第13話 提案します

「帰らないんですか?」と下田さんが僕に声をかけた。

「うん。ちょっと。」

「まだ何か終わってないんですか?」

「いや、そう言うわけじゃないんだけど。」

「じゃあ帰りましょうよ」と下田さんはパソコンデスクについたままの僕を誘った。

この日の店のラストは僕と下田さんの担当だった。

月に7回か6回、西尾君の休みの日が僕が店を閉める。と言っても今日の閉店作業はすべて下田さんがひとりで行っていた。声をかけられるまで店が閉まったことも後片付けが全て終わったことにも気づかなかった。

唯一、店で売れ残ったパンや弁当が捨てられた事業所用のごみ袋が二つ、僕が座っている椅子の後ろにドンと置かれていた。

「ごめんね。手伝わなくて」と僕は下田さんに謝罪し、外のダストボックスにごみ袋を二つ運んだ。売れ残りは結構な量だった。

こんなことでは給料だって上がるはずもない。

「先に上がっていいよ。ちょっとやる事あるから」と僕は下田さんに告げた。

「終わってないんだったらなにか手伝いますよ」と下田さんは言った。

「ほんと大丈夫」と僕はやんわりと断わった。「お疲れ様でした」

下田さんは納得いかない顔つきだった。

いつもの僕なら閉店作業が終わるや否や会社を後にするのが常だから、そんな顔をされるのも仕方ないかもしれない。

下田さんは僕が開いているノートパソコンの画面を覗き込もうとした。

残念ながら、声をかけられる前には使っていたファイルの画面は縮小済みだったけど。

「西尾君も帰らないんですよね」と下田さんは言った。「店長も西尾病がうつった?」

「西尾、帰んないの?」

「終わっても、ずっとパソコンに向かってますよ」と下田さんは言った。

「西尾、何してんの?」

下田さんは首を傾げた。

「なにしとるんですかね。私、人妻好きには興味ないから。」 下田さんは笑った。

人妻好き?なんの事だ?

と下田さんに確認しようとする前に、「じゃあ、お疲れさまでした」と下田さんは言い残してこの場から退場した。

僕はひとり会社に残された。

人妻好き。

なんのことだ。

しかし、そんな事に構ってる場合ではなかった。

縮小していたファイルをディスプレイいっぱいに広げた。

そこには書きかけの「改善提案書」があった。

僕が書きかけたものだ。


今まで仕事に対して考えてきた事。

今、会社に対して思いついた事。

それを言葉にしていかなくてはならない。

「改善提案書ね・・・」

ため息が出た。

もう2時間近くもああでもない、こうでもないと店が閉まる時間も忘れて書き直し続けていた。

書き足したり、消したり。

しあわせパン工房こころの問題点。

「あり過ぎるでしょ。」といつも思っているくせに、いざ書こうとすると、これを書くとみんなからどう思われるかとか、あれを書くと本社からどう思われるのかとか他人の評価ばかりが気になる。

言いたいことがちゃんと言えない環境が悪いのか。

それとも言いたいことをちゃんと言えない自分がダメなのか。

改善すべきなのは自分の中にあるのではないのか。

だいたいこの提案書に本社は何を望んでるんだ?

レストランの荒木さんの件みたいに隠れているハラスメントでも探りたいのか?

それとも誰が本社に対し従順であるか否かを探りたいのか。

改善するところなど、どこにもありませんと一言書いて提出したら、本社はどんな反応をするのだろう。

僕的には本社の言う通りに行動しているつもりである。そして常に完璧ではないかもしれないが、及第点はとってきたつもりだ。

だから何か問題があるのならば、それは本社からの指示に問題があったと言う事にもなる。もちろん、その問題に気づかないまま従った僕に問題があると言う事にもなるが。

おとなしく下田さんと一緒に帰るべきだったかもしれない。




改善意見


1)会社の経営方針や目標の明確化と周知・徹底。

  会社の経営方針や目標をわかりやすい形で全従業員とお客様に伝える。年度の目標から中期・長期に渡る計画展望を全従業員及びお客様と共有し、会社はその全てとそれを実行することを約束する。

