第19話 やらなければならないこと

下田さんが僕の代わりウラに下がり仕分け作業に加わった。「たまにはエエね」と下田さんは言った。西尾君に僕の代わりを務めさせなかったのは、その直前の僕と西尾君との小競り合いのせいなんだろう。社長自らが店に顔をのぞかせ、「店長と話があるから」と下田さんにウラに下がるよう命じた。

僕は社長に連行されるようにエレベーターに乗り3階の休憩室へ向かった。

あの日、社長は下田さんと面談をし、その結果、今のあさひ町店の体制になった。

「昨日はすごかったみたいじゃね」と社長は椅子に座りながら話を始めた。「300個ってスゴイじゃない。」

「360個です。」と僕は社長の数を訂正した。

社長はわざと数を少なく言った。そんな数字を間違う人ではない。何かを試しているような気もしたが、それが取り越し苦労であることを祈った。

「小池チーフが頑張ってくれて」と僕は社長に伝えた。「やる時はやる人です。」

「そうじゃね。」社長は頷いた。「今日はもう売り切ったみたいじゃね。」

「今日は100個です。」

「追加は?」

「今日は明日の別注の準備があるので無理でした。」

「別注の仕込みがあるのにチーフ休んどるん?」

「注文が入ったのが今朝だったんで。仕方ないですよね。」

「それじゃあしょうがないか。」社長は口もとだけを少し動かして笑った。「まあ、460個も売れば最高じゃわ。」

「目標は2日間で200個だったんで。」

「目標が低過ぎたんか?」

「赤ヘルパンの力を見くびってました」と僕は頭を下げた。

社長は僕の言葉に満面の笑みを浮かべた。

赤ヘルパンを考案したのは社長だった。

「クライマックスと日本シリーズもあるよの」と社長。

「むちゃくちゃ売れるでしょうね」と僕は微笑んだ。もちろん作り笑いだ。

もともと僕も演技など出来るタイプではないし、それを見逃す社長でもない。

きっと緊張で僕の体からは嫌な匂いがしているはずだ。

いつ吠えられてもおかしくない。

「ところで、関さんはどうよ?」と社長は僕に尋ねた。

「どうって・・・」

僕は西尾君との小競り合いについて何か問いただされるのだろうと思っていた。だからそれに対する答えはいくつかは準備していたが、関さんについての質問されることなど予想外で、もちろんそれ以上に今は関さんのことを考えたくなくて、「どう?」って言うような抽象的な質問をされても何も答えられなかった。

答えなかったから減点だなと思ったが、今さら減点も加点も関係ないじゃないかとも思った。遅かれ早かれ僕は西尾君に今のポジションを奪われる運命なのだ。

今日がその宣告の日なのかもしれない。

「関さん、よう頑張ってくれとるよの」と社長は関さんの話を続けた。

「そうですね。よく頑張ってくれてます」と僕は社長の言葉に追従した。

関さんの話などしたくなかった。

喉が渇いた。

「いや、実は五日市店の社員の子が辞めることになってね」と社長は言った。

「はあ・・・」

「それで本店の白井を五日市に異動させようかと思うんよ」

本店の白井と言う女の子のことは少しは知っていた。下田さんが本店からこっちに異動になった頃、下田さんの代わりのように入社した女の子だ。

「で、白井の代わりなんじゃけど」

「はい」

「関さんに本店来てもらおうかと思うとるんよ」と社長は言った。

「関さんを、ですか?」

「うん。いいと思わんか?」

「いいって言われましても・・・」

「関さんは人当たりもいいし、まあここでも販売に出てくれたりしとるし。本社でも評判はいいんよ。あさひ町から本店なら自転車で15分くらいじゃろ。」

社長はニコニコ笑いながら言ったが、その笑顔の下で何を考えてるのか僕にはまだよくわからなかった。

「でも、関さんがいないとうちが回りませんよ」と僕は言った。

「関さんの代わりは西尾で大丈夫じゃないか」と社長は言った。

「西尾君ですか?」

「ああ。もう店の勉強もじゅうぶん出来たじゃろ。」

「店の勉強?」

「あさひ町店におる限りは出荷作業だけできてもしょうがない。店もあるんじゃけえ販売できるようになっとかんと」と社長は言った。「店長が若手をもっと登用せえ言うて提案書に書いとったから、西尾を勉強させたんじゃが。」

