第13章 慎重になりすぎると臆病になる

 その広い会議室には、豪華なシャンデリアがいくつも釣り下がり、きらびやかな装飾が壁という壁、柱という柱に施されていた。大きな窓からは、どんよりとした曇り空が見える。


 会議室では今、正装した7人が円卓を囲んで会議していた。白髪の老人1人を除いて、残りは壮年くらいだろうか。まだ若く見える。


「結局のところ、西方諸国はすべて離反したわけか」


 不機嫌そうな老人がギロリとした目つきで若い6人を見渡した。6人はヘビに睨まれたカエルのようだ。すくんで目が泳いでいる。


「わが共和国が数十年かけて築いた西方進出の足がかりをたった一戦で失ったのか」


 超軍事大国ワンパ共和国は、平和ボケ国家ファラム侯国に戦争をしかけて勝てなかった。


 最新装備の西部方面軍5万は、ファラム侯国の決死隊1000騎に大敗した。


 この事実が西方諸国に与えた衝撃は大きかった。


「あのファラム侯国が勝てたんだ。だったらオレたちだって勝てるはずだ」


 西方諸国のだれもがそう思うようになり、これまでワンパ共和国を恐れて従属していた西方諸国は次から次に離反していった。


 これは老人にとって、実に忌々いまいましいことだった。はらわたが煮えくり返るほど苛立いらだっているのだろう。老人は苦虫にがむしつぶしたような顔つきをしている。


「で、離反をあおっているのが、ワグファイ大公国というわけだな」


 老人が確認するように言うと、6人は恐る恐るうなずいた。


 ワンジュイ大公国は、西方諸国の中でも大きい部類に入る国だ。豊富な地下資源に恵まれており、世渡り上手な国としても有名だった。


 領主のカサン・ワート・ワグファイ大公は、筋金入りの日和見主義者だ。それは老人が「あのコウモリ大公め。やってくれるわ」と毒づくほどだった。


「して、どうするのか?」


 老人は6人を睨みまわしながら腹立たしそうに言うが、だれも答えない。6人は目をそらして、そわそわするばかりだ。沈黙が続く。


「まったく、おまえたちにはあきれてしまう」


 老人はしびれを切らしたように口を開いた。


「わが共和国に歯向かった以上は、討伐しなければなるまい。そのくらいのこともわからぬとは、実に嘆かわしい」


 かくしてワンパ共和国は、討伐軍をワグファイ大公国に差し向けた。


 ◇ ◇ ◇


 ファラム侯国にワグファイ大公国の特使が派遣されてきたのは、ワンパ共和国の討伐が開始されてから1か月後のことだった。


 ハル侯爵は、スピオン宰相とケイオス将軍を伴い、謁見室で特使を引見した。


「つまり特使殿は、わが国に援軍を出してほしいと申すか?」


「はい。貴国の“鬼神隊”の強さは、西方諸国に知れ渡っております」


 特使の言う「鬼神隊」とは、先の戦いで活躍したサクヤたち1000人の決死隊のことだ。どういうわけか、西方諸国の間ではこの決死隊がファラム侯国の特殊部隊スーパーフォースであり、「鬼神隊」という部隊名であると認識されていた。


「貴国が味方してくれるとなれば、“鬼神隊”の武勇を知る西方諸国の士気は奮い立ち、この戦いも勝ったも同然であります」


 ハル侯爵は「うーん」とうなると、スピオン宰相を見て「宰相は、どう思うか?」と問いかけた。


「わたくしとしましては、共和国との和平のためにも、今ここで共和国を刺激するのはいかがなものかと思います。それに第一、わが国には戦える軍隊がありません」


 スピオン宰相は不愉快そうに目を細め、ケイオス将軍をチラ見した。ケイオス将軍はムッとしたようだが、何も言わない。


「将軍は、どうか?」


「ここでさらに戦果を拡大すれば、共和国との交渉も有利に進めることができるでありましょう」


 ケイオス将軍にしては珍しく淡々とした口調だった。


「ならば、援軍の派兵に賛成と言うことか?」


「はい。……と申したいところですが、宰相の言うように、わが軍は先の戦いでほぼ壊滅状態であります。急ピッチで再建中ですが、援軍を出せるほどの余力はありません」


「そうか」


 ハル侯爵は一呼吸おいてから、申し訳なさそうに特使を見た。


「というわけだ。残念ながら援軍は出せない。許せ」


「そういう事情がおありでしたら、仕方ありません」


 だが特使に落胆は見られない。


「しかしながら、共和国の討伐軍は、わが国に進軍する道すがら、諸国を順調に平らげながら侵攻しております。このまま共和国が勝利することになれば、貴国の和平交渉にも悪影響をもたらすのではないかと心配しております」


 ハル侯爵は表情を曇らせた。


「なるほどな……。おそらく、そうかもしれない。だが、ない袖は振れぬのだ。すまぬ」


「ならば侯爵閣下、“鬼神隊”を率い、小をもって大を制した名将サクヤ殿を軍事顧問として、わが国に派