*20 入れ替わりました

『司ちゅわぁぁん!』


 美術館入り口に設置された甲冑に宿る魂、定信が司に抱きつこうと勢いよく飛びかかろうとする。いつもの風景だ。今回も司が突撃を交わして文句を言って終わり。そう誰もが思った。


 しかし、いつもと違うことが起こった。司の反応が鈍かったのだ。理由は寝不足だ。新しく手に入れた美術関連の資料を読みふけっていたため、ここ2日程まともに寝ていない。


 そんなことなど知らず、いつもの勢いで突進した定信の額と司の額が「ごっちーん!」と音を立ててぶつかった。


『いってぇぇぇ!』

「いったぁぁぁい!!」


 互いに尻もちをつき、額を押さえる。周りにいた学芸員は何事かと視線をふたりに向けた。


『ったく、毎度毎度全力で突進してきやがって! 加減を覚えろ!!』

「だってぇ、司ちゃん見たら気持ちが抑えきれないのよぉ」


 文句を言いながら定信を睨みつけた司、言い訳をしながら司に潤んだ瞳を向けた定信、周囲にいた学芸員。3者が同時に固まる。


 普段から乱暴な口調で話す司がオネエ言葉を使い、普段オネエ言葉を使う定信が乱暴な口調で話したのだ。その違和感に学芸員は固まった。


 そして、司と定信はーー。


『な、んで俺がいるんだ?!』

「なんで目の前にあちしが?!」


 互いに向かってそう叫んだ。一拍置いてふたりは勢いよく立ち上がり、自分の体に手を触れる。


「体が重いわ! それにあちしの美しい筋肉がなくなってる!」


 と、司が喋る。


『うわっ! 俺、浮いてんじゃねえか! なんだこのピチピチの格好は!!』


 と、定信が喋る。


 ーー静寂。その後、司は瞳を輝かせながら、定信は青ざめながら叫んだ。


「あちしたち入れ替わってるわ!」

『入れ替わってんじゃねえか!!』


 一部始終を見ていた学芸員は、ただ呆然とするしかなかった。




 ◆◆◆



 司と定信は館長室にいた。ニコニコした司はソファに仏頂面の定信はソファの後ろに浮いている。


「またすごいことが起こったね。美術館の歴史史上初の事件だ」


 報告を聞いた館長の王はやれやれといった様子で息をつく。


『だから! もう一回全力で頭ぶつければ戻る可能性があるって言ってんだ!』

「いやよ! あちし、もうしばらく司ちゃんの中に入ってる!」

『俺の体でその顔と喋り方はやめろぉぉぉ!!』


 つんと澄ました顔に唇を突き出して駄々をこねる定信が入った司。その姿にダメージを受けて悶える司が入った定信。


「あちし、1日学芸員体験がしたいわ!」

『ふざけんな! 戻らなくなったらどうする?!』


 はいっと手を挙げて王に進言する司が入った定信にヘッドロックを決める司が入った定信に王は思わずクスリと笑う。


「うーん、シュールだねえ」

『笑い事じゃねぇっすよ! 館長!』

「いや、わかってるんだけどさ。普段だと考えられないからね、そんな司くんと定信くん」


 司の悲痛な叫びに王は悪いと思いながらも、再び笑ってしまう。


「それにしてもややこしいね。なんて呼んだらいいかな?」


 ようやく笑いが収まったところで、王が気にしたのは呼び方だった。司が入った定信の額に血管が浮く。


『だから! さっさと戻れば名前なんざ決めなくていいんすよ!』

「あちしのことはのぶちゃんって呼んで! 司ちゃんはつーくんね!」

『てんめぇぇぇ!!』


 話をややこしくしてくる定信の入った司を司の入った定信が思い切り殴る。


「いったぁぁぁい!」

『しまった! 俺の体を!』

「やれやれ」


 ふたりのやり取りを見て、王は肩をすくめた。定信の入った司がキッと司の入った定信を睨みつける。


「んもぅ! つーくんなんて知らない!」

『あっ! 待てゴラァ!!』


 自分を殴ったことを悔いている隙に定信の入った司は館長室から勢いよく出て行く。ワンテンポ遅れた司の入った定信は慌てて後を追ったが、その姿を見失なってしまった。


 ようやく見つけたときには人だかりと魂だかりができており、笑いが巻き起こっていた。


「あ、つーくん!」


 誰かが司が入った定信に気づき、呼びかける。


『誰がつーくんだ! 定信でてきやがれ!』


 反射的に言い返した司が入った定信。その姿に大爆笑が起きる。


「あーはっはっはっは!」

「定信の姿で凄まれるとマジ怖いんですけどー!」

「ほんとに入れ替わってるんだ! あはっ!」


 司の入った定信の顔が真っ赤に染まる。


「つーくん、笑顔よ! 笑顔!」

『定信ー!!』


 ニッコリスマイルで出てきた定信が入った司につかみかかる司が入った定信。


「あちし、1日学芸員体験するから! つーくんは1日魂体験してねぃ!」

『はぁ?!』

「皆、オーケーだって!」


 集まっていた学芸員や魂たちがニヤニヤしながら頷く。


『ふざけんなぁぁぁ!!』


 司の入った定信がどれだけ喚こうが、決定事項として揺るがなかった。




 ◆◆◆




『しっかりしろ! つーくん! 魂体験をすると決まった以上、全力を尽くせ!』


