第5話 体裁を気にしない!?
人生、何事も体裁を気にしていたら何もできない。自分が思っているほど、周りは自分を見ていないし、気にしていない。でもしっかりと見られていることもある。ここが難しいところ。
小説を書いて投稿するに当たって、気にする体裁には2とおりあると思う。1つは外面的な体裁。つまり、文章が上手いかどうか気になる。読むにたえる文章か? かっこ悪くないか? この1つ目の体裁は容易に克服できている。過去の体験から。
私は英会話が不得手だった。結構、努力したつもりでも面と向かうとだめだった。言葉が出ない。体裁を気にしていたからだと思う。ところが、突然、米国への赴任が決まった。米国の事務所には日本人スタッフがいたが、日常生活、出張、会議出席などすべて一人でしなければならない。買い物、食事、電話、タクシー、地下鉄、飛行機、打合せ等々、もちろん英語で。
このような状況になったらもう体裁など考えていられない。ただ、生き抜くために会話する。時制も複数形も3単現も受動態もあったものではない。まず、単語を羅列して意図を伝える。でも開き直って体裁を気にしなくなると言葉が出てきて意外と通じる。通じるとゆとりができて少しずつ文法にも気が配れるようになった。いまでも英会話は得意ではないが、いつでもとっさに英語で対応できる自信はある。
つまり、体裁を気にしなければ、結構なんでもできるということを体得した。大体、どんどん何かをやっている人は、体裁なんか気にしていない。周りの人はそんな体裁など見ていない。やっていることに圧倒されているから。体裁はやっているうちに自然と整ってくる。
だから、文章の上手下手は気にしないことにしている。これはしようがないことだから。読みやすく、意図が伝わるように書くこと、それに誤字脱字が無いようにしている。
2番目は内面的な体裁の克服。これが曲者。読まれると体裁がわるい。作品には自分のこれまでのすべてが現れる、自分の集大成と思うから。これは少し大げさか? でも自分の見聞したことと、それをもとに考えたこと以外は書けないし、全くの想像で書くには、おのずから限界がある。当然説得力にも欠ける。
実はこれはいまでも克服していない。自分が思っているほど、周りは見ていないと思いつつ、誰にも小説投稿のことは話していない。自分の足跡を残しておきたい思いと、ペンネームが匿名だから、かろうじて克服できているだけ。
追記(2021.5.23)
私は時々自分の書いた小説を読み返しております。第5話に♡をいただきましたので読み返していたところでした。それで書いてから時間が経って分かったことがありました。
2番目の「内面的な体裁の克服」ですが、しばらく前に親しい友人(友人をモデルにした小説もありますがそれには言及せず)に、読んでもらえたらと思い、小説投稿している自分のサイトを紹介してみました。友人からは「良い趣味をお持ちですね」と回答があっただけだったので、読んではもらえなかったのが直感的に分かりました。自分としては恥を忍んで教えたつもりですが、とても気落ちしました。
それで最初の部分で書いた「自分が思っているほど、周りは自分を見ていないし、気にしていない」が再認識できました。確かに私も友人に同じように自身の小説を紹介されても、あえて読もうとはしないと思います。もし、読むとすれば特別に好意を持っている友人に限ると思います。
だから「内面的な体裁の克服」はできたように思います。知人にオープンにしてもほとんど読んでくれないし読まれない。読んでくれるのは自分に好意をもっている特別の人だけだろうということが分かったからです。ご参考になれば幸いです。
登夢 2021年5月23日 13:51
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