*5 撮影はご遠慮ください



 絶賛開催中の『ムンタの叫び展』は周到な準備のすえ開かれた企画展示だ。


 『ムンタの叫び』はエドヴェルド・ムンタが描いた絵画である。油彩、パステル、リトグラフ、テンペラの技法で同じ構図・タイトルのものが全部で4点存在する。今回、宿木美術館にやって来たのは1893年に描かれた油彩絵画だ。夕焼けが血のように赤く染まりながらうねり、青と黒で表現された街並みがおどろおどろしく蠢いている。中心に立つムンタは「自然の叫び」から逃れようとするかのように耳を塞いでいる。


 この『ムンタの叫び』をメインにし、ムンタの他作品や年表のパネルが展示されている。館内のショップでは、『ムンタの叫び』をモチーフにしたグッズも販売している。


 そして、注目の『ムンタの叫び』に宿っていた魂は――。


『どうもおおおお!! お世話になりまああああす!!』


 酷くうるさいやつだった。

 スキンヘッドに黒のハットをかぶり、小洒落た黒のスーツを着こなしている。細いがしっかりとした体つきをした30代後半くらいの男だ。大きな口を開けて一言一言しっかり話す声は、企画展フロアいっぱいに響いていた。


「いやおかしいだろ。『ムンタの叫び』はムンタが叫んでいるわけじゃないってのは有名な話じゃねえか」


 初めて『ムンタの叫び』に出会った司は耳を塞ぎながら言った。


『そうは申しましてもおおおおお!! 自分にはどうすることもできないのでありまあああす!!』

「だああああ!! ほんっとにうるせえやつだな!! 少し黙ってろ!!」


 司は『ムンタの叫び』のハットをスパンと引っぱたいた。これが司と『ムンタの叫び』の出会いだった。





◆ ◆ ◆





 企画展示、『ムンタの叫び展』は今日も好評である。たくさんの人たちが『ムンタの叫び』を一目見ようと宿木美術館に訪れていた。


 そこに突如、空気を切り裂くような悲鳴が轟いた。


『ぎいやあああああああああああ!!!』

「!」


 悲鳴を聞いた司は反射的に走り出していた。悲鳴の主は『ムンタの叫び』だ。


「どうした! 『ムンタの叫び』!!」


 司が『ムンタの叫び』のある部屋へ飛び込んだとき、『ムンタの叫び』は目を押さえながら空中でもがいていた。



 パシャ! パシャ!



