第17話 赤ヘルパン

強がりや嫌味で言ってるつもりはないけど、西尾君が仕分けの作業から外れて良かったかもしれない。

西尾君がオモテの担当になってから、病院やホテルなどの納品先からのクレームは一件も発生してなかった。

それはミスをする西尾君がいなくなったからと言うわけではない。西尾君がいなくなったことで残されたメンバーの仕事の負担は否応なしに増えたのだが、それ以上にみんなの集中力が増した結果だと思う。

「人手もないし、忙しいんだからミスも増えるよ」

そんな考えを許さない。

残された3人はそんな思いを共有していたのかもしれない。

そして、それは意地というものかもしれない。

もちろんそれは僕のひとりの思い込みかもしれないけど。

とにかく僕は関さんと一緒に働けることに感謝していた。

どんなに苦しくてもここで働いてる限りは関さんに会えるし、話も出来る。

何よりも関さんから「店長のおかげですよ」と言われるのが嬉しくて、そのためになら何でも出来るような気がした。

西尾君がウラから離れたことで関さんと西尾君が親しくしゃべっている姿を見ることが少なくなった。関さんは誰とでもよくしゃべる人だ。僕以外とはしゃべるななどと言える関係ではないけれど、彼女の優しさを独占したいと思うようになっていた。

会社で言えば済むような話もわざわざLINEを使って連絡することが増えた。西尾君がウラから外れ、関さんにも正社員が担当するような業務の負担をお願いするようにもなったので、それだけ連絡を密にとりあう必要もあった。でも、そんな理由は連絡をとる口実に過ぎないこともわかっていた。

僕にも家庭はある。

妻も子もいる。

「全然休みないけど、あんたの会社どうなっとるん?」と妻から叱責めいた口調で尋ねられたこともあった。「休んでない割にはあんた倒れんけど、ほんまはこっそり休んどるんじゃないんね」

確かに休みを全くとっていない割には元気なのかもしれない。

家よりもこんな会社の方がまだ心地よく感じられる。

家よりは会社の方が自分が認められていると感じられる。

僕が存在する意味が会社に行けばまだ見つけることができるのではないかという希望があるのだ。

そんな風に思えるのも関さんのおかげなんだと思った。


秋が近づいていた。

西尾君が販売の担当になってから3か月が経とうとしていた。

日が昇るのが遅くなり、早朝の出勤もこの時期はやはりきつくなってくる。秋から冬にかけてパン屋も繁忙期に入る。秋は特にPTAがらみのバザーなどに商品を納品するので土日は忙しくなる。

9月のある日曜日。

市内の小学校のバザーが2件重なっている日だった

その前日には広島カープが25年ぶりのリーグ優勝を決めていた。

普通の早朝の出勤時間から作業していたのでは納品に間に合わないから、僕ら仕分けのメンバーも夜中からの出勤になる。そしてやはりいつもよりも早く出勤するパン製造のメンバーが焼き上げるパンを倉庫用の大きな扇風機で風をあてて冷まし、ひとつひとつ袋に入れていく。

日曜日。出勤は僕と山口さんだった。

山口さんは早く動くこともなければいつもよりも遅く動くこともない。終始同じペースの人である。忙しい日も暇な日も同じなのだ。それはそれで作業時間の計算が簡単なので便利だった。

店出しをしなくて良くなったおかげで早朝の作業には少し余裕が出来た。

今日の店出しは小池チーフの担当だった。

「日曜日でバザーもあるのに休みますか?」と小池チーフは愚痴った。「あり得んでしょ」

「学生のバイトも来るし、売り上げもそんなにないからね」と僕はバザー用の商品を整えながら、店出しをする小池君としゃべっていた。

販売の担当に変わってからというもの西尾君は日曜日を必ず休むようになった。下田さんの休みは土曜日である。お店は学生のアルバイトが入ってくれるので社員は意外と週末に休みをとりやすかった。

