【ユキナ・イス・リースフィルト】(七四 六明様)

【さぁ、楽しませてもらうわ】

https://kakuyomu.jp/works/1177354054883901282


 青く冷たい世界の中で、彼女は静かに眠っていた。自らの中に、彼との愛の結晶たる命を感じながら、深い深い眠りについていた。

 異世界へと飛ばされて、その世界での戦いに身を投げられている彼の現状など、彼女は知らない。知っていれば、彼女は我が子を身籠ろうが異世界だろうが、駆けつけて殺し合いに行っただろう。

 理由はそう、面白いから。

 彼女の中で眠るのは、強欲な女神イシュタル。その本質を思えば、例えそれが自分のことであろうと、彼が関わることならすべて面白そうで片付けてそこへ行くだろう。

 女神様は我儘で、貪欲で、自己敬愛が強いのだ。その性質が彼女にどれだけ影響しているのかは、彼女を含めて知らないところではあるが。

 子を身籠り、この冷たく真っ青な世界に浸り続けてどれだけの時が流れただろうか。まったくわからない。

 時々浮上しては捧げられた神の心臓を喰らって力を蓄えるが、そのとき時間までは聞きはしない。とにかく腹が減っているからだ。そんなことは、そのときどうでもいい。

 仕方ない、また寝よう。回遊魚でもあるまいし、わざわざずっと起きて泳いでいる意味はない。ただ沈んでいるだけでも、苦しくはない。

 そう言えば、なんで水中でも呼吸が可能なのだろうか。

 まぁ取り込んだ神の中に、そういうのがいたのだろう。また、どうでもいい。

 脱力感に体を奪われて、眠りへと誘われる。そのときふと何かを感じた気もしたが、そんなのはどうでもいい。ただ、眠るだけだ。

 

 ▽ ▽ ▽


 夢だと気付くのに、そう時間はかからなかった。何せ今自分のいる場所が、あまりにも違いすぎるからである。思わず、異世界にでも転移してしまったのではないかとすら思った。

 しかしここは夢だ。腹の中に、我が子の存在を感じない。それは今あり得ないことである。故にこれは、自己満足のために生み出された一種の夢なのだろうと理解した。

 しかしこれはなんの夢だろうか。

 自分がいるのは、巨大なドーム施設。三六〇度を囲う観客席からは絶えず雷鳴のような歓声が轟き渡り、風船やら紙吹雪が舞い踊り散っていた。

 そして広大なフィールドには自身を含めた幾人かがそれぞれの面持ちで立ち尽くしており、坊主に侍にメイドに猫と、なんともバラエティー豊かな品揃えとなっていた。その中に、自身が含まれていることになんだか微笑を隠せない。

「これは……なんの夢かしら。私は一体、何を……」

 ふと、手にしている物に気付く。

 それは一枚の小さな紙切れ。すでに参加申し込みの部分は切られていて小さくなっているが、チケットだと察した。そこに書いてある文字を見て、ユキナの笑みは止まらなくなる。

「バトル大会? バトル、大会? 大会?!」

 嬉しかったなんてものじゃない。このところお腹の子を思って戦いなどできなかった。一方的殲滅しかなかった。戦いを楽しむなんて余裕はなかった。全然暇潰しにならなかった。

 何か娯楽を求めていたこのときに、なんとまぁおあつらえ向きなイベントを夢見たことだろう。ナイス自分と自画自賛したくて溜らない。無論、するが。

「いいわ! いいわ! いいわ! いいわ! すっごくいいわ! 久々の運動ね! 久々の戦いね! 久々に踏み潰せる! 久々に蹴り飛ばせる! 私のこと舐めてかかって来てる奴を一蹴するその快感……! それはもう、あの日あの時の興奮に、今だけ勝るわ!」

 夢の中だからだろうか。なんだか自分ではありえないほど興奮している気もするが、そんなこともまたどうでもいい。娯楽を求めていたら向こうから来たのだ。乗らない手はないだろう。

 ユキナ・イス・リースフィルトにとって、彼とあいし合う時間に勝る娯楽はないのだが、しかし今娯楽に飢えてるこの瞬間だけ、狂戦士のように戦いを欲することができた。

 その場で片脚を軸にクルリと回り、風を起こす。風船は跡形もなくすべて破裂し、紙吹雪はさらに激しく舞い散る。

 しかしそれでも、ここは夢の中。今のユキナを満たすための会場。彼らの轟く歓声は止むことはなく、ずっと続いていた。

「さて、と……じゃあ楽しませてもらおうかしら……だってここにいる誰にも、私は殺せない。私を殺せるのはミーリだけ。私を殺していいのは、ミーリだけなんだから!」


「さぁ戦ってちょうだい、私が厭きるまで、ね」




【楽しませて頂戴ね?】


 いつの間にかエントリーは済んでおり、さらにやって来る挑戦者達の受付があるため、大会はまだ始まらない。

 正直暇だった。トーナメントなど、誰が相手でも負ける想像はできない。文字通りの一蹴で終わるだろうことばかり想像がつく。

 周囲からしてみれば舐めきった考えだが、しかしそう想像させてしまうのが、彼女の実力と言えるだろう。

 まぁもっとも、今回は夢の中。神の力をどれだけ発揮できるかわからないし、この大会の参加者は皆、異世界の住人らしい。もしかしたら、暇潰しになるくらいの相手はいるかもしれないと、ユキナはあくびをしながらドーム内を散歩していた。

 多くの売店が立ち並び、すごい数の人、人、人。まるで学園対抗戦・ケイオスのときのようだ。

 そういえばあれも、八つの学園から代表二名を出してのトーナメント戦だったか。いやトーナメントというよりは対戦相手はそのときランダムに決まるから、勝ち残り戦の方が正しいか。

