第19章 潔く生きる
ワグファイ大公国の東を守る東城塞は、平原のど真ん中にあった。堅固な石造りの城壁と、深い堀に囲まれていて、鉄壁の守りを誇っている。
「そんなふうに見えますけど、今となっては時代遅れですね」
リーシャが低いトーンでポツリと言った。
「そうなのか」
サクヤは意外そうに言う。
2人は今、城壁の上に立ち、遠く東の地平線を見ていた。その向こうには討伐軍がいるはずだ。推定兵力は5万を超えていると聞く。
「今は昔と違って要塞砲や航空機が発達していますからね。こんな石造りの城壁なんて、要塞砲による猛烈な砲撃に耐えられません」
「分厚くて頑丈そうだがなぁ」
サクヤは城壁をペシペシと平手で叩いてみた。石の冷たさ、固さが伝わってくる。それほど
「それにですね、どんなに深い堀があっても、空を飛ぶ飛行機には関係ありません。
「高射砲で応戦すればよいのではないか?」
東城塞には、いくつかの防空陣地も築かれており、高射砲が空を
「あれではダメです。旧式ですし、そもそも数が不足しています」
「たしか10門だったな」
「はい。それに対して、おそらく討伐軍の航空兵力は100機をこえるのではないですか。10倍です」
「だが量より質ともいうぞ」
「残念ですが、空から地上を狙うのは簡単でも、地上から空を狙うのは難しいものなんです。高射砲は固定されていますが、飛行機は動きまわっていますからね」
「そうかぁ。では、あの阻塞気球とやらは、どうなんだ? 飛行機の自由な動きも阻害されないか?」
「まあ、確かに有効ですが、撃ち抜かれてガスが抜けたら終わりです」
サクヤは「ほう」と、リーシャの博識に感心していた。
「ついでに言っておきますと、ここにある野砲もダメですね。数はそろっていますが、古すぎます」
「なるほどなぁ」
「開発された当初は射程も長くて、軽くて移動に便利だったでしょうが、今は
「そうか。それにしてもリーシャ、おまえは詳しいな。どこで勉強したんだ?」
「え……、あ……」
リーシャはなぜか言葉につまった。
「ん? どうした?」
「あ、あのですね、サクヤ様の非常識ぶりに驚いたんですよ。そもそも戦場に行くんですからね。少しは予習しておかないと、命がいくらあっても足りません。常識じゃないですか」
「常識、か……。わたしも今の常識に疎いからな。リーシャがいてくれて助かる。ありがとう」
サクヤは笑顔で言った。
「あ、いえ……」
リーシャはちょっと困ったような顔で、目をそらした。
それにしても、ダメ出しばかりするリーシャの発言が正しいとするなら、東城塞の戦力では討伐軍にかなわない。サクヤは「連隊長」として、どう戦うつもりなのだろうか。
東城塞指令部で作戦会議が開かれたときのことだ。
サクヤは2人の大隊長――
「撃ちてしやまん」
敵を倒すまで攻撃の手をゆるめないという意味らしい。
「これが戦法だ」
「連隊長は敢闘精神の大切さを言っておられますか?」と
「そんなので勝てるのですか?」と
「もちろん勝てる。敢闘精神で敵を
サクヤは自信たっぷりだ。
「自分はそうは思えません」
「この城塞には、ろくな武器がありません。自分たちが持ってきたのは、小銃と軽機関銃だけです。これでは、どうがんばっても勝てるわけがありません」
「大丈夫だ。火事場のバカ力と言うだろう? 必死になれば思いもよらない力を出せるものだ。たとえ強敵でも圧倒できる」
「いや、無理っしょ」
「おい貴様! 上官に対して、その口のきき方は何か!」
「はい? なら第一大隊長は、これで勝てると思うのですか?」
「勝ち負けの問題ではない。今は良し悪しの問題を話している」
「いやいや、今は作戦の話をしていたでしょう?」
「詭弁をはくな。おまえは新人とはいえ、今は大隊長の任に就いているのだ。上下関係をわきまえねば、部下はついてこないぞ。軍隊は上下関係だ」
「だったら第一大隊長は、連隊長に死ねと言われたら、死ぬんですか?」
「もちろんだ。それが軍隊というものだ」
「は?」
「そこまでだ!」
サクヤがいつになく厳しい口調で言った。
「わたしはおまえたちを犬死にさせるようなマネはしない。必ず守る。戦いを前にして不安になるのはわかるが、不安に負ければ勝てる戦いも勝てなくなるぞ」
「はっ。心得ております」とすなおに応じる
とりあえず、これでこの場はおさまった。
