第17話 石の師弟

 ・・・やっぱり来なければよかった。


 イサベラが、ゴニアに会いに来たことを後悔するのに長くはかからなかった。


 何というか・・・、いたたまれないのだ。


 そして重い。


 何とも言えない重圧が、座っているだけで神経をゴリゴリと削っていく。


 その重圧の発信源は、イサベラの前にたたずんでいる。仮面の女性。


 ゴニアの師匠、メデュキュラス。その人のせいだ。


 基本的に魔術の実験のため、部屋にこもることが多いらしく、イサベラが会うのは初めてだが、すぐにわかったのは、外をうろついてはいけない種類の人間だということ。


 まずはその、目元を覆う仮面。


 月仮面さんや花仮面さんのようなふざけたものではない。れっきとした魔法品マジックアイテムであり、おそらくゴニアの眼鏡と同じように、目元を覆い、瞳の魔力を抑えるものだと思われ、表情が見えないだけで、かなりの威圧感だ。


 加えて、近寄るだけで周りの空気が濃くなったかような、無尽蔵に思えるほどの、発せられている魔力。


 隣のカローナはケロッとしているが、魔力の半人前のイサベラにとっては、空気が濃すぎてうまく吸えないような。息苦しさを感じる。


 そんな桁違いの魔力なのに、見た目と言えば、ゴニアそっくりのぼさぼさ頭に、猫背気味の姿勢。白いはずの金魔法こんまほうのローブは、汚れやくすみで、白ではない何かになっている。その容姿からは、声を聴かなければ、髪の長いほっそりした男性に間違えてしまいそうだ。


 ローブの汚れの原因は、部屋を見れば一目瞭然だった。


 所せましと棚に並べられた、魔法の実験器具と、何かの材料。


 いくつかのガラス瓶には怪しげな色をした液体が入っていて、その横には魔法の研究書と思われる分厚い本が山積みにされている。


 ある意味では、魔法をよく知らない一般人が、「王立魔法学校の先生の部屋」と言われて、真っ先に思い浮かべるような、研究の徒としてはこうあるべきかのような、典型的な魔法の研究室だ。


 ・・・が、汚い。


 床には何かの液体がこぼれた跡が、すでに乾いてかぴかぴで、棚はなんだか埃っぽい。ローブが汚れてしまうのも当たり前だった。


 そして、極め付けが、床に転がった『エーテル魔法水』の空き瓶の数々・・・。


『エーテル魔法水』は、魔法の実験用に特別精製された水であり、あらゆる特殊素材をよく溶かすため、魔法の実験用によく使われ、カローナもたまに使っているのを見るが、イサベラはこの微妙に鼻を衝くにおいが苦手だった。それが大量に使われたとみられる空き瓶が、部屋の隅に積まれており、いくつかは床に転がっていた。


 研究に没頭するあまり、他のことには気を使わないところも、魔法学校の人間にはよく見られる特徴だが、魔法学校にまだ長くないイサベラは、そのもっとも突き抜けた見本を見せられて、目を白黒させた。


