夢見 VS 白い鳩

 闘技場には僕と向き合う一羽の鳩。それと僕たちを取り囲む観客たちがいる。観客は、微動だにしない一人と一羽に怒号を浴びせることもなく、静かに眺めていた。


 僕の名前を呼ぶアナウンスが鳴った、あの時、僕は急いで闘技場に向かっていた。急いでいたあまり、眼鏡を落としかけて、危うくレンズを割りそうになった事だけは覚えている。「お呼び出し致します。『ロングスリーパー』夢見さん──闘技場まで急ぎお越し下さい。」そう。このアナウンスが鳴って、走って闘技場に向かったんだ。少し腹の調子が悪くて、トイレに篭もっていたら、急に僕の名前が呼び出されて、心臓が思わず跳ねたよ。


 それから、何があったんだっけ。そうそう、闘技場に入ることになったんだ。闘技場に足を踏み入れた時の、あの歓声。まったく驚いたよ。

 「ひょろっちいの頑張れよ!」

 「血ぃ見せろー!」

 ──とか何とか言われたけど、一応応援しては、くれたのかな。でも、ひょろいって言葉にはショックだ。そんなに細くはないと思うんだけどなあ。人は見た目によらないものだよ。


 僕が闘技場の真ん中に立った時、目の前には誰も居なかった。相手が誰なのかも、どんな人なのかも知らなかったので、僕は不安だった。ぼんやり誰かが来るのを待っていたけれど、一向に来るものは無かったんだ。


 観客は段々苛立ってきたようで、僕に暴言を吐いた。仕方ないじゃないか、とその時は思った。本当に誰もいなかったんだ。ずっと前から目の前で飛んでいる白い鳩を除けば。この鳩こそ、僕が戦う相手だったのだけれど、僕はてっきり戦うのは人だとばかり考えていたので、実のところ、気が付かなかった。


 ただ、何もしない僕たちに対して優しくするような観客ではなかった。「いい加減にしろ!」と騒ぎ立て、僕たち──正確には僕だけ──に向かって、物を投げつけ始めた。蜜柑やらコーヒーやらが飛んできて、避けるのが大変だった。僕自身も少し苛々し始めて、「観客全員に悪夢を見せてやろうかな」とも思った。


 その時、何故だか分からなかったが、急にそういった思考が頭から消えた。不思議に思って、眼鏡を通して探してみると、平和──と言うよりかは、無といった感じの頭が見えた。その持ち主は鳩だった。


 僕はその鳩がさっきの現象が鳩に因るのかどうか確かめようと、怒声が飛び交う中、近づいた。鳩は逃げるような素振りを見せず、大人しく触らせてくれた。しかし僕は思わず手を離してしまった。体温がない。生きているはずなのに、岩石に触れているような冷たさを感じた。


 これは普通の鳩じゃない、と警戒した時、急に警戒心が薄れていった。同じことが起きたのだと理解した。何とか対抗策を探そうと頭では考えていた。しかし、既に体は無気力で、鳩に抗えなくなっていた。地面に両膝をつき、うなだれてはいたが、頭だけを必死に動かした。


 今、観客たちは僕たちを静かに見ている。動けなくなった僕を見て、鳩を恐ろしく思ったのか、鳩自身の力によって静まったのかは、僕には分からない。ただ、全員が勝負あったと思っているだろう。これで平和が訪れる──そう思った観客たちは安心したはずだ。


