第9話 3個目の核

「なにあれ!蟹?」


 柱の天井近くにへばりついたその巨大な蟹は、鬼火灯に照らされてもピクリともせずにいる。


「おかしいわよ!何であんなのがここにいるの?!」


「わ、私に言われても・・・。」


 エミリアの疑問はもっともだった。「王都の裏庭シャインズヤードの歩き方」には、第一の間はスライムしかモンスターは出現しないと書いてあったはずだ。


 なので、イサベラたちにはまったく蟹の戦闘力が測れなかった。はたして今のイサベラたちに何とかできる相手なのか?少なくともスライムよりは頑丈そうで、嫌悪感と威圧感も段違いだ。あんなのがカサカサとこちらに向かってきたら、イサベラはとても正気を保てそうにない。一刻も早く蟹から遠ざかりたい衝動に駆られる。


「ふぅ、ふぅ、い、いったん落ち着くわよ。蟹の事もそうだけど、何よりもミッションよ。そうよ!何よりもミッションなのに、ああもう・・・、やっちゃったわ。部屋の隅へ転がっていった。」


 さすがに自分自身のうっかりに、強気なエミリアも心なしか少ししょんぼりしている。


「だ、大丈夫、骸犬を使えばすぐに取ってこれるから、蟹にも近づかなくてすむよ。」


「やれそう?できればあんなのを相手にしたくないわ。お願いするわ。」


 幸か不幸か、蟹は未だに動く気配がなくじっとしている。


「骸犬!お願い!」


 骸犬は、イサベラの掛け声にコツコツとあごの骨を鳴らすと、部屋の隅へ駆けていく。


「ふう・・・。」


 何度も続く緊張の連続で、すでにワンドを握るイサベラの手のひらは、汗でべったりだった。杖を握りなおすために持ち手を変えようとして、杖に宿る鬼火灯の異変に気が付いた。


(・・・あ、効果時間切れ。)


 気づくのが一歩遅かった。


 一瞬のうちに、みるみると鬼火は小さくなり、やがてポンとはじけるように消え失せ、あたりは完全な暗闇となった。


「ちょ!何事?!イサベラ!」


「ご、ごめん!効果が切れて・・・。」


「早く!早く!」


 ゴシャ!


 暗闇の中から、二人にははっきりと何かの落ちる音が聞こえた。


 たぶん「あれ」カニが落ちる音がした。


 いや、絶対にあれの落ちる音だった。


鬼火灯ウィルオウィプスライト!!」


 イサベラはパニックでもたつきながらも、何とか鬼火灯を再点灯すると、急いで周りを確認した。


 明かりを取り戻した二人の目に映った光景は、柱の下あたりでつぶれている骸犬・・・。


 ・・・蟹の姿が見えない!


「っ!!!!」


「ひっ!!!!」


 硬いものを引きずるような音のするほうを振り向くと、柱の影から回り込むように蟹が迫ってきていた。


 だが様子がおかしい、歩行に使うはずの脚はだらんと垂れ下がり、まるで腹で床に吸着するようにずるずると移動している。蟹と言えば、キョロキョロ忙しなく動くのが特徴の眼も、黒ずんで生気のないままピクリとも動かない。


 蟹ではない何かが、蟹の甲羅の中にいる!ここではもちろんあれしかいない。


「きもい!きもい!きもい!きもい!」


「逃げよう!」


「はっ!まって!スライムのコア!」


 とっさに二人はコアの転がっていった方向に駆け出したが、今日が実戦初日の二人にとって、戦闘中に部屋の隅に行くという事が何を意味するのかわからないのは無理もない事だった。


「よかった、あったぁ。」


 エミリアは部屋の隅で埃まみれになっていた核を拾い上げると、安堵のため息をつく。しかし・・・。


「来た来た来た来た来た来た来たー!!」


 蟹の甲羅をかぶった何かは、体を高速で引きずりながら、迫ってくる!


