しあわせパン工房こころ ☆意外と青空☆

syunzi & kei

第1話 神様には悪いけど

「申し訳ございません」

社会人になって20有余年。

謝ると言う行為に慣れきってしまったのかもしれないけれど、謝ることはそんなにいい気分がするものではない。

職場でトラブルがあり部下を注意した日は、なぜかお客さんからクレームが来る確率が高い。

トラブルそのものがクレームの原因というわけでもないのだが、あるトラブルにより僕が職場の誰かを注意したり、それも高圧的に叱責した時などきまって、僕がその誰かを攻撃したよりも遥かに強い威力でお客さんからのお怒りを一身に受ける事になる。

叱った相手からの仕返しか?と感じるくらい。

特に自分でも必要以上に攻撃してしまったかなと感じた日は、お客さんからの理不尽なクレームが多かった。

神様がバランスを保とうとしているのか。

そんなことを感じるから、あまり注意もしたくなかった。

でも今朝の作業中はどうしても我慢できなかった。

早朝の出荷作業。

僕は高齢のパートさんに少しキツく当たってしまった。

彼女が一度外したゴム製の盛り付け用の手袋をはめ直して、また使おうとしていたからだ。手袋は薄手で使い捨てのものだ。もちろん一度外したものは内側に手の汗などが付着しているので食品への汚染防止のため廃棄処分が決まりである。

うっかり使ってしまうのではなく、彼女はもったいないからと言う理由で外した使い捨て手袋をもう一度はめ直しては使用した。今までも何度注意しても、もったいじゃないですかとその決まりを守ってはくれなかった。

「いい加減にせんと、辞めてもらいますよ」と僕は彼女に注意した。

「そんな、辞めさすなんか言わんといてください」と高齢のパートさんは困った顔をした。

「辞めとうないんなら、ちゃんと決まりを守りんさいや。」僕は少し声を荒げた。

辞めさせますよと言ったものの、こんな人手不足の中辞めさせることなど出来やしない。

注意することが昔よりも少なくなったのはそんな状況も原因かもしれない。

今日はこのパートタイマーのおばあちゃんと2人きりで仕事だった。

そして僕は午前中には仕事を終わらせて帰る予定だった。

パンの焼き上げがかなり遅れていた。

配送の便はいつも通りのスケジュールで運行中。

朝から僕も少し焦っていた。

黙々と働き続けた。

さすがにパートさんも怒られて落ち込んだのか、この日は帰るまでおとなしかった。

あと少しで仕事が片付くという時に電話があった。

「あんたんとこの食パン。すぐにカビるんじゃけど、こりゃあどうなっとるん?」

そんな電話だった。

電話をかけて来たのは、70歳くらいのおばあちゃんだった。

声の印象だと、うちのパートさんと同年代だろう。

商品に添付している原材料シールに記載しているうちの番号を見て、電話をかけて来たらしい。

原材料が沢山記載してあるので、シールの一番下部に載っているうちの会社名と電話番号などが小さくて見えにくい。おばあちゃんはここに電話が繋がる前に番号を間違って関係のないとこに電話したみたいで、その事もあって、かなりお怒りモードだった。

申し訳ございませんとまずはお詫びの気持ちを表した後、その食パンの種類とどこの店舗でいつ購入されたものかを確認する。

お客さんが購入したのはうちが食パンや菓子パンを毎日納品している広島市中区八丁堀のデパートだった。

購入したのは先週の月曜日。

ちなみに今日も月曜日。

うちの食パンの消費期限は焼き上げ日をふくめて3日。つまり先週の水曜日には消費期限が切れていた事になる。

カビを確認したのは今朝の事らしい。

一昨日食べた時にはカビはまだ生えてなかったとおばあちゃんは記憶していた。

ゴールデンウィーク直前。蒸し暑い日々が続いていた。

カビも映えるじゃろ。

と一言で終わらせる事など立場上出来るはずもなく。

消費期限やこの季節の保存方法などを説明し、8枚切りの食パンを1日1枚ずつ食べると言うおばあちゃんに食パンの冷凍保存を進めた。

僕の丁寧な説明の後も、「あんたんとこはカビんパンは作れんのんね。」とおばあちゃんは電話でしつこく絡んで来た。

カビが生えないパンって乾パンでも買ってかじっとけや。

と心の中で悪態をつきつつも、「検討してみます」と電話を切らせてもらった。

電話を切るとすぐに溜め息が出た。

まあ、この程度のクレームで助かった。

仕事を終えて帰ろうとするうちのおばあちゃんには優しい声で「お疲れ様でした」と言うことが出来た。

神様っているのかな?

やはり注意すべきではなかったのかもなんて思うけど、注意しなけりゃもっと大きなクレームが発生するかもしれない。

神様には悪いけど、つまりは気のせいなのだ。

パートのおばあちゃんも何事もなかったかのように元気よく帰っていった。

まだまだ2、3時間は余裕で働けそうなくらい元気だった。

朝にはパンの焼き上げか遅れているからイラついていたけど、終わってみれば11時を回ったばかりくらいだった。当初の予定よりも1時間以上も早く仕事は終わった。

仕事が終われば広島駅に行かなくてはいけなかった。

約束の時間は13時だった。

その前に配達を1件。

フランスパンを2本。

648円。

支払いは月末締めで翌月払い。

「注文流すん忘れとったんよ。パンがいるけえ、持ってきて」と一方的に言われて電話を切られた。

「はい」とも「いいえ」とも言わせてもらえなかった。

でも配達先が広島駅の近くだから許そう。

まあ、僕に取引先を許す許さないの権限はないけれど。

広島駅の北口。ひかり町にあるイタリアンレストラン。

今日はもうここには戻らない。

出勤してるパン製造のスタッフに終業後の戸締りを頼み、フランスパン2本を包んだ紙袋を突っ込んだリュックを背負い、マウンテンバイクに乗って広島駅へと急いだ。


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