*16-2 『ダヴィー像』が帰ってきました



『やあやあやあやあ、皆さんこんにちは! 呼ばれて来ました『最後の裁判』ですっ!』


 館長室の扉を勢いよく開けて入ってきたのは『最後の裁判』に宿った魂だ。『最後の裁判』はミキランジェロ・ブワナローティによって制作された絵画である。1370×1200cmという巨大な絵で、1536年から5年の月日をかけて完成されたものだ。400名以上の人物が描かれ、イエス・エンマが死者に裁きを下している。一方は天国へ昇天し、一方は地獄へ堕ちていく姿が描かれている。


 そんな『最後の裁判』は――。


『なにやらお悩みの人がいるそうではありませんか! そんなときこそ我の出番!』


 なんとも陽気なおじさんだった。目をカッと見開いて、口角を不自然なほど上げて笑っている。神父服を着て片手にはなにやら小さな黒い本。よく見れば「⚪︎×クイズ」と書かれていた。


 見開いた目が『悩める人』を捕らえる。


『貴方ですね! お悩みを抱えた『悩める人』というのは! まあ名前からして悩ましい!』

『あ、あの……』

『いいですか、人生とは判断の連続です! 白か黒か、表か裏か……。決めるのは己! 己の意思!』


 何かを言おうとした『悩める人』を無視して『最期の裁判』は語り続ける。


「おい、『最後の裁判』。とりあえず落ち着け」


 司が『悩める人』と『最後の裁判』の間に入る。そこに『ダヴィー像』が満足げな顔をして何度も頷ながら『最後の裁判』に歩み寄って口を開いた。


『頼もしい限りだ、『最後の裁判』。君の力でこの悩んでばかりで先に進めぬ哀れな男に道を示してやってはくれないか』

『お安い御用ですよ。悩み、そこには解決の道が確かに存在しているのですから!』

「お前らな……」


 なにやらやる気になっている2人に司は呆れ顔だ。


『司君、ここは『悩める人』の今後のためにも、ぜひ『最後の裁判』の人生相談を許可してくれたまえ。もちろん、付き添ってくれて構わない』

「反対したってやる気だろうが……。見張りは必要だろ」


 司は片手でこれ見よがしに頭を抱えながら承諾した。館長の王と冴子に自分が付き合うことを伝え、この場はようやく解散となったのだった。





◆ ◆ ◆





「さて。人生相談って具体的にどうするんだ?」


 ここは学芸員が研修などで使用する会議室だ。司はパイプ椅子を引っ張り出してどかりを座ると足を組んでふんぞり返った。


『『悩める人』の不安や悩みを解消することが第一だ。明るく楽しい人生を彼が送れるようにね』


 『ダヴィー像』はそう答えると、『悩める人』に視線を向ける。


『さあ! 君の思いのたけをぶつけるんだ!!』


 両腕を広げて、さも自分が悩みを解決するかのような勢いだ。


『あの、えっと……』


 『悩める人』は身を縮ませて視線を泳がせ落ち着きがない。そんな状態で一向に話し出そうとしない『悩める人』に早々にキレたのは当然ながら司だった。


「鬱陶しい野郎だな!! はっきりしやがれ!!」

『はいぃいい!! 僕、こんなんでいいのかなって悩んでるんですぅう!!』

「はぁ?」


 ピシッと姿勢を正して発言した『悩める人』に司はどういうことだと首をかしげた。


『詳しく話していただてもよろしいですか?』


 『最後の裁判』が促す。それに頷いた『悩める人』はゆっくりと話し始めた。

『なんかすごい像に宿ってしまったじゃないですか、僕……。でも、僕なんてほんと大したことないやつで。道行く人を見ては悩み、明日を思っては悩み、そもそも世界はどうなるのかと悩んで、1日が終わるんです。こんな僕に『悩める人』としての価値はあるんでしょうか?! 存在していていいんでしょうか?!』


