認される中で捕食だけが反則と言うわけにはいかないでしょう」

「皆さん気を使ってくれていたのに、ここにきて大会初の死者が出る可能性があるわけですね!?」

「ええ、主催者なのに恐らく大バッシングを買う事でしょうね」


 キリシマの歩みが止まる。白い鳩との距離、およそ五mといったところか。充分キリシマのニホントウの射程範囲内だ。

 腰を落とし、刀に手を添えるキリシマ。


「悪いな。シンシアにチョコレートを貰ってからなんも食ってねーんだ」


 キリシマの頭に浮かぶのは、グラミーで帰りを待つシンシアの笑顔とホカホカの焼き鳥。欲を言えばキンキンに冷えてやがる冷酒が欲しいところではあるが、今は多くを望まない。


——シンシア……ハラミ……シンシア……なんこつ……そり……かんむり……ささみ……砂ぎも……


「俺に斬れねえもんはねえ!!」


 キリシマが抜刀したと同時に、白い鳩の小さな体がまばゆい光に包まれた。

 展開次第では運営すら厳しいこの状況、果たしてどうなるのか。

 後半に続く。




*** *** ***




 キリシマが放った刃は空を切った。


「ありゃ……?躱されたか」


「あーっと!残念ながら初撃を外してしまったキリシマ選手!」

「よかったですねぇ。これで終わっていたらあんまりなオチですよ」

「ええ、我々もルールの確認と晩食談義で終始する所でした」

「しかし白い鳩選手、これはまた見事なものですね」

「そうです、これが心を洗われると言うのでしょう!輝く玉体、荘厳な雰囲気!まさに、これは神々しい。その一言に尽きます!」


 キリシマの前に現れたのは広く輝く大きな鳥。その形を取ったなにか。彼は既にそれが生き物の例に当てはまらないと分かっていた。

 なにせ刃は確かに『当たっていた』のだから。

 外れた正確な理由は分からない、だが勘を当てにするならこうだろう。邪気があった。

 あれを見ていると襲われる感覚、争いを放棄し平和のために尽くしたくなる心。自分には似合わないにも程があるというのに、なんだってこんな気持ちが。

 それを食欲が上回ったが故の一撃だったのだが、どうやらその時に『倒してやる』と思ったのがいけなかったのだろうか。なんにせよもう一度同じ事をした所で、得られる結果も変わりはしないだろう。

 さて、と思案し始めたのだが声が聞こえた。


『止めなさい、争いに意味はありません。武器を捨てて下さい』

「うん?」


 声の主は目の前の鳩、だったのに今はなんか凄い鳥。

 話せたのか、そもそもこれが真の姿。前の戦い、やはりどう見ても一般人だった前の対戦相手では本気は要らなかったということか。

 それにしてもなんだ。


「意味があるとか、無いとかじゃないんだよ。剣を振る、敵を斬る、そんで最後は俺が立っている。それだけ、それだけで良いんだ。その為にここに来てやったんだから。平和なんかで腹が膨れるかよ」

