第12話 パワーハラスメント

荒木さんってコックさんについて名前くらいは聞いたことはあったが、どんな人物なのか詳しくは知らなかった。

長く勤めている人だが職場が同じになったことはなかった。僕よりはおそらく年上。荒木さんはレストランが併設されるうちの店舗を渡り歩いているみたいで、現在は廿日市にあるショッピングモールの中の「しあわせパン工房こころ・廿日市モール店」のレストランに在籍していた。

荒木さんに関する話はパン製造の小池チーフから聞いた。

「荒木さん、辞めさせられるみたいですよ。」と小池君が教えてくれた。

記憶をたどり、なんとかその名前と顔を一致させた。

「パワハラがひどかったみたいですよ」と小池君。

「荒木さんって役職者?」

「いや、ただの荒木さん。」

「ただの荒木さんが誰をパワハラしたん?」

「なんかホールに入ってたアルバイトの学生の子をひどくやってたみたいですよ。」

学生アルバイト相手にパワーハラスメント。

どうしたもんだか。

「その学生があれに書いて本社に提出したみたいです。荒木さんにいじめられているみたいな」

あれとは改善提案書だった。

提出の〆切は特に聞いてなかった。つまり提出されたものから順次対応していくと言うことなのか。

「社長が改善書読んで、荒木さんと面談したみたいです。」

「で、辞めろって?」

「よその店に異動を命じられたみたいですけど、荒木さん拒否して。」

「拒否って、異動なんか初めてじゃないんだし。」

「だから学生をいじめたって理由で異動させられるのが納得出来なかったんでしょ。」と小池チーフは説明してくれた。「荒木さんの感覚じゃあ、パワハラじゃなく、ちゃんとした指導だったみたいで。でも、社長には受け入れてもらえなくて。面談の次の日から店に来なくなって、今、廿日市の厨房はワヤワヤらしいですよ。あそこけっこう流行ってるし。」

「そりゃあ困った人じゃね」と僕は呟いた。

荒木さんはもちろんだが、改善書を書いた学生も、それを読んで面談した社長も。

こんな結末を望んだのだろうか。

「うちもけっこう提出されとるみたいで」と僕は言った。「副社長が言ってた。」

「なに書かれてるんですかね。」

「まあ悪口しかないじゃろ」と僕は言った。「チーフもワシもね。」

「こっちだって言いたい事ありますよね。」と小池チーフはちょっと憤慨したみたいだ。

「だったら言やあええんよ。言いたいことがありゃ書け言うて本社が言うんじゃけ。」

「でも言ったら言ったで働きにくくないですか。」

「そりゃあ働きにくいじゃろ。」

「なんでこんなバカなことさせるんですかね。」

「改善」と僕は言った。

「なんでみんなが揉めるようなことをわざわざやらせるんですかね」

「それは違うじゃろ。このせいでみんなが揉めるんじゃないよ。元々なにか揉め事があるけえ、アンケートに書かれるんで」と僕は小池チーフをなだめるように肩を軽く叩いた。

「こんな人が少ない時にわざわざ辞めさせるような事をせんでも」

確かにそうだ。

しかし人手はいつも足りないのだから、時期を選ぶこともできないのかもしれない。

「店長、出したん?」

僕は首を横に振った。

「出さんのん?」

「書くことがないよ」と僕は言った。「書くんなら、直接言えばいいって感じじゃない。一応、店長なんだから。立場的に誰かの文句を書くのっておかしいよね。」

大体、改善提案書なので誰かの悪口や誰かの悪事を通報しなさいっていうものでもないのかもしれない。だからと言って、なにか改善すべき点をあげることも出来ずにいた。

副社長が言っていた僕が書いたのかと思われた提案書はどんな内容だったのだろう。

だいたい誰が書いたものなんだろう。

「チーフは書いてないんよね」と一応確かめた。

「書くわけないじゃないですか。そんな暇ないですよ」

まあこうやってしゃべる時間があれば書けばいいのだろうが。

とにかく副社長が言ってた提案書を書いたのは小池チーフではない。

それなら誰が?

とにかく僕に「パワハラ」の疑いで面談が迫っているような気配はまだ感じられなかった。

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