第2話 EDION蔦屋家電
広島駅の駐輪場は駅からちょっと離れたところにある。僕は自転車をとめ、広島駅の地下自由通路へと入り、北口へと急いだ。途中、この春に出店したばかりのうちのサンドイッチ専門店が入る商業施設の入り口の前を通る。
今日は野球がある日だ。
まだ昼前だから赤いユニフォーム姿はほとんど見えないけど、いないわけではない。
去年、広島カープは25年ぶりに優勝した。25年前言っても、まったく記憶には残ってない。
そもそも前回カープが優勝した1991年は僕が社会人になった年だ。
きっと野球に関心を示せるほどの気持ちの余裕はなかったのかもしれない。
と言うか、きっとその頃の広島の若者はカープにはさほど興味を示さなかったんだと思う。
時代は変わったのだ。
イタリアンレストランに程なく到着。
「遅いよ。なにやってんの?」とシェフは僕に怒った。「うちはランチ11時からだからね」
「あ、はい。申し訳ございません」
勢いに押されてつい謝ってしまった。
「いいよ。そこに置いといて」とシェフはフライパンでパスタを絡めながら、「おい、はよパンの準備せえや」とうちに電話をしてきた若いコックにキツイ口調で命じた。
「はよせえや」とシェフにもう一度急かされ、若いコックさんはテンパっていた。
若いコックはシェフの期待に応えようとすればする程、動きがぎこちなくてバタバタと狭い厨房を移動した。
うちに電話してきた高圧的な態度とはまるで違っていた。
いずれにしても誰も僕にありがとうとは言ってくれなかった。
よくある事だ。
てめえのとこなんか2度と納品に来るか!
と言う気もない。
今日はもう怒るような場面も怒られるような場面もないことを祈りながら、僕は2本しかフランスパンを注文してくれない、「人気の」イタリアンレストランの厨房を後にした。
待ち合わせまで、まだかなり時間があった。
うちの会社のサンドイッチ専門店もこの春に広島駅の商業施設に出店したばかりだったが、2017年、この春の出店の目玉と言えば広島駅前に出来たEDION蔦屋家電だった。
広島で特に馴染みのある家電大手のエディオンと全国で書籍販売やDVDなどのレンタルを手掛ける蔦屋(TUTAYA)書店が手を組んでオープンさせた「新しい」店だった。
広島駅前の再開発の流れのひとつだ。
待ち合わせの時間が来るのが不安と言うか、苦痛と言うか。
普通ならきっと楽しい時間になるはずが、普通じゃないから待ち合わせの場所に来た今になっても、都合が悪くなり予定が変更にならないかななどと考えたりもした。
蔦屋家電の建物に入った。
売り場は1階から3階まで。各フロアの照明は控えめな明るさだった。
家電と書籍はもちろんだが、食料品や化粧品、自転車まで揃う。かなり豊富な品揃えで、なおかつそれらはデザイン性に優れたものが多い。
そして家電や食品などのいろんな商材に関連した書籍がその近くに陳列されている。食料品の近くでは料理のレシピ本って感じである。家電+本屋と思っていた僕は正面出入り口を入ってすぐにレストランまでは予測していたが、そのすぐ横には食料品売り場とデリカテッセンが配置されていることに少し驚いた。
ここはマツダZOOMスタジアムからも近い。
今日は巨人戦の開催日ということもあって、弁当や総菜がかなりの量が積みあがられていた。
店の雰囲気からすると意外にもそれらは手ごろな値段だった。
地下にあるうちのサンドイッチ専門店のことが少し心配になった。
ここの商品はどれもが初々しい輝きを放っていた。
どのコーナーに足を踏み入れても、それが例えありふれた定番商品であったとしても新鮮さを感じさせ気持ちを高揚させた。
それが今までにない店づくりを目指した商品構成や商品の陳列のせいなのかもしれない。
洗練された「都会的」な店。
敷居が高いとは言わないが、ちょっと「きどってみましょう」って感じかもしれない。
少し背筋を伸ばして歩かないといけない店だ。従業員もまた美しい容姿の人間が多かった。
僕の前をオフホワイトの細身のパンツを履いた30代くらいの男女が楽しそうに会話をしながらゆっくりと歩いている。
色白の女性は右側を歩く背の高い男性の顔を見上げながら微笑んでいた。
同棲中ではなく今から結婚って感じの二人。
ゆっくり歩く二人を僕は苦も無く追い抜いた。
艶やかな光沢のある手すりのエスカレーターに乗り、上の階へ。
文房具売り場で僕はボールペンを手に取って眺めた。
デザインや握った感触は良かったが、1本1000円以上するボールペンなんか僕にはちょっと無理だった。
でも、きっとこのボールペンを使えばいい気持ちになるんだろう。