しかし、サクヤの作戦指導に不安をいだいてたのは、
「兵器がよくて、兵数が多ければ勝てる。そうでなければ負ける」
その点からすれば、東城塞の兵力は、討伐軍よりも圧倒的に劣勢だ。しかも、作戦を指揮するのは、見るからに弱そうな少年――サクヤだ。これで不安にならないほうがおかしいだろう。
この点に関して、第一大隊の面々――老兵たちは、どう思っていたのだろうか。
「どうしようもない」
軍隊とは理不尽なものだと長い経験から身にしみてわかっている。文句を言ったところで仕方がない。上官がダメなら、あきらめるしかない。
第一大隊には、
サクヤの連隊では、第一大隊があきらめ、第二大隊が不安に思っている。
<これじゃあ、戦う前から負けたも同然だな>
フソウの感想だ。
◇ ◇ ◇
サクヤは
リーシャが手錠をかけられ、こわい顔をした
「なにごとだ!?」
サクヤは目を丸くしながら
「コイツ
「!?」
事情をのみこめず戸惑うサクヤに対し、
「この者がハトを飛ばしているところを歩哨たちが見つけまして、ハトを撃ち落としてみると伝書鳩でした」
「こいつは自分らの内情を敵にもらしていたんですよ」
リーシャは黙ったままで、うつむいている。
「本当なのか? リーシャ」
サクヤは信じられないといった感じだ。
リーシャは黙ったままで何も言わない。
「痛い目にあえば、口を割るでしょう」と
「ちょっと待ってくれ」
サクヤが珍しくあわてた様子で制止する。
「わたしとリーシャは主従の関係だ。主従関係は信頼関係だ。わたしに任せてくれまいか」
「連隊長のご命令とあれば、もちろん異存はありません」
「ありがとう」
サクヤは軽く頭を下げてから、リーシャの前でしゃがんだ。目線をリーシャにあわせ、真顔でリーシャに向きあう。
「で、どういうことか説明してくれるな」
リーシャはうつむいたままだ。やはり何も言わない。
「ほら、怒らないから、正直に言ってみろ」
サクヤはやさしく語りかけ、リーシャの肩にそっと手を置く。
すると、リーシャはぶるっと体を震わせ、肩をゆすってその手を払った。そして、涙目で笑いながら言う。
「サクヤ様って、本当に愚かですね! スパイしやすくて、助かりましたよ」
「!?」
「そうですよ、あたしは共和国のスパイですよ」
リーシャはまるで
リーシャの任務は、サクヤの弱点を見つけ、サクヤの動向を定期的に報告することにあるという。
その情報にもとづき、共和国の情報機関――今回の場合はアクル少佐が必勝の作戦を練る。
「アクル少佐は、わが共和国でも名うての策士です。単細胞で猪武者のサクヤ様のかなう相手ではありません」
討伐軍は今回、
「そうすれば、さすがのサクヤ様も力尽きて負けます。東城塞の武装は貧弱ですし、もはやサクヤ様に勝ち目なんてありません」
サクヤは悲しげな顔で、黙ってリーシャの目をみつめていた。
リーシャはバツの悪そうな顔でサクヤから視線をそらす。
「それから援軍を期待してもムダですからね。今回の作戦には、ワート大公も協力してくれています」
これにはサクヤも驚いた。もちろん
「おかしいと思わなかったんですか? ワート大公は大事な国境を守るのに精鋭を出さず、
「そうか……」
サクヤはおもむろに立ち上がった。無表情だが、少なくとも動揺は見られない。
「みなさんは、ここで犬死にするんです。ははは」
リーシャは涙目で強気に笑った。
刹那、
「連隊長、どうなされますか?」
「どうもこうもないっしょ! こいつを処刑して、今すぐ撤退しましょう!」
「もはや今回の戦いに、義はない」
サクヤはポツリと言った。
「?」
全員がキョトンとしていた。
「義のない戦のために、おまえたちの命をムダにはできない」
「よっしゃ! 撤退すね」と
「ならば、敵の包囲を強行突破して、脱出をはかりますか?」
「そんなことをすれば、どのくらいの犠牲が出ると思うか?」
サクヤは真剣そのものといった表情だった。
「少なく見積もっても半数以上は戦死するでしょうが、連隊長を無事に逃がすことはできます」
「わたしは逃げないぞ」
「は?」と
さっき逃げるって言ったっしょ。そう思うが、
「ならば、全軍で城を枕に討ち死にしますか?」
「おまえたちは逃げろ。わたしは戦う」
「意味がよくわからないのですが、連隊長は艦長が船と運命を共にするような感じで死ぬ気ですか?」