「|荊の鞭(ソーンウィップ!)」


 破壊よりも表面を削るような痛みのダメージに重点を置く荊の鞭は、蟹の甲羅にはじかれてしまい、動きはまったく止まらなかった。


 そのまま蟹は柱を這い登ると、天上に張り付き、イサベラたちを追い詰めるような位置で止まる。棘のような足だけが逆さまにぶら下がった様は、イサベラとエミリアにも蟹ではない何かが甲羅の中にいることを見せつけた。


鬼火ウィルオウィプス!」


 荊の鞭と正直言ってどっこいどっこいの威力の鬼火は、やはりあえなく蟹の甲羅にはじかれた。


 パチュン!


 次の瞬間、発射音のような音と共に蟹からグニョーンと粘体のような物で繋がった鋏だけが伸びたかと思うと、遠心力を利用してエミリアのほうへ飛んできた!


 意外な距離からの変則的な攻撃なうえ、ここに来て始めての、怪我をイメージさせる凶悪な攻撃に、まったくの不意を突かれた二人の体は固まってしまった。


「(ああ、痛そう・・・)」


 とげとげの鋏をスローモーションで確認しながらも、悲鳴も上げれず、眼をつぶるしかなかった二人に、自動防御の過保護フォレストハートが発動する。


 蟹の鋏がエミリアに届く前に、森の心フォレストハートはメキメキと一瞬にして細い枝でエミリアの体を覆うと、蟹の鋏をはじいた。


 驚いたことに、わずかな衝撃さえもエミリアには届かない。


「あ、あれ?助かった?」


「エミリア!大丈夫?うわ!何それ?」


 樹王の姫ドリュアスディアードの杖、「森の心フォレストハート」。


 樹魔法の術者が持つと、あらゆる物理攻撃に対して自動で防御を発動させる特殊効果のある杖だ。


「ディアード先生が貸してくれた杖・・・。知らなかった、こんな力があったなんて・・・。」


「すごい・・・、どこも痛くないの?」


「うん、まったく。しかも魔力の消費もないみたい。あ!イサベラ!私の後ろに!」


 杖の力にゆっくり感心する暇もなく、蟹のニ撃目が伸びてきたが、今度も森の心フォレストハートの自動防御によってはじかれた。


「なにあれ?もしかして、蟹の中にスライムがいるの?」


「うん、多分だけど、蟹の甲羅をかぶったスライムみたい。はぁ、・・・あんなのもいるんだぁ。」


 部屋の隅に追い詰められているとはいえ、少し考える余裕の出来た二人は、蟹スライムを注意深く観察する。


 おそらく夜の満潮時に、地下宮の入り口あたりをうろうろしていた蟹が、同じく夜に、入り口あたりまで這い出てきたスライムに捕食されたのだろうか・・・。蟹の甲羅をかぶったスライムであろう生物は、一旦攻撃の手を休めると、戦闘は膠着状態となった。


「くすん。骸犬、潰されちゃった・・・。」


「・・・イサベラ、最後のスライム、あれにするわよ。」


「へ?」


 得体の知れない蟹は相手にしたくないが、過保護な防御もあることがわかり、スライムらしいとわかったエミリアの心変わりは早かった。


 唐突な提案に、イサベラは情けないほど弱気な声で聞き返してしまった。スライムに対して絶対優位であるはずの骸犬が一撃でやられたのだ。しかも天井に陣取るこの蟹スライムに、もう骸犬は攻撃に使えない。かといって今のイサベラたちの攻撃魔法では、何発撃ってもあの硬そうな甲羅を突き抜けて、中のスライムにダメージを与えられそうにない。


「エミリア本気?わたし達の手に負える気がしないけど・・・。」


「やってみなきゃ、わからないじゃない!あれが倒せれば、3個目よ!3個目!例え無理でも、ディアード先生の杖があれば、逃げるのは簡単そうだし。」


「でも私たちの魔法、ぜんぜん効かなかったよ。」


「それよ!蟹の癖に、何あれ!何であんなに硬いの?むかつく!そうだ!あなた一番最初にここでスライムを攻撃した時、鬼火をニ発動時で撃てたでしょ?あれ何発まで同時撃ち出来るの?」


