第37章 身近なところから始める

 まいったな。


 満天の星空のもと、サクヤは政庁の中庭を歩きながら思う。


 ワンパ共和国――議長は、皇族スメラギの命をねらって、イガレムス共和国を攻め滅ぼそうとしている。


 イガレムス君主国――アキは、皇族スメラギ神輿みこしにかついで、ワンパ共和国を打ち倒そうとしている。


「結局のところ皇族スメラギが――わたしが戦争の原因となっているということか」


 サクヤは、なにげにつぶやいた。


<は? 君主国イガレムス共和国ワンパが勝手に戦争ケンカしてるだけじゃねぇか。おまえには関係ねぇんだから、気にすんな>


 フソウは軽く言うが、サクヤはまじめに、


「そうもいかないだろう。わたしが皇族スメラギである以上、わたしには責任がある」


<いや、ねぇから。――ったく、せっかくアキの申し出を拒否ってくれたと安心していたら、また余計なことを考えやがって>


「いや、これは余計なことでもなんでもなく――」


「サクヤ様っ!」


 リーシャだ。大広間のほうから走ってくる。


「探したんですよっ!」


 リーシャはサクヤのもとに駆けつけると、ハァハァと息をきらしながら言った。


「ちょうどよかった。リーシャ、おまえに話しておきたいことがある」


「はい?」


 リーシャは怪訝けげんそうにサクヤを見た。サクヤはいつになく真剣な表情をしている。


「この前は心の整理がつかなったので話せなかったが、今なら話せる。だから、話してもいいか?」


「なんですか?」


「実はな――」


 サクヤは、自分が皇族スメラギであることを打ち明けた。


 リーシャは驚きながらも、うれしそうに、


「サクヤ様って、本物のお姫様プリンセスだったんですね!」


 きらきらと目を輝かせながらサクヤを見つめる。


「本物のお姫様プリンセスにお仕えできるなんて、あたしは幸せです!」


 リーシャは無邪気に喜んでいた。


「そのことなんだが……」


 いつになく歯切れの悪いサクヤ。


「どうかしましたか?」


 キョトンとするリーシャ。


「おまえはわたしに仕えるのをやめたほうがいいと思うのだ」


「はい?」


 リーシャはポカンとしていた。言っている意味がよく理解できないといったふうだ。


 だからサクヤは説明する。キリッとした顔つきで、


「わたしが皇族スメラギと知られたからには、きっと危ないことも増えるだろう」


 アキはサクヤを政治的に利用しようとしている。ワンパ共和国はサクヤの命をつけねらうだろう。とにかく危なくなるのはまちがいない。


「わたしはリーシャを巻き添えにしたくない。だから従者をやめろ」


「へ?」


 リーシャはちょっと呆気あっけにとられたようだった。が、すぐに気をとりなおし、


「あたしのことを心配してくれているんですか?」


「もちろんだ。わたしにとって、おまえは家族も同然だからな」


「そう言ってもらえるなんて、すごくうれしいです!」


 リーシャはにっこりしてサクヤの両手をとり、ギュッとにぎりしめた。サクヤはホッとした感じで、


「そうか。急な話で、すまないと思う。――おまえの今後の生活については、ハル侯爵たちに頼んでおくから心配するな」


「あ、でも、やめませんよ」


「はい?」


 思わず目を丸くするサクヤ。


「だって、サクヤ様があたしの立場だったとして、サクヤ様はお仕えする相手が危なくなるからといって、お仕えすることをやめますか?」


「え?」


 サクヤは思わず固まった。


「そ、それはだな……」


 サクヤなら、やめない。だが、正直に「やめない」と言えば、リーシャを危険にさらすことになるだろう。


 だからと言って、「やめる」と言えばウソになる。リーシャにはウソをつけない。ついたところでバレバレだから意味がない。


 サクヤが答えに窮していると、リーシャがにこやかに言った。


「やめないでしょ? あたしも同じです。わかってくれますよね?」


 サクヤは「うーん」とうなると、観念した様子でほほ笑んだ。


「わかった。わたしがまちがっていた。――これからも従者として、よろしく頼むな」


「はい!」


 リーシャは満面の笑みでこたえた。


「ただ、わたしはリーシャのことを全力で守るつもりだが、どうしても守りきれないことだってあるだろう。それでもかまわないのだな?」


「もちろんです。覚悟はできています。それにあたしはサクヤ様の従者なんですから、自分の身くらい、自分で守って見せますよ」


 リーシャはかわいらしくガッツポーズをとって見せた。


「そうか」


 言いながらサクヤは、リーシャの頭をやさしくなでた。


 ◇ ◇ ◇


 サクヤは宿舎ホテルに戻ると、第3班長ジョイルたち遠征隊員を集合させ、自分が皇族スメラギであることを告げた。


本当マジっすか!」


 第3班長ジョイルたちは驚き、そして目を輝かせた。


「おれたちの隊長は高貴ノーブルだった!」


 だれもが誇らしい気もちになった。


 皇族から見れば、貴族なんて格下だ。これまでサクヤのことを「下民」と見下してきたワグファイ大公国の貴族たちも、次に会ったときはデカイ顔をできないだろう。ざまあみろだ。


 ただサクヤは「1つ問題がある」と言う。


「わたしが皇族スメラギであるせいで、これから厄介なことがいろいろ起きるだろうと思う。おまえたちを危険に巻きこむかもしれない。だから、除隊したい者がいれば、遠慮はいらない。除隊してほしい」


