*9-2 『モナ・リサ』が盗まれたそうです
わずかな外灯を頼りに足を進め、プレハブの小屋までやって来た。
姿勢を低くし、慎重に小屋の周りを1周する。大きさはおよそ20畳。長方形の各壁面に窓が4つ設置され、古びたドアが1つ。窓は布か何かで覆われており中の様子はわからない。汚れた外壁から、ここが長い間使用されていないことは推測できた。元は倉庫として活用されていたのかもしれない。
「絵はどの位置にあるか分かるか?」
小声で『モナ・リサ』に話しかける。
『ここにあることは分かるが、中に入ってみんとこれ以上は……』
「そうか……。中にはいるしなねえな……」
『わらわが先に入って様子を見てこよう。そなたのように魂に触れることができる者は稀じゃ。そうそう危害はあるまい』
「……気をつけろよ」
『うむ』
司がそっとドアを開け、『モナ・リサ』がゆっくり中に入る。ややあって――。
『きゃあああああああああああ!!』
「『モナ・リサ』!!」
『モナ・リサ』の悲鳴に司はドアを大きく開け、中に突入した。
「!!」
雑多な物が置かれた小屋の中には『モナ・リサ』と1人の男がいた。そして、男の後ろには絵画の『モナ・リサ』が積み上げられたダンボール箱の横に立てかけてあった。
「大丈夫か?! 『モナ・リサ』!!」
『……うむ、いきなり抱きしめようとしてきて驚いたのじゃ。すり抜けたがな』
「そうか」
どうやらこの男は魂に触れることはできないようだ。司はじっくりと男を観察する。40代前半くらいで、グレーの作業服を着ている。黒の短髪に眼鏡と特に目立った特徴のない男だ。ただ、なにやら暗い眼差しで『モナ・リサ』を見つめている。
「ああ……僕に会いに来てくれたんだね……」
「ああ? 何言ってやがる?! てめえが絵を盗んだ野郎だな!?」
司は男に向かって怒鳴るも、男にはまるで聞こえていない様子だ。
「僕も会いたかったよ……『モナ・リサ』……」
男が1歩『モナ・リサ』に近付く。
『ひっ』
何かを感じた『モナ・リサ』が男から離れ、司の背後へと回った。そうしたことで、男はようやく司の存在を認識したようだ。
「……君は誰だい? どうして僕と『モナ・リサ』の空間に君みたいな男がいるのかな?」
「はあ?! わけ分かんねえこと言ってんじゃねえぞ!! 俺は学芸員だ!! 『モナ・リサ』を返してもらいに来たに決まってんだろ!!」
「!!」
男の目が大きく見開かれる。かと思うと、男の体ががくがくと震え出した。
「なっなんだ?!」
急激な変化に司は1歩後ずさる。
「なんで……なんで僕たちの邪魔をするんだ! 僕と『モナ・リサ』は愛し合ってるんだぞ!!」
「ああ?!」
『んな?!』
男の斜め上からの発言に司と『モナ・リサ』はそろって素っ頓狂な声を上げた。
「愛し合ってるって……。てめえと『モナ・リサ』がか?」
『馬鹿なことはやめよ!! わらわはこのようなわけの分からぬ男と愛し合ってなどおらぬ!!』
「そうだよ。ああ……『モナ・リサ』……僕の愛しい人」
「……」
『モナ・リサ』の全力の否定が聞こえていない様子からすると、この男は魂が見えるだけなのだろう。一体何がどうなって『モナ・リサ』と愛し合う仲になったなどの妄想に憑りつかれたのか。
「おい、『モナ・リサ』。あの野郎、てめえに惚れてるみたいだぞ。どうする?」
『どうもこうもないわ!! お断りじゃ!!』
『モナ・リサ』は間髪を入れずに答える。
「おいあんた、『モナ・リサ』は嫌がってるぞ?」
「そんなことあるわけないだろう? 照れているだけさ。ね、『モナ・リサ』?」
男は『モナ・リサ』に向かって微笑みかける。しかし、『モナ・リサ』は『ひぃいいい!!』と悲鳴を上げて自身をかき抱いた。
『生理的に無理なタイプじゃ!!!!』
「見えてんなら分かるだろ? どう見てもドン引きじゃねえか」
「ふふ、君はどんな表情をしていても可愛いね」
「聞いてねえな」
男の妄信ぶりに司は呆れる。
『呆れておる場合か!! この男にわらわのことを諦めるように言うのじゃ!!』
「言ったところで無駄だってことはもう分かってるだろうが」
『ぐぬぬ』