 僕の頭はもう抵抗することはなく、平和とは何か、どこから生まれるかを考えていた。

──平和とは穏やかな状態だ。

──争いは最早生き物の本能とも言える。

──ならば生きていることが争いを生み出すのでは。

──生きていなければ、起きていなければ、良いんだ。

 ある瞬間、僕は気づいた。睡眠こそ平和であると。そして僕は、平和の為に催眠魔法を発動した。




*** *** ***




 あれから、少年が鳩を見つめ大人しくなってからやや時間が経過した。

 会場内は異常なほどに静か、第三者にここで血みどろの殺し合いが行われていると説明しても信じはしないだろう。

 なにせ観戦者の過半が眠りこくっているのだから。起きているのは殆どが大会に参加する側。

 それらも騒ぐことはなく、ただフィールドに視線を注ぐのみ。彼らの内心は測れないが状態としては会場全体がこの瞬間、世界の何処よりも平和だった。


 だがやはり注目すべきは戦いの行方だろう、しかし開始から数十分が経過して尚変化はない。

 それは夢見にも当てはまるが、なによりも彼の前に佇む一羽の鳩。

 既にこれが対戦相手だとは会場の皆が知るところではある。その鳩は夢見の様子が変わり、観客が静寂に包まれた時から微動だにしていない。

 まるで作り物のようにピクリともしない、夢見のことが見えているのか、そもそもこの状況が理解できているのか。

 このまま引き分けで終わりか、数少ない起きている人々はそう思い始めていた。

 その時漸く、フィールドで変化が起きた。

 夢見がのろのろと鳩に向かい歩き出した。しかしそれはとても戦闘を行うような動きには見えない、例えるならそれは『眠たそうな』動きだった。


 夢見自身には既に戦闘意欲はない、それどころかこの戦いに参加したことに疑念しか湧かなかった。

 意味のない戦い、不毛な傷つけ合い。互いの誇りを踏みにじり合う行為にどれだけの意味があるのか。

 最初から何故この場所に連れてこられたのか、彼には不思議でならなかった。それでも先程までは多少のやる気はあった、人並みではあるが負けるのは嫌なものだ。

 けれどそれすら最早どうでもいいこと、ここまでの試合の参加者は何を求めているのだろう。どれだけ尊い願いがあったとしてそれは人の命の上で掴んでいいものなのだろうか。


 等々考えている内に彼の脳内は疲労を訴えていた、嘗て無いほどに哲学的な議論を脳内で行った結果である。

 そして彼は強い睡魔に襲われた、割りといつも通りのことではあるが。

 地面は程よく柔らかく、気温は寝るにはやや寒いので布団が欲しいが贅沢は言えない。

 強いて言えば枕の一つでもあれば嬉しいのだが…………、枕。

 彼の眼前には一羽の鳩、大人しい鳩を観察してわかったことがある。

 『柔らかそう』。

 なかなかに質の良さそうな羽毛、羽毛布団があるのだから、鳥を枕にすれば安眠できるのではないだろうか。そう思いついた彼は鳩にゆらゆらと近づいた。

 まるで逃げないそれの横に座り込み、手触りを確認した所で寝転がり首を動かして鳩の上に。

 最初は抵抗することもなく枕にされていた鳩だが、少し重かったのか逃げてしまった。

 しかし夢見はそれから動かなかった、彼はすでに夢の中にいるから。

 平和について思いを馳せた夢見だが、残念なことに彼はそれよりも自分の睡眠が大事だった。それはそれで平和なことでもあるが。 

 なので彼の魔法は解けた、熟睡しては魔法も何もあったものではない。


 それを確認した司会が夢見の敗北を告げる。余りに静かな決着だが、苦言を呈する者は皆無だった。程なく鳩は再び羽ばたき、会場を後にした。


 余談だが鳩は眠ってなどいなかった。それは所謂『神々』の使い。三大欲求とは程遠い存在なのだ。


 試合には敗北した夢見だが、彼は生涯で一番といえるほどに安らかな眠り心地だった。朧気に、それだけでもここに来た甲斐があったと思えた。

 それはこの試合中に眠っていた者全ての共通意見であると言えよう。

血生臭いはずの争いは結果として、多くの人間に安らぎを与える行為と相成った。


 尚、次の試合があるため彼の快眠は直ぐに覚まされてしまった。




*** *** ***




夢見の後日譚はこちらから!

https://kakuyomu.jp/works/1177354054883899165

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