第15話 コーンパン
社長と下田さんの面談からしばらく経った。
あの日、副社長から電話で伝えられたのは西尾君をあさひ町店の販売担当にするということ。しばらく彼をよその店舗に接客の研修に行かせるということだった。
「いいよね」と副社長は僕に言った。
拒否できる可能性はほぼゼロの「いいよね」と言うセリフだった。
社長から、この件に関して僕に直接何かを言ってくることはなかった。
いずれにしても西尾君が研修に行ってる間は僕と関さんと山口さんの3人で出荷作業を回さなければならない。
「頑張りましょうね」と関さんは言った。
いつまで頑張ればいいのか。西尾君は研修から戻ってきても、ウラではなくオモテに立つのだ。そして下田さんがこちらに下がるという話もない。誰かが休みの時には西尾君にウラに下がってもらえばいいのかもしれない。本社もそのつもりかもしれなかった。
でも僕はそんなことは嫌だった。
彼の力など借りたくない。
関さんと山口さんは西尾君が不在であっても今まで通りのペースで休みを取らせると決めた。
「無理しないでくださいね」と関さんは言った。
僕は笑った。
正直、西尾君がここから離れてくれることに少し安心したのかもしれない。
それは彼がらみのクレームが減るからなんて意味ではなく。
そしてある日の朝、西尾君が戻ってきた。
彼が出勤したのは朝の6時半だった。
「すいません。昨日の夜に急に社長からあさひ町に戻れって連絡があって」と西尾君は僕に連絡をしなかった事を詫びた。「遅い時間だったんで店長、もう休まれてると思って」
彼が今日から戻ってくるなどどこからも聞いてなかった。
気にしないでいいと僕は笑おうとしたけど、実際久しぶりに西尾君を前にすると顔がひきつった。
「ひとりですか?」
「今日は山口さん休みじゃけえ」
西尾君が他店に研修に行っていたのは結局3週間だった。
その間、彼から何の連絡もなく。僕からも彼に連絡したことはなかった。
朝イチの配送に行っていた都倉さんが戻ってきた。
「おお、西尾君じゃ。」都倉さんは西尾君の背中を叩いた。「なんか、えろうなったんじゃろ」
偉くなった?いや、ただ担当がウラからオモテに、つまり出荷作業の担当からパン販売の担当者に変わっただけだ。
僕は作業を続けた。西尾君が今から立つことになる売り場のためのパンを籠に盛り付けなければならない。
すると、「ああ、やっぱり違いますね」と西尾君が僕が籠に持ったコーンパンを見て言った。
何が違うんだ?と思いながらもパンを店に運ぼうとした。開店まであと15分もない。
「店長、そのコーンパンを出すのはやめましょう」と西尾君は言った。
「出すのをやめる?」
「そんなコーンパン出すのはお客さんに失礼ですよ。」と西尾君は言った。「本店ではそんなコーンパンは店に出さないですよ」
「本店?」
「そんなのはこころのコーンパンじゃないです。」
彼に言われて、僕は売り場へ通じる出入り口の前でコーンパンをこんもりと盛り付けた籠を手に立ちすくんでいた。出来の悪いパンを店に出すなと西尾君は言っているのだ。そして、僕もこのコーンパンの出来が悪いのはわかっていた。わかっているのに何故、僕は籠に盛り付けて店に並べようとしているのだ。
「おはようございます」とそこに下田さんが出勤してきた。「ごめんなさい。寝坊です」
僕も西尾君も黙っていた。
強面の都倉さんが下田さんに笑顔で「おはよう」と言ってくれた。
「今日から復帰かいね」と下田さんは西尾君に言うと、突っ立ったままの僕の手からコーンパンの籠を取り、店へ出そうとした。
「あ、それ出さないで」と西尾君は下田さんを呼び止めた。
「なんで?」と下田さんは西尾君の声に驚き振り返った。
「出来が悪いから店に出しちゃあダメなんよ」と僕は下田さんに言った。下田さんの手から籠をとった。「チーフに見せるわ。これダメって。」
「僕がチーフに言います」と西尾君は言って、僕の手から籠をとった。
わかったと僕は頷いた。
都倉さんがちょっと怖い顔をして僕たち三人のやり取りを見ていた。
都倉さんの配達のための準備もしなくてはならない。
僕は忙しいのだ。パンひとつひとつの出来不出来など構ってられないくらいに。
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