 もはや『悩める人』は半泣き状態だった。


『なるほど分かりました。あなたは自身の価値について悩んでらっしゃるのですね。ならば答えは簡単です!』


 『最後の裁判』は見開いていた目をさらに開き、片手を上げる。


『『悩める人』――あなたは消えたいのですか? 生きたいのですか?』

『――え?』


 究極の選択に『悩める人』は、固まって言葉を失くす。あの司でさえ、想わぬ2択に驚いた様子だ。『ダヴィー像』はただ静かに見守っている。


『さあ、答えなさい。『悩める人』よ!』

『えっと、えっと、僕は、僕は……』


 いよいよ『悩める人』の瞳から涙が流れ落ちる。


『き、消えたくない――!!』


 小刻みに身体を震わせ、自身の体を抱きしめる。


『それが、あなたの本心ですよ。『悩める人』』


 『最後の裁判』は少しだけ目元を和らげると、優しい口調で言った。しかし、それも一瞬のことですぐに強い口調に戻る。


『そもそも我は訊きたい! 悩むことは「悪」なのかと!』

『あ……』


 『悩める人』は今まで考えたこともないようなことを言われたようで目を丸くして驚いている。


『道行く人が気になる、明日が気になる、自身が生きる世界がどうなるか気になる! なにもおかしいことではありません! あなたの場合、それが極端なだけなのです!』


 『最後の裁判』はクイズブックを開くとまるで聖書でも読むかのように語り出した。


『悩むことは悪ではありません。何事も行き過ぎると良くないのです。ほどほどが理想です。ですが、そう簡単に変われるものではありません。だから、ゆっくりでいい。あなたはどうなりたいのですか?』


 突然の問いかけだったが『悩める人』は自分がどうなりたいかを考え、一生懸命答える。


『僕は……もっと自分に自信を持てるようになりたいです』

『そのためには、何が必要ですか?』


 間をおかずされた質問に『悩める人』は戸惑う。


『えっと、悩みすぎないこと?』

『そうです。つまり! 行動すればいい! あなたが西洋美術館を飛び出し、ここに来たように!!』

『!!』


 『悩める人』の涙が止まる。


『大丈夫、あなたはすでに一歩踏み出しています!』


 『最後の裁判』がクイズブックをパタンと閉じる。どうやら話は終わったようだ。


『さすがは『最後の裁判』!! 君の話は実に明解だ!!』


 成り行きを見守っていた『ダヴィー像』が盛大な拍手をしながら歩み寄る。


「正直見くびってた。意外とやるな、『最後の裁判』」


 いつの間にか真剣に話を聞いていた司も素直に『最後の裁判』を称えた。


『とんでもありません。我は『悩める人』の本心を引き出しただけ。変わりたいと願い、行動を起こしたのは彼です』


 『最後の裁判』は丁寧に頭を下げる。司はなにやら感動した様子の『悩める人』に声をかける。


「どうだ? 『悩める人』、何とかなりそうか?」

『……はい。悩む前に行動に起こすことを意識してみようと思います……』

『どうすればいいか分からないときは、作品の友人にでも学芸員にでも尋ねてみればいい。ここまでの道のりは来るときに教えただろう?』


 『ダヴィー像』がアドバイスをする。


『そうです。1人で思い悩まず、誰かに相談するというのはとてもいいことです!』


 『最後の裁判』も『ダヴィー像』のアドバイスに賛同し、大きく頷く。


『はい! 皆さん、僕のためにありがとうございます!』


 話がまとまったと判断した司はパイプ椅子から立ち上がり、『悩める人』に向き合う。


「まあ、煮詰まることがあればここに来いよ。話くらい聞いてやる。ただし、基本は西洋美術館にちゃんといるんだぞ」

『はい!』


 しっかり釘も刺したところで『最後の裁判』による人生相談は幕を閉じたのだった。





◆ おまけ ◆




 ここは西洋美術館。『悩める人』の前。2人の男性学芸員が難しい顔をして話し込んでいた。


「なあ、なんか、なあ?」

「ああ。なんか、だよなあ」


 2人の男は頷き合うと、同時に言った。


「なんかイマイチだよなあ!」


 Q.魂が傍にいない『悩める人』はどうなるのですか?

 A.なんかイマイチになります。



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