第23話 拒絶
日曜日、関さんは予定通り休みだった。
いつもの日曜日の朝だ。
山口さんと結婚式用のパンを番重に並べる。
秋の結婚式シーズン。
そして今日は大安だ。
「西尾君は当然今日は休むんですよね」と朝の挨拶もそこそこに下田さんは僕に確認してきた。
下田さんの耳にも昨日の出来事は既に入っていた
「何も聞いてないけど」と僕は店出しをする小池チーフの姿を彼女に示した。「この時間で来てないから、今日は来んじゃろうね」
「来れんでしょ」と小池君はパンを店に運びながら言った。「俺、これから毎日店出しなんですかね」
それはないだろと笑ったのは僕一人だった。
「畠山さんから休むって連絡あったんじゃけど」と下田さんはダストローラーで着衣についた埃などを除去しながら言った。
「昨日、早退したんよ」
「そりゃ早退するよね」と下田さんは言った。「店長、一緒に店出てくれるん?」
「ああ、出るよ」と答えて山口さんをチラッと見た。
山口さんなら何とかひとりでも耐えてくれるはずだ。
「明日も店に出てくれるん?」
「明日は・・・」明日は山口さんが休みだ。
すると、「いいですよ」と山口さんが言った。「明日、出ますよ仕事、何も予定ないし」
「冗談です」と下田さんが少し笑い、そして「ごめんね」と山口さんに謝った。
「ほんと、明日休まなくても大丈夫ですよ」と山口さんは言った。
山口さんは西尾君ではなく、関さんが明日も来ないかもしれないと思っているみたいだ。
もちろんそれは山口さんだけが思っていることではない。
開店の時間になった。
大安吉日かもしれないけど、今日は大雨だった。
開店と同時に店に来てくれたのは2組だけだった。
下田さんはレジに並んだお客さんを素早くさばいた。
あっと言う間にお客さんのいない店になった。
「ひとりでも大丈夫そうじゃね」と僕はウラに下がろうとした。
オモテは下田さんひとりでも大丈夫そうだが、ウラは山口さんひとりではさすがに無理だった。
しかし「大丈夫じゃない」と下田さんは言った。「おってや」
「ウラがヤバいじゃろ。お客さんが来て、忙しくなったらすぐに呼んでくれたらええけえ」
「このままお客さんが来んかったら?」
「来んかったら・・・来んかったら?」いったい何を言い出すのかと僕は下田さんの顔をマジマジと見た。
「お客さん来んかったら、うちを助けには来てくれんのんじゃね」と真面目な顔で彼女は言った。
「わけわからん」と僕は言った。
「ほんま、わけわからんね」と彼女は笑った。
とても短い笑いだった。
昼になろうとしていたが下田さんから応援の要請はかからなかった。
雨は一向に止む気配もない。
裏はほぼ片付きつつあった。
下田さんの休憩交代をするために店に出た。
店にお客さんはいなかった。
でも棚に並べたパンは減っていたので、お客さんがまったく来なかったと言うわけではないみたいだった。
「助けに来たよ」と僕は下田さんに言った。
ウケるかなと思ったが、まったくウケなかった。
下田さんは棚の前でパンの整理をしているみたいだったが、それは違っていた。
ガラス窓から見える外の景色を眺めていた。
雨脚は衰えることがない。
「店、閉めます?」と下田さんは言った。「誰も来ないですよ。こんな天気じゃ」
「閉めたら社長に怒られるよ」と僕は売れて少なくなったパン同士をひとつの籠にまとめていった。
当然だが味や匂いが移らないように菓子パンは菓子パンと、調理パンは調理パン同士でカゴにまとめる。
「休憩行ってきんさい」僕は下田さんに言った。
「朝から休憩みたいなもんじゃん」と彼女は言った。「これからどうするんですか?」
「なんとかなるじゃろ」と僕は言った。
「嘘じゃろ」と彼女は言った。「あさひ町店最大のピンチじゃん」
「最大かね?」
「お客さんもおらんけりゃ、従業員もおらん」
「ヤバいね」と僕は言った。
パンの整理はなかなか楽しかった。
それに、パンも以前よりはずいぶんときれいな仕上がり具合になった。
僕はコーンパンをトングでつかんだ。
丸々としてボリュームがあるが、手にした感じが見た目よりもふわっとして軽い。
これなら本店のコーンパンよりも美味しそうだ。
でも売れてない。
日曜日からしばらくは雨の予報だったので、この日もパンの焼き上げの数は減らしてあった。
お客さんが来なけりゃ、どんなにいいパンが並んでたって無駄なのだ。
いいパンを作ればお客さんはどんどんやってくると関さんは言っていたが、さすがにこの雨だとどうにもならない。
店にはいいパンが並んでる。
メロンパンも西尾君が福岡で買ってきたのと負けてないくらいだ。
