24 ゲオルクの眼力
ゲオルクは考えた。
雪の街道を歩きつづけることが、はたして二人にできるだろうか。
エリ・アーベルはトールという少年を頼っているように見えた、と宿の受付係は言っていた。
少なくともその時点でトール、あるいはロルフは、義理の妹エリの面倒を見ながら移動していたということだろう。
(それだけの旅費をどう工面した? )
ロルフが家を出たときの所持金がどれほどかわからないが、二人でまともな旅を続けるのは厳しいに違いない。いずれ空腹を抱えて倒れるか、それを避けるために収入源を得るか。
ロルフ・クヌッセンの人柄を思い浮かべた。
かき集めた情報では、母親思いのまじめで優しい少年だ。それだけに飲んだくれの新しい父親を受け入れられなかったのかもしれない。
では、その娘に対してはどうか。
わざわざ女子修道院から連れ出して、その後も一緒にいる理由はわからない。わからないが、危害を加えるつもりがないのなら、飢えて死ぬことがないように当面の暮らしをちゃんと考えるのではないだろうか。
(それなら冬のあいだはどこかにとどまる)
どこか働ける町で、人に紛れて暮らす。
働き口がなくて食い詰めれば、通りすがりの他人の財布に手をつけるかもしれない。どっちにしろとどまるなら、地元以外からも人が多く集まっている大きな町だ。
ゲオルクが二人の消息をつかんだ町、アモットの近くには、そうした場所はなかった。首都チャニアは遠いし、この国唯一の鉄道でチャニアと結ばれているツヴォルもまだずっと東だ。
地図を睨みつけていたゲオルクは、とある町で目をとめた。
アモットから南東に進んだところに、入り江がある。そこにドラファンという大きな港町があるのだ。
アモットからは結構な距離があるが、ツヴォルやチャニアよりはうんと近い。宿を取りながら目指せるので、徒歩でも行こうと思えば行ける。何よりも、港だ。
(船がある)
しかし、漁港かもしれない。漁船に旅人は乗れないだろう。あるいは貨物船のみ利用している港かもしれない。
アモットは旅人が多い町のようなので、何か知っているかと通りがかった人に尋ねてみた。答えはすぐに得られた。
「大きくて、中心部は賑やかなところさ。坂が多くてねえ。山に囲まれて、ちょうど谷なんだな。でっかい川があるんだよ。その川沿いに町があって、港もある。船に乗るために旅人も利用するし、最近じゃ工場があるから、ますます人が増えているらしい」
どうやらドラファンの港は漁港ではないらしい。貨物の運搬もしているが、旅客の輸送にも使われる港だそうだ。
お金を貯めて一気に遠くへ行くにはうってつけ――ロルフならそう考えるかもしれない。
ゲオルクは賭けに出た。
ドラファンにロルフがいるという確信はない。だが地道に聞き込みをしながら後を追っても間に合わない。カレンは息子に会えないまま死刑になるし、ロルフも、何も知らないまま母親を失う。
だからまっすぐドラファンを目指すことにした。
馬車の乗り継ぎがうまくいったが、それでも到着に十日以上かかった。
真っ先に警察署へ足を向けると、すんなり署長室に通された。事前にゲオルクの報告を受けていたハリン警察署が、電信でドラファン警察署に知らせておいてくれたらしい。
この町の中心部では数年前から工場ができて、人も増えた。それに伴って貧富の差が拡大しているという。
港という土地柄ゆえか、工場以外にも日銭を稼ぐ仕事はある。だから住む家すらないほど困窮する者はあまりいないようだが、町をうろつく
「工場でも盗難が相次いでまして。早く捕まえてくれとせっついてくる工場もあるんですよ」
ドラファンの犯罪について尋ねると、署長は渋面を作って答えてくれた。
特に署長が嫌悪感を示したのは、盗難被害を訴える工場経営者が大金持ちであること、この町で大きい顔をしていることを説明してくれたときだった。
ハリンには工場がないし、大金持ちもいない。町の景色を変えてしまうほど影響力のある人物、大儲けした成功者、などというのは、ゲオルクにとって遠い都会の話でしかなかった。
