*15 こんな時代もありました





――気持ち悪いんだよ!

――調子乗ってんじゃねえ!


 幼い頃から「もの」に宿る魂が見え・聞こえ・話せ・触れることができた司は、歳を重ねるごとに周りから疎外されていくようになった。一部からは気持ち悪いと怖がられ、一部からは調子に乗るなと妬まれた。


 言葉の暴力は心にゆっくりと、しかし確実に傷をつけた。司は、身を守るために常にひとりであろうとした。近づいてきた者に睨みをきかせ、攻撃的な言葉を使い、壁を作った。


 本人になんの罪もない負の感情は、司の性格を歪めるには十分なものだった。


 司が小学校5年になる頃、司の周りには誰も寄り付かなかった。ただひとり、幼馴染の浩治を除いて――。





◆ ◆ ◆





「お前、なんでおれにつきまとうんだよ」


 下校途中、傷の入った黒のランドセルを背負った司は、平然と隣を歩く浩治を睨みながら言った。その瞳は小学生らしからぬ暗い影があり、右の頬には真っ白いガーゼが貼ってあった。昼休みに司を妬む同級生からの一発が運悪く顔面に入ったのだ。


「だって、司くんはなにも悪いことしてないじゃん。魂に触れるのはすごいことだって、お母さんも言ってたよ」


 司の鋭い睨みを物ともせず、浩治はにかっと笑ってみせる。


「いいよなあ。おれは見えるだけだから、司くんがうらやましいよ」

「……おれは大嫌いだ」


 地面に向かって吐き出された司の言葉は、浩治には届かなかった。


「なにか言った?」


 浩治は聞き返したが、司は無視して走り出す。ガチャガチャとランドセルが揺れた。


「待ってよ! 司くん!」


 浩治も慌てて追いかけたが、結局は司を見失ってしまった。帰り道は同じなため、いなくなってしまったということは家ではないどこか違う場所へ行ってしまったということだ。下校途中でいなくなってしまうのは、今回が初めてではなかった。司はいつもどこかへ行ってしまうのだ。


「どこいったんたんだろ……」


 浩治の声は誰にも届かず、風に流されて消えてしまった。





◆ ◆ ◆





「けん、けん、ぱ。けん、ぱ、けん、ぱ、けんけん、ぱ」


 寂れた公園。遊具は砂場に錆の目立つ滑り台とブランコのみ。ほとんどが雑草に覆われている。そんな中、辛うじて土の地面を露わにしているところで複数の円が連なって描かれていた。ひとりの男の子がその円の中をぴょんぴょんと飛んで遊んでいる。