 もちろん隊員たちは、1人として除隊を願う者などいない。


「危ないからこそ、一緒にやりましょう!」


 それが隊員たちの総意だった。


 長いこと「移住者よそもの」として差別されてきた自分たちも、隊長サクヤのおかげで差別されなくなったのだ。隊長サクヤには恩がある。


 それなのに、隊長サクヤが危なくなったからといって見捨てて逃げるなんて、そんな薄情なことなどできるわけがない。今や隊長と隊員は家族も同然。生きるも死ぬも一緒だ。


 そういうことらしい。


「おまえたちは、わたしのために危ない橋をわたるというのか?」


 サクヤは思わず胸が熱くなった。目頭めがしらも熱くなる。


 長らく天涯孤独ひとりぼっちで、心細い野宿生活ホームレスをしてきたサクヤにとって、これほどうれしいことはない。


「わたしはよい仲間に恵まれて幸せだと思う」


 サクヤは穏やかな表情で隊員たちを見渡し、


「だが、おまえたちがよい仲間だからこそ、おまえたちを危ない目にあわせるわけにはいかないのだ。わかってくれるな?」


 だが、だれ一人としてうなずく者はいなかった。真剣な表情でサクヤを黙って見つめる。


「いろいろ危なくなって厄介だったとしても、なにも恐れることはないっす」


 第3隊長ジョイルは堂々と言った。


「どんなに大変でもあせらないで、できることからコツコツやっていけばいいんすよ。隊長が教えてくれたことっす」


 ――高きに登るには低きよりす。


 山に登るとき、一気に頂上につくことはできない。低いところから歩きはじめ、あきらめずに歩き続けてこそ、頂上にたどりつける。


 トラブルだって同じだ。解決までの道のりが遠いものに思えても、あきらめないで地道にガンバっていれば、必ず解決にたどりつける。


 フソウの受け売りだが、かつてサクヤが隊員たちに訓示した教えだ。


「どんな困難に見まわれたとしても、おれたちがあきらめなければ、きっと乗り越えられるっす」


 第3班長ジョイルが力強く言うと、隊員たち全員が「そうだ」と言わんばかりにうなずいた。


 いい連中やつらだとサクヤは改めて思う。だからこそ、やはり隊員たちを危ない目にはあわせたくない。


 だけど、隊員たちは漢気おとこぎを見せてくれている。これにこたえなければおとこではない。


 サクヤは迷いを断ち切るように大きく息を吸って吐き出すと、


「すまないな。――ありがとう」


 ペコリと頭を下げた。おもむろに顔をあげ、ニコリとして、


「話は以上だ。祝宴パーティーで疲れているところ、足止めして悪かったな。では、明日の朝練でまた会おう。――解散!」


「はっ!」


 隊員たちはすばやく直立不動の姿勢をとり、さっと敬礼してこたえた。


 ◇ ◇ ◇


 サクヤたち遠征隊は、宿舎ホテルからの外出を禁じられていた。政庁からの迎えが来た場合のみ外出できる。


 ただし官用船や官用車に乗せられて移動するので、決して自由な外出ではなかった。


 ところが早朝、サクヤたち遠征隊員たちが宿舎ホテルの中庭で剣術の朝練に励んでいると、アキがにフラッとあらわれて、


