第44話 逃避行

夜の街を、闇に紛れながら、イサベラは骸犬スカルドッグの背に乗って、駆け抜けていた。群衆は振り切れていない。後ろのほうでは、イサベラの背中を刺すような怒号が聞こえた。


今のイサベラの召喚する骸犬スカルドッグは、初めて召喚した時よりもだいぶ大きくなっており、まだカローナほどの巨獣ではないが、その四肢の骨は、太く頑強で、少女一人を背にのせながら、二階から飛び降り、なお疾走できるほどの大きさになっていた。


しかしさすがに無傷と言うわけではなかった。二階から飛び降りた際、前足の骨が折れた。


それゆえ、骸犬スカルドッグの走り方はおかしく、本来の速さには程遠かった。エミリアの家の前にいた群衆から一時的には逃げることはできても、骸犬スカルドッグの召喚時間も限られており、長く逃げ続けられるとは思えない。


もちろんイサベラも、そのつもりは初めからなく、エミリアの家を離れようと決意した時から、行先は決めていた。


向かう先は、王立魔法学校だ。


カローナに会いに行くことも考えたが、王都の守り手シャインズガーディアンの拠点がどこにあるのかが、イサベラはそもそも正確な場所を知らなかった。


だが魔法学校なら・・・。


昨日までは、今回の事件の対応に追われ、多くの先生たちも魔法学校に居たはずだが、今日は分からない。ラダンによれば、カローナは学校にいたのではなく、街でサニールの捜索を手伝っていた所を、王都の守り手シャインズガーディアンに連れていかれたと言っていた。他の先生たちも、捜索のため、学校にはいないかもしれない。


それでも学校なら、ディアードやメデュキュラスの誰か一人でもいれば、助けになってくれるだろう。


しかし今は、追ってくる群衆を振り切ることが先決だ。


イサベラは細い路地を縫うように駆け抜け、暗闇に紛れながら、何とか学校へ向かったが、前足の折れた骸犬スカルドッグでは、なかなか完全に撒くことが出来なかった。これはイサベラの致命的な誤算だった。


学校まであと少しと言うところまで来た時、ついに骸犬スカルドッグの召喚時間が尽きてしまった。イサベラは何とか誰もいない路地裏に身をひそめたが、ここでじっとしていても、見つかるのは時間の問題に思えた。こんな時に限って、予備の骨はもってきていない。あとは何とか自分の足で、学校まで行くしかない。


「(・・・見つからずに行けるかな?)」


不安と恐怖に、自分の足で走る前から、すでに息は苦しく、膝は震えていた。でも行くしかないのだ。


「いたぞ!」


そんなイサベラのなけなしの決意をあざ笑うかのように、表通りのほうから怒号が聞こえた。大勢の人間が走ってくる姿が見え、イサベラは一目散に走りだした。


もう学校の方角など考えている余裕もなかった。小さな体は、群衆の押しつぶすような敵意に耐えられるはずもなかった。


イサベラの足はもつれ、息ももう限界だった。すぐ後ろに、響くような足音が聞こえる、相手の息遣いまで聞こえるようだった。


もうだめかもしれない。


イサベラの脳裏に、ゴニアや、今だに眠っているであろうエミリアのことが浮かんだ。


そして、カローナの悲しそうな顔も・・・。


「おい!あたいだ!大丈夫か?!」


素早く走る巨体、特徴的な厚い唇。すぐ後ろを走っていたのは、なんとあの女戦士だった。


「逃げるの手伝ってやる!担ぐよ!」


女戦士は、あまりの驚きに言葉を失っているイサベラの返事も待たずに、ひょいと軽々とイサベラを抱えあげると、そのまま走り続けた。


「何だあいつは!」


後のほうで、また怒号が聞こえたが、イサベラを抱えてなお、誰も女戦士に追いつけなかった。それどころか、どんどんと群衆を引き離していく。


イサベラによって、何とか女戦士の手元に残った、魔法品マジックアイテムの革靴の力だ。履く者の素早さを、大きく上げる。


「しっかりつかまってるんだぇ!」


女戦士は、走りながら脇の壁を蹴って、三角飛びのように軽々と目の前の壁を飛び越え、なおも疾走しては跳躍を繰り返し、ついに、いつの間にか群衆の声は全く聞こえなくなっていった。


女戦士は、イサベラを抱えたまま、目の前に見えた馬小屋に飛び込こんだ。


「はあ、はあ、わ、悪いが、ちょっと限界だね。」


女戦士はイサベラを下すや否や、藁束の上に仰向けに倒れ込んだ。よほど無理をして走ったのだろう。呼吸は激しく乱れ、汗は滝のように流れ落ち、藁の匂いに、時々せき込んでいた。


