*19 忘年会なんです
とある居酒屋。時刻は18時を少し回ったところ。宿木美術館に勤めるスタッフが続々と集まっていた。
毎年、1年の終わりに催される飲み会ーー所謂忘年会が今年も開催された。ここに作品の魂たちは存在しない。参加するのは館長の王や学芸員、カフェやショップのスタッフなどだ。
居酒屋の大部屋を貸しきって執り行われる飲み会は、ただ飲み食いするだけでなくビンゴゲームといったゲームもある。ビンゴゲームの景品目当てという参加者もいるくらい毎年景品は豪華だ。
そこに、当然ながら本郷司の姿があった。ジーパンに紺色のセーターを着ている。相変わらず、頭はもじゃもじゃだ。その左隣には警備員の金風浩治。そして、右隣には御石冴子が座っている。冴子の表情は不服そうだ。
「なんであなたの隣なんですか」
司を睨みつけながら、15番と書かれた紙切れを握り潰す冴子。
「自分のくじ運の無さを恨むんだな」
「おい、本郷」
粗雑な返しをする司を浩治がたしなめる。席順はくじ引きで決まるのだ。席には予め番号が振ってあり、くじで引いた番号と同じ席に座る。席の移動は可能だが、基本的にそこが定位置になる。冴子は15番、司は16番、そして浩治が17番だった。
「今日はせっかくの忘年会なんだ。楽しくいこう」
浩治がふたりをなだめる。司と冴子はそっぽを向いた。そこへ、ビール瓶を両手に持った居酒屋のスタッフが現れた。
「飲み放題のビールですー」
「あ、ありがとうございます」
浩治がビール瓶を笑顔で受け取り、司と冴子のグラスにビールを注ぐ。浩治の分は司が注いだ。
「さて」
前で右手にマイク、左手にビールを持って話し始めたのは館長の王だ。ちなみに、館長の座席もくじ引きで決まる。
「今年もいろいろなことがあったけど、無事に1年を締めくくれて良かった。それも、学芸員やスタッフの皆のおかげだ。今日は楽しんでね」
王が優しい口調で挨拶をする。
「さあ、挨拶はこれくらいで。みんなグラスは持ったかな?」
王の確認に各々グラスを持つ。それを見た王は左手に持っていたビールを高く掲げた。
「乾杯!」
「かんぱーい!」
あちこちでグラスのぶつかる音がした。
◆ ◆ ◆
自分の皿に好きな酒のあてを乗せて箸を持ち、もう片方の手に酒の入ったグラスを持つ。これが基本のスタイル。あとは好きなように席を移動しながら喋って食べて飲むだけ。皆、いい感じに酔ってくると話題は自然と美術館に関わる話になる。
「なあ、油絵って上から描き直したりできるわけだろ? 一度描いた絵の上から新しい絵を描いた場合、最初に描かれていた絵にも魂って宿ると思うか?」
学芸員の誰かが問いかける。それに答える声が複数あった。
「最初に描かれた絵は、絵として認識されていないんだから宿らないんじゃない?」
「あれじゃね? 背後霊的なものとして出てくるんじゃね?」
「作品の魂に背後霊がくっついてるってどういう状況だよ!」
ゲラゲラと笑い声が起こる。また別の集団ではこんな話題が提供されていた。
「版画って元の絵は同じだろ? 刷られた絵の魂って皆同じ顔してたりするのかな?」
「双子みたいな感じ?」
「双子でも男と女とかあるけど」
「性格は違うでしょうね」
「同じ顔の魂がたくさんいるって見分けつかないよな」
「番号札つけようぜ」
「えー。なんか失礼な感じ」
「じゃあ、どうすんだよ」
そして、また別の集団では――。
「油絵って気の強いやつ多くね?」
「それを言うなら。彫刻はナルシスト多いだろ!」
「水彩画とかお淑やかっぽい」
「壁画は?」
「うち、壁画はレプリカだからなあ」
「壁画は出張できないよなあ」
「生壁画に宿る魂見たい……」
一方、美術館のショップ店員がいるところでは――。
「この前、もっと自分のグッズを売ってほしいって言われて。でも、わたしはただの販売員でしょ? グッズ開発の権限なんてないから困っちゃって」
「やっぱり人気どころは偏るからね」
「よく売れる作品で人気投票とかしてみたらおもしろそう」
「やめとけ! 上下決めてもめ事が起きないはずがない!」
いたるとこから美術館トークが聞こえてくる。司はいろいろなところから聞こえてくる話をBGMにしてビールをあおった。
「ったく、どいつもこいつも美術馬鹿だな」
「たしかに」
司のボヤキに浩治が頷く。司はビール3杯目。顔色は全く変わっていない。
「もっと他の話題が出てもいいんだけどなあ。皆、ほんとに美術館が好きなんだな!」
「……けっ」
ニコニコと笑う浩治を横にして再びビールをあおる。すると――。
「本郷さぁぁぁん!!」
「うおっ!」
ちょうど飲み切ったビールをテーブルに打ち付けるように置く。背中を見れば、冴子が司にのしかかっていた。
「小娘、何しやがる!?」
「ちょぉぉぉっと、仕事ができるからって油断しないでほしいですぅぅぅ! わたひはぁ、作品を愛しているんですからぁぁぁぁ! 本郷さんにはぁ、負けないれすぅ!!」
そう言って冴子は司の首を締めながらぐわんぐわんと揺さぶる。
「ぐえ!!」
「あっはっはっはっはっは!!」
顔を青くする司を見て浩治が大爆笑した。その大爆笑に周囲から注目が集まる。ものすごい力で首を絞めてくる冴子の両手首を掴んで引きはがした司は、大きく呼吸をして冴子を睨みつけた。
「殺す気か?!」
「何言ってるんれすかぁ? わたひは正々堂々、本郷さんに勝つんれす!!」
眼鏡の奥にある瞳が完全に座っている。顔は真っ赤だ。
「この酔っ払いが! 何杯飲みやがった!」
気を抜けばまた首を締めようとしてくる冴子をなんとかさばく。背後を取られていては限界もあった。
「いや、御石さん。ビール1杯も飲んでないですよ?」
「はぁ?!」
冴子と一緒に飲んでいたと思われる学芸員が司に報告する。
「静かになったなあと思ったら、急に立ち上がって本郷さんの方へ……」
「酒に弱いなら飲ませんなよ!」
「御石さん、今年が初参加じゃないですか。こんなにお酒に弱いなんて知りませんよ」
「つーか、見てねえで助けろ!!」
首を絞めることを諦めた冴子は、今度は全体重を司に乗せようとのしかかってくる。
「こんな風に! わたひが! 上に! 立つ!」
「俺の背中で立とうとすんな!!」
司の背で立ち上がろうとする冴子を阻止しつつ、助けを求めて周囲を見る。皆こっちを見ているが、助けようとするものはいない。むしろ笑っている。皆酔っぱらっているのだ。そして、その先頭を行くのが浩治だった。
「あっはっはっはっはっは!!」
さっきから司を見て爆笑している。
「金風ぇ!」
酔うとたまに笑い上戸になるとは知っていたが、このタイミングでなることが許せない。
「よっ! 若いってのはいいねえ!」
「お二人ともアツアツ!」
大変不本意な野次まで飛んでくる始末だ。
「ちっくしょう!!」
酒を楽しむどころではなくなってしまった司はそう叫ぶしかなかった。
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