37 手紙
顔を見るなり、ゲオルクは笑いかけてきた。
「久しぶりだね。体調は?」
「なんとも」
曖昧な返事をして、ロルフは首を横に振った。
なんともないけど、なんとも言えない。どこか具合が悪いわけではないが、常に空腹だし、寒い。だけど、そんなことはどうでもよかった。
狭い面会室の真ん中に鉄格子がはまっている。それを挟んでロルフとゲオルクは立っていた。
「冬至祭は、どうだったのかな」
問われて、ロルフは苦笑した。
「知らないうちに過ぎてました」
「そうか」
実際は、聖職者のありがたい言葉を聞かされた。右から左へと聞き流すだけの退屈な時間だった。
救いなんてどこにもない。それはもう、捨てた。あのとき、ヘンドリーを殺したと母に告げたときに、救いのない道を自分で選んだ。
(そんなこと、わかってたのに)
「母さんの様子はわかりますか」
「ああ……どうにかやっているみたいだよ」
ゲオルクは肩をすくめた。微笑んでいるけれど、目はあまり笑っていない。
「そうですか。なら、いいです」
無事なら、それでいい。
できれば誰か、母を支えてくれる人がいるともっといい。
隣のおばさんとか、離れてるけど伯父さんとか、力になってくれているだろうか。そうすればいずれ傷はかさぶたになって、また元気に暮らせるはずだ。
小さな窓から空が見えた。灰色の、憂鬱な空だ。
「きょうはね、君に手紙をあずかってきているんだ」
鉄格子の隙間からゲオルクが封筒を差し出してきた。
宛名にロルフと書かれている。裏返して差出人を見た瞬間、一切の雑音が消えた。たった今、眠りからさめたように頭がはっきりしてくる。
しばらく凝視したあと、指を差し入れて封蝋をはずした。
中に入っていたのは、見覚えのある便箋だった。
ロルフさんへ
ロルフ……いいえ、やっぱり、トールと呼びます。
トールがいなくなってから、わたしはドラファンを発ちました。きっとトールはお母さんに会いに行ったのだと思ったからです。
冬至祭の日、ロッベンにあるトールのおうちを訪ねました。
トールのお母さんが温かく迎えてくれました。優しくて、いい人ですね。笑ったときの目がトールと似ていると思います。
それからいろいろ話をして、トールに死刑の宣告が下ったことを知りました。
トールに会いたかったけれど、それはできないそうです。だから手紙を書くことにしました。
この便箋、おぼえていますか?
ソンドレさんが贈ってくれたあの便箋です。トールがわたしに書き置きしたのもこの便箋でしたね。
あのとき、トールは忘れ物をしました。ソンドレさんのお店で買った、羽根ペンです。この手紙は、そのペンで書いています。
フクロウのインク壺はどうしましたか?
あのフクロウ、かわいかったですよね。今もトールの手元にあるなら、フクロウのかわりにわたしが彫刻になりたい。
ゲオルクさんはわたしのことが気がかりだったと言ってくれました。時間ができたらドラファンまで訪ねてくれる予定だったそうです。
でもその前に、わたしはトールのおうちまで来てしまいました。
この家で、トールは育ったんですね。そして、父も過ごしたんですね。
わたしは父が好きでした。でも、父に置いていかれて悲しい思いをしました。
わたしはトールが好きです。でも、やっぱり置いていかれて悲しいです。
トールが夜中によく目をさましていたことを知っています。
父の命を奪ったことは、トールにとって、眠れなくなるほどの後悔と痛みなのかもしれないなあと思っていました。
トールがどんなふうに生きるとしても、一緒にいたかった。トールは嫌だったかもしれないけど、わたしは、わたしが、一緒にいたかったんです。
トールを裁けるのは父だけだと、わたしは言いました。
でも、たとえ父がトールをゆるさなくても、わたしの気持ちは変わらないんです。
たとえ法律がトールを罰しても、神様がだめだと言っても、父がトールをゆるさなくても、トールがトール自身を呪っていても、わたしはトールと手をつなぎたい。
もう、できないことだと頭ではわかっているけれど、また会いたいです。そしていつか手をつないで、心の底から笑いあってみたい。
トールの心を知りたいです。何を考えているのか、何を感じているのか。
一緒に旅をしてくれてありがとう。知らない景色を見せてくれてありがとう。
わたしにトールを助ける力はないのかもしれません。だけどせめて、この気持ちを届けたくて、書きました。
大好きです。
エリ・アーベル
読み終えても、目は便箋から離れなかった。
言葉の意味はもちろん、ていねいな文字の書き方にまで想いが詰まっている気がして、ひとつも見落とさないように、繰り返し繰り返し読んだ。
胸の底から、ふつふつと熱いものがわきあがってくる。抑えつけてきたはずの願いが頭をもたげて、息苦しくなった。
(どうして)
どうして、こいつはこんなに素直なんだ。素直に、好きとか言えるんだ。
(俺だって言いたい)
言いたかったよ。ほんとうのことを。
だけど、それを言えば悲しむ人がいるんだ。どうしようもない、出口のない悲しみだけが残るんだ。
だからこうするしかなかった。それでいいと思った。そもそものきっかけは俺なんだから。俺のせいなんだから。
だけど、それでも、何度も。
「刑事さん」
ロルフはゲオルクを呼んだ。呼んでから、ためらった。
(言わないって決めた)
心のいちばん深いところが揺れている。泣きたいような、腹立たしいような感情が胸を強く叩く。
吐き出せ、吐き出してしまえ、と、胸の中の自分が言っている。
「俺の話を、聞いてくれますか」
青い目が、まっすぐロルフを見ていた。
悪意も敵意もない目だと思った。だけど厳しい目だ。
たぶんこの人は情に流されたりしないだろう。それでも冷たい感じはしない。きっと耳を傾けてくれる。
「誰にも言ってないことがあるんです。ほんとうのこと」
墓場まで持っていくと決めた真実がある。
自分が死んだあと、先に棺桶に入ったあの男に会えたら、一発ぶん殴ってやろうと思っていた。それでチャラだ。そう思って、死刑を受け入れた。
(だけど、もしもあいつが、ゆるしてくれるなら――)
「あの日、何があったのかを。あいつが、ヘンドリーがどうして死んだのかを。聞いてくれますか」
ゲオルクは目をそらさず、にこりと微笑んだ。
「もちろんだよ。聞かせてくれ」
ロルフは唾を飲みこむ。
罪の告白なら、裁判官か聖職者を相手にするものだ。目の前にいる男は裁判官でも聖職者でもない。刑事だ。けれど刑事ですらなく、もっと別の何かに思えてきた。
(フクロウ)
知恵と幸運を授けるという鳥。精霊だとも聞く。教会が言う神とは違う、ずっと昔から森にいた精霊。真っ暗闇でも、英知で道を照らす案内人。
インク壺は没収された。それでよかった。彫刻に語りかけても返事は来ない。それよりもっと確かな、知恵も知識も持つ大人がここにいる。
今さら何を打ち明けたところで、きっと現状は変わらない。だけど変わるものもあるかもしれない。この破裂しそうな心だけでも、せめて楽になれば。
ロルフは息を深く吸った。手紙を持つ手に力をこめる。
「刑事さん、俺ね――」
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