『……武器を捨てて下さい』


 急に作風が変わったことに気がついた実況が慌てて戻しにかかる。


「あーっと!これはいけない!私達も、選手たちも!しかし彼らはまるで会話になっていないぞ、白い鳩選手は、これはもう機械なのではないのか!?同じ反応しかしません!」

「機械ではないでしょう、それでは食べられません」

「……」

「冗談ですよ、そんなに睨まないで」


 なにかを思い出したように煩ささを取り戻した実況を流しながら、柄に手を当てて押し黙るキリシマ。

 やはり答えは一つ、というよりも元々それが目的。俺のすべき事なのだから。


「俺に斬れねえもんはねえ、それは変わらねえんだよ」


 再び腰を落としたキリシマ、そしてそのまま黙り込んだ。






「どうなっているのでしょうか、キリシマ選手が黙り込んでから既に10分は経過しています。もしや寝ている?それともこれもあの鳩の力なのでしょうか」

「寝ているのはないでしょう、それは前の夢見選手の専売特許です。そしてこれは恐らく……」

「おおっと!キリシマ選手が動き出した――、これはすり足だぁ!」

「貴方も少し黙っていて下さい」


 キリシマは黙したまま、そして眼を閉じている。姿勢は居合の構えのまま、その状態で少しずつ。指の先程の距離を進むのにも長い時間を要している程だ。

 そこにいるのは先程までの男、食欲の化身はいない。


 キリシマが心に描くは何か。

今まで数え切れない日々を、一分一秒を剣技のために費やしてきた。それも唯一つの理由のためだけに。

 最強の剣士、子供が言うような陳腐な言葉。誰もが憧れ、やがて忘れていく。嘯く者はいても成した者はいない。それがキリシマの目標である。

その道の途中、或いはその先には父、キリヤマがいる。

それを成すためには、これしきの事。少しばかり“眩しい”鳩も斬れないで如何とする。

 剣技に、斬るのに邪心は要らない。心すら必要ではない、全ては反復。

 血反吐を吐いてまで体に染みつけた動きを、軌跡をなぞるだけ。それこそが絶対であり、その先にこそ極地が有る。

 その為に幾万の夜があった、だから今日もそれと同じこと。剣を抜き、振り抜く。その後には何も残らない、斬ったという事実だけが――。


 今のキリシマには邪心は疎か、凡そ人らしい心はない。

 キリシマは今、剣を振るうだけの生き物となっている。そこに善悪も、主義も無い。

 剣を振るうのは悪か、己を極限まで磨き上げることは罪なのか。

 そこまで至った人間には白い鳩が出来ることはない、それはまさしく人がこそ成せることであり、一種の進化。成長といえるのだから。その結果になにが生まれるか、災禍があるかは分からないが、それは鳩が判断出来ることではなく。尚更に人が知りうることではない。

 なので鳩はただ佇むのみ、一人の男の。人間の可能性を見つめている。


 会場が凍りついたのではと思えるほどの圧縮された空気。観客の視線はキリシマの手。柄にかかる左手のみに注がれている。

 もうキリシマは鳩の目の前、剣の攻撃範囲に鳩を収めていた。

 後は最後――。剣が振り抜かれた瞬間がこの戦いの終幕。

 そして遂にキリシマの肩が僅かに動いた――。


 究極、完璧な一撃。コンマの感覚の中でキリシマは確信した。これならば届く、あの場所に!


『――殺った――』












 キリシマは地に伏せている、外傷は一つもない。

 あの瞬間キリシマは剣神になった、なっていた。

 切っ先が鳩に触れる直前までは。

 当たる瞬間に彼は思ってしまった、考えてしまった。

 『倒せる』と。

 それは目の前の敵に向けての感情か、それとも。

 ともあれ故に彼の刃は空を切った、それだけを見れば最初の一撃と同じ。しかしそこに存在する意味はまるで違う。

 なによりもキリシマがそれを理解している。

だがそれと彼が倒れ伏している理由は違う。


「――はっ。す、すみません。我々もすっかり見入ってしまっていました。キリシマ選手、倒れてしまいました。これは、何が?」

「私には、彼の剣が白い鳩選手に触れた瞬間に白い炎が剣を伝ってキリシマ選手に流れたように見えましたが……」

「あっと、キリシマ選手。立った、立ちました!ですが、これは?ええっと、キリシマ選手、何故か会場を後に――。出ていってしまったぞ!?」

「アナウンスも流れましたね、白い鳩選手の勝ちみたいですね」

「そうですか……。なんだか締まりませんが……。えー。はい。という訳で、……白い鳩選手の勝利です、おめでとうございます」


 廊下を歩くキリシマ、負けたが得るものはあった。というよりも今はそうとしか考えられない。

 最後に受けたあの鳩の炎、あれ以来何故だか苛立ちや悔しさと言った『負』の感情が消え去ってしまった。

 時間の経過でじわじわと戻ってきていることから、あの炎のせいだろう。

 しかしそのおかげか、今は冷静にあの剣戟について考えられる。

 あれは確かに、最後の一瞬までは完璧だった。そしてその一瞬こそが俺とキリヤマを隔てる大きな壁なのだろう。

 負けたので思うところはあるが、今はそれがわかったということで良しとしよう。そしてこれからも修練あるのみだ。




 そう晴れ晴れとしたキリシマが会場を後にし、出口のすぐ横で倒れた。

 『空腹』は善でも悪でもないと証明されたばかりなのだから。

 なんとか這い上がったその日の夜、キリシマは予定通りたらふく『焼き鳥』を食べたとさ。




*** *** ***




キリシマ・エンカの後日譚はこちらから!

https://kakuyomu.jp/works/1177354054883896030

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