実際にそうした人と接している署長には、どうにも気に入らないことがあるようだ。
そんなものか、と思いつつ、馬車の中で考えていたことを口にした。
「工場で働いている人の名前を調べることはできますか?」
よその土地から来た人間が選ぶ仕事は何か。真っ先に思いつくのが工場だった。だからゲオルクはまず、工場からロルフを探してみようと思ったのだ。
「全員分? 工場に問い合わせれば……でも工場ってのは、人の入れ替わりが激しいからねえ。どこまで正確かは」
「お願いできるでしょうか」
「工場っていっても、三つもあるし、働いている人となるとかなりの数ですよ? 工場が協力してくれるかどうかも」
「名簿だけ渡していただければ、あとは自分で調べます」
面倒そうな目つきで苦笑した署長は、「じゃあ、頼んでみます」と気乗りしない声で返事をした。
週が明けて、ゲオルクは各工場をまわった。
どこの工場も、名簿を見たければ来い、という話だったからだ。ゲオルクは文句のひとつも言わずに足を運び、分厚い名簿を一枚ずつ調べていった。
書かれているのは名前と年齢、性別、雇用を開始した日付、担当作業、解雇した日付のみだ。
働いているのは男性ばかりかと思っていたが、繊維工場では女性が多かったし、子供もいるようだ。十歳未満の労働は法律違反だからか、さすがに一桁の年齢は見当たらなかった。
だが、住所の記載がない。言葉は悪いが、つまり使い捨ての労働力だから身元が確かでなくても雇うということだろう。
ふたつの工場では「ロルフ・クヌッセン」も「トール・アーベル」も見つからなかった。
最後に出向いたのは第六地区の製紙工場だ。
巨大な煙突が白い煙を吐き出すさまはものものしくて、途中で立ち寄った商店街ののどかな雰囲気とはかけ離れていた。
工場長の部屋の一角を借りて、過去三ヶ月分の工員名簿をたどっていく。そこでついに見つけたのだった。「トール・アーベル」の名前を。
しかし、それがゲオルクの捜している「トール・アーベル」と同一人物かどうかはまだわからない。「トール」という名前も「アーベル」という姓も、そこまでめずらしいものではないのだ。同姓同名の別人かもしれない。
それでもロルフ本人である可能性は高いとゲオルクは思った。
年齢が十九歳と書かれていたからだ。ロルフは十八歳だが、一歳ぐらいごまかしても見た目にはわからない。
「この人物について知りたいんですが」
ゲオルクが名簿を示すと、工場長はティーカップを机に置いて顔を上げた。飲んでいるのは輸入物の高価なお茶だ。さっきそう自慢された。
丸眼鏡を押し上げて名簿を見つめた工場長は、「ふうん」とつぶやいた。
「この男が犯人なんですね?」
「え?」
問われた言葉にゲオルクはたじろいだ。とっさにカレンの顔が頭をよぎる。悲しげな微笑の幻が、怪訝そうな工場長の顔でかき消された。
「盗みの犯人を探してるんでしょう?」
(ああ、そっちか)
ゲオルクは内心で安堵の息をつく。ロッベンで起きた事件のことは工場長に話していない。それなのになぜ知っているのかと驚いたのだった。
動揺を笑顔で隠し、平静を装う。
「いえ、別件です」
「ふうん?」
「ですが、盗難被害については耳にしました。この工場でも被害が出ているんですか」
「そりゃあ刑事さん、警察にだって言ってるんだから。あんまりじゃないですか」
非難する目に、ゲオルクは頭を下げた。この町の警察官ではないことを説明するのは面倒だったし、必要性も感じなかったから黙っていた。
工場長がこれみよがしに溜め息をつく。
「従業員どうしのいざこざだけなら放っておくんですけどね、製品まで盗まれたとあっちゃ見過ごせない」
「誰が犯人なのか、まったく見当がついてない?」
「いや、目星はついてるんだ。何人か――まあ、疑えば切りがなくて、従業員全員、怪しく見える」
乾いた笑い声を響かせて、工場長は名簿を机に置いた。
「警察の尻はどうしてこんなに重いんですかねえ」
「なんとも言えませんが――」