「関さん、買いにくればいいのに」と僕は言った。「美味しそうなパンがいっぱい並んでるのにね」
下田さんは僕の言葉に黙ったままだった。
休憩に行く気配もない。パンの整理を続ける僕の斜め後ろに立ったまま。
「なんとかなるよ」と僕は言った。「なんとかなる」
「店長、そんな前向きの人じゃないじゃん」と下田さんが僕に言った。「明日になって、関さんが来んかったらどうするん?」
「なんとかするよ」僕は即答した。「山口さんはもちろん明日は休ませる。僕がなんとかする」
「そんなセリフ、別にかっこよくないよ」と下田さんは言った。
「わかってるよ」
僕は自分のパン整理の手際の良さに惚れ惚れした。
「明日、関さんが来ると思うとるん?」
下田さんの質問に即座に答えることが出来なかった。
「月曜日じゃけ山口さんが休みってのはわかっとんじゃけ。関さんは来てくれるじゃろ」
「旦那さんから仕事辞めさすって言われたんじゃろ」
「でも、そんなの無理じゃろ」
「職場で不倫した奥さんをそのまま放っておくわけないじゃん」と下田さんは語気を強めた。
「不倫って・・・」
「不倫じゃろ。」
「西尾は何もないって」
「やりましたって言えんじゃろ」
「やりましたって露骨やね」
僕は恥ずかしがるような振りをしてみせた。
ウケるかもと思ったが、やはりウケるはずもない。
場が少しでも和めばとも思ったがまったく何も変わらずだ。
それに言った本人ですら笑ってない。
「店長は知らんかったん?」
「何を?」
「ふたりが不倫しとるの」と下田さんはわかりやすくはっきり言ってくれた。
「知らん」と僕は答えた。
雨くらいで客が来ないなんて、西尾がこの3ヶ月やってきた事はなんの意味もなかった。
FacebookにInstagram、LINE。彼が集客効果があるからと始めたそれらのうちのアカウントも今日はまったく変化はない。西尾君がひとりでやってる事だから、急に彼が休んでしまうと更新すら出来ない。売り上げを伸ばしたいなら日曜日をもっと強化するべきだったのに、それすらも対策を打ててない。対策を打つどころか、あまり忙しくないからと自ら休みを入れている。
「西尾はうわべだけじゃけ」と僕は言った。
「でもそんなうわべだけの男が関さんと付き合っとるんよ」
「ほんまに付き合っとるんかいな」と今度は少し笑えた。
「ほんまよ」
「なんでわかる?」
「見た人おるし」
「何をや」
「二人が一緒におるの」
「俺でも関さんとふたりきりになることはあるよ。」
「それは職場でじゃろ」と下田さんは鼻で笑った。「仕事じゃん」
「西尾と関さんも仕事かもしれんじゃん」
「関さんが西尾くんのマンションで何の仕事するんよ。」
そう言われて、大きく深呼吸した。
落ち着け自分。
なんで客が来ないんだ。
なんで雨が止まないんだ。
「閉めようか・・・」僕は呟くのがやっとだった。
「社長が許さんのんじゃろ」と下田さんは言った。「雨で客が来んからって店は閉めれんよ」
「許されんでもええじゃん」と僕は言った。「許されんでもええと思うよ」
「不倫は許されんじゃろ」
「わからん」と僕は言った。
「許されるん?」
「何が?」
「不倫」と下田さんははっきり言った。
「別に迷惑をかけんのんなら」
「迷惑かかっとるじゃない」
「そうかな・・・」
「そうかなって、ダンナに店にまで乗り込まれて、バイトの子も気分悪くなって休むし、客も来んようになったじゃん」
「お客さんが少ないのは雨のせいじゃん」
「雨が降るのも不倫のせいよ」と下田さんは言った。
「不倫、不倫ってまだほんまかどうかも・・・」
「わかっとるわいね。わかってないのは店長だけよ。こんな近くで見とってあの二人が怪しいのにも気づかんのって、どんなけ鈍感よ。」
「まったく怪しいとは思わんけど。」僕は言った。「今でも思えんよ。どんなけ言われても。旦那が乗り込んできても。あり得んじゃろ。西尾と関さんがなんで付き合わんといけんのんよ。歳だって全然離れとるし、関さんは結婚しとるし、みんな仕事をしに来とるんで」
「今のはあり得ない理由にはなってないし」と下田さんは冷静に返した。
落ち着け自分。
落ち着け。
二人が付き合ってるはずがない。
その理由を考えるんだ。
関さんが西尾なんかと付き合うはずがないと下田さんにも理解させないといけない。
下田さんだけでなく、社長にも副社長にも。
「サンドのばあさんの息子が関さんの旦那の知り合いなんよ」
「で。」
「関さん、週に何回か早朝のサンドでも働いとることにしとるみたい。出勤前に西尾君の部屋に通っとったんよ。」
下田さんの言葉に僕は何も言うことが出来なかった。
そんな事が可能なのか?