 ぷっくりと赤く染まった頬に茶色の瞳。髪は黒で短くカットされている。元は白かったと思われるTシャツも赤色の短パンも土でだいぶ汚れてしまっていた。


 地面の円を見ていた男の子が、ふと顔を上げるとぱっと笑顔を弾けさせた。


「つかさおにいちゃん!!」


 そこにはランドセルを背負った司がいた。仏頂面で男の子を見下ろしている。


「あのね、おにいちゃんがおしえてくれたぴょんぴょんするやつ、すっごくたのしいよ!」

「そうか、良かったな」


 司は男の子から視線をそらしてぼそぼそした声で答える。


「ねえ、おにいちゃん。きょうはなにしてあそぶ?」

「……おにごっこ」

「わあ! ぼく、おにごっこだいすき! おにいちゃんがおにね!」

「勝手に決めんなよ。……ったく、しょうがねえな」


 司はランドセルを放り投げると、さっそく逃げ出していた男の子を追いかけた。寂れた公園に男の子の笑い声が響く。


 ひとしきり走り回ったあと、司は地面の上に大の字で寝転がった。男の子も真似をして司の隣に寝転がる。


「つかさおにいちゃんは、いまなんねんせいなの?」

「……5年」

「そっかあ、もう5ねんせいなんだね」


 男の子は少し寂しそうな顔で笑った。


「おれは、家にいるより外で遊ぶ方が好きだ」


 司は早口で男の子に向かって言う。どこか焦っているようだった。そんな司を見た男の子は年に似合わない慈愛に満ちた優しい顔をした。





◆ ◆ ◆





 司は今日も寂れた公園に来ていた。ランドセルをいつものように地面に放り投げる。


「おにいちゃん! きょうもきてくれたんだね!」

「毎日来るって約束しただろ」


 笑顔で寄って来た男の子に、司はそっぽを向きながら答えた。


「今日はなにするんだ?」

「だるまさんがころんだ!」


 男の子が元気よく言うと、司もほんの少しだけ笑った。


 それから、だるまさんがころんだをしてヒーローごっこをしてかくれんぼをして相撲をした。


 あっという間に時間が過ぎて、司が帰らなくてはいけない時間になった。


「そろそろ帰る」

「……うん」


 男の子は寂しそうに俯く。


「……あのね、あしたなんだ」

「――っ! そうか」


 男の子の一言に司は大げさに肩を揺らした。両者の間に沈黙が続く。


「やっと見つけた!」

「!」


 その沈黙は乱入してきた第三者の声よって破られた。司と男の子は一緒になって声のした方へ顔を向ける。そこには肩ではあはあと息をする浩治がいた。


「おまえ! なんでここに!」

「つかさおにいちゃんのおともだち?」

「ちげえ!!」


 男の子の言葉を全力で否定した司は、こちらに向かって走って来る浩治を睨みつけた。


「探したよ、司くん」


 息を整えながら浩治は言った。満足げに微笑んでいる浩治に対して、司は眉間にしわが寄って小学生らしからぬ顔になっている。


「いつもどこかに行っちゃうから気になって。やっと見つけたよ」

「……意味わかんねえ。おまえ一体なんなんだよ」

「え? 友達でしょ?」

「――っ」


 司は真っ赤になって地面を睨みつけた。下からその表情を見た男の子は嬉しそうに微笑む。


「よかった。つかさおにいちゃんはひとりじゃないんだね」


 浩治は男の子に視線を向けた。身をかがめて男の子に視線を合わせる。


「初めまして。おれ、金風浩治」


 男の子は浩治に向かって微笑むが何も言わない。浩治が不思議に思っていると、司がため息をついた。


「ばか。そいつは人間じゃねえよ。この公園の遊具に宿った魂だ」

「え?」


 浩治はぽかんと口を開けた。





◆ ◆ ◆





 公園から自宅に向かう道を司と浩治は並んで歩いていた。景色が夕暮れに染まった中、アスファルトの道路の端っこをだらだらと歩く。


「さっきの話だけど……」


 浩治が遠慮がちに司に問いかける。


「あいつが公園の遊具に宿った魂だって話か?」

「うん、なんで一緒に遊んでたの?」


 司は浩治に一瞬だけ視線を向け、ため息をひとつついた。


「あの公園の遊具、なくなるんだ。ろーきゅーかで」

「え? なくなっちゃうの?!」


 浩治は背負っていたランドセルを大きく揺らして驚いた。あの遊具がなくなるということは、遊具に宿ったあの魂はどうなってしまうのというのか。


「あの子はどうなるの?」

「……そんなん、消えるに決まってるだろ」

「そんな……」


 司のそっけない回答に、浩治は泣きそうになる。


「いつなくなっちゃうの?」

「明日」

「……」


 浩治は足を止める。司は3歩進んでから止まると、振り返った。


「悲しいね」

「……しかたないだろ、ろーきゅーかなんだから」

「うん……」


 浩治は司の前まで歩くと、足を止めた。ランドセルを握っていた手にぎゅっと力が入る。


「司くんは、なんであの子と遊んでたの?」


 浩治は同じ質問をまたした。司は視線を彷徨わせる。答えようか悩んでいるようだ。ややあって、司は浩治の顔を正面から見据えた。


「あいつが遊んで欲しいって言ったから」

「え?」

「なくなっちゃう前に、最期に誰かと遊びたいって言ったから」

「……」

「だから、遊んでた」


 途中で恥ずかしくなったのか、司は視線を地面に向けてしまう。


「すごいね」

「あ?」


 浩治の言葉に司は視線を上げる。そこにはキラキラした表情の浩治がいた。浩治の顔を見て、司は目を丸くして驚く。


「すごいね、司くん!」

「な、にがだよ」


 興奮して距離を詰めてくる浩治に司は1歩後ろに下がった。


「だって、魂が見えるだけのおれにはしてあげられないことだもん!」

「……」

「魂が見えて聞こえて話せて、触れなきゃ一緒に遊んであげられない! 司くんにしかできないことだよ!」

「!」


 司の瞳に光が宿る。


「おれにしか、できないこと……」

「うん! あの子の願いを叶えられたのは、司くんだけだよ!! あの子、遊んでもらえてよかったね!!」


 浩治はにこぉと満面の笑みを浮かべた。司はしばし呆然と浩治の顔を見ていたが、みるみるうちに頬が紅潮していく。


「うるせぇ、バーカ」


 司の精いっぱいの悪態は、浩治にはまったく通用しなかった。





◆ ◆ ◆





 とある一軒家。どたばたと足音が響く。司が帰宅したのだ。


「司! もっと静かに帰ってらっしゃい!!」


 キッチンから顔を出した母親が司を注意する。司はそれを無視して、母親に飛びついた。


「お母さん! おれ、美術館に行きたい!」

「……どうしたの急に?」


 司の突然の発言に、母親は目を白黒させる。司は腕の中から、母親を見上げると瞳をキラキラさせて言った。


「おれにしかできないことをしに行くんだ!!」




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