「おまえら、好きに出歩いてもいいぜ」


 理由はわからないが、サクヤたちは自由に出歩けるようになった。


「ただし首都ナントからは出るなよ」


 それだけ言うと、アキはサクヤたちの質問を受け付けることもなく、さっさと立ち去っていった。


 サクヤはあきれた感じで「せわしい男だな」とつぶやくと、第3班長ジョイルたち遠征隊員に笑顔で、


「ならば遠慮なく街にくりだすか」


「いいっすね!」


 隊員たちは大喜びだ。ずっと軟禁されて鬱憤うっぷんがたまっていた。これで憂さ晴らしもできる。


 サクヤたち遠征隊は、さっそく外出した。門限は日暮れまでと決め、あとは自由行動だ。それぞれ好きに街を散策すればいい。


 サクヤはリーシャと街をめぐる。


「せっかくですから、おしゃれすればいいのに」


 リーシャは残念そうに言うが、サクヤは「軍服こっちのほうが落ち着くからな」と笑った。


 ただリーシャとしては、こうしてサクヤと出かけられるだけでも嬉しい。大はしゃぎでサクヤの手を引っぱって歩きまわった。


 サクヤとリーシャは水路沿いの道を歩き、観光する。


 ほとんどの建物が2階建ての木造で、壁には延焼防止のため漆喰しっくいがぬられていた。屋根はいずれも瓦がふいてある。


「どの建物も旧スメラギ皇国の伝統的な建物ですね」


 リーシャが解説してくれた。


「これだけ多くあるなんて、すごく珍しいですよ」


「そうなのか? たしかスメラギ……、ワンパ共和国にもたくさんあるのではないか?」


「昔はあったみたいですが、大きな町はどこもかしこも再開発されましたからね。田舎にいかないと、ほとんど残っていませんよ」


「そうか。――歴史を感じるな」


 サクヤがしみじみ言うと、


「サクヤ様っ!」


 いきなり声をかけられた。見ると、いく人かの老人たちが腰をかがめながら、尊敬のまなざしをサクヤに向けている。


 サクヤが笑顔で軽く会釈えしゃくすると、老人たちもニコリとして、サクヤのほうに歩み寄ってきた。老人たちは、旧スメラギ皇国の礼儀作法にのっとり、ひざまずいて挨拶あいさつしてから、


「殿下の御無事を心よりお祝い申し上げます」


「若いころ第4皇女殿下をお見かけしたことがございますが、サクヤ様は本当にそっくりでございますなぁ」


「皇族の皆さまが皆殺しにされたと聞き、ずっと無念に思ってまいりましたが、そうではなかったとわかり安心いたしました」


 老人たちは、いずれも旧スメラギ皇国の遺臣らしい。全員が皇族サクヤの無事を寿ことほいだ。


 サクヤは戸惑いながらも、とにかく笑顔を見せ、「ありがとう」と気さくに応じる。


 すると、遺臣たちは喜び、なかには「親しくお声かけいただいた」と感動して泣き出す者すらいた。


 イガレムス君主国では、今でも昔と変わらず皇族スメラギに対する畏敬の念が残っているらしい。


 サクヤは遺臣たちと二言三言ふたことみことほど言葉を交わしてから、おもむろに「申し訳ないが先を急ぐので」と切り出し、にこやかに「失礼する」と挨拶あいさつして別れた。