不可能ではないのかもしれないが、そこまでして会う必要があるのか?
何故そんな必要が?
必要か不必要かは僕が決めることではない。
「関さんの旦那さんがばあさんの息子に、うちの嫁もサンドイッチ作ってるみたいな話になって。そっからバレたみたい。」と下田さんは教えてくれた
「サンドに入ってるじゃん」
「え?」
「昨日、ダンナさんにそう説明したよ。関さん、サンドにも入ってもらってますって。」
「関さん、サンドなんかやってないじゃん」
「今からやってもらえばいい」
「何を言うとるん」下田さんは僕を怒鳴りつけた。
下田さんに怒鳴られても別に怖くもなかった。
僕は落ち着いている。
落ち着けば、西尾君と関さんが不倫などしていない理由を下田さんに説明できる。
関さんは僕を特別な存在として認識してくれているはずなのだ。
西尾や旦那ではなく、関さんが選んだ男性は僕なんだ。
「店長、関さんが好きなんじゃろ」と下田さんは言った。「違うん?」
落ち着けば説明できるはずだったが、下田さんの今の質問には答えなかった。
答える必要はないはずだ。
僕が下田さんに言うべきなのは、関さんが好きなのは僕なんだと言うこと。
そのことさえ知れば、こんな会話など何の意味もないことに気づくはずだ。
「店長、好きなんじゃろ」とそれでも彼女は聞いてきた。
「関さんいい人よね」と僕は言った。「関さんがおらんと困るよね。みんな」
「店長だけじゃろ。関さんがおらんで困るのは。」
「みんな困るじゃろ。山口さんだって休めんようになるかもしれん」
「関さんが好きなんじゃろ」
「いいや」と僕は答えた。
「嘘じゃ」
「嘘じゃないよ」
「じゃけえ、店長は相手にされんかったんよ」と下田さんは言った。「好きじゃって言わんかったけえ」
「意味がわからん」
「西尾君、うちに配属されてからすぐに関さんに好きじゃって言うとったんよ」
「嘘じゃ」
「嘘じゃないわいね。それ、関さんから聞いたんじゃけ。」
「嘘じゃ」
「嘘じゃない。関さんが西尾君に好きじゃ好きじゃってからかわれとるんじゃ言うて、昔言うとったんよ。」
「からかっとったんじゃろ。」
「からかわれとるとしか思うてなかったら、いちいち自慢げに言うたりせんわいね」
「自慢げ?」
「そりゃ自慢じゃろ。10も年下の男から好きじゃ、付き合ってくれって言われりゃ、そりゃあ悪い気はせんじゃろ」
僕はまた深呼吸をした。
なんで客は来ないんだ。
雨降りがそんなに嫌なのか?