「でもカープ優勝しちゃったんですよ」と小池チーフはぼやいた。

カープ優勝の翌日から、野球の帽子の形を模した菓子パンを販売することになっていた。

「もともとバザーで早出の予定だったからよかったじゃん」と僕は言った。

版権の問題をクリアしてるわけはないのだろうが、アルファベットの「C」にくりぬかれたクッキーがくっついた帽子型のパンは「赤ヘルパン」というそのまんまの名前だった。

小池君はかなり大きめの銀色のトレーに「赤ヘルパン」を並べた。

「トレーにパンを盛り付けてから店まで運ぶより、店にトレーを置いてからパンを後から運んで盛り付ける方が楽じゃないか?」

小池君は一瞬固まったが、「もう並べたんでいいですよ」と小さな声でぼやいた。

「こんなパン、店に出してもいいんですかね。西尾基準じゃあ、こんなセンスのないパンは店出し禁止だと思いますよ」と小池君は「赤ヘルパン」が山盛りにされた銀色のトレーを店までぎこちない足取りで運んで行った。

僕も西尾君が日曜日に休むことを快く思っているわけではなかった。

店の売り上げを伸ばしたいと言うのなら、まず日曜日の売上を伸ばすべきだろと思った。

それに今日は全店「カープ優勝記念」の売り出しだ。

実際、全店どころか、広島市内どこもかしこもカープ優勝のための売り出しだ。

今日を売らずしていつ売ると言うのかというレベル。

ただバザーもあって忙しいのに。小池君がぼやくのもよく理解できた。

しかしうちの店に限れば、数字的には日曜日よりも土曜日の方が売上高は高かった。

日曜日は平日の1.5倍の売り上げはあるが、土曜日に比べたら2割は下がる。忙しい土曜日に休む下田さんの方が分が悪くなる。

下田さんの土曜日は「彼氏が土曜日休みだから」と言う理由の希望休だった。なので西尾君が日曜日に休むことは下田さんとしても認めざるを得なかった。

元々は下田さんに任せたままだったが、今は店のことは二人に任せっきりになっていた。僕が何ら口をはさむことはない。店舗の売り上げの管理は西尾君が担当し、病院やレストランなどの外商関係の売り上げは僕が管理する。

なので「あさひ町店の店長ってのは西尾君じゃないか」と言うことにもなる。

その説に危機感がないわけでもなかった。

つい2週間ほど前、地元テレビの夕方の情報番組でこの「しあわせパン工房こころ・あさひ町店」が紹介された。

広島県内のパン屋を日替わりで紹介するコーナーだった。

焼き立てパンを出す広島の老舗パン屋さんの直営工場みたいな紹介だった。

番組に出たのは西尾君だった。

画面のテロップでは彼が店舗責任者という肩書になっていた。

下田さんの立場は?

しかし意外に下田さんはその件に関しては特に抗議の声を上げることはなかった。

なのでと言うか、僕もその件に関しては一言も口に出すことはなかった。

元々僕自身、店と外商という二つの売り上げの管理を一人で受け持つと言うのは困難だったのかもしれない。

それにここでは管理者と言うよりも、むしろイチ作業員である。

それもメインの作業員化している。

管理もくそもない。

関さんは「店長はなんでも自分で抱え込み過ぎるんですよ」と言っていた。

「もっとみんなに仕事を振り分けないと。店長にもムリが来るし、下の子も伸びないですよ」と関さんから何度か言われた。

そう言われて「そうですね」と僕は必ず答えた。

でも決してそのスタンスを変えることはなかった。

自分でもなぜ作業員として働き続けるのか不思議だった。

決して役職を外して欲しいなどとは思っていない。

役職を持っているのにイチ作業員として誰かに強制されたわけでもなく働き続ける。

自分からやってることなのに、忙しさや薄給を愚痴る。

だったらそんな事しなければいいのに、でもそうしか出来ない。

役職をもらっているからそんな風に好き勝手が出来るのかもしれない。

ただわがままにやりたいことをしているに過ぎないのかもしれない。

本社が僕に望んでいることはそんな作業員としての働きではないから、僕がどんなに頑張っているつもりでも評価はされない。本社は僕に管理職としてではなく作業員としての給料を払っているのだ。