 それから数分ほど歩いたところで、別の遺臣たちが「殿下っ!」とサクヤに声をかけてきた。


 サクヤは、さっきと同じように応対して別れるが、これが最後ではなかった。


 あちこちで遺臣たちが声をかけてくる。どうやら政庁が情報を流したらしく、サクヤが皇族スメラギであることは街じゅうに知れわたっていた。


 サクヤは人がいいので、ファンサービスも苦にならない。声をかけられたら、喜んで応じる。ただ1つ気になったことには、


「ご即位めされるということで、まずはお祝い申し上げます」


「目の黒いうちに皇国の再興に立ちあうことができ、これほどの幸せはございません」


「共和国を討伐するため、この国で半世紀も苦労して富国強兵のために尽くしてまいりましたが、ついに時がきたのでございますね」


「自分も老骨ろうこつ鞭打むちうってでも従軍し、祖国スメラギのため粉骨砕身ふんこつさいしんいたす所存です」


「殿下の武勇は聞き及んでおります。きっと北伐ほくばつも成功するでありましょう」


 遺臣たちの間では、なぜかサクヤが即位して皇帝となり、ワンパ共和国を討伐するために挙兵することが「決定事項」となっていた。


 聞くところでは、そのように新聞に書かれていたらしい。これもまた政庁の仕業しわざだった。


 とりあえずサクヤは、即位や北伐について言われるたび、「その予定はないぞ」と否定する。


 すると遺臣たちは言葉を失い、一様にがっかりした。


 これまで遺臣たちは、なにもない未開の辺境で国づくりに取り組んできた。その大変さを想像してほしい。


 なにしろ原始時代に戻ったような状態からのスタートだ。その苦労は並大抵なにたいていのものではなかっただろう。


 それでも遺臣たちは、負けなかった。ワンパ共和国に一矢いっしを報いる日を夢見て、コツコツと地道にガンバってきた。


 結果として、イガレムス君主国は盛強な国に育つ。先の防衛戦ではワンパ共和国に勝利できた。昔の弱小国も今では強国だ。


 遺臣たちは、それこそ「高きに登るには低きよりす」を絵に描いたような人生を歩んできたのだろう。


 そして、今や皇族スメラギも帰還し、いよいよ北伐も始まる。


 ――ついに苦労が報われ、長年の夢もかなう!


 なんて喜び勇んでいたら、あっけなく否定されたのだ。これで落胆しないほうがおかしいだろう。


 それを思うと、サクヤは皇族スメラギとして申し訳ない気もちになる。だから、


(遺臣たちのため、わたしにできることはないか?)