馬たちは、突然の侵入者に、初めは騒いだが、人になれているせいか、すぐに、時折いななくだけになった。


「あ、有難うございます!」


イサベラは、なおも呼吸を整えながらせき込んでいる女戦士にお礼を言った。正直言って、もうだめだと思っていた。


殺されるようなことはないだろうが、あのまま群衆につかまっていたらと思うと、考えるだけで足が震えた。


「はあ、ふう、ふう・・・、いや、あんたにゃ借りがある。礼なんて結構だね。」


女戦士は、カローナが捕らえられたことなど、街の噂を聞いていた。


そんな中、街の騒がしさに通りに出たことろ、骸犬スカルドッグに乗って逃げているイサベラを偶然見かけ、時々見失いながらも、ずっと追いかけて来たらしい。


「ふう・・・、追いかけていたからわかったんだが、魔法学校に向かっていたんだろう?止めた方がいい。遠目にしか見なかったが、多分、門の前にも何人かいる。」


イサベラは女戦士に、カローナの連れていかれた、王都の守り手シャインズガーディアンの詰め所についても聞いてみたが、複数ある上に、ここからではどこも遠いらしい。


「さすがに、あいつらに見つからずに、すべてに行くのは無理だねぇ。群衆がああなると、話は通じないさぁ。あんたも災難だねぇ。」


骸犬スカルドッグの前足が折れたのもそうだが、なんでこうも誤算が続くのか・・・。イサベラは途方に暮れてしまった。やはり目と鼻の先にある魔法学校に、何とか入ることが出来れば一番いいように思えたのだが・・・。


「どうしても魔法学校に行きたいなら、手がないこともないよ。」


俯いていたイサベラが、女戦士の言葉にはっと顔を上げた。


「ここにある藁束と、あんたの黒いローブを使って、あんたの偽物を作る。それをあたいが担いで逃げながら、門の前にいるやつらも引き付けておびき寄せるから、その隙に、あんたは学校に入ればいい。」


「で、でも、そしたら・・・、えーっと・・・。」


「ロージャだ。そういや、ちゃんと名乗ってなかったね。あたいなら大丈夫だ。あたい一人で走り回る分にゃ、余裕で逃げ切れる。もうこの街の土地勘もできたさ。」


「でも・・・。」


「さっ!そうと決まったら急ぐよ!」


なおも、ロージャのことを心配して迷っているイサベラをせかすように、イサベラの答えを待たずに、勝手に準備を始めた。


確かに、いくら考えても、他にいい案は思いつかないし、ここにずっといても、見つからないという保証はない。馬小屋の外では、また徐々に喧騒が近づいてきているような気がした。


ロージャが、藁でイサベラ人形を作り終えるころ、ついにはっきりと、群衆の足音や喧騒が、イサベラたちのいる馬小屋まで聞こえ始めた。


「早く!貸しな!」


ロージャは、イサベラをせかして、強引にローブを掴むと、急いで偽イサベラ人形を仕立てた。


「じゃあな、あんたは藁の中にでも隠れてな。あたいはすぐに学校の門に向かうから、静かになったら、すぐにでも学校に向かえばいいよ。」


イサベラは慌てて、積み上げられた藁の中に入っていった。


「あの・・・。」


藁の中からイサベラのか細い声がした。


「なんだい。」


「本当にありがとうございます。」


暗闇で、もう藁束のどの辺にいるのかもはっきりとわからないが、その声の震え方から、イサベラが泣いているのは分かった。


ロージャは何も言わずに、馬小屋を飛び出していった。


予想通り、近くまで来ていた群衆の一人に、すぐに見つかった。


「いました!いましたよ!間違いないです!ふてえ野郎だ!」


若いころから敵意に囲まれて生きてきた。敵意にはなれている。


だがロージャは、本当に不思議だった。


この街に来て、ここまで自分の考え方が変わるとは思わなかった。少し前の自分なら、絶対にこんな真似はしなかっただろう。


「(さて、もってくれよ!)」


ロージャの額には、疾走による汗とは違う、痛みによる脂汗がにじんでいた。走れないほどではないが、踏みしめるたびに、左足首に痛みが走った。イサベラを抱えて壁を飛び越えたとき、痛めたらしい。だが、イサベラが学校に入るまで、もてばいいのだ。あとはどうなるか分からないが・・・。


本当に不思議だった。だが後悔はなかった。

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