第48話 鏡の中

体がうまく動かせない。


暗い漆黒の闇の中で、イサベラはもがくように前へ進んだ。


そもそも前へ進んでいるのかさえもはっきりと分からないぐらい、空間の感覚があやふやだ。


おまけに、もう長いこともがいているような、時間の感覚さえもはっきりしなくなってきている。


唐突に、イサベラは、鏡の中から吐き出されるように転がり出ると、何とか起き上がり、鏡に向かって身構えた。


どうやらセティカに入っているアイリスは追ってこないようだ・・・。しかしここは一体?


暗い。そして寒い。


そうだ、上着ローブは、イサベラの偽藁人形を作るために、ロージャに渡してしまったのを思い出した。


床についた手からは、ひんやりとした石畳の感触がある。どこかの地下のようで、窓もない。だが、ぼんやりとした輪郭から、どこかの廊下に見えた。


うしろは、イサベラが出てきた鏡で行き止まりであり、前方には、弱いながらも、良く見慣れた青白い光がゆらゆらと揺れて見えた。


「(あれは、鬼火灯ウィルオウィプスライト!)」


鬼火灯ウィルオウィプスライトがあるということは、死霊術士がいるのだろうか?空間全体にも確かに魔力が充満している。だが、月魔法のような、死霊術のような、そのどちらかの魔力だが、どちらともいえないような魔力だった。もっと何か・・・、もっと『黒い』何かだ。


「(わ、悪い死霊術士だったら・・・。)」


カローナが出入りしていたのだから、そんな危険な場所ではないだろうが、このまま奥に行ってもいいのだろうかという迷いが生じる。しかし、ここでじっとしていても何もなさそうだし、今でてきた鏡から、またイサベラの部屋に戻るのは怖くてとてもできない。


しばらく悩んでから、イサベラは意を決して、灯りの方へと進み始めた。


恐る恐る廊下を抜けると、そこには開けた部屋があった。


「(ビクゥッ!!)」


それは玉座だった。


薄暗い部屋の中ほどに、うっすらと玉座が見え、誰かが座っている。


飾り気のない石壁に、飾り気のない石の玉座、その殺風景な玉座に、一人の女性が、気怠そうに肘をついて座っていて、その両脇には、見慣れた鬼火灯ウィルオウィプスライトが列をなしてともっていた。


間違いない。充満する魔力の発生源はこの人だ。


「・・・・・。」


その女性は、無表情にイザベラを一瞥すると、興味がないのか、すぐに視線を虚空に戻した。歳はカローナより若く見え、その青白い美貌は、寒気を覚えるほどだ。


「(ゴクリ・・・。)あ、あのぅ・・・。」


その表情からは、喜怒哀楽はおろか生気も感じられない。


カローナの知り合いだろうか?しかしなぜこんなところに?


「こ、こんにちは。」


女性は再びイサベラを見た。しかしその表情はいまだに動かない。


「お、お姉さんは、ど、どなたでしょうか?」


何一つ心の整理がつかないまま、イサベラがやっと絞り出した言葉に、無表情だった女性の眉が少しだけ上がった。


「お姉さん・・・、お主こそ何者じゃ?察するに、イサベラとやらか?」


喋った!しかもイサベラの名前を知っている!


いや、カローナが出入りしていた場所なのだから、知っていても不思議ではないが、知っているのなら、もう少し温かく迎えてほしい。


「カローナから何も聞いておらぬのか?」


その何とも言えない雰囲気に気圧されながらも、イサベラは首を横に振った。


「・・・ふむ。」


玉座の女性は、どうしたものか思案するように、首をかしげ、膝を組みながら座りなおすと、正面からイサベラをじっと見つめた。


「わらわの名はセフォネ。それ以上は億劫じゃ、あとはカローナから聞くがよい。」


まさかの説明拒否に、次の言葉に迷うイサベラだったが、少なくともイサベラに危害を加えるような人ではなさそうなので、肩の力は少し抜けた。


「じゃが、カローナはどこじゃ?なぜ一人できた。」


そうだった!


鏡の外では、そのカローナが大変なことになっているのだ。


一刻も早く、何とかしてディアード先生か誰かに、アイリス先生のことを伝えなければ!


そうだ!何だかこのセフォネお姉さんも偉い人っぽいし、ひしひしと感じる魔力も、間違いなくただものではないし、何とかしてもらえるかもしれない。


「あのっ!あのっ!実は!」


イサベラは、魔力喰いエーテルイーターのこと、襲われたサニールと友人エミリアのこと、捕まったカローナのこと、置いてきたゴニアのこと、助けてくれたロージャのこと、そして襲って来たアイリス先生のこと・・・。つっかえつっかえ何とか説明した。


アイリスの名が出たとき、初めてその表情があからさまにに曇っていった。


「月魔法のアイリスか・・・。確か『ルナー』の娘・・・。」


しかし、セフォネの表情は、またすぐに冷たく無表情に戻っていった。


これだけ大物の雰囲気を漂わせているのだから、鏡の外で起こっている騒動のことを聞けば、当然、「そうか!私が何とかしよう!」となってもいいはずなのだが、その反応の薄さに、イサベラの焦りが募る。


そんなすがるようなイサベラの視線を察したのか、セフォネは厳かに口を開いた。


「事情はだいたい分かった。わらわに何かしてほしいようじゃが、わらわはここから動くことは出来ぬ。そういう決まりじゃ。」


期待も一気に凍り付く、冷たい言葉が返ってきた。


いや、これだけの大物感の漂う人物が、「動くことは出来ぬ」と、人知れずこんなところにいるのだ。それはそれは、イサベラのあずかり知ることのできない深い事情があるのだろう。


しかし、あまりの期待外れに、イサベラは頬をひきつらせた。


イサベラとしては、まずは何とかして、一刻も早く、アイリスのことをカローナに知らせたい。それが出来ないなら、信頼できる人でもいい。セティカのことも心配だ。


そのためには、当然ここからまた外に出なければならないが、外は今、どうなっているのだろうか・・・、危なくないだろうか・・・。このセフォネと言う人に頼れないなら、多少の危険は覚悟してでも、ひとりで飛び出すしかないのだろうか。


「か、鏡じゃなくて、ここから魔法学校に行く出口はないんですか?」


「うむ、無いな。反転世界ここは地下宮の一部じゃが、外の世界とはことわりがずれておるでな、外からは見ることも触れることも出来ん。鏡が唯一の出入り口じゃ。」


ここは地下宮だったのか。


一瞬、またあの時のように、カローナが助けに来てくれるまでここで待っていようかという、甘えた考えが頭をよぎる・・・。


しかし、イサベラは頭を振ってそれを打ち消した。


アイリスがどうするつもりかは分からないが、このままのんびりと放っておいていいわけがない。そう、放っておくわけにはいかないのだ。


「お、お騒がせいたしました。じゃあ私は、鏡からまた戻りますね。」


もじもじとふらつきながらも、立ち上がるイサベラを、セフォネは相変わらずじっと見ていた。


「大丈夫か?ふらついておるぞ。」


「大丈夫です。早くいかなくちゃ。」


「そうか・・・、わらわは動けぬが、これを貸してやろう。」


「え?」


差し出されたセフォネの手には、黒いぼろきれが握られていた。

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