社長は違うか?とでも言いたそうな顔つきをした。

確かにそんなことを書いたはずだ。

でも今の今まで僕の提案書については一度たりとも触れられたこともなく、どちらかと言えば提出したものの完全に無視という態度だった。何を今さら。

そしてそれは勉強を終えてオモテもウラも出来るようになった西尾君が僕の代わりに店長になると言うことなのか。

お前が若手を登用しろと言ったんだろ。お前の望みを叶えてやるんだ。ありがたく思え。とでも言いたいのか。

「関さんの件はムリです」と僕は言った。「今でさえシフトも作業も回すのが厳しいのに、これから忙しいシーズンになるのに関さんがいなくなるって言うのは考えられません。」

「そんなに必要か?」

「うちの中心ですから」と僕は答えた。

「中心は店長じゃろ。ずっと休んでないんじゃろ。タイムカードは通してないみたいじゃけど、下田から話は聞いとる」

「今は休めないで済んでますけど、関さんにいなくなられると」と僕は尚も社長に反論した。「僕は死ぬかもしれません」

「死ぬ?」と社長は僕の言葉に少し驚いたけど、呆れたように笑った。「死ぬことはないじゃろ。」

「いえ、それくらいムリなんですよ」

「珍しいね」

「何がですか?」

「いや、店長がそこまで拒否するのは」と社長は言った。

逆らうのか?自分の身がどうなってもいいんだな?と脅す気なのか。

「社長、ほんとうにムリだと思います。出来ることを出来ないと言ってるわけではないんです。本当に出来ないから出来ないと言ってるだけなんです」と僕は言った。

昨日、小池君が僕に言っていたのと同じである。

頑張れと言われても。工夫しろと言われても。

出来ないものは出来ないのだ。

「申し訳ございません」と僕は社長に頭を下げた。

社長は困った顔をしたが「まあ、店長がそこまで言うなら」と僕の考えを意外とあっさり容認してくれた。

「本当に申し訳ございません」ともう一度、一度目よりも深く頭を下げた。

「で、話は変わるが、あさひ町店は懇親会とかやっとるんか?」と社長は即座に話を切り替えた。

「懇親会なんかはやってないですね」

「まあ店長、酒を飲まんけえの」と社長は笑った。「でも、まあ、たまには懇親会でもして、みんなの話を聞いてみんさい。」

「そうですね。それは大切だと思います。」

「店長はみんなから相談とかもちかけられたりするんかね?」

その問いに僕は首を傾げた。

「いえ、特には」思い当たるふしはなかった.

「大森君が辞めてから、なんか店長は印象が変わったよの」と社長は言った。

大森君と言うのは西尾君の前任者の名前だった。

「そうですかね」と僕は小さな声しか出なかった。

喉が本当に乾いていた。

呑み込もうとする唾も何もなかった。

「西尾が入る前は結構積極的にみんなをガンガン引っ張っとった印象があったのに。」

「年齢的なもんでしょうか」と僕は言った。「もう若くないですから。」

もう若くないから、前途有望な若手に道を譲れと。

「いやいや、店長はまだまだ若いよ」と社長は言った。

まだまだ若いが、誉め言葉には聞こえなかった。

「ところで西尾と関さんはどうなんや」と社長は言った。

「え?」

社長はそんな話を盛り込んできた。

サラリ過ぎるせいか、その問いに対する答えは何も浮かんでこなかった。

「どうなんやと言われても」

「まあ、よう本人らから話を聞いてみい」と社長は言った。

「あの、二人になにか問題でもあるんですか?」と僕は思いきって社長に確かめてみた。

なんなんだ。昨日の小池君といい、今日の社長といい。

「まあ、それを本人らに確認してみてくれんか」と社長は言った。

顔はまったく笑ってなどいなかった。

それは社長から僕への命令だった。

関さんの本店への異動は断固として拒否できた。

でも、この件に関しては社長は拒否を許さないという態度だった。

出来ることを出来ないとは言っていない。

出来ないことだから出来ないと言ってるんだ。

そしてこれは「出来ること」であり、僕は「やらなければならないこと」として社長からその実行を命じられた。

小池君に頼まれてたことを思い出し、社長に確認をとった。

「今から忙しいシーズンなんじゃけ、そりゃ朝一回の焼き上げでかまわんよね。西尾に工場全体の状況をよう考えてからやれって店長から言うときんさい」と社長は小池君の申し入れをすんなり承諾した。「さっきみたいに西尾と揉めるようなら、これは社長命令じゃって言えばいいし」