 お人よしにも、そう思う。


 サクヤは遺臣たちと親しく接しているうちに情がわいてしまったわけだが、それはアキたちのもくろみどおりのことだった。


 昨晩の宴会のとき、サクヤが大広間に戻ったあと、筆頭家老ナンゴクはアキに語っていた。


「わが国に住まう遺臣たちは、今でも皇族スメラギを敬慕しておりますから、サクヤ様が皇族スメラギと知れば、こぞって寿ことほぎに出かけていくことでしょう」


 そのためにも新聞にサクヤの記事を書かせる。


「サクヤ様も遺臣たちとたくさん会っていれば、それこそ単純接触効果で遺臣たちに好感をもつようになります」


 アキは「なるほど」とうなずき、


「そうなれば、あいつも遺臣たちの願いを聞いてあげたいと思うようになるわけだな」


「はい。遺臣たちから即位と北伐を願われたなら、サクヤ様の気もちも即位と北伐のほうに傾いていくはずです」


「あいかわらず老練だな」


 アキがニヤリすると、筆頭家老ナンゴクもニヤリとして「老人ですから」とこたえた。


 ◇ ◇ ◇


 サクヤは夕食時、隊員たちが食堂に集まったところで、


「1つ聞いてほしいことがある」


 真顔で切り出した。


 隊員たちは姿勢を正し、サクヤの話に耳を傾ける。リーシャもサクヤの隣で黙って話を聞いていた。


「わたしは無辜むこの民を戦乱から守るため、君主国イガレムス共和国ワンパの戦争を食い止めたいと考えている」


「!?」


 全員が驚いた。そして、


 リーシャは「やっぱり」と思い、隊員たちは「隊長らしいな」と納得し、フソウは思わずあきれてしまう。


<また余計なことを考えやがって。いいか。よく聞け。国と国とが戦争するんだぜ。酒場のケンカを止めるのとはわけが違う。おまえ1人でなにができる?>


「おれたちがいるっすよ」


 第3班長ジョイルが自信たっぷりに口をはさんだ。他の隊員たちも同感らしく、黙って力強くうなずく。


<はぁ? おまえらがいようがいまいが、結論は同じだ。サクヤもおまえらも、まだまだ修行の身だ。ヒヨッコだ。少しは身のほどってもんをわきまえろ>


「もちろん、わきまえているっすよ。だから、おれらにできることから地道にやっていくんすよ」


 それこそ「高きに登るには低きよりす」だ。


「それに大志をいだいてガンバってこそ大成できるもんす。最初から無理だと決めつけていたら、なにも変わらないっすよ」


<それは正しい。だがな、まずは基礎をしっかりと身につけてこそ、でかいことができるようになる>


 芸者アイドルだってそうだ。毎日のように歌謡ソング稽古レッスンし、舞踏ダンス稽古レッスンしているからこそ、実力が高まって花形スターになれる。


 土台がしっかりしていなければ、どんな大志も大きな夢も砂上の楼閣だ。すぐに倒壊して終わる。


<おまえらは今、基礎を身につけている段階だ。でかいことをするには、まだ早すぎる。だから余計なことは考えず、鍛錬に集中して取り組め>


 それが「高きに登るには低きよりす」というものだ。


「ですがフソウさん、訓練ではOJTも大切っすよ」


<は? おー、じぇい、ちい? なんだそりゃ?>


「OJTっていうのは、実際にやりながら学んでいくことっす」


<つまり事上磨練じじょうまれんみたいなもんか?>


「そうっす。フソウさんにも教えられたっすよね? 実際にやってみるからこそ、いろいろと学ぶことができ、それが成長につながっていくって」


<たしかに事上磨練じじょうまれんなら、鍛錬するうえで大切になってくるが……>


 フソウの反論に勢いがなくなった。


<――で、サクヤ、おまえはどうなんだ? こいつと同じ考えか?>


「もちろんだ」


 サクヤは笑顔で答えた。


「それに遺臣たちは今でも皇族スメラギを慕ってくれている。その気もちに報いなければ、わたしも皇族スメラギとして、なにより人として失格だ。だからこそ、なにもしないわけにはいかないだろう?」


<だから遺臣たちを守りたいってわけか?>


「そうだ」


 かつて革命のとき、皇族スメラギは臣下を守れなかった。逆に臣下たちが皇族スメラギを守ろうとして命を失っている。チガヤなどは自分の命と引きかえにして第4皇女を守った。


(同じ過ちをくりかえすわけにはいかない)


