*13 わたしたちの寿命は違います





「『学者の肖像』! 今から宿木市立病院に行くぞ!」


 外出の準備を整えた司は険しい表情で『学者の肖像』に声をかけた。


『どうしたんだよ、急に。病院ってなんでだ?』


 他の魂たちと談笑していた『学者の肖像』は不思議そうに首を傾けた。


「落ち着いて聞けよ。――――佐伯さんが倒れたらしい」

『!!??』


 『学者の肖像』から表情が抜け落ちる。


 『学者の肖像』の持ち主だった佐伯一さえきはじめが老人ホームで倒れたと宿木美術館に連絡が入ったのは、ちょうど日が真ん中にのぼった頃だった。





◆ ◆ ◆





『じじい!!』


 ノックもなしに駆け込んだ病室。ドアが開いたと同時に『学者の肖像』は叫んだ。


 個室のベッドの上で佐伯は静かに横になっていた。なにやらいろいろな機器に身体を繋がれている。ベットの近くに医師と看護師が立っていた。


「佐伯さんの容態は?!」


 司は呼吸を整えるのも待てないといった様子で問いかける。


「脳卒中です」

「!」


 医師の告げた病名に司は身体を震わせた。


「助かるんですか?」

「……正直、厳しいかと」

「……そうですか」


 司は拳を強く握りしめる。状況を把握できない『学者の肖像』は、うろうろと佐伯と司の間をさまよっていた。


 医師と看護師が立ち去った後、司は『学者の肖像』に病名を告げ、「覚悟はしておけ」と伝えた。


 それから、学芸員の間で新たな仕事が追加された。『学者の肖像』と一緒に佐伯のお見舞いに行くことだ。しかし、佐伯の意識は回復することなく、ただ時間だけが過ぎていった。暗い顔をするようになった『学者の肖像』に学芸員も作品の魂もかける言葉を見つけられないでいた。


 そして、非情にもその時がやってくる。病院から佐伯の病態が悪化したと宿木美術館に連絡が入ったのだ。





◆ ◆ ◆





 程よく空調が効いた通路を病室に向かって走る。途中、看護師に注意されたが無視した。司の隣を『学者の肖像』が飛んでいる。病室が見えてきたとき、中から医師と看護師が出てきた。


「佐伯さんは?!」


 司は走ってきた勢いのまま医師と看護師につめ寄った。医師は司を見つめ、看護師はわずかに視線をそらした。


「残念ながら……」

「!!」


 医師の言葉に司は息をのむ。医師の言葉が分からない『学者の肖像』はハラハラした様子で2人の顔を見つめていた。


「……そう、ですか」


 司は肩から力を抜くと深く項垂れる。


『司!? じじいはどうなったんだ!!』


 いい加減我慢できなくなった『学者の肖像』が司の肩を掴んで揺さぶる。


「佐伯さんとこ行くぞ」

『無事なのか?!』

「別れの挨拶をしろ」

『!!??』


 『学者の肖像』の瞳が大きく見開かれた。


『うそ、だろ……助からなかったのか……?』

「……」


 司は何も言わずに病室の扉を開き、『学者の肖像』に中に入るよう促す。『学者の肖像』は、なにかに導かれるようにゆっくりと病室の中に入っていった。司も後に続く。医師と看護師は扉のところで様子を見守っていた。


『……じじい』


 佐伯はベットの上に横たわっていた。『学者の肖像』の声にも何の反応も示さない。瞼は固く閉ざされたままだ。


『おい、じじい……! じじい……!!』


 『学者の肖像』は佐伯の傍まで寄ると、必死に呼びかけた。


『なぁ、じじい!! 返事しろよ!!』


 佐伯はただ静かに横たわっているだけで応えない。『学者の肖像』は佐伯の投げ出された手を握ろうとその手を伸ばす。


『――っ!』


 しかし、手は佐伯の手をすり抜けていく。佐伯は魂を見たり話したりすることはできても、触れることはできなかったのだ。


『うっ! なんでだよ! なんで……!!』


 『学者の肖像』の瞳からボロボロと大量の涙が流れ落ちた。『学者の肖像』は何度も何度も佐伯の手を握ろうと手を伸ばし続ける。


『どうして俺は……! 人間じゃないんだ!!』


 決して触れ合うことのない手と手に『学者の肖像』が叫ぶ。せめて最期のときくらい触れ合っていたいのだと、全身で訴えている。


 司はそっと近づくと、自分の手を佐伯の手の上に重ね、その上に『学者の肖像』の手を重ねた。


『司……』

「悪い……こんぐらいのことしかしてやれねえ」

『……うぅ!!』


 『学者の肖像』は司の手を思いきり握りこむと、声を殺してひたすら泣き続けた。司は震える手と冷たくなった手を感じながら、『学者の肖像』が泣き止むまでじっとしていた。





◆ ◆ ◆





 喪服姿の司と『学者の肖像』は火葬場に来ていた。特別に許可をもらって立ち会わせてもらったのだ。最期のお別れを済ませ、今、火葬が行われている。司と『学者の肖像』は火葬が終わるまでの間、外に出てきていた。


 抜けるような青空に1本、煙が伸びている。


『じじい、天国に行けっかな』


 『学者の肖像』が煙を見ながらポツリと呟いた。


「そんなこと、お前が一番よく分かってるだろ」

『……そうだな。じじいが地獄に堕ちるとこなんて想像出来ねえや』


 横並びでいた司と『学者の肖像』だったが、その間には人1人分くらいの距離が空いていた。


『なあ、司』

「ん?」


 しばしの間があって、再び『学者の肖像』が話し出す。


『じじいは、なんで俺も一緒に燃やしてくんなかったのかな』

「……馬鹿が。それもお前が一番よく分かってるだろうが」

『……うん、そうだな』


 一緒に燃やすつもりだったのなら、『学者の肖像』を宿木美術館に寄贈したりしない。『学者の肖像』が生きていく環境を整えようなんて考えない。つまりはそういうことだ。


 『学者の肖像』の目じりに涙が浮かぶ。司はそれを見ないふりをした。


「お前と佐伯さんはすげえよ。絵画と人がこんなに強く結ばれているのを、俺は見たことがない」

『……』

「いい人と出会えたな」

『……ああ』


 『学者の肖像』の声は震えていたが、やはり司は気づかないふりをした。ただ『学者の肖像』と一緒に空に伸びる1本の煙を見つめていた。




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