*8-1 レプリカが物申すそうです



 宿木美術館に存在しているのは、本物の作品ばかりではない。中にはレプリカも存在している。そのうちのひとつが、美術館の出入口に設置された2体の西洋甲冑だ。宿木美術館が設立したとき、「美術館っぽいから」というよく分からない理由で当時の学芸員が仕入れてきたものらしい。


 1体は表面に装飾のあまりない全体的にシンプルな作りのもので、頭頂部にだいぶん色の落ちた黄色いふさふさの飾り毛が付いている。肩にだけ入った植物をモチーフにした文様がお洒落だ。

 もう1体は甲冑全体に細かい装飾が施されており、芸術性の高い仕上がりになっている。鋭く研ぎ澄まされた指先部分の細工はかなり精巧だ。すらっとした甲冑で、まるでスタイルの良い女性が入っているかのようだ。

 黄色い飾り毛が付いた方は「定宣さだのぶ」、細かい装飾がなされた方は「多恵たえ」というなぜか日本風な名前がそれぞれ付けられている。


『司ちゃん!』

「……なんだ、定宣か」

『んもぉ~~! あちしのことは、のぶちゃんって呼んでって何回も言ってるじゃない!!』


 館内の通路を歩いていた司は、かけられた声に反応して振り返り、盛大に顔を顰めた。視線の先には、全身ムキムキの筋肉に覆われた30代くらいの男がいた。まつげをくるんと立ち上げて分厚い唇にうっすら口紅を塗っている。服装は身体にフィットする薄ピンクのタンクトップに赤いハーフパンツだ。ピチピチのハーフパンツから出た膝小僧がまるで凶器のようだ。


 ふよふよと空中を移動して司の背にのしかかった定宣は、飾り毛の付いた西洋甲冑に宿った魂である。


「お前は本当に視覚の暴力だな。見てるだけでダメージを受ける」

『相変わらず冷たいことばっかりね! 司ちゃん!』

「用件は何だ? さっさと背中から降りろ」

『……んん実はぁ~~』


 定宣は司の背中から降りて司の正面に移動すると、ぽっと頬を染めた。それを見た司の顔が引き攣る。


『あちしぃ~~、けっこう埃かぶってきちゃったみたいなの~~。だからぁ、司ちゃんにぃ、隅から隅までぇ、磨いてほしいなってぇ……きゃっ』


 語尾にハートマークでも付きそうな勢いで定宣が言う。要は埃をかぶった西洋甲冑を綺麗にしてほしいとお願いに来たらしい。だがしかし、筋肉ムキムキの男がモジモジしてもはっきり言って気持ち悪いだけだ。


「……分かった。小娘に掃除に行くように指示出しとく」

『いやよ! あちしは! 司ちゃんにしてほしいの!』


 さっさと逃げようとする司に定宣は追いすがる。


『あちし、女には触らせないタイプなの! いい加減覚えてよね!!』

「知るか! 俺は忙しいんだよ!」


 定宣は司にまとわりつく。


『司ちゃんってばあ、お願い!!』

「うるせえ!」

『……』


 定宣は急にだんまりになると、司を追いかけるのをやめた。何も言わなくなった定宣に疑問を抱いた司は足を止めて振り返る。


「おい、定宣?」


 定宣はバッと顔を上げる。その目にはうっすら涙が滲んでいた。


「定宣?!」


 さすがの司もこれには驚く。


『……だから?』

「は?」

『あちしがレプリカだから!? だからそんなにそっけないの?!』


 定宣の思いがけない言葉に司は目を見開く。


「なっ! んなわけ」

『嘘よ! そうに決まってるわ! 本物にはもっと優しいじゃない!!』

『定宣! 貴様、また司を困らせているのか!!』


 司と定宣の言い争いに、凛とした女の声が割って入ってきた。


「!」

『……多恵!』


 その声を発した人物は、もう1体の西洋甲冑に宿った魂の多恵だった。栗色の長い髪を揺らし、腕組をして堂々と浮いている。胸部にのみ甲冑を装着し、細身のジーパンを着用している。きりりとした鋭い瞳には正義の光が宿っているかのようだ。