そう思いながらもボールペンを元の場所に戻した。
それからは何も手に取るわけでもなくただ店の中をうろつき続けた。
椅子やソファは店の中の至る所に置いてあった。
ゆっくりお買い物をって感じだ。
でも座ることはなかった。
待ち合わせの時間が近づくにつれて、こんな事は生まれて初めてだったが胃が痛くなった。
胃の中を冷たい感覚が襲う。
体調悪くなったからと断りを入れて、予定を変更できないものかなどと本気で考えたりもした。
この店の雰囲気が余計に僕を緊張させるのかもしれない。
でも、ここを出ても行くとこもない。
イタリアンレストランの配達さえなければ、もう少しゆっくりここに来たのかもしれないのに。
あんな店、潰れてしまえとそっと念じた。
今日は買い物に来たわけではない。
それに今は待ち合わせまでの時間つぶしだから、何も買わないのも当たり前なのかもしれない。
しかし、家電にも自転車にも興味があるし、どちらかと言えば本好き。
お金を出してもいいくらい読みたかった本もここには並んでいた。
食品に関しても仕事柄気になるものはいくらでもあった。
もちろん、今はそんな荷物になるような買い物は出来るはずもないのだが、どれも買いたいと言う気持ちにはなれなかった。
なんか僕には売ってもらえないような気がしたのだ。
きっと勢いに押されて悪くもないのに謝るような男にここの商品は似合わない。
やはり、あのレストランは潰れてしまえばいい。
もしくはあのコックたちに何か災いが起こればいいのに。
僕はそっと念じる。
念じることくらいしか結局はできない。
そんな男。
そして、ここは僕の居場所ではない。
敷居が高いとは言わないがこの店のターゲットとしている客は僕ではない。
つまり僕は「きどれない」し「スマート」でもない。
30代の結婚を間近に控えた白い恋人でもないのだ。
本も家電も食べることも好きだけど、ここに僕の居場所はない。
素敵な雰囲気の店だ。
「新しい」なとも感じる。
すごくそれを感じる。それゆえか僕にとっては居心地が悪い。
落ち着かない。
はやくここから逃げ出したい。
従業員の丁寧なおじぎも心地よいトーンのいらっしゃいませも全てが僕を拒絶しているように感じる。
もちろん従業員にそんな悪意はない。
と言うか仕事だからすれ違うお客さんには会釈もすればいらっしゃいませと声かけもする。でも、この人は客ではないと見抜くであろう。見抜けないような間抜けな販売員ではない。この店は商品も従業員もすべてが「スマート」なのだ。
いたたまれなくなり、僕は店の外へ出た。
店の外に出たからと言って、そこが心地よい空気で満たされているわけもなかった。
きっと場所のせいなどではなく、僕自身に問題があるからなんだとわかっている。
僕は蔦屋家電の前でただ時間が来るのを待った。
胃痛は収まる気配もない。
広島駅の周辺はどんどん新しくなっていく。
より洗練され「都会」的とよばれるものになっていく。「ちょっときどった」「スマート」な場所になっていく。それは精神的な豊かさをもたらすのかもしれないし、少なくとも経済的な効果をもたらすのかもしれない。
そんな場所で僕は彼女が来るのを待っている。
僕には不似合いな場所で、僕は約束の時間が来るのを待っている。
あのイタリアンレストランさえ注文を忘れなかったら、僕は待ち合わせの時間まで少し違う気持ちで過ごせたのかもしれない。
本社があのイタリアンレストランとの取引話を言ってきたのはちょうど去年の今頃だった。
「人気の」イタリアンレストランがうちのパンを欲しがってると本社の人間は喜んでいた。
この日ごとに新しくなっていく広島駅周辺でそのレストランとの取引は大きな商売になると目論んでいたのだろうか。
648円の売り上げ。
それを急に持って来いと言われてノコノコと出かけ、怒られる必要もないのに頭を下げる。
そして念じる。
潰れてしまえと。
なにをやってんだろう。
こんな僕は広島のあるパン屋に勤めている。
パン屋の名前は「しあわせパン工房 こころ」
そして僕は「しあわせパン工房こころ あさひ町店」の店長だ。
電話ひとつでフランスパン2本を抱えて走り出す男。
そして理不尽に怒られる男である。
しあわせパン工房に勤めているのに僕はいつも不安だった。
彼女との待ち合わせまでまだ30分近くあった。
早く着いたことを連絡もしないで、ただ時間まで待ち続けたことを彼女が知るときっと僕を怒るだろうなと思った。
彼女は少し怒りっぽいひとなのだ。
そんな彼女を僕は待っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます