第14話 社長面談

「社長が来てますよ」個室でスライス中の僕に関さんが教えてくれた。

関さんの後を追うように、社長が個室のドアを少し開けて「お疲れ」と僕に声をかけた。

スライサーを止めた。「お疲れ様です」僕は頭を下げた。

副社長じゃなくて社長がここに。

何のために?

緊張で挨拶以上の言葉が何も浮かんでこなかった。

「下田さんとちょっと話がしたいんよ」と社長は言った。

「下田さんなら店ですが・・・」

そんな事は社長もわかっている。

「私、代わりに店出ますよ」と関さんが言って個室から店へ出た。

社長は気が利かない僕には用がないみたいだった。社長は再び、関さんの後を追って僕の前から消えた。

病院用の食パンのスライス中だった。関さんに突然いなくなられると、こちらも段取りが狂う。だいたいパンが乾いてしまう。

外にいた西尾君を呼んだ。

彼に「パン入れて」とだけ言った。

個室のドアの窓から社長と下田さんが3階の休憩室へ行くためにエレベーターを待っているのが見えた。

社長の後ろ姿を見て、老けたなと思った。

副社長とは違って小柄な人だった。血のつながりもない。今の社長は2代目だ。創業者ファミリーの「御曹司」である副社長が3代目になるまでのつなぎだと思っていたが、副社長にその意思がないのか、いまだ社長の交代はない。社長は創業時からずっとファミリーに仕えている。

下田さんと社長が何を話すのか気になったが、そんな思いは西尾君の前では見せれないし、とりあえず作業も急がなくてはならない。

スライスを続けた。

6枚切のスライスはもう終わっていたのに、ほぼ食パン1本分間違ってスライスをしてしまった。

「指の跡がつくで。そんなに強くつかんだら」と西尾君に一発かましておく。

「すいません」と西尾君が謝る。

これが僕と西尾君の関係である。

しかしその直後、「社長、下田さんになんか用があるんですかね」と西尾君が僕の気持ちを知ってか知らずかそんな事を聞いてきた。

「さあ」僕は食パンをスライスしてる。6枚切の次は8枚切の厚さのパンを用意しなくてはならない。

「提案書の件ですかね」と西尾君。

そう言えば、「エース西尾」と冷やかしで彼のことを呼んでいたこともあった。

「なにかあったんですかね」と西尾君。

「ええけえ、さっさと入れんさいや」と僕。「集中せえや」

何を苛立ってるんだ。余計におかしいだろ。

それでも「気になりませんか?」と西尾君はしつこく僕に聞いてきた。

僕はスライサーを止めた。8枚切は切り終えた。

スライサーの幅を2.7センチに調整する。次は4枚切だ。

こんな分厚いパンを食べる病人ってなに?まあ、大きなお世話って感じだ。

スライサーのスイッチを入れた。

1枚、2枚、3枚と数えながら切る。7枚で終わった。

こんな分厚い食パンを食べる病人はあまりいないようだ。

「昇給するんじゃないか」と僕は言った。「下田さんの改善策が認められて」

「下田さん、提案書出したんですか?出さないって言ってましたけど」

彼女とそんな話はしたことはなかったが、まあ提出するような人ではないかもしれない。

下田万里子。

しあわせパン工房こころ・あさひ町店の店舗責任者。31歳独身。5年前までは本店にいた。そこでちょっとしたトラブルがあり、たまたま欠員が出たこちらの店に異動になった。

ちょっとしたトラブル。

本店でも店舗責任者だった彼女は勤務シフトや仕事の指示の出し方などで他の社員やパートさん達と揉めて、結果的に職場の皆から総スカンを喰らい、本店を追い出された。

ほんとうちの会社ではよくある「ちょっとした」トラブルである。

しかしうちに来てからはそんなトラブルはなかった。

何故ならほぼ全ての時間が下田さんのワンオペレーションだから、トラブルになる相手もいない。彼女が休みの時にはアルバイトを二人呼ぶようにはしている。一人で2人ぶんの仕事をこなしてくれているのだ。

ありがたい存在だった。

「店長は提案書出したんですか?」

「いや」と僕は嘘をついた。

「僕、出したんですよ」

「え?」

「改善提案書、出したんです」と西尾君は言った。

彼の言葉に関心がないように装った。しかしもうスライスは終わってる。

そう。さっさとシーラーして袋の口を閉じなければ。

何を書いたん?と聞くことができない。

「あれって、ちゃんと意見を取り上げてくれるんですかね」と西尾君。

今日は饒舌だ。

おそらく社長の登場に、僕と同じく西尾君もソワソワしている。

動揺か高揚か。

「店長は提出してるんだと思ってました」

「なんで?」

「いや、よく仕事のことを考えてらっしゃるんで」

「そうでもないよ。ただ毎日ひたすらに頑張って終わらせてるだけでね」と僕は言った。お前は「ひたすらに」頑張っているのか?と西尾君に問いかけこそしなかったが、その意味は込めたつもりだった。

・・・無駄ですよね。

「え?」と僕は聞き返した。「ん?」

「え?」と西尾君も驚いた顔つきで僕を見た。「なにか?」

西尾君は何も言ってないようだ。

「何を書いたんや?」と僕は結局彼に尋ねた。

「店のことです」と彼は即座に答えた。

「店?」僕は西尾君に聞き返した。

どうして西尾君が店のことを書くんだ?

