*3 宿木美術館で働く人たち



「あんま調子乗ってんじゃねえぞ!!」

『なんじゃ? 口では敵わぬから暴力か?』


 『モナ・リサ』の胸倉を勢いよくつかんだ司に対して、『モナ・リサ』は余裕の表情を浮かべる。


「いい加減にしてください!!」

「!」

『!』


 そこに、1人の女性が割って入ってきた。肩まである黒髪をハーフアップにして楕円形の赤ぶち眼鏡をかけており、きっちりアイロンのかかったYシャツに膝丈のスーツスカートを履いている。大きな瞳をつり上げて怒りのオーラを放っている。


冴子さえこではないか。わらわは悪くないぞ? この男が無駄に騒ぐのがいけぬのじゃ』

「なんだ小娘か。邪魔すんなよ」


 澄ました表情をした『モナ・リサ』はつかまれていた手を払い落とす。司は眉を顰めて舌打ちをした。


「小娘って呼ぶのやめて下さいってずっっっと言ってますよね?! 私には「御石冴子みいしさえこ」って名前があるんです!!」


 御石冴子と名乗った女性は顔を真っ赤にして叫んだ。

 冴子は司より2つ年下の22歳で、今年の4月にここに入った新人である。勤め始めて3カ月経つが、司とはいつまで経っても喧嘩ばかりだ。


「お前みたいなピーピーうるさいやつ、小娘で十分だ」

「ピーピー?! あなたみたいな粗雑な人がここの学芸員なんてほんっっっとに信じられません!!」

「はっ! そいつは悪かったな」


 司は冴子を見下ろしながら鼻で笑ってみせる。


「ちょっと、いい加減に――!」

「はい、冴子君ストップ」

「!」


 冴子の肩にとんっと手が置かれる。


「館長!!」


 振り返った冴子が思わぬ人物の登場に驚きの声を上げる。

 世木澤王せきざわおう。ここ宿木美術館の館長である。今年57歳を迎え、髪の毛は全体的に薄くなっている。ぽっちゃりとした体形にたれた目元が優しげな雰囲気を生んでいる。

 王はたれた目元をさらに下げて困ったような顔を冴子に向けた。


「司君を止めに行った君まで一緒に喧嘩してどうするの? 開館時間に間に合わなくなるよ?」

「すみません! 館長!」


 冴子は勢いよく頭を下げた。


「司君も。毎度のように言い争いになるのは困るね。せっかくS級の学芸員なんだからもっと自覚を持って行動してもらわないと」

「……すんません」


 謝罪の言葉を口にした司にひとつ頷いてみせると、王は『モナ・リサ』に視線を向けた。


「『モナ・リサ』、司君を貸してもらうよ。彼にはいろいろと働いてもらわないとダメだから」

『かまわぬぞ。また後で遊んでやるからの』

「ありがとう」


 王はにっこりと笑って、ぱんと手を叩く。


「さあ、開館準備をしよう」

「……うす」


 司は開館準備をするため通路を歩き出した。


「館長……」

「なんだね? 冴子君」


 少し拗ねた様子の冴子が館長に問いかける。


「館長が本郷さんをここの学芸員に誘ったって父から聞きました」

「そうだよ、最初に声をかけたときは彼はまだ子供だったね」


 王は冴子の問いに穏やかに答える。


「……私には本郷さんが学芸員に向いているとは思えません。館長はなぜ本郷さんを誘ったんですか?」

「そうだねえ」

「本郷さんが、S級、だからですか?」


 宿木美術館で働くには学芸員の資格以外に作品の魂が見えるかどうかが重要になる。そして、ここにはランクが存在する。


 魂が見える者はC級。

 見えて魂の声が聞こえる者はB級。

 見えて聞こえて魂と話ができる者はA級。

 そして、司のように魂と触れ合うこともできる者をS級と呼んでいる。


 S級は司だけである。冴子はA級、王も学芸員時代はA級として勤務していた。


「たしかに私が彼をスカウトしたのは、彼が絵画の魂と触れ合うことができる様を見たからだ。でもね、ただ見えるだけ聞こえるだけ話せるだけ触れ合えるだけじゃ私は雇用しませんよ」