『司の仕事の邪魔をするとは、貴様にはレプリカとしての誇りがないのか!?』

『あちしはただ……』


 物凄い剣幕で責め立ててくる多恵に、定宣は身体を小さくする。


『問答無用!!』

『……多恵の馬鹿!! もう知らない!!』

「おい! 定宣!」


 追いかけようとした司を多恵が手で制する。


「多恵……」

『放っておけ、司。あれにはもっと厳しくせねば。それより仕事があったのだろう?』


 司はしばし逡巡したが、多恵の『はやく仕事に戻れ』という言葉で仕事に戻ることを選択した。


 これがより面倒な事態を引き起こすとも知らずに。





◆ ◆ ◆





「おい、本郷。ちょっと……」

「!」


 作業をしていた司の下に警備員の浩治が現れた。困惑している様子だ。


「どうした、金風」

「口じゃ説明しにくいから来てくれ」


 急かすように言われ司は疑問に思いながらも、浩治の後についていった。


「……」


 果たしてそこには3人の魂がいた。1人は多恵。怒りに顔を歪めている。そして多恵と向き合うように定宣と10代後半くらいの男の子がいた。定宣は「レプリカの人権擁護求む」という垂れ幕の前に座り込み、「抗議」と書かれた鉢巻をして黄色い法被を羽織っている。その表情はいつになく真剣だ。


 そして、定宣の隣の男の子は白い布を巻いただけの格好に黄色い法被を無理やり着て、ぼさぼさの黒髪に定宣と同じ鉢巻をしていた。定宣の隣で寝そべって寝息を立てている。彼はミキランジェロ・ブワナローティの描いた『システレナ礼拝堂天井画』のレプリカに宿った魂だ。巨大な天井画が描かれたスペースは宿木美術館でも人気の高い場所のひとつで、休憩スペースとしても利用されている。


「なんだこれ」

「見ての通りデモだな」


 司の問いかけに浩治は淡々と答える。


「たった2人のか」

「でも、あの垂れ幕と鉢巻はデモをイメージしてるだろ」

「もういい、分かった」


 司は浩治からこれ以上の説明を求めるのを諦め、3人の魂の下に向かった。


「何やってんだ、お前ら」

『来たわね。起きて、『システレナ』ちゃん!』

『んあ?』


 司を確認した定宣と『システレナ礼拝堂天井画』は立ち上がると拳を振り上げた。まだ半分寝ている『システレナ礼拝堂天井画』の動きは緩慢であったが。


『あちしたちはレプリカに対する扱いの改善を要求します! レプリカ迫害はんたーーい!!』

『おーー、もっと寝させろーー』

『貴様ら! ふざけた真似はやめんか!!』


 定宣と『システレナ礼拝堂天井画』の発言に、多恵が今にも殴り掛からん勢いで怒鳴る。そんな多恵を押さえて、司が間に入った。


「落ち着け多恵。俺が話す」

『司……すまない、任せる』


 下がった多恵を確認して司は改めて定宣と『システレナ礼拝堂天井画』に向き合う。


「お前らがこんなことをしてるのは、学芸員に不満があるからか?」

『そうよ!』

『別にどうでもいいけど、手伝ったらいい寝床教えてくれるって定宣が』

『ちょっと『システレナ』ちゃん!』


 寝ぼけて半目の『システレナ礼拝堂天井画』に取引を暴露された定宣は焦る。


「つまり、不満があるのは定宣だけってことだな」

『ぐっ』

「いったい何が不満なんだ」


 定宣は俯いて小さな声でブツブツと呟く。


『……て』

「なんだ、はっきり言え」


 司に急かされ、定宣はバッと顔を上げると叫んだ。


『もっとかまって!!』

「はあ!!??」

『定宣!! 貴様はまた下らんことを!!』


 多恵が驚きの声を上げる司を押しのけて定宣の胸倉につかみ掛かる。


『そんなことで司の時間を使わせたのか!! 万死に値する!!』

『多恵になんて言われようと! 今回はあちし、引かない!!』

『貴様!!』


 至近距離で言い合う定宣と多恵の間に司が割って入る。


「やめろ!!」

『!』

「下らねえ、行くぞ多恵」

『司ちゃん!?』

『了解した』


 ショックを受けた様子の定宣から手を放した多恵は司の下に戻る。


「いいのか?放っておいて」

「いちいち相手してられっか」

『その通りだ』


 浩治の心配をよそに司と多恵はさっさと定宣と『システレナ礼拝堂天井画』に背を向ける。


「俺は警備員だからこれ以上干渉はしないが、知らないからな」


 浩治の忠告は司には届かなかった。


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