*16-1 『ダヴィー像』が帰ってきました



 常には穏やかな空気が流れている宿木美術館に、ざわめきが広がっていた。


「一体どうしたんでしょうか? 騒がしいですね。「帰ってきた」とかなんとか言ってますけど……」


 作業をしていた冴子が同じフロアにいた司に問いかけた。先ほどからすれ違う魂に『帰ってきたよ』と声をかけられていたのだが、冴子には意味がさっぱり分からなかったのだ。


「そうか、お前は知らねえか。『ダヴィー像』に宿った魂が帰ってきたんだよ」


 司はめんどくさそうな態度で質問に答えてやる。


「え!? 『ダヴィー像』の魂ってどこかに行っちゃったんだって聞いてたんですけど!」

「まあな。あの野郎はどれだけ注意しようと出て行っちまう。毎回1年は帰ってこねえ」

「一体どんな魂なんですか?」

「見に行けばいいだろが。たぶん館長のとこだ。俺も一言言いに行く」


 司と冴子は珍しく揃って館長室に向かって歩き出した。





◆ ◆ ◆





「失礼します」


 冴子は挨拶をして、司は無言で館長室に入る。


「来たね、2人とも」


 館長である王はソファに腰かけながら2人を出迎えた。そして、館長の横には2人の男が浮いていた。


『やあやあ、ご機嫌麗しゅう! 久しぶりだね、司君』


 そのうちの1人、シルクハットを脱ぎながら恭しくお辞儀をしてみせたのは、『ダヴィー像』に宿った魂だ。深緑のジャケットの胸元には1輪の赤い薔薇。中に黒のベストを着て全体を締めている。首元には白の蝶ネクタイ。パンツは黒と赤のチェック柄だ。鼻の下と顎に綺麗に整えた髭を生やしたダンディな男だ。


「久しぶりじゃねえよこの自由奔放野郎! いつもいつもふらっといなくなってんじゃねえ!」


 優雅に挨拶を決めた『ダヴィー像』に対し、司は手加減なしのパンチを鳩尾にくれてやった。


『ぐふっ! ……相変わらず君は暴力的だね』


 身体をくの字に折り曲げて苦しむ『ダヴィー像』。そこに冴子が慌ててかけよった。


「大丈夫ですか?!」

『ハッ!』


 『ダヴィー像』は冴子をその瞳に移すや否や姿勢を整える。


『これはこれはお見苦しい姿を見せてしまった。美しきレディ』


 そっと冴子の手を取ろうとして失敗した『ダヴィー像』はその顔に絶望を映した。


『ああ、なんということだ。こんな麗しき乙女に触れることが叶わないなんて!』


 両手で顔を覆い宙を見上げる。3秒ほどその姿勢で固まると、ずいっと顔を冴子に近づける。


「ひっ!」


 思わず1歩引いた冴子に構わず、『ダヴィー像』は冴子を見つめ続ける。


『ああ、君の瞳はまるで宝石のようだ。是非名前をお聞かせ願えますかなレディ?』

「……冴子です。御石冴子……」


 冴子はドン引きしながらも生来の生真面目さから聞かれたことにしっかりと答える。一方、名前を聞くことができた『ダヴィー像』は両手を広げ、その場でくるりと回ってみせた。


『冴子……冴子嬢! なんと素晴らしき名だ。冴えわたる君の美貌をよく表している』

「はぁ……」


 『ダヴィー像』のテンションについていけない冴子は気の抜けた声を出すことしかできない。


「茶番は終わったか? で、その隣の魂は何だ?」


 司がこのままでは延々と美辞麗句を並べそうな『ダヴィー像』の耳を引っつかんで冴子から離れさせる。そして、所在なさ気に浮いているもう1人の男の正体を問いかける。


 男は黄ばんだ白い布を巻きつけただけの格好をしていた。露わになった部分の筋肉は引き締まっている。髪はブロンドの短髪。凛々しい眉がハの字曲がっており、なんとも頼りない。


『ああ、紹介が遅れたな。彼は『悩める人』。私が旅の途中で出会った友人だよ』

「え? 『悩める人』ってあの……?」


 冴子が若干顔色を青くしながら口を開く。さすがの司も固まっていた。


「そうなんだよね。西洋美術館の『悩める人』に宿った魂、連れてきちゃったんだよね」

「なにやってんだお前ぇええええええ!!!!」


 王の言葉に司は拳を固めると、『ダヴィー像』の鳩尾に再び抉るような1発を入れた。





◆ ◆ ◆





 『ダヴィー像』はミキランジェロ・ブワナローティが制作し、1504年に公開された彫刻作品だ。身の丈は517cm。大理石で象られた筋肉は力強く、その立ち姿は堂々たるものである。


 この『ダヴィー像』に宿った魂は非常に厄介で、ほとんどの時間を宿木美術館の外で過ごしている。『世界が私を求めている』という訳の分からない理由で世界中を旅しては、気まぐれにふらっと帰って来るのだ。ただし、今まで誰かと一緒に帰ってくることなど1度もなかった。


 『ダヴィー像』とやって来た『悩める人』とは、西洋美術館に収蔵されている作品で、オーギュスト・ロタンが制作したブロンズ像だ。右手を顎に当て左手を左膝に乗せ、思い悩む姿を描写している。


 館長の王、司、冴子、『ダヴィー像』、『悩める人』の5人は、館長室の中でローテブルを囲んでいた。


「なんでそいつをここに連れてきたんだ?」


 司が代表して最も気になっていたことを聞いた。


『ふむ。私もなんの理由もなく他の美術館から魂を連れ出したりしないよ』

「じゃあ、どうしてです?」

『それは『悩める人』と1度話をしてみれば分かろう』


 冴子の問いかけに『ダヴィー像』は渦中の人物である『悩める人』に水を向ける。


『申し訳ありません。僕のせいでこんなことに……ああどうしよう。僕がここに来たことでこの美術館に不幸なことが続けて起こったら……美術品に傷がついてそれを管理不行き届きだと世間に責められて美術館が閉館に追い込まれて、行き場をなくした作品はみんな焼却処分なんてことになったら……ああ! どうして僕は存在しているんだ!!』


 頭を抱えて苦しむ『悩める人』に対して、司と冴子はぽかんとしてしまう。


『見よ、この有り様だ。実に鬱陶しいであろう? 私は彼のこの何をやっても人生を楽しめない思考回路を変えてやろうと思ってここに連れてきたのだ。会わせてやりたい奴が居てね』


 やれやれといった様子で『ダヴィー像』はため息をつく。


「会わせたい奴?」

『『最後の裁判』さ』

「……お前本気か?」


 得意げに答える『ダヴィー像』に司の顔が引きつる。


『『最後の裁判』の明確な思考は彼に必要なものさ。なに、彼が自信をつければ西洋美術館まで私が責任持って送り届けるよ』


それだけ言うと、『『最後の裁判』を連れてくるね』とさっさと館長室から出て行ってしまった。残されるのは未だに悩み続ける『悩める人』と、互いに顔を見合わせる司と冴子、静観する気満々の王だった。



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