11「一緒に寝れば、って思ったんです」

 空はどんよりしていて、太陽の尻尾すら見えなかった。


 歩くたびにピンと張りつめた空気が顔に突き刺さる。ケープの下に両手を隠したエリの横で、トールも帽子を目深にかぶった。


 広い坂道の両脇にお店が並んでいる。どこの煙突からも白い煙がモクモクと立ち上り、薪を燃やす匂いがしていた。


 店の主人と、買い物籠をさげた婦人が親しげに話している。煙の匂いをやわらげるように、焼きたてのパンの香りが石畳にただよう。


 どのお店が何を売っているのか、ここに来た当初はわからなかった。今はどれが肉屋でどれが雑貨屋で、とエリはすべて言うことができる。あのパン屋の主人とも今ではすっかり顔なじみだ。


 視線を上げて見はるかせば、遠くで黒い煙が雲にとけていた。あれこそが工場の煙なのだと、それも今では知っている。


「工場のお仕事、大変ですか」


 トールがエリの視線を追って黒い煙を見つめた。


「まあな。すぐに雇ってくれたからいいけど、大変な割にはたいして稼げないし」

「そうなんですか?」


 知らなかった。あんなに毎日がんばっているのに、たいして稼げない、なんて。


 エリはケープの下で巾着を握りしめた。


 巾着を縫ったのはエリだけれど、端切れを買ってくれたのはトールだ。巾着の中には食材を買うためのお金が入っている。トールの苦労そのものだと思えば、とても無駄遣いなどできない。


「いつもお仕事、ありがとうございます」

「どういたしまして」


 トールはそっけなく答えた。にこりともしないけれど、けっして冷たい声ではない。エリの横でのんびりと歩いているのも、それなりに機嫌がいいからだろう。不機嫌なときは早足になる。


 角を曲がって小道に入った。しばらく歩いてまた角を曲がる。


 トールの歩みはゆっくりだけれど、迷う気配はない。どこの店に行くのか決まっているようだ。エリがこのあたりに来るのは初めてだった。


 下り坂を歩いた。街路樹が両脇に並び、二階建ての家がぽつんぽつんと建っている。よく見るとどの家にも小さな看板が下げてあった。どうやら家ではなく、お店らしい。


「ここにベッドが売ってるんですか?」

「安い店があるんだ」


 トールに導かれてお店に入ると、ほっとする暖かさに包まれた。かすかに木の匂いがする。正面のカウンターから、おじいさんがにっこり笑いかけてくれた。


「いらっしゃい」


 そう言ってすぐ、おじいさんは視線を落とした。カウンターで分厚い本を開いている。読書中のようだ。


 おじいさんの背後に暖炉がある。暖炉の隣に二階へと続く階段があった。カウンターの奥ではお客さんが上れないから、二階はおじいさんの自宅なのかもしれない。こんなふうに店主の自宅とつながっているお店を、これまでの旅でも見てきた。


 ひとけはないけれど、お店の中は雑然としていた。


 入り口の横から壁に沿ってずらっと家具が積み上げられているのだ。壁じゃないところにも置かれているし、低い天井に届きそうになっているものもある。


(どうやって取るんだろう。崩れてきたりしないのかなあ)


 トールの背中を追って、積み重ねられたテーブルや椅子をよけながら店の端に向かった。


 突き当たりを曲がると、シーツの置かれた棚やマットレスの山が一直線に奥まで伸びていた。


 壁側にも寝具が並んでいるから、言ってみれば品物で仕切られた通路だ。カウンターにいるおじいさんの姿も見えなくなってしまった。


「あの部屋にふたつは置けないよな。狭すぎる」


 マットレスに手を触れながらトールがつぶやいた。


「じゃあ、ひとつですか?」

「へえ。やっぱりおまえは床がいいのか」

「違います! 一緒に寝れば、って思ったんです!」

「ばかか」


 トールが露骨に顔をしかめた。


「どうしてですか? 節約にもなるじゃないですか」

「あのなあ」


 あきれたように溜め息をついて、トールは黙った。何か言いたそうに、じっと見つめてくる。やがて、疑問が解けたような声で唸った。


「あー、そうか。兄妹って言ったからか。あのな、いくら兄妹でも一緒のベッドはさすがにない」

「そうなんですか?」

「小さいのを探して。子供用のやつ」

「はい」


 トールがそう言うなら、そうしよう。


 背中合わせに探そうと体をひねったとき、つい肩がぶつかってしまった。人がすれ違うのもやっとという狭い通路なのだ。


「あ、ごめんなさい」

「いや、べつに」


 トールはそっぽを向いてエリから離れる。マットレスとマットレスのあいだに置かれたベッドの骨組みを熱心に見つめはじめた。


 エリもトールから視線をはずしてベッドを探す。


 ぶつかったくらいで怒るような人じゃないことは、とっくに知っている。トールが不機嫌になるのは、エリが父親について質問したり、トールの過去や旅の理由を知りたがったりするときだけなのだ。


 疲れて帰ってくるトールを怒らせたくないから、そういう話題は避けてきた。けれど諦めたわけではない。いつか話してくれるのをエリはひそかに待っている。


 通路の奥にもベッドの骨組みが置かれていた。トールからさらに離れて、値段はいくらなのだろうと覗きこむ。どこにも何も書かれていない。


 高いのかなあ、と思いながら骨組みを触った。すべすべした木の感触が指に伝わってくる。


 一緒に寝ればいい、という提案が却下されたのは残念だった。工場で働いてもたいして稼げないという話だったから、少しでも安い買い物ですませようという気遣いだったのに。


 それに、もっと仲良くできるとも思った。


 女子修道院ではベッドが足りなくて、ひとつのベッドを二人で使っていた。そうやって一緒に眠ると、自然と打ち解けるものだ。


 トールは修道女じゃない。本当の家族でもない。そんなことはわかっている。わかっているけれど、本物の家族みたいになれたらいいのに、と思う。


(それくらい仲良くなれば、教えてくれるかもしれない)


 トールが話そうとしてくれないことを、すべて。


 ドアベルが鳴った。「いらっしゃい」と言うおじいさんに、「やあ、おはようございます」と挨拶を返したのは低い声だ。男の人が来たらしい。


「ご主人、いちばん安い椅子はどれですかねえ」

「そこに積み上がってるのが安いはずさ」

「これ? いくらですか?」


 値段を答えるおじいさんの声が聞こえる。すぐに男の人は値切りはじめた。


 やりとりが気になったのか、トールが通路から入り口のほうを覗く。エリはその姿をなんとなく眺めた。


 トールの横顔が見える。トールは何かを見つけて、さっと顔色を変えた。

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