「まずは頭皮を見てみましょう・・・。」


 カローナからの話を聞いたメデュキュラスが、怪しいかつら屋の宣伝文句のようなセリフとともに、座ったイサベラの後ろに回り、頭を触り始める。


「(うっ、においが・・・、きついっ!・・・)」


 メデュキュラスが近づくと、『エーテル魔法水』のにおいが一層きつく、魔力の重圧も強くなる。


 頭を触られながら、石化能力の制御は完璧と聞いていても、一度くらった身としては、緊張で体に力が入る。石化もされていないのに、イサベラの体はカチカチだ。


「・・・はあ(溜息)、これは確かにゴニアですね。早急にもっと強力な眼鏡を作らないといけないようです。申し訳ない、イサベラさん。」


 イサベラを調べ終わったメデュキュラスは、仮面の顔を近づけながら謝罪した。


 仮面のため、その口元からしか表情はわからないが、教え子の不始末に、心底恐縮しているようで、悪い人ではなさそうだ。・・・でもきつい。匂いがきつい。


「ゴニア、出てきなさい。あなたからもちゃんといわないといけません。」


「(!!!って、いつから?!)」


 匂いと重圧プレッシャーで朦朧としていたためか、実験器具の後ろに隠れるようにして立っていたゴニアに、イサベラは全く気が付かなかった。


 ぼさぼさの髪を揺らしながら、ゴニアはうつむいたままおずおずと前に出てくると、メデュキュラスにそっと背中をうながされて、頭を下げた。


「・・・ごめんなさい。」


 その声は、蚊の鳴くような小さな声で、なんだかイサベラのほうが逆に申し訳ないような気持ちになる。


「あ、う、えーと。あの。」


 何か言おうとしたイサベラより先に、カローナが口を開いた。


「いいのよ、いいのよ。制御の難しい能力だってことはよく知っているわ。もっと強力な眼鏡を作ってもらえばいいんだし。そして、はじめましてかしら?死霊術士のカローナよ。よろしくね。」


「は、はじめまして。お噂はかねがね、メディキュラス先生からお聞きして、存じておりました。よろしくお願いします。」


 ぼさぼさ頭からは信じられないような丁寧な言葉が出てきた。


「まあ、メディ!しっかりした子じゃない。言葉遣いだけじゃなくて、おしゃれもしないともったいないわ。相変わらず実験ばっかりやっていないで、弟子の髪ぐらい梳かしてあげなさいよ(笑)。」


「こういうのは本当に苦手で・・・、、これを機にカローナ先生にお願いしたいぐらいです。私は櫛がどこにあるかもわかりませんから、はは・・・。」


 和やかな雰囲気になったが、イサベラは非常に気になることがあった。


 カローナは確かに「メディ」と言った。


 魔法学校の先生同士、それは時に愛称で呼ぶこともあるかもしれない。しかし友達作りでで苦労しているイサベラの前で見せつけるなんて!と、カローナの交友関係の広さにイサベラの嫉妬の炎が燃え上がる。まあカローナにそんなつもりはもちろんない。


「(あ、あたしだって!)あの・・・、私はイサベラ。全然気にしてないよです。よろしくね。・・・です。」


 ゴニアが褒めらるところを意識してしまったため、なんだか語尾がおかしいが、イサベラは握手のため、勢いよく手を差し出した。


「あ、はい。初めまして。」


 イサベラの勢いに押されて、ゴニアも思わず差し出された手を握る。


「イサベラ、ちょっ・・・。」


「あ、それは・・・。」


 カローナたちが止めようとしたときはもう遅かった。


 イサベラは手を握りながら、やっぱり手を握るのはいいものだとしみじみと思っていた。


(人のぬくもりって好き。暖かいっていうのはつまり生きているってことで、死霊術士としては、逆にこの生命のぬくもりが・・・、ん?・・・このぬくもりが・・・、ん?ん?)


 イサベラの手は、肘あたりまで石になっていた。


 はっとしたゴニアが、はじけたように手を放す。やってしまったという顔をしながら、みるみると涙ぐんでいく。


 イサベラはじっと自分手を見つめたあと、先生たちを見た。


 カローナは「あちゃー」という顔をしていて、メデュキュラスはため息とともに、仮面のこめかみに手を当てている。


 本当に恐怖を感じたときは、声も出ない。


「(えっと、なんで石化?いや、ちがくて。もう戻らない?ゴニア泣いてる。泣かせた私?いや、ちがくて。エーテル魔法水の匂いが、いや、ちがくて。そうだ、握手失敗。これだ・・・。)」


 匂いと魔力ですでにすり減っていたイサベラの神経は限界を迎え、イサベラは気を失った。


 やっぱり来なければよかった・・・。

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