だから国産の3ナンバーに乗ることなど出来るはずもない。

そして僕がイチ作業員として頑張っている間に、「伸びないんですよ」と言われた西尾君はしっかり成長を遂げた。

国産の3ナンバーに乗りたいか?と聞かれたら僕は「普通車でいいです」と答えると思う。

僕は今は軽自動車に乗っている。

国産の3ナンバーに乗りたいか?と西尾君が聞かれた、「普通車でいいです」とは答えないだろう。彼はきっと欧州系の3ナンバーに乗りたいと答えるに違いない。

そんな僕の想像はただの妄想であって、実際の西尾君の姿とはかけ離れたものかもしれない。

結局は彼への嫉妬。

それと彼によって「店長」という肩書を外されるかもしれないという恐怖だ。

関さんは「店長は肩書とかにこだわらない人ですよね」と僕のことを言ってくれた。

でもその認識はきっと間違ってるんだと思う。

「で、秋になってもこの体制でいくんですか?」と小池君が僕に尋ねた。

「そりゃ、秋も冬もでしょ」

「無理ですよ」と小池チーフははっきりと言った。

意外と大きな声が出るじゃないかと驚いた。

「手間がかかり過ぎるんですよ、西尾君の言う通りにしてたら。時間が幾らあっても足りない」

「だから時間は作るもんだって・・・」

「作れないんですけど」と小池君は言った。

「頑張らんと」

「頑張ってますよ」と小池君は語気を強めた。「頑張ってないように見えますか?」

「いや」と僕は答えた。「頑張ってるよね」

「頑張ってるけど、やっぱり時間なんて作れるもんじゃないんですよ。無駄をなくせ。段取り良くしろ。もっとコミュニケーションをとれ。無駄をなくせ。段取り良くやれ。もっとコミュニケーションをとれ。ずっとそう繰り返し言われて、こっちだってそうなろうと努力してるんです。でも出来ないんです。それは僕らがダメなんですか?本当に僕らがダメな人間なんですか?ダメな人間ならダメな人間でいいですよ。もう何も求めないで欲しいんです。これ以上はムリなんです。確かにそんなに優秀じゃない。もちろん優秀にはなりたい。でもみんながそうなれるわけではない。そうなれないのは努力が足りないから。でも努力してもなれなかった。努力しても出来なかったんですよ」小池君は僕に訴えた。

「で、どうすりゃあええの?」と僕は小池君に確かめた。「結局どうしたいわけ?」

「店用のパンの焼き上げは一日一回だけにしてください。」

「追加では焼かんの?」

「焼きません」

「売れたらどうするん?ないですよで済ませるん?」

「売り切れないようにパンを発注すればいいじゃないですか。それが店舗責任者の役目じゃないんですかね?」

「その日の売れ行きを見ながら、午後からの焼き上げを指示するのが店舗の責任者の役目だとも言えるよね。よその店舗はそれを製造の責任者がちゃんと出来てる。」

「よその店舗だってそんなの完璧に出来てないでしょ」と小池君は反論した。

「そうよ」と僕は認めた。

そんなの完璧に出来てるはずはない。

そんなのが完璧に出来ていれば、前年を割る売り上げの店など出てこないだろう。

「しあわせパン工房・こころ」のよその店舗だって売上の前年比はうちと似たり寄ったりだ。

「本店なんかうちよりも前年割れがひどいしね」と僕は小池君に言った。

それが現実なのだ。

西尾君がどんなに本店のパンがキレイだとか美味しそうだとか言ってみたところで。西尾君がどんなに本店にいる製造のチーフの仕事ぶりを褒めたたえようが。本店はうちよりも売り上げが前年割れを起こしている。それが現実なのだ。

