第45話 学校の中で
イサベラは、周りが静かになったころを見計らって、藁の中から這い出てきた。
ごしごしと袖で涙を吹くと、慎重に様子を伺いながら、王立魔法学校の門を目指して走り出した。
ロージャがうまく誘導してくれているのだろう。遠くで喧騒は聞こえるが、王立魔法学校までの道のりには、群衆の姿は誰も見えなかった。
暫くすると、すぐに勝手知ったる見慣れた魔法学校の門が見えてきた。
イサベラは今一度、物陰から注意深く周りの様子を伺うと、一気に門の前まで駆け寄った。
夜の間、学校の門は魔法によって固く閉ざされているが、脇戸には特殊な魔法処理がされており、学生や教師なら誰でも、魔力をかざすだけで中に入ることが出来る。
イサベラは素早く脇戸を開けると、滑り込むように中に入ると、音をたてないように、そっと門を閉じた。
「イサベラ・・・さん?」
不意に暗がりから名前を呼ばれ、喉から飛び出るかと思うほど、イサベラの心臓は跳ね上がった。
飛びのくように後ろを振りかえり、暗がりにいた人物を見て、その人物が誰だかわかると、イサベラは大きなため息とともに、胸をなでおろした。
「セティカさん・・・、びっくりしましたよ。」
暗がりから出てきたのはセティカだった。
今日一日中、サニールを探し回っていたのだろうか、いつものように背筋こそピンと伸びていたが、髪は乱れ、服は薄汚れている。その顔も微笑んではいたが、明らかに力なく憔悴しきっていた。
サニールはやはりまだ見つかっていないのだろう。だが今は、イサベラもセティカを気遣っている余裕はなかった。
「あの・・・、先生方を探しに来たのですが、今は学校に誰かおられますか?」
セティカは憔悴しきった顔のまま、また微笑んだ。
「ええ、ちょうどさっき、カローナ先生も戻ってこられて、他の先生方もカローナ先生の部屋に集まっているわ。ちょうど私も行くところだったから、一緒に行きましょう。」
そういって、セティカは小走りで月魔法の校舎へ走り出した。
「カローナ先生が!?」
イサベラは、今度は嬉しさで、心臓がはねた。セティカにつられてイサベラも勢いよく駆けだした。
良かった・・・。これで何もかもすべてうまくいく。
まだ大変な事態には違いないが、イサベラに出来ることはほとんどないし、あとは先生たちに任せておけば、ひと安心だ。もう街で追い掛け回されて、群衆におびえなくても済むはずだ。そうだ!ロージャのためにも、すぐに事情を話して、街の人の誤解も解いてもらおう。
そして何よりも、カローナ先生ともうすぐ会える!
安心感と、高揚感で胸を弾ませながら、セティカの後を追った。
そのセティカは、カローナのイサベラの部屋のドアを開けると、中へ入っていった。
イサベラも続いて、開いたドアから、中へと入っていった。
セティカの姿はすでになく、奥の居間から、煌々と燈る明かりが見えた。
「(カローナ先生!)」
イサベラは、居間に駆けこむように飛び込んでいった。
「あれ?」
そこには誰もいなかった。ただ天井から下げられた灯だけが、寂しく揺らいでいた。
色々とおかしなところはあった。言葉もノックもなく部屋に入っていったセティカ。感じるはずのカローナの魔力も、感知できなかった。しかし、十三才のイサベラが、カローナに会えると浮かれすぎていたのは、仕方のないことかもしれない。
ふと、後ろに気配を感じ、扉の方で、鍵のかかる音がきこえた。
イサベラが振り返ると、扉の前で、セティカがたたずんでいた。手には何か、きらりと光るものが握られていた。
「セティカさん?」
次の瞬間、セティカはイサベラに、音もなく一足飛びで、飛びかかってきた。
突然のことに、イサベラは後ろに下がった拍子に、床につまずいて転んでしまった。それが、まったく幸運なことに、突進してきたセティカの足をかける形になり、セティカはそのまま、椅子やテーブルを激しく倒しながら、転がっていった。
「(え?セティカさん?何で?何で?カローナ先生は?何で?)」
激しく混乱するイサベラに、受け入れがたい一つの事実が突き付けられ始めていた。
イサベラはセティカに騙されたのだ。
そのセティカは、無表情のまま何事もなかったかのようにすぐに立ち上がると、今度は慎重に間合いを詰めてきた。
灯の下で、今度ははっきりとわかる。手に握られているのは短剣だった。
「ひぃ!」
イサベラは何とか急いで立ち上がると、扉に駆け寄った。
だが、さっきはっきりと聞いた鍵をかける音は、聞き間違いではなかった。いつも挿しっぱなしになっている鍵も抜かれている。おそらくセティカが持っているのだろう。部屋から出るにはセティカから奪うしかない。だがどうやって?