 サクヤは思う。だからこそ、なにがなんでもイガレムス君主国とワンパ共和国との戦争を食い止め、遺臣たちの平穏な生活を守ってやりたい。


<毎度のことながら情に流されやがって、あいかわらず大バカだな>


 フソウは毒づくが、サクヤの気もちはわかる。


 それに情に流されやすいサクヤを心配しながらも、いっぽうでは期待もしていた。サクヤたちには言わないが、


<情に流されやすいってのは、言い方をかえれば情に厚いってことだ>


 フソウが思うに、情の厚さは人の上に立つためには欠かせない。


 名将のタケダ・シンゲンも言っている。


 ――人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり。


 人の心をつかんでこそ、守りも強固になる。人の心をつかむには、力ずくではダメだ。情の厚さが求められる。そんな意味だ。


 シンゲンは、情の厚さによってバラバラだった家臣たちの心を1つにまとめ、結束力を高めた。結果として領地の政治も安定する。


 こうして内政が固まったところで、外征を始めた。そして戦って勝ち、大領主にのぼりつめる。


 足場を固めることからスタートして成功したという点では、まさに「高きに登るに低きよりす」を実践したと言えるだろう。


 サクヤも皇族スメラギとしての自分を意識して動くというのなら、これから人の上に立っていくことになるだろう。ならば、シンゲンのような情の厚さが求められる。


 その点では、サクヤは合格かもしれない。なにしろリーシャも、隊員たちも、サクヤに情をかけられた結果、サクヤのためならどんな危険も恐れないという気もちになったのだから。


 それなら、このまま見守ってやることが、サクヤの将来のためになるかもしれない。フソウはそう思うので、


<だったら、好きにしろ>


 そっけなく言うと、それきり黙った。不貞腐ふてくされているように見えるが、何も言わないということは同意したということだ。


 第3班長ジョイルは、サクヤとフソウの話にひと段落ついたところを見計らって質問した。


「それで隊長、どうやって戦争を止めるんすか?」


「それはだな――」


 サクヤは言葉につまった。とりあえず苦笑いして、


「おまえたちに名案はないか?」


 サクヤは隊員たちを見まわすが、だれも頭をひねるばかりだ。これといった名案はない。


<ったく、おまえら大丈夫かよ? 見切り発車なんかしやがって>


 フソウは思うが、言わない。あいつらは事上磨練じじょうまれんしたいと言ったのだから、お手並み拝見だ。


 ◇ ◇ ◇


 イガレムス君主国を流れる大河は、そのまま下っていくと南海まで続いている。河口の近くには大きな半島があり、その先端にはパニンエラという港町があった。


 町の歴史は新しい。半世紀ほど前にエポール連合国が東方進出の足がかりとして築いた。


「難攻不落のパニンエラに攻め寄せるほど無謀なことはない」


 パニンエラを統べるホール総督が自信たっぷりに言うほど、パニンエラは堅固な要塞都市だ。高くて厚い城壁に囲まれ、どこそこに砲座や銃座があって守りを固めている。


 海側にはいくつもの要塞砲がすえつけられ、にらみをきかせていた。その口径は大きく、射程も長い。どんなに強固な軍艦でも、直撃されたら一発で轟沈ごうちんするだろう。


 ホール総督は今、エポール連合国の青い旗のひるがえる見張り台に立ち、双眼鏡で沖合いをながめていた。遠くに多くの黒煙が見える。どうやら大規模な艦隊がいるらしい。


「わざわざ白昼堂々と正面から攻撃をしかけてくるなど、共和国の連中も愚かですな」


 副官があきれたような口ぶりで言うと、ホール総督は「共和国が愚かなのは、前からわかっていただろう」と笑った。


 沖合いにいる大艦隊は、ワンパ共和国の南洋艦隊だった。どの軍艦も艦体が大きく、搭載している主砲もおおきい。


 ただエポール連合国の軍艦と比べたら性能は劣るので、要塞都市パニンエラを母港とする東洋艦隊の敵ではないだろう。


 だが、南洋艦隊はとにかく艦数が多い。まともに艦隊決戦を行えば、数で劣る東洋艦隊は大きな損害をこうむるだろう。だから、


「愚かにも全軍をあげて要塞都市パニンエラを攻撃しにきてくれたおかげで、われらは楽勝できる。わが国の脅威も少なくなり、さらに東に進出できるだろう」


 これでホール総督も点数ポイントをかせぐことができる。出世はまちがいなしだ。


 まもなく共和国の南洋艦隊は、要塞砲の射程圏内に入った。


「砲撃を開始しろ」


 ホール総督が命じると、副官が内線電話を手にして「砲撃開始ほーげき・かいーし!」と復唱した。


 多数の要塞砲が一斉に火をふいた。巨大な砲弾が勢いよくワンパ南洋艦隊を目がけて飛んでいく。


 初弾がすべて命中するとは限らないが、砲弾が大きいぶんだけ至近弾でもかなりの破壊力がある。それが雨のように降ってくるのだから、多くの敵艦が少なからず損傷するはずだ。