 三発だ。


 カローナによれば、そもそも鬼火の同時撃ちのできない死霊術士もいるなか、イサベラの歳で鬼火の3発同時撃ちと言うのは、明らかに才能らしい。同時撃ちの鍛錬しだいでは、ダメージの上限の計り知れない、そら恐ろしい鬼火にもなるそうである。


 しかし、蟹スライムの硬さを実感したエミリアにとって、三発というのは、どんなにすごい才能だろうが、微妙に不満の残る数字だった。


「・・・三発かぁ、なんか不安ね・・・。あっ、まって!あの時は二人で同時に攻撃したじゃない?!」


「そうだ・・・、そうだよ!あれならもしかしたら・・・。」


 あの、スライムを核ごと木っ端微塵にしてしまった攻撃なら、確かにいけそうな気がする。イサベラはスライムの核を確認した時、地下宮の石の壁も削れていたのを思い出した。あの時は二発の鬼火だったが、もし三発分なら・・・。いける!


「でも闇雲に同時攻撃するのもなんか不安ね・・・。イサベラ、あなた鬼火灯も使えるなら、わたしの茨の鞭に鬼火を乗せたりとかできない?前に本で、そんな術の連携もあるって読んだ事があるわ。」


「うわぁ、エミリアすごい。わたしそんなこと、考えたこともなかったよ。」


 鬼火を乗せる。


 考えたこともなかったが、まったく無茶というイメージでもなかった。もしできるなら、タイミングを完璧に合わせて、正確にダメージを上乗せできるはずだ。


「どう?できそう?」


「わからない・・・けど、むしろやってみたい。」


 イサベラの意外と前向きな答えに、エミリアは多少驚いた。


「(へえ、興味がわくとこんな顔もするんだ)ふふ、じゃあ、せーのでやってみるわよ。一発ぶっつけ本番、うまくいったら最高ね!」


 二人は杖を構えて、術の発動のため集中する。何かの気配を感じたのか、蟹スライムは縮こまった。


「「せーの」」


荊の鞭ソーンウィップ!!!」


「(骸犬ちゃんのかたき!)鬼火ウィルオウィプス×3!!!」


 イサベラは、普段は自動追尾の鬼火の動きに強引に働きかけ、エミリアの荊の鞭の動きに集中する。


 カローナがいつかの授業で言っていた。言葉がふと脳裏をよぎる。


『憑依』


 イサベラの鬼火は、エミリアの荊の鞭に重なり、青白く燃える鞭となって、蟹スライムの甲羅に炸裂する。


 鞭のしなる加速と鬼火×3の破壊力は、甲羅の強度を上回り、ばきばきにひび割れた甲羅は丸く大きくへこみ、天井にへばり付いていた蟹スライムは、ずるりと剥がれ落ちていった。


「や、やった!」


「すごい手ごたえ・・・、すごい威力ね!」


 二人で剥がれ落ちた蟹スライムに恐るおそる近づくと、杖でつついて、完全に停止していることを確認する。イサベラが砕けた甲羅のかけらをどけながら、その残骸を探り、その手に何かを掴むと、エミリアに向かってにっこり微笑んだ。


「あったよ。コア


 その瞬間、またエミリアに抱きつかれた。


「っ♡♡!!最高!もう最高!」


「えへへ」


 イサベラは少し涙ぐんだ。やっぱり実戦をやってよかった。心からそう思った。


 イサベラとエミリアの二人は、皮袋を取り出すと、慎重に三つの核を中に入れた。が、入れる時になって初めて、そのうちの一つの核だけ色が違うことに気が付いた。


「なにこれ?これだけ色が赤いわね。」


「ほんとだ~。蟹スライムのやつだよね。赤い甲羅の中にいたからかな。」


「でも、核には間違いなさそうだし、これで3個よね。」


「うん!3個!」


 暗い地下宮で、鬼火灯の光が儚げに揺らぐ中、二人の少女は両手を上げて歓声を上げた。


 <現在クエスト進行度:スライムの核コア獲得数=3!>


 使命完遂ミッションコンプリート!!

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