「セティカさん!冗談はやめてください!鍵を、鍵を返してください!」
ゆっくりと近づいてくるセティカに向かって、イサベラは叫んだ。
セティカは無表情のまま、短剣をかざしながら、構わずにじり寄ってくる。
イサベラは思わず震える手で、思わず
イサベラが
「ねぇ、イサベラさん・・・。私を攻撃するの?」
喋った!
言葉は通じるという一縷の希望と、襲い掛かってくる人間の理不尽な質問に、イサベラはしどろもどろになりながらも、説得を試みた。
「セティカさん!本当に、本当にやめてください!止めないと・・・。」
「どうするの?」
「魔法を使います!」
命の危険を感じている今、まったくの脅しでもなかった。だが、イサベラは迷いに迷っていた。その時が来ても、本当にセティカ相手に魔法を使える自信はなかった。たとえ使えたとしても、魔法の実力は完全に相手が上であり、どうにもならないだろう。
イサベラは、震える手に無理やり力を入れながら、セティカの
「(あれ?でも?)」
なぜ、セティカは短剣で攻撃してくるのだろうか。なぜ、魔法で攻撃してこないのだろうか・・・。
「ねぇ、イサベラさん。本当に私に魔法を使うの?」
もうセティカは無表情ではなかった。夢を見るような、おっとりとした目で、イサベラを見つめていた。
イサベラは、同じような目で「ねぇ、イサベラさん。」という言う人物を思い出して、驚愕した。
「アイ・・・リス・・・先生?」
セティカの顔が、また無表情になり、空気が張り詰めた。
「勘のいい子ね。当たりよ!」
セティカは・・・、いや、セティカの中にいるアイリスは、言葉を終えるや否や、また短剣を振りかざして襲い掛かってきた。
イサベラは、その二撃目もかろうじて避けると、また明るい居間の方へ逃げ込んだ。呼吸を整えて、
「やっぱり、他人の体で戦うのは、いつもうまくいかないわね。違う属性の魔法も使えないし、短剣もうまく扱えないわ。」
そういいながら、セティカの体を乗っ取ったアイリスは、居間に姿を現した。
「(ま、魔法が使えないなら!)」
イサベラに勝機があるかもしれない。
脅しではなく、イサベラはセティカに向かって、
「でもね?体のほうは、正真正銘セティカさんの体よ。サニール君をおとりに使ったら、簡単に降参したのよ。こうなると、人は弱いものね。」
当惑、怒り、迷い。イサベラの心は、激しく揺さぶられた。「人は弱い」というのは、確かに正しいようだ。
「ねぇ、イサベラさん。もう一度聞くわね。本当に魔法を使うの?」
イサベラは、歯を食いしばって答えなかった。
セティカは、無表情のまま「ふうっ」とため息をつくと、次の瞬間、短剣を振りかざして、掴みかかってきた。
ここに、カウンター気味に
魔法を唱えるために、息を吸い込んだイサベラの目に、向かってくるセティカの姿が映った。
初対面で、ピクリとも笑わず、イサベラたちを見下ろしていたセティカ・・・。
整った顔立ちで、冷徹な眼光のセティカ・・・。
そして、気を失ったエミリアを背負って逃げてくれたセティカ・・・。
イサベラは、魔法を唱えるために吸い込んだ息を、そのまま吐きだした。
イサベラには出来なかった。
セティカは、そのままイサベラの襟をつかみあげ、壁に押し付けると、振りかざした短剣を狙いすました。
イサベラは、もう目をつぶることしかできなかった。
しかし、その短剣は、いつまでもイサベラに振り下ろされなかった。
恐る恐るイサベラが目を開けると、セティカの体は、短剣を振り上げたまま、小刻みに震えていた。
「に・げ・て・・・。」
苦悶に歪むセティカの表情から発せられた絞り出すような声は、セティカそのものの声だった。
「さすがは副学長。でも無駄なあがきだわ。」
セティカの表情は、またすぐに無表情になり、小刻みに震えていた腕の震えは激しくなり、セティカの抵抗は、今にも振り切られそうに見えた。
イサベラは、ふと横を見た。
いつもの大鏡がすぐ真横にあった。
いつかの日、カローナが入っていった鏡だ。あれは本当に夢だったのだろうか?
いや・・・、危機の中、イサベラの記憶は逆に鋭利に、鮮明になっていった。
不思議なことに、あの時のカローナの魔力の流れ、唱えた言葉が、だんだんと思い出されてきた。
一度見た魔法を、習得する速さはぴかいち。
まさかカローナも、イサベラのその才能が、ここまでとは思わなかったのかもしれない。
あのとき、カローナが唱えた言葉は、確か・・・。
「
イサベラは、大鏡に手をかざすと、震えるセティカの手を振りほどき、そのまま鏡の中へ吸い込まれていった。
吸い込まれる刹那の一瞬。イサベラの目に、セティカの、いや、アイリスの驚愕する顔が見えたが、すぐに陽炎のように掻き消え
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