 ホール総督は余裕の笑みを浮かべ、初弾の弾着を待っていた。ところが、


「中空で爆発した?」


 ワンパ南洋艦隊の周囲には見えない壁、それも強固な障壁でもあるのか。すべての砲弾が南洋艦隊の手前、その中空で炸裂した。


 爆煙の消えたあとには無傷の南洋艦隊がいた。


 驚くべきことが起きた。だが、ひるんでいるわけにはいかない。


「砲弾の整備をきちんと行っていたのか?」


 ホール総督は怒り、「まともな砲弾を使え」と命じた。


 しかし、結果は同じだった。すべての砲弾が中空で炸裂する。南洋艦隊に傷一つすらつけられない。


 ――天候のせいか?


 ――それとも共和国の新兵器か?


 ――まさかな。あの共和国の黄色いサルどもが、われらをしのぐ兵器など開発できるわけがない。


「とにかく撃ちまくれ!」


 ホール総督の号令一下、要塞砲は激しい砲撃を続けた。しかし、いくら撃っても同じだ。すべての砲弾は中空で炸裂し、南洋艦隊にダメージを与えられない。


「ムダですよ」


 そう言って笑っているのは、アクル少佐だ。南洋艦隊の先頭を行く旗艦の舳先へさきに立ち、右手に矛をもち、左手で盾を上にかかげている。


 背後には5つのベッドがあり、若い男女が横たわっていた。それぞれ腕に輸血用のチューブが差し込まれ、そのチューブはアクル少佐のもつ盾につながっている。


「魔具の力の源は人間の生血いきちにある。だから、どんどん生血いきちを魔具に吸わせれば、いくらでも魔具の力を引き出せる」


 これがアクル少佐の研究の結果、判明したことだ。だからアクル少佐は、魔具――盾に大量の血を吸わせ、その力を最大限に引き出すことにしたのだった。


 その目論見もくろみは成功する。魔具――盾の力でつくられた障壁バリアは、見えない壁として上空に広がり、南洋艦隊を守ってくれた。


 これまで数名が生血いきちを吸われすぎて絶命したが、


交代スペアはいくらでもありますからね。がんがんいきますよ」


 アクル少佐が笑って言うように、ベッドの上で人間が絶命するたび、控えの兵士たちが新しい人間を連れてきて交換していた。


 交代スペアとなる人間は、いずれも死刑囚ばかりだ。


「どうせ死ぬのなら、祖国のために尽くしてもらったほうが、人命の有効活用になります」


 アクル少佐はそう言っていたが、兵士たちもそうだと思う。だから、いやがる人間をベッドにしばりつけるのにもためらいがない。


 まもなく要塞都市パニンエラが南洋艦隊の射程圏内に入った。さらに進んで有効射程圏内にまで近づいたところで、南洋艦隊は一斉に砲撃開始。


 とにかく南洋艦隊の艦数は多い。それが一斉に砲撃したのだから、要塞都市パニンエラに降りそそぐ砲弾は、まるでスコールのようだった。


 共和国が得意とする飽和攻撃だ。


 要塞都市パニンエラの砲座も銃座もまたたく間に破壊されていく。要塞砲も例外ではない。数度の一斉砲撃で要塞都市パニンエラは戦闘能力を喪失した。


 要塞都市パニンエラの町は火の海となり、まもなく陥落する。


 ◇ ◇ ◇


『闘戦経』第37章


○原文・書き下し文


 まず脚下あしもとへびち、しかしてかさねてさんちゅうとらせいすべし。


○現代語訳


 まず足もとのヘビをやっつけてから、さらに山のなかのトラを押さえつけるべきだ。



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国産兵法『闘戦経』~主人公が『闘戦経』の兵法を使って、いろいろな困難をのりこえていく物語 @saku

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