「そうではない。敵の狙いは、わたしにあるのだろう?」
サクヤはリーシャをチラ見する。リーシャは目をそらしながらも、うなずいて見せた。
「ならば、おまえたちは関係ない。だから、わたしが討って出て敵を引きつける。そのスキにおまえたちは脱出しろ」
(連隊長さんも、いいこと言うじゃねぇか)
「つまり連隊長は、われらのため、みずから
「そうだ」
サクヤは、いつのまにやら笑顔になっていた。
しばしの沈黙のあと、嘆息して言う。
「
(だよな)と、うれしそうな
「ですが、連隊長を
(は? なに言ってんだよ、このジジイは? おれたちを犬死にさせる気かよ)
「
「ならば、どれくらいの時間を稼ぐことができる?」
「できるだけ時間を稼いでごらんにいれます」
「あの討伐軍の猛攻を前にして、第一大隊は十分な時間を稼げると思うか?」
「それは……、やってみないことにはわかりません」
「ならば、やはり第一大隊も脱出しろ」
「なぜですか」と
「やってみないとわからない――そのようなバクチのため、おまえたちの大事な命をかけさせるわけにはいかない」
「だったら、連隊長が投降すればいいんじゃないっすか?」
「敵の狙いは連隊長にあるんでしょ? だったら連隊長が投降すれば、おれらは助かるんじゃ……」
刹那、
しかし、
「わたしが投降すれば、あの共和国がおまえたちを
「そんなこと投降してみないと、わからいっしょ……痛いっ!」
「もちろん皆殺しです。共和国に逆らえばどうなるか、見せしめですよ」
リーシャはそっぽを向いたまま答え、投げやりに笑った。
「というわけですが、連隊長、敵の策士もあなどれません。事実、われらはこうして敵の策にはまって窮地においこまれております。となれば、連隊長の作戦もうまくいかないのではありませんか?」
だから、ここは自分たち
「その点なら心配ない」
サクヤは笑顔でサラリと言った。
「?」
「“策士は死を恐れて逃げる”ものだ。わたしが敵陣に夜襲をかけ、その本陣に肉薄すれば、さすがの策士も身の危険を感じ、さっさと逃げ出すだろう。大将格が逃げ出せば、敵も動揺し、その動揺をつけば強敵といえども瓦解する」
「ですが――」
いくらベテラン大隊長がサクヤに
「この戦いに義はない。それなのに、おまえたちを戦わせたならば、わたしは不義を犯すことになる。おまえたちを生かして帰してこそ、義にかなうというものだ。“義士は死を覚悟して立ち向かう”という。ここはひとつ、わたしを“
そんなことばかりを言う。
さすがの
(やれやれ、これで助かるぜ)
このとき
◇ ◇ ◇
その夜、サクヤは東の城門で、勝ち気な表情で仁王立ちしていた。これから敵陣に斬りこんでいく。思わず武者震いする。
「こうしていると、フソウに聞いたマサシゲの話を思いだす」
<義として戦い、そして死ぬってわけか?>
「そうだ」
サクヤはニヤリとした。
ちなみにマサシゲというのは、クスノキ・マサシゲという名の武将らしい。
名将として知られているが、ミナトガワの戦いでは、勝てないとわかっていながら、義として戦い、そして死んでいったそうだ。
「それにしても珍しいな」
<なにがだ?>
「また余計なことばかりしやがってとかなんとか、怒らないのだな」
<こうなっちまったら、今さら四の五の言っても仕方ねぇだろ>
「潔いな。さすがは、わたしの師匠だけのことはある」
<そういう割には敬意が感じられねぇな>
「わたしが今あるのも、すべてフソウのおかげだ。この事実を言えば、わたしがどれだけ感謝しているのか、伝わるのではないか」
<ふっ>
フソウは軽く笑った。サクヤも笑ってかえす。
連隊の脱出準備がととのい次第、サクヤは敵陣に斬りこんでいくつもりだ。
◇ ◇ ◇
『闘戦経』第19章
〇原文・書き下し文
|儒(じゅ)|術(じゅつ)は|死(し)し、|謀(ぼう)|略(りゃく)は|逃(のが)る。|貞(てい)|婦(ふ)の|石(いし)となるを|見(み)れども、|未(いま)だ|謀(ぼう)|士(し)の|骨(ほね)を|残(のこ)すを|見(み)ず。
〇現代語訳
ダメなとき、モラルでは死を選ぶが、策略としては逃げるようにする。
モラリストは頑として動かないが、策士は野垂れ死ぬ。
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