 美術館入り口に設置された2体の甲冑のもう一体に宿る魂の多恵から司は説教を受けていた。


『俺は早く自分の体に戻りてえんだよ……』


 先ほどから訪れる利用客すべてをスルーして甲冑のそばに座り込んでいる。多恵がひとりで対応していたが、ついに限界がきて説教しにやってきたのだ。


『定信がその気にならねば仕方あるまい! これも学芸員としての経験! 学ぶときだ!』

『こんな仕事があってたまるか……』


 多恵の説教に力なく答える。そこへ、小学生低学年くらいの男の子がやってきた。


「あ、のぶちゃんこんなところにいた!」

『誰がのぶちゃんだゴラァ!!』

「ひっ!」


 反射的に言い返して、男の子の強張った顔に我に帰る。定信の姿で全力の睨みと暴言を放ってしまったのだ。


『あ、いや、悪い!』


 慌てて謝罪するも男の子の目に涙が浮かぶ。


「うぅ、のぶちゃんて呼んでって言ってくれたのに……もう遊んでくれないの?」


 男の子はそう言うと、ボロボロと涙をこぼした。


『いや、悪かった! 今、定信は俺の体に入ってて……んな、事情どうでもいいよな……』


 涙を流す男の子を見て司は考える。この男の子は定信が好きで駆け寄ってきてくれたのだ。つまり、ここでの司の対応次第で定信のファンをひとり無くすことになる。


 司は大きく息を吐き、覚悟を決めた。


『ごめんねぃ! 今度、脅かし大会して遊ぶ予定で練習してたの! 泣かないでぇ!』


 出来る限り明るい声を出して謝る。男の子がこちらを見た。眉を八の字にして申し訳ない表情を作る。唇はあひる口だ。


「脅かし大会?」

『そうなの、魂の間で今流行っててぇ』

「そ、うなんだ」


 男の子は涙を拭いた。


「でも、ちょっと怖すぎるよ」

『ごめんねぃ。ちょっと方向性を変えてみるわ』

「なら、僕も一緒に考えてもいい?」

『嬉しい!』


 とびきりの笑顔を見せる定信に入った司だった。




 ◆◆◆




「あれぇ? つーくんは?」


 ひと通り学芸員の業務を体験した定信が美術館入り口にやって来ると、そこには多恵しかいなかった。


『ふっ』


 多恵は不適な笑みを浮かべると、とある方へ視線を向けた。不思議に思い、定信もその視線を追う。


「!」


 そこには楽しそうに話をする男の子と戯けた様子の定信の姿があった。


「え? たかしくんと……うそ、あれ司ちゃん?」

『あの子はたかしくんというのか』

「ええ。最近仲良くなったのよ……ってそんなことより!」


 多恵の確認にぼんやりと返してしまったが、今知りたいのはそこじゃない。多恵は今度は優しい笑みを浮かべた。


『たかしくんを怒鳴りつけて泣かせてしまってな。仲良くなったお前のフリをしてなんとか楽しませようと頑張っているのだ』

「司ちゃん……」


 定信が入った司の瞳が潤む。


「ダメ! 我慢できない!」

『定信?!』


 定信の入った司は全速力で走り出す。そう、司の入った定信の元へ。


「司ちゃぁぁぁぁん!!」

『げっ! 定信!』


 涙を流し突撃してくる定信の入った司。たかしくんはいきなりのことにきょとんとしている。


『馬鹿野郎! こっちには子供がいるんだよ!』


 司の入った定信は男の子を庇うように前へ出る。そしてーー。


 ごっちーーん!!


 定信の入った司と司の入った定信の額と額がぶつかった。


「いってぇぇぇ!」

『いったぁぁぁい!』


 多恵が慌てて駆け寄ってくる。たかしくんは驚いて固まったままだ。


「てめぇ! せめて場所を考えろ! 危ねえだろうが!」

『あーん! ごめんなさい! 嬉しくってぇ!』


 互いに額を押さえてうずくまる。そして、顔を上げて固まる。


「定信が、いる」

『司ちゃん?』


 司は慌てて自分の体を見た。


「地面に立ってる! 体が重い! 俺の体だ!」


 グッと拳を握りしめる。


「戻ったぁぁぁぁぁ!!」


 司は天に向かって両手を突き上げた。


『んもう、もうちょっと司ちゃんの体に入ってたかったのにぃ!』


 口ではそんなことを言いつつ晴れやかな表情の定信。


『司ちゃん』

「あ?」


 自分の体に喜ぶ司に定信は声をかける。司はようやく定信の方を見た。


『1日魂体験お疲れ様。ありがとねぃ!』


 定信はばちんとウインクを決めると、呆然とするたかしくんの元へ向かう。


「ありがとうって、なんだあいつ?」


 司は不思議そうに首を傾げる。その様子を多恵は温かい眼差しで見つめていた。


 こうして司と定信入れ替わり事件は幕を閉じた。その後、定信の入った司の写真が美術館内で出回りその回収に追われることとなるのだが、司はまだそのことを知らない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

魂宿る美術館 三の木 @sannoki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