「え?」


 不思議そうな顔をする冴子に王は優しい微笑みを向ける。


「もっとよく司君を見てみて下さい」

「……」

「さあ、開館準備にいきましょうか」

「……はい」


 冴子は王の後について歩き出した。





◆ ◆ ◆





 冴子は幼い頃から学芸員という仕事に憧れていた。それは父が宿木美術館の学芸員だったからだ。父と作品の魂たちに会いに、冴子はよく母と弟と妹の4人で美術館を訪れていた。家族全員が作品の魂を見ることができたため、何時間も美術館に居座ったものだ。中でも冴子は父と同じく魂と言葉も交わすこともできたので、弟と妹と魂の通訳役を引き受けていた。

 冴子が大学で学芸員の資格を取り宿木美術館での就職が決めたとき、最も喜んだのは父だった。冴子もこれから父と同じ職場で学芸員として働くことができるのを喜んだ。

 しかし、父は、冴子の就職を待たずして交通事故で死んだ。相手の飲酒運転が原因だった。


 冴子は父の後を引き継ぎ、父の分まで宿木美術館で働くことを誓ったのだ。


 しかし、いざ働き出してみれば本郷司という目付きも口も悪く作品と喧嘩をするような不誠実な者が宿木美術館に居たのだ。冴子にとって宿木美術館は父や家族との思い出がたくさん詰まった場所で、作品は友達みたいなものだ。本郷司を学芸員として認めることは冴子にはとても無理な話だった。


「なんであんな人がここに……」


 今朝のことを思い出し、冴子は館内を歩きながら悪態をつく。


「本郷がまたなにか仕出かしたのか?」

金風かなかぜさん!」


 冴子が振り返ると、金風浩治かなかぜこうじが立っていた。少し茶色がかった短髪ですっきりとした顔立ちをしている。海辺でサーフィンをしているのが似合いそうな男だ。


 浩治は司と幼稚園からの幼馴染である。魂を見ることができ、柔道の腕に覚えがあることから警備員としてここで働いている。


「別にたいしたことじゃありません」

「どうせ本郷が余計なこと言ったんだろ?」

「……」


 冴子はムスッとした表情のまま答えない。その様子に浩治は苦笑する。


「あいつを庇うわけじゃないが……昔からあんなに捻くれてたわけじゃないぞ?」

「……そうなんですか?」


 その声には疑いが100%含まれていた。


「まあな」


 浩治は昔を思い出すかのように視線を遠くに向ける。


「ほら、この街だと「見えるかどうか」ってのが結構重要だろ?」

「……たしかに、そうですね」


 宿木市では「もの」に魂が宿ると考えられており、その魂を見ることができるかどうかはひとつのステータスになる。特に重要視されるのが子供時代だ。周りが見ることのできないものを自分は見ることができる。それだけでクラスの注目の的になれる。さらに、見えた魂の声が聞こえたり話したりすることができれば評価はうなぎ登りだ。


 しかし、周りが持たない力を持ち過ぎれば、今度は排除の対象になる。子供は純粋で残酷だ。


「本郷は小さい頃からものの魂が見えて話ができた上に触れたからな。子供の頃はそれが原因でいじめられたりしてたんだよ。調子に乗るなって言われたり気持ち悪いって言われたりな」

「……」

「あいつがグレたのは、そう言う環境に長い間いたからだと俺は思ってる」


 何も言わない冴子にちらりと視線を向けて、浩治は話を続けた。


「自分の多すぎる能力で苦労したくせに、結局はその能力を活かす仕事に就くんだからあいつも相当な変人だよ。でも、それだけこの仕事に思い入れがあるんだと思う。だから、あの性格の悪さだけであいつのすべてを否定してやらないでくれ。素直じゃないだけなんだ」

「……あなたのような人が幼馴染で本郷さんは幸せ者ですね」


 素直に受け止めることのできない冴子にはそう返すのが精いっぱいだった。浩治はそれさえも分かっていると言った様子で笑ってみせる。


「ははっ。ありがとう。いろいろ口出しして悪かったね」

「いえ……」


 司の意外な過去を知り、冴子は気まずそうに視線をそらすのだった。





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