「でも、よそが出来てないから、うちも出来んでもいいんですって言う風にはならんじゃろ」と僕は言った。「やれるだけやってみるのが社員の役目じゃないん」

「社員の役目?マジで言ってるんですか?」と小池君は笑った。「バイトの方が稼げますよ」

「確かに」と僕は答えた。「でもやらんといけんのんよ」

「ムリです。やれません」

「西尾がやれって言うとるだけじゃないんで。社長もそういう風にやれって言うんじゃけ」

「社長に出来んって言うてください」

「俺が?」

「だって店長でしょ?店長の役目を果たしてください。部下がもうこれ以上出来ないって訴えてるんですよ。もう勘弁してくださいって。あさひ町店の店長なんだから、ちゃんとみんなの声を本社に伝える責任があるはずです。」

「部下?チーフ、俺の部下なん?」

「部下でしょ。部下だから言う通りにしてるんでしょ。」

「言う通りにするんなら、西尾の指示に従ってや」

「だから、それがムリだって言ってるんじゃないですか」

「そうじゃね」と僕は笑った。「それがムリなんよね」

僕と小池君がああでもないこうでもないと言い争ってる間に、山口さんが黙々と店出しを終わらせてくれていた。

下田さんも出勤してきた。いつもよりもかなり遅い。開店間近だった。

「昨日はカープで盛り上がり過ぎたんよ」とむくんだ顔の下田さんはまったく悪びれた様子もなかった。開店に間に合ったんだからいいだろと言わんばかりだ。

そして店に出るなり「しょぼい」とひとこと「赤ヘルパン」を評した。

「僕が考えたんじゃないですよ」と小池君は小さな声で言った。「社長が作れって言ったんですよ」

下田さんは手慣れた様子で開店の準備を進め、難なく開店を迎えた。

土曜日よりは売り上げは少ないとは言え、そこは日曜日だけのことはある。お客さんは開店と同時に店に入ってきた。トングとトレーを手にパンを次から次へととっていく。

「ちょっとあんたら手伝いんさいや」と下田さんが僕と小池君に言った。

僕もチーフも下田さんに従った。


開店のお客さんの波もひと段落ついた。

「しょぼい」と言われた「赤ヘルパン」は開店30分で3分の2は売れた。

「チーフ、はよ追加の赤ヘル作ってや」と下田さんは言った。

「もう用意してますから」と小池君は答えた。

「やるじゃん」と僕はチーフを称えた。

「社長に直接言えばいいじゃん。僕がチーフの代わりに言うより、チーフが直接言った方が社長の胸に響くじゃろ。」気分が落ち着いたようなので小池君にそう言った。

「言いましたよ」と小池君は言った。「直接言いましたよ」

「言うたん?」

「言ったけど、ダメだって言われましたよ。無駄な作業をなくせ。段取り良くしろ。作業工程を組みなおせ。もっとメンバーとコミュニケーションをとって、自分が動くんじゃなくて、ひとを動かせって。」

「それ社長が言うたんじゃ。」

「西尾君にも言われましたけど。同じようなことをね」

「西尾にね・・・」

「西尾にです」と小池君は悔しそうな顔をした。「今日は関さん休みなんですか?」

「関さん、土日は休みよ」

「バザーの準備があっても?」

「そうよ。平日頑張ってくれとるけえ、それでエエんよ。」

へえと小池君はなんか思わせぶりにニヤけて見せた。

「なに?」

「遊びに行ってるんですかね。西尾と。」

「は?」

小池君はそれだけ言うとエレベーターに乗って2階のパン製造の現場に戻っていった。

今日はまだまだ仕事は終わらない。

なんで関さんと西尾と遊ぶんだ?


僕の問いに答えてくれそうな人はここには誰もいなかった。

山口さんは何の関心も示すことなく僕がやるべき仕事も今日は進めてくれていた。

関さんは今日は来ない。

今日は僕と山口さん二人きりだった。

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