第11話 福岡の美味しいパン屋さん
「店長も一緒に休憩しましょうよ」と関さんは言った。
13時を回り作業もほぼ終わりに近づいていた。みんなよりも一足先に作業が終わった僕は取引先に提出するパンの見積もりをパソコンで作ろうとした矢先だった。まあ一息つくにはいいタイミングかもしれない。
「西尾君、福岡に行ってきたんですよ。」と関さんは僕に言った。
福岡へ?
西尾君は前日が休みだった。
さっきまで出荷用のパンの検品をしていた西尾君が、紙袋を4つ作業場に持ってきた。
「昨日、休みをもらったんで、ちょっと新幹線で福岡まで行ってきました。」と西尾君。
「新しいパン屋さんがたくさんオープンしてて、雑誌とかで特集されてたんですよ。」
福岡?九州の福岡県福岡市。頭の中で彼の言葉を確認した。福岡は福岡だ。
4つの紙袋の中身は福岡のパン屋で買ってきたものみたいだ。
ハード系の食事パン、デニッシュ、食パン、ブリオッシュ、焼き菓子なんかもある。
けっこうな量だ。
関さんが呼んだのだろう。パン製造の小池チーフとパン販売の下田さんまでこの場にやって来た。下田さんは悪びれることもなく店を空席にしている。
「お客さん少ないんよ」と下田さんは僕に愚痴った。
山口さんは誰に言われたわけでもなく、まな板とパン切りナイフを用意した。
「切りますよ」と関さんがパンをそれぞれ切り分けた。
西尾君の福岡土産。
まだ仕事は終わってないと興ざめな言葉を言いかけて口をつぐんだ。
そんな事を考える自分が恥ずかしかった。もう今日の作業はほぼ終わっているのだ。
僕はデニッシュを手にとった。
軽い。
関さんがナイフでカットした断面もバターの折込が綺麗な層になっていた。
きっと美味しいんだろうなと思った。
「店長、食べないんですか?」と関さん。
「ん、いや、食べますよ。」
デニッシュを口に入れた。
思ったとおり美味しかった。
「こんなん作ってや」と下田さんが製造チーフの小池くんに言った。
小池くんも僕と同じように手に取るだけでなかなか口に入れようとはしなかった。
無関心な表情をしていたが、きっと僕と同じく関心がないわけではない。
無関心を装う理由は僕とは違うのかもしれないが。
女性陣は西尾くんの福岡土産に非常に興味を示し、西尾君から福岡で訪問したパン屋の説明を聞いていた。
「美味しいですね。うちもこんな感じのパンを作ればいいのに。」と関さんは僕に言った。
すると、「材料が違いすぎますよ」と小池チーフが小さな声で口を挟んだ。「うちじゃあムリですね。」
「このメロンパンいくら?」と僕は西尾君に尋ねた。
かなりしっかりしたクッキー生地が乗っかっている。
クッキー生地の下のパン生地も黄色味が強くとてもリッチな味わいだった。
西尾君はメモをめくり、「210円です」と答えた。
小池チーフはその値段に半ば呆れるような表情をしたが、僕はパンの値段ではなく西尾君が質問にちゃんと答えた事が驚きだった。
「けっこうするんじゃ」とパン販売担当の下田さん。彼女は正社員でもある。
「うちの店じゃあこんな値段のメロンパン売れんですよ」と小池チーフ。
うちのメロンパンは150円だ。
「でも店長、これくらいの値段のパンが売れる店にしないと。いい値段でも美味しいって納得してくれるパンを作ればお客さんは買いますよ。」と関さんは僕に言った。「私だったらこんな美味しいパン屋さんあったら通いますよ。高いって言っても210円ですよ。全然買えない値段じゃないですよ。」
西尾君が関さんの言葉に頷いていた。
「こんなきれいなパンが並んどったら素敵なパン屋になるよ。チーフ、作ってや」と下田さんは言った。
確かにどのパンも丁寧に作られていた。
作業工程のひとつひとつに注意と愛情が込められて作られていますとどのパンも訴えてきた。
手抜きは一切ない。
昨日焼き上げたパンにもかかわらずフランスパンのクープも触れば指が切れそうなほど鋭利で、しっかり焼き込まれたそのパンは甘い香ばしい香りをたたえていた。
福岡の美しいパン達は広島のパン屋の従業員に僕たちは愛されて生まれてきたんですとアピールした。あなた達は自分たちのパンを愛してますか?と問いかけているようだった。
それでも小池チーフは「うちとはやり方が違いますよ」と呟いた。
しかし彼の声は小さすぎて僕以外には聞こえてないみたいだった。
「本社にも朝の便でお土産を届けました」と西尾君が言った。「社長が福岡にいいパン屋がたくさんあるんだって言ってたんですよ。」
なにそれ?
いや、言葉のままだ。社長が何かの折に西尾君に福岡にはいいパン屋がたくさんあると話をした。それを聞いた西尾君が休みの日に自腹で福岡まで行って社長が話していたパン屋を巡った。そして自腹でパンを買って本社と僕らに振舞った。
そう言う事だ。
お前、他にやるべき事があるんじゃないのか?
そんな思いを浮かべたけど、それはきっと嫉妬心からだ。
僕は自分を恥じた。
しかし、この出し抜かれた感はなに?
落ち着け。そんなんじゃない。
女性陣は西尾君の話とお土産に夢中だ。
反面、否定的な言葉を小さな声で呟く男となぜか疎外感を感じ言葉を失くした男。
もうひと切れ食べた。
青菜とチーズが入ったフォカッチャだ。
うちの会社にも同じような商品はある。
こんなに美味しかったか?
「店長、伝票。」山口さんがFAXを3枚、フォカッチャの美味しさに驚く僕に渡した。
いつの間にか「試食会」から離れて、山口さんが作業に戻って残りの仕事を片付けてくれていた。
「ありがとうね」と僕は山口さんに言った。
伝票のおかげで、やっとこの辛い報告会から離れられた。
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