2)定休日の設置による公休の完全消化

  商業施設内の店舗以外は週1で定休日を設けることで公休の完全消化をはかる。また定休日に伴い余剰メンバー(主にパン製造や調理部門)が発生した場合、上記店舗以外の応援にあてて公休の完全消化を促す。

3)店長会議の改革

  その月のテーマや議題を決めあらかじめそれに対する意見などを収集し、その結果を全従業員にプリントして配布。またそのテーマや議題は店長やチーフだけではなく、一般社員から意見を毎回募る。


1番から3番まで書き終えた。

1番目は会社として当然の姿勢だと思い書いてみたが、きっとこの文章は取引先の会社案内から無断で拝借したものに違いないと読み直してそう思った。

2番目は人手不足の中、休日の取得はどこの店舗もどこの部署も非常に厳しい状況だった。しかし売上も下がっている中、店を休めば売り上げはさらに加工の一途を辿るのだろう。そんなの本社が認めるか?一瞬、消去しようかとも思ったがそのまま残した。

3番目は会議の改革について自分なりの考えをまとめたつもりだったが、実はこの2年近く人手不足で店舗の責任者や製造の責任者が現場を離れることができず、会議など開催されたことはなかった。本社の誰かが各店舗を順次訪問し、その時にちょこっと雑談程度に話をするくらいだった。

しかし、それで運営できているのだから、別に改善する必要などないのかもしれない。だいたい各店舗の責任者が本社の会議室に集まって話し合っていた頃も、結論に至る話し合いを持てた例はなかった。何かを提案してくるのは本社からだけで、僕たちはただそれをノートに書き写した。会議が盛り上がるようなことはなかった。会議や議論に慣れている従業員などいなかった。

もちろん、その会議に参加していた僕も何かを提案するわけでもなく、本社から言われることをメモし、あさひ町店に戻ってメンバーに伝えるだけだった。

だからこそ、より多くの人の意見を聞くべきなんだ。

何も言わない責任者だけを集めても何もならない。

そう考えると、この提案はもっともらしく思えた。

この3番目も残す。


スマートホンの時計を見た。

閉店してからもう3時間経っていた。

誰からも何の連絡もない。

以前だったらこんな作業はタバコでも吸いながらでもなければやってられなかった。

それもタバコの値上がりと言う経済的な理由により禁煙をした。

酒は飲めない。

友達と呼べる人も今は思い浮かばない。

家族はいる。

だが「まだ帰らないの?」と連絡もなければ、こちらから「遅くなる」と連絡することもない。

きっと今、家には誰もいない。


悪口や告げ口になるようなことは書かない。

それはこの改善提案書を書く前に決めた。


僕は自分でも保守的な人間になったんだと感じた。

それは西尾君の前任者が辞めた頃からなのかもしれないとふと思った。

「無駄なんですよ」と彼は言った。

僕はその言葉に対して言い返せるだけのものは何ももっていなかった。


そして最後、4番目を今書き終えた。


4)若手社員の教育と登用

  若手社員(入社5年以内)の定期的なミーティングを行い組織の若返りと次世代のリーダー候補を育成すると同時に、若い感覚をもっと店舗運営や商品開発に結びつける。ただ漠然と日々を過ごすのではなく、責任感とやり甲斐のある仕事を与え、離職率を抑える。また新入社員のフォローアップ研修を一月に一回程度実施し、会社及び社員間のつながりを深めると共に社会人としてのスキルアップをはかる。


これは消すか?残すか?

頭の中には西尾君の前任者の顔と、もちろん西尾君の顔が浮かんでいた。

「責任感」と「やり甲斐」を与え。

僕は西尾君に与えているのか?

しかし、そんなもの自分で探すべきものではないのか。

無駄になるか無駄にならないか、それは自分でどう行動するかにかかっているのではないのか?

自分で納得できるかどうか。

僕にはその「責任感」や「やりがい」はあるのか?

僕は見つけられたのか。

「なんでここにおるんじゃろ」僕は呟いた。

答えてくれる人などここには誰もいない。

どうして僕はここにいるんだ?

しあわせパン工房こころ。

何が幸せなんだ?


僕はファイルをプリントアウトした。

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