面倒なことになったと司は心の中で呟く。単に金銭目的の盗難かと思えば、絵に惚れているときたのだ。かと言って、このままこの男に『モナ・リサ』を渡すわけにもいかない。どうしたものかと思案していると、司の頬に白魚のような指先が触れた。
「ん?」
その指は『モナ・リサ』のものだった。『モナ・リサ』は司の顔を上に向けると――――司の唇に自分の唇を重ねた。
「!!??」
「うわああああああああ!!!!」
男の絶叫が響く。
『ぷはっ』
「……てんめえ、『モナ・リサ』!! いきなり何しやがる!!」
『そなたと接吻すれば、あの男が諦めると思ったのじゃ』
胸倉につかみ掛かった司を物ともせず、『モナ・リサ』は平然とした様子で返す。
「寄りにもよっててめえなんかと!!」
『極上であったろう? このようなチャンス二度とないぞ?』
「貴様ああああああああ!!!!」
「!」
『!』
男の声に司は反射的に身を捻った。ヒュッと何かが空間を切り裂く音がした。
「!」
『あれは!』
男はどこから取り出したのか、1本のナイフを持っていた。
「よくも……よくも僕の愛しの『モナ・リサ』を……」
肩で大きく息をしながら、血走った眼を司へと向けてくる。完全に理性を失っていた。
『すまぬ、司。少々刺激が強すぎたようじゃ』
「はっ! 上等だ」
司は鼻で笑うと、腰を低く落として構えた。
「俺はどこぞのクソ金風みたく武術なんてお綺麗なもんは学んじゃいねえ。だかな――喧嘩なら実戦で何度もしてきたんだよ!!」
「死ねぇええええええええ!!!!」
「!」
司はギリギリのところでナイフを躱し、ナイフを持った腕をつかむ。そのまま相手の勢いを利用し背負い投げの要領で男を投げ飛ばした。
「うらあああああ!!」
「うわあああああ!!」
ズバンと物凄い音を立てて男が床に叩きつけられる。男はそのまま意識を失った。
「ったく、だらしねえ。これで終わりかよ」
『司! 大丈夫か!!』
「見てただろうが。大丈夫だっての」
心配そうな『モナ・リサ』に笑顔を向けてみせる。すると、遠くからパトカーのサイレンが聞こえてきた。
「タイミングが良かったな」
司は絵画の『モナ・リサ』を持つと、小屋から出ていった。
◆ ◆ ◆
何台ものパトカーが小屋の周りに止まり、赤いランプがチカチカと辺りを照らしている。
「本郷!」
「!」
事情を説明していた司の下に浩治が小走りでやって来た。
「なんでてめえまでここにいるんだよ」
「無理言ってパトカーに乗せてもらってきたんだ。それより大丈夫か?」
「大丈夫に決まってんだろ。絵はちゃんとチェックしなきゃなんないがな」
「そうか……無事でよかった」
浩治はほっと息をついた。そして、司の隣に浮いていた『モナ・リサ』に向かって深々と頭を下げる。
「すまなかった! みすみす君を盗まれるなんて警備員失格だ!」
「まったくだな。おい、『モナ・リサ』。クソ警備員が謝ってるぞ」
司が浩治の言葉を通訳する。
『うむ。今回の件は間違いなく失態であろう。今後はより一層仕事に励むことじゃ』
「次はもう失敗すんなだとよ」
「もちろんだ。本当にすまなかった」
『モナ・リサ』と浩治の通訳を終えた司は、やれやれといった様子で肩を竦める。犯人も捕まり、絵も取り戻した。これで一先ずは安心だ。
『あっ』
「どうした?」
安心したところに『モナ・リサ』の小さな悲鳴が届く。『モナ・リサ』は自身の右手の人差し指を見つめて顔を青くしている。
『指先が切れておる……』
「なんだと?!」
司は慌てて『モナ・リサ』の右手をつかんで引き寄せる。すると、たしかに人差し指の先が少し切れて血が滲んでいた。
「くそっ! 絵のどこかに傷でもついたか?!」
『大した傷ではないが、その可能性が高いな……』
『モナ・リサ』は肩を落とす。かなりのショックを受けているようだ。
「おい、大丈夫なのか?」
浩治が心配そうに司に問いかける。
「さあな。これはプロに一回見てもらった方がいいだろうな」
司は苦々しい表情になると、ひとつ舌打ちをした。
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