 スマートフォンのカメラのシャッター音が響き、チカっとフラッシュがたかれる。1組の若いカップルが『ムンタの叫び』をフラッシュ撮影していたのだ。


『目があああああ!! 目があああああ!!』


 『ムンタの叫び』がさらに苦しみの声を上げる。


「何やってんだてめえら!!」


 司は『ムンタの叫び』の前に飛び出し絵を守るように立ちはだかった。


「え? 写真ダメなの?」

「別にいいだろ? フラッシュ撮影で絵が痛むっていうのはガセだってネットで見たことあるし」

「あ、そうなんだぁ。ならいいじゃん。SNSにアップしたいだけなんだって」


 注意されたカップルは反省の色を見せるどころか、開き直ってさらなる撮影を希望してきた。


「SNSとかどうでもいいんだよ!! 絵画に迷惑かけんじゃねえ!!」

『目があああああ!! 目があああああ!!』


 『ムンタの叫び』は未だに目を押さえて苦しんでいる。


『チカチカするうううう!!』

「くそっ……!」


 そんな『ムンタの叫び』を見た司は口の中で悪態をつく。カップルを睨みつけ、大きく息を吸い込んだ。


「絵が眩しがってんだよ!! やめろ!!」

「……」

「……」


 カップルはお互いを見てしばし沈黙した後、「プッ!」と同時に吹き出した。


「あはっ! あはははははは!」

「絵が! 眩しがってるとか! そんなわけないじゃん!!」

「おっかしい――!」


 お腹を押さえてひぃひぃと笑い合う。


「ここって『魂宿る美術館』とか言われてるんだよね?」

「ああ。でも、フツーは信じねえよな」

「職員さんはマジで信じてるんだ、ははっ」

「頭大丈夫ですかあって感じだな」

「ほんとに」


 馬鹿にした物言いに司の鋭い目がさらに鋭くなる。もともと目付きが悪いのもあって相当の悪人顔だ。


「信じねえなら信じねえで構わねえさ。俺だってお前らみたいのに信じてもらいたいとは思ってねえよ」

「なんですって?」

「ていうかさ、あんたさっきから客に対してその口の利き方なんなわけ?」


 司の言葉にカップルは笑いを引っ込め、不快感を露わにする。


「うるせえ、作品を大切に扱えねえ奴に丁寧に接してやる必要なんざねえよ! 作品を守るのは学芸員の仕事だ!!」


 これを聞いたカップルの顔が一気に赤く染まり、目がつり上がる。


「こっちは金払って来てんだぞ!!」

「そうよそうよ!」


 言い返してきたカップルに怯むことなく、司は出口を指さして怒鳴り返した。


「だったら払い戻してやるからとっとと帰れ!」

「!」

「なんて美術館なの! SNSで最悪でしたって公開してやる!」


 女がスマートフォンを振りかざしながらさらに言い返してくる。


「勝手にしろ。その時はちゃんと書いとけよ、撮影禁止の場所で撮影してたら怒られたってな!!」

「――っ!」


 司の剣幕に女は怯む。それを見た男が司の胸倉につかみ掛かった。


「うるせえんだよ!」


 続けて拳を振り上げた男を見て、遠くから様子をうかがっていた他の客から悲鳴が上がった。


「はい、そこまで」

「!」

「!」


 男の振り上げた腕をつかんでいたのは警備員の浩治だった。口元に笑みを浮かべているが、目は笑っていない。


「お客さん、暴力はいけませんよ」

「っ! ちがっ! こいつがいちゃもんつけてきたんだ!!」


 浩治の言い知れぬオーラに男は慌てて司から手を離した。


「途中から聞いてましたが、口の利き方はともかく撮影禁止のルールを破ったのはお客さんですよね? それに手を出したのもお客さんが先だ。違います?」

「それは……」

「これ以上暴れるようでしたら警察呼びますよ?」


 有無を言わせぬ浩治の言葉に男は真っ青になった。


「――分かった! もう帰る!! おい、行くぞ!」

「え、ええ」


 カップルは身を小さくして足早にフロアから去っていった。このまま美術館からも出るだろう。


「大丈夫か、本郷」


 一気に静かになったフロアで浩治が司に声をかける。先程の言い知れぬオーラはすっかり消えていて穏やかなものに戻っていた。


「チッ、見てたんならさっさと追い返しやがれ」

「無茶を言うな。お前だって注意の仕方に問題があっただろう。客の相手をするときくらい敬語を使え」

「あんなの相手に死んでもごめんだ」

「はあ……」


 浩治は額に手を当てて大げさにため息をついた。


『ありがとうございましたああああ!! 司さああああん!! 浩治さああああん!!』

「――っ! 耳元で叫ぶな『ムンタの叫び』」

「『ムンタの叫び』、なんだって?」


 突如乱入してきた『ムンタの叫び』に司は顔をしかめる。浩治の様子は変わらない。浩治は作品の魂が見えるだけで声を聞いたり話したりすることはできないのだ。


「ああ。お前にもありがとうって言ってやがる」

「そう。どういたしましてって伝えてくれる?」

「めんどくせえからヤダ」

「だろうね」


 浩治を無視して司は『ムンタの叫び』と向き合う。


「もう大丈夫か?」

『はいぃいいい!!』


 司の気遣いに『ムンタの叫び』は大声で頷くが、表情は悲しいものになる。


『しかし、魂の存在を信じない人もいるのですねええええ!! ちゃんと存在しているのに認知されないというのは辛いものですうううう!!』

「見えない奴からしたら、頭おかしいと思われても仕方ないからな。特に宿木市出身じゃない奴は余計に分かんねえだろうよ」


 司はため息まじりでそう言った。


『悲しいですううううう!!』

「安心しろ、ちゃんと分かる奴は分かってくれる。それに、少なくもここの職員は皆お前らが存在していることを分かってる。なあ、金風」


 司のいきなりのフリに浩治は一瞬驚いた顔をするが、『ムンタの叫び』に顔を向けるとにっこり笑って頷いた。


『ありがとうございまああああす!! 展示が終わるまでどうぞよろしくお願いしまああああす!!』

「おう、任せとけ」


 勢いよく頭を下げた『ムンタの叫び』の肩を司はポンポンと叩いてやった。


 『ムンタの叫び展』が終了する1週間前の出来事だった。





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