 とにかくあの大会のときもまた、すごい盛り上がりだった。密かに彼の応援に行ったが、人ごみは嫌いだったから空から行ったっけ――

 などと思い出しながら、ユキナは人々に指を刺されることもなく、気配を完全に消したまま散歩を楽しんでいた。空を歩き、何か面白いものはないかと探してみる。

 おいしそうなものはたくさんあるが、生憎と今通貨を持ち合わせていない。まぁ元々、神を取り込んだ今、食事の必要もないのだが。

 強いて言えば、神の霊力を取り込むために神々の心臓を喰らっていることくらいだが……あれは食事ではない。単なる栄養補給だ、うん、食事ではない。周囲からは真っ青な顔で見られるし。

「ユキナ」

 不意に呼ばれる。ここは夢の中だから、別に知人がいてもおかしくはないと思ったが、しかし相手が神であることを思えば、夢の中に入り込むことなど容易であることを即座察した。

「あらスサノオ、わざわざご足労をかけて申し訳ないわ?」

 肩までかかる黒のセミショートに、白の和装。青紫の柄に納まった刀剣を四本腰に差し、両手に籠手を撒いたユキナよりも一回り背の高い女性。

 伝説伝承では男神と語り継がれる英雄の神、スサノオノミコトその人だ。何故女性になったのかは、本人も知らぬところである。

「霊力を取り込む時間になっても目を覚まさないから、クシナダに頼んで診てもらってたんだ。そしたら、何やら夢の深いところで繋がっているんだとか……まぁ、私には理解が難しい状態らしい」

「そう……実はねスサノオ、ちょっと暇潰しをしようと思っていたの……――」


 ▽ ▽ ▽

 

「――……バトル大会、か……」

「そう、優勝したら願望器が手に入るのよ、なんでも夢の叶う夢の器よ」

「おまえがその気になれば、願望などいくらでも叶うだろう。ギルガメス辺りに頼んでみるか? どうせおまえの願いは――」

「えぇ、私の願いはすぐに叶う。だから、願望器なんて適当に誰かにあげるわ。お腹の子を気にして、最近運動できてなかったから、戦えればそれで充分よ」

「……ところでこの、副賞のどら焼きとは?」

「和の国の神様が知らないの?」

「いや無論知ってはいるが……何故副賞がどら焼きなんだ? しかも、十年分」

「さぁ……開催者が和国の人間なんじゃない? あ、あの猫……」

 ユキナの視線の先にいるのは、今回の大会に参加するという猫だった。人波の中を、悠々と歩いている。誰が参加するかなど知らないスサノオには、ただの猫が闊歩しているようにしか思えなかった。

 ユキナの中では、あの猫といい先ほど待合室で会ったただの日本人だと言い張る男といい、まるで戦えなさそうな人間までもが参加している大会に何か刺激が欲しいところであった。

「……ねぇスサノオ、私を一時的に弱体化させる薬とか毒とか、そんなの持ってない?」

「ここはおまえの夢の中だ、私が持ち合わせてるわけないだろう? それにもしあったとしても、おまえにそれは効かないだろう。神と同化したおまえに地上の毒は効かないし、さらに元々持ってるおまえの抗体の数が……」

「え? だって、たった一六〇〇よ?」

「たったで済ますなその数を。ヒュドラの猛毒すら効く保証のないおまえに効く上、そんな都合のいいものはないだろう」

「そう……ここは夢の中なのだし、調合さえ知ってれば作れそうだけど……無理そうね」

「そういうことだ、諦めてくれ……というか、なんのために必要だったんだ、それは」

「もちろん、私のためよ? 全試合一蹴りで済んだら、暇潰しにもならないでしょう?」

 ユキナの満面の笑みを見て、スサノオは深く吐息する。我らの大将は最強なのはいいのだが、それ故の自信過剰が唯一の欠点と言えた。宿敵の婚約者相手なら、こうはならないのだが。

 だがここは夢の中。おそらく彼女自身が望めば、彼女が満足を得られる相手との対戦もできるだろう。しかしそれで敗北されては、今後の組織の士気に係わりそうだ。

「どうしたの? スサノオ」

「いや……」

 黙っていよう。おそらく気付くのにそう時間はかからないだろうが、しかし言ってしまったら結果は目に見えてる。

【そうね! そうよ、その方法があったわ! でもそれなら参加者全員に、私の中にいる神様の力を一時的に譲渡してしまいましょう! それならもっと強くなるし、私も楽しめるわ! 適合できないと暴走するし最悪死ぬけど、別にいいわよね!】

 とかなんとか言いだすに違いない。

 敵が神に近付けば近づくほど、効力を発揮するユキナの能力。敵に神性など与えれば、そのせいでさらに自分が有利になることなど忘却して、その場の勢いでやってしまうだろう。

 それだけは避けなければ。

 まぁ正直、ここはユキナの夢の中。ここにいる住人になんの思い入れもないのだが、しかし一応、ユキナの遊びに巻き込むようなことには抵抗がある。

 そこは伝説の英雄としての性というものだろう。人の勝手に誰かを巻き込むのはいけないと思うのは、抜けない性分だ。

 故にここは自分のためにもそして周囲のためにも、ユキナには黙っていよう。彼女が気付かないことを祈って。

「では、私は行く。あまりはしゃぐなよ」

「わかってるわ。大丈夫よ」

 スサノオの姿がその場から消えるのを見届けて、ユキナはまた散歩を再開する。大会まであとどれだけ待つのかは知らないが、しかし楽しみを見つけようと散歩を続けることを決めたユキナだった。

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