「そんな簡単なもんか?」と僕は下田さんに尋ねた。「好きって言われたから好きになる。そんな簡単なもんか?」
「簡単じゃないかもしれんけど、意外と単純なもんなんよ」と下田さんは言った。「雨が降りゃあ客が来んのと同じくらい単純なんよ」
「じゃあ、下田さんに好きじゃ好きじゃ言い続けたら、下田さんは僕を好きになってくれるわけ?」
「ならんよ」と下田さんは言った。
僕は言葉を失った。
「ほれ見いや、そんなに単純じゃないじゃないか」なんてセリフは言えなかった。
この程度の言葉のやりとりで心は簡単に傷つくものなんだなと思った。
下田さんに拒絶され僕は何も言えなかった。
でも関さんには。
僕はまだ関さんに拒絶されたわけではない。
拒絶されたわけではないと信じているから今はまだこうしていられるのかもしれない。
いい歳をして何を考えてるんだ。
いい歳をして、まだ誰かを好きだとか好きになって欲しいとかそんな事に心を痛めたり、悩んだりしている。
妻も子供もいて。
今さら何がどう変化するわけでもない人生なのに。
窓に映った自分の姿を見た。
年相応の男がいた。
48歳の男だ。
頬の肉もたるみ、髪の毛は白髪が目立つ。肌には張りもない。
見たまんまの48歳。
関さんの旦那をデブだと心の中で罵っていたが、こちらだって同じようなものだ。
お互い48歳。
「店長、関さんが好きなんじゃろ」
下田さんの言葉に僕は首を横に振った。
「西尾は関さんに好きって言うたわけ?」
「言うたんよ。」
「それは本気で好きなわけ?」
「本気で好きなんじゃろ」
「僕は本気で関さんのことが好きだったわけではないと?」と下田さんに僕の気持ちを確かめた。「本気じゃなかったけぇ、言えなかったと。」
「本気かどうか自分で考えればいいじゃん」と下田さんは言った。「私にわかるのは、店長は関さんに何も言えんかった。そして関さんと店長の間には何もなかった。」
「好きって言えばどうにかなったと?」
「それはわからん」
「わからんじゃあ意味ないじゃん」と僕は笑った。
「店長は言うてないんじゃけえ、わからんよね」と下田さんは言った。「わかっとるんは、好きじゃと言えた西尾君が関さんと仲良くなれたってことだけよ。」
「じゃあ、今から言ってみようか」
「関さんに?」
「うん」
下田さんは僕をじっと見た。
下田さんは僕を憐れむように眉間にしわを寄せた。
「やめんちゃい」と下田さんは言った。「今さら言っても無駄じゃろ」
「わからんじゃん」
「店長は関さんから自分が好かれとると思うとるん?」
「嫌われてはないと思うよ」
「それは普通になんよ。」下田さんは言った。
「普通ならいいじゃん。」僕は言い返した。
「普通は特別じゃないんよ」
「特別?」
「店長のことは特別に好きな人じゃなかったんよ」下田さんは少しだけ僕の近くに寄った。「嫌われとりはせんけど、普通なんよ。普通に好きなだけ。上司として、同僚として、同じような家族持ちとして、友達として、よき相談相手として。特別な思いも感情もない。ただの普通の人。」
「普通に」
「特別じゃないんよ」と下田さんは何度も繰り返した。物わかりの悪い僕に言い聞かせるために。「それにもう特別にはなれんのんよ」
「なんで?」
「終わったんよ。」
「何が?」
「関さんはもうここには戻れんよ」と下田さんは僕に言った。
「そんなん下田さんが決めることじゃないよ」と僕は言ってみた。「もしかして関さんのことが嫌いなん?」
その直後、いらっしゃいませと突然、下田さんが大きな声を出した。
店にお客さんがひとり入ってきた。
昨日も来ていた唐揚げ好きの常連さんだった。
「こんにちわ」と下田さんは親しげにその男性に話しかけた。
「昨日は大変じゃったんで」と唐揚げ好きは一個売りの鶏の唐揚げを手慣れた感じでトングを使ってパックに詰めた。「若い兄ちゃんが揉めて、店長さんが大活躍よ。」
下田さんは唐揚げ好きの話を楽しそうに聞いていた。
続けて別のお客さんも入ってきた。
いらっしゃいませと下田さんは元気に声をかけた。
話はそのまま立切れとなった。
下田さんが関さんのことをどう思っているのか、更に確認することはしなかった。
下田さんが関さんのことをどう思っていようが、僕にはどうでもいい事だった。
僕にとって大事なことは未だに僕の中で関さんへの思いが何も変わらないという事だ。
どんな現実を突きつけられても、それでも彼女への思いが変えられない。
それはきっとしあわせではない。
苦しい。
でも、どんなに苦しくても変えられない。
僕は狂い始めているのかもしれなかった。
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