彼はその担当ではないのだが。

その時、「戻りました」と関さんが個室に入ってきた。

僕は関さんの顔を見た。

そこに僕の問いの答などは書かれていなかった。

「下田さん、プリプリでしたよ」と関さんは言った。「うちの社員はみんな、本社の人と会った後は機嫌が悪いんですよね」

ありがとうと関さんは西尾君に礼を言うと、袋詰めの作業の続きを引き受けた。

西尾君は僕の質問には答えぬまま個室から出て行った。

「社長も帰りましたよ」と関さんが教えてくれた。

本当に僕には何の用もなかったみたいだった。


「お疲れ様でした」と売り場にいる下田さんに声をかけて退社しようとした。

社長が来た事以外は何も変わり映えのない一日だった。

出荷の作業が終わったので、閉店まではまだ2時間あるが先に帰ることにした。

しかし当然のように下田さんから呼び止められた。

「店長、このまま帰れるわけないでしょ」と下田さんは言った。

そりゃそうだ。こっちだってこのまま帰るつもりなどない。

16時を回っていた。今日はパンもほとんど残ってなかった。

お店用に焼くパンの数を出すのは下田さんの担当だったが、これは実はあさひ町店だけのやり方だった。他の店舗はパン製造の責任者が店用のパンの数出し、つまり今日の焼き上げは「あんぱん50個」「ベーコンエッグ40個」などと計画する。うちの店舗のメインは工場の機能なので、店売り用のパンの焼き上げはどのパンも朝1回限りである。よその店舗は来店客数やパンの売れ具合を見て、順次焼き上げ数を調整していくのだが、うちは出荷用のパンの焼き上げがメインのため店舗の当日の調整に時間を割くことが出来なかった。もちろん、調整や追加の焼き上げが不可能ではないのだが、製造としては、そこまで手が回らないと言う感じだった。

「店長もたまには店でんと」と下田さんは僕を手招きして、レジカウンターの中で隣に並ぶように誘った。

 店に立つ販売員は何人も変わったが、店の棚や什器は僕がこの店にはじめて来た時の配置のままだった。

新しい商品が出てくることもあれば、人気のなくなった商品は何の告知もなく製造が終了し姿を消す。でもこの10数年の間には昔の商品が少しだけ形を変えて新商品のように売り出されることもあった.

「チーズぼうや。売れてる?」と下田さんに聞いた。

チーズぼうやは菓子パン生地の中にカスタードクリームとクリームチーズをミックスしたクリームを包み込み、パンの上にカステラ生地を絞って焼いた甘いパンだった。

僕が入社した頃にはこの店でも1日60個近く売れる人気のパンだったが、それから2,3年後には売り上げも伸び悩んでいつしか製造終了になったパンだった。

それを今年に入り、下田さんに「懐かしのこころ復刻フェア」なる企画をするから、昔人気のあったパンを教えてくれと言われて僕が提案したものだった。

フェア自体はずいぶん前にまずまずの実績を残して終わったのだが、チーズぼうやだけはそのまま店に並び続けた。下田さんがチーズ好きだったこともあるのだろうが、ある意味僕の顔を立ててくれたのかもしれない。

しかし、店にはまだチーズぼうやの姿はあった。もちろん追加で焼き上げられたわけではない。

店は7時に開き、18時に閉める。13時くらいまでに客数も売り上げもその日の75%くらいはいく。そんな日は閉店時にもパンもほとんど残らない。今日はいい感じでお客さんが入ってくれていた。

残り時間は2時間。

しかしチーズぼうやを売り切るのはムリだろう。乳製品の値上がりなどで僕が入った頃のチーズぼうやは130円だったが今は200円のプライスカードがついている。サイズを小さくして値段を抑える方法も考えたが、昔のままのレシピで作った。

「売れんか・・・」と僕は呟いた。

「まあ、でも気にせずに」と下田さんは言った。「チーズぼうやごときで悩んでる場合じゃないですから」

チーズぼうやごとき?下田さんは少し口が悪い。彼女が本店時代にみんなから総スカンを喰らったのも頷けた。

「社長から何言われたん?改善書の件?」

「そうなんですよ」と下田さん。「私、またパワハラ疑惑が・・・」

「嘘?」

「嘘です。」下田さんは笑った。「でも、社長からちゃんとみんなに挨拶しとるんかって聞かれましたけど。挨拶くらいしてますけど何か?って。」

「挨拶してるよね」と僕は下田さんに確認した。

「してるつもりですけど」

「してると思うよ」と僕は言った。「挨拶するの聞いたことあるから」

「店長、挨拶しないですよね」

「するよ」と僕は言った。

「してないですよ」と下田さんは反論した。「西尾君が挨拶してるのによく無視してるじゃないですか」

「それは・・・」僕は口ごもった。

「クレームがあろうが、ミスしてようが挨拶は大切ですよ」と下田さんは言った。「と関さんなら店長に言うでしょ。」

「え?」

「でも、私もムカつくヤツは無視しますよ」と下田さんは言った。「店長の気持ちはわかりますよ」

と下田さんから言われても今は喜ぶような気分にもなれない。

「で、社長からは挨拶の話だったわけ?」僕はもう一度聞いた。

「それが・・・」下田さんは一度言葉を切った。「西尾君を店に立たせたいって」

「え?」

「西尾君を店の責任者にするみたいですよ」と下田さんは言った。

下田さんは笑ってはいなかった。

そこへ「店長、本社から電話です」と西尾君が僕を呼びに来た。

僕は下田さんと顔を見合わせた。ほら、さっそくと彼女は言ってるみたいだった。

電話は副社長からだった。

内容は下田さんの教えてくれたとおりだった。

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