社長は立ち上がった。

僕の肩を軽く二度叩いた。

「よろしく」と社長は言った。

社長と僕の話はそこで終わった。

社長は休憩室に僕を残して、ひとりエレベーターに乗って下っていった。

僕は西尾君と関さんがどんな関係なのかを調べる任務を社長直々に与えられた。


1階に戻った。

個室の中は2人で満室だった。

店もヒマなんでこのまま裏に入ると下田さんは言ってきた。ただ今日に限ってはその方が助かった。しかし、このまま早めに帰りますというのは無理みたいだった。まだまだ仕事は終わりそうにない。ムードメーカーの関さんさえも、やはりあんなケンカを見せられた後だ。なかなかテンションが上がる気配もなかった。

オモテにいる西尾君もとても静かだった。

たまに裏に下がって、店用の食パン類をとりに来るが、反抗的な感じもなく、最終的には「さきほどは申し訳ございませんでした」と頭を下げてきた。

「いや、こちらこそ」と僕も軽く頭を下げた。

お互い目は合わせなかったが。

それからしばらくして、今個室の中で作業をしている商品につける納品伝票を渡すために個室のドアを開けた。

関さんと下田さんは何か会話をしていたみたいだったが、ドアを開けた途端に口をつぐんだ。

「これ、ロールの伝票」と下田さんに渡した。

受け取ると同時に「仲直りしたん?」下田さんが僕に確認してきた。

仲直りと言えるかどうかはわからないが、西尾君から謝罪されて受け入れた事はふたりに伝えた。

「仲直りしたんならしたって、さっさと言ってや。」下田さんが言った。「関さんが暗いんじゃけえ。店長が西尾君怒鳴りつけると、関さんしょぼーんってなるんじゃけ。」

「しょぼーんってことはないけど」と関さんも口を開いた。「嫌じゃないですか。ケンカは。揉めてるの見るの好きじゃないんです。」

「そんなん好きな人はおらんじゃろ。ねぇ?」と下田さんは僕に同意を求めた。

笑いんさいや。下田さんはそう伝えたいみたいだ。僕に笑いかけた。

「僕も、、ケンカはしたくない」と答えた。笑うことは出来なかったけど。

それでも職場の雰囲気はまったく違うものにはなった。

さっきまでの殺伐さはなくなった。

すると突然、「関さん、昨日娘さんと一緒に行列に並んだらしいよ。」と下田さんが教えてくれた。

関さんは昨日の日曜日は高校生になる娘さんと一緒にカープ優勝の限定グッズを買うために広島駅近くに行っていたらしい。かなりの行列で昼過ぎまでかかったみたいだ。その後は家に帰り、疲れて昼寝して一日が終わってしまったと嘆いた。

関さんの昨日はそんな一日だった。

「娘がカープ女子で」と関さんは笑った。

とてもいい笑顔だった。

「高校生ならカープ女子言うても許されるよね」と下田さん。「うちはにわかカープ女子じゃけどね」

「にわかは正しいけど、下田さんは女子じゃないよね」と僕も笑った。

「まあ笑えばええじゃん」と下田さんも笑った。

この職場に必要なのは笑顔だ。

そんな当たり前のことを今更ながら実感した。

関さんの笑顔は素敵だった。

やはり彼女が僕を元気にさせてくれている。

関さんだけは守ってみせる。

守らなければ僕が崩れてしまう。

不安がすべて解消されたわけではないのかもしれない。

でも、今はこれ以上考えたくなかった。

悩み続けるには今日の僕は疲れすぎていた。

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