この町の警察署長は金持ちの工場経営者を嫌っているふうだったな、とゲオルクは思い返した。
工場がどれほど儲けているのかは知らないが、見渡せば室内は高価そうな調度品で飾られているし、仕事中にもかかわらず工場長はくつろいでいる。
この部屋の隣に彼の自室があるらしい。ここで寝泊まりしているのだ。
紙は需要が高い。他国からの援助もあって、手漉きではなく機械で作れるようになってから生産量が飛躍的に伸びた。
この工場は創業二年だというが、成功の波に乗っているのは間違いないのだろう。その陰に低賃金で長時間労働を強いられる工員たちがいるというわけだ。
「工場の中にまで踏みこむためには、相応の準備が必要ですし、ほかにも犯罪はありますからね。詳しいことは私の立場ではわかりませんが、なかなか難しいのでしょう。尻を叩くよりも手を引いたほうが――工場側から歩み寄って協力の意思を示したほうがいいかもしれませんね」
「ふうん」
工場長は釈然としない様子で息を吐いた。
「ところで、こちらの人物について――」
話題を引き戻したゲオルクをちらりと見上げて、工場長は名簿に視線を落とす。どうでもよさそうな声で答えた。
「作業を監督している者を呼びましょう。犯罪者だというならどうぞ捕まえてください。逮捕者が出たとあれば、盗っ人への牽制になるかもしれませんしね。なあに、かわりの労働力なんてすぐに見つかります」
色つやのいい顔が何の不安もなさそうに笑った。
ゲオルクは工場の敷地内を案内された。とても広く、高い煙突を備えた建物がいくつかある。
巨大な蜂が直立しているような形の建造物もあった。
丸い腹部のように膨らんだ巨大な釜と、首を伸ばしたような長い煙突、それらを手足のように囲んでいる梯子だ。何に使っているのか、見当もつかなかった。
煙突から黒い煙が出ている建物があった。ゲオルクが連れて行かれたのはそこだ。
先導する男は階段を下りた。地下だ。外気の冷たさがやわらぎ、進むにつれて暖かい空気に包まれる。やがて辿り着いたドアは、全開になっていた。
室内には太い煙突につながった巨大な炉が三つほどあった。
多くの男たちが入れ替わり立ち替わり、石炭をくべている。炉の中で燃える炎の音と熱が、ゲオルクのもとまで押し寄せてきた。
「……暑いな」
思わずつぶやくと、案内人がすぐに反応した。工場長とは違い、警察官のゲオルクに緊張しているようだ。
「井戸がありますよ。職工たちも仕事が終わると、まず井戸です。飲んでいいことにしてますから。案内しますか?」
「いえ、それより、どこですか?」
「ああ、はい。ええっと、あそこにいるのがそうです。あの、腰にコートを巻きつけてる」
指さされたほうに目を凝らした。
いちばん奥にある炉の前で、周囲の男たちに紛れながら石炭をくべる少年がいた。煤がついた顔に汗を光らせつつ、黙々と作業をしている。
痩せているが貧弱というわけではなく、動きに無駄がない。長い前髪から覗く目は鋭くて、優しい少年の印象はなかった。
ゲオルクは少年の面差しとカレンの面差しをかさねてみた。
似ているだろうか? 髪の色は同じだが、それ以外にカレンを連想するような特徴が見つけられない。
(だけど――)
入り口の陰からじっと少年を観察した。
写真の一枚でもあればよかったのだが、ロッベンには写真館がない。家族写真すらカレンは一枚も持っていなかった。だからロルフを知る人たちから聞いたことを、頭の中でつなぎあわせた。
ロルフ・クヌッセンの髪は茶色で癖があって、目は細めで瞳は琥珀色、どちらかというと痩せていて、身長はやや低め。
想像したロルフ・クヌッセンが、目の前にいるトール・アーベルとかさなる。
もしも本人ならば、へたに近づいてはだめだ。
今月中にハリンに戻って報告書を提出しなければならない。不用意に近づいて逃げられたら、本当に間に合わなくなる。
ぐずぐずしていられないが、慎重に動かなければいけない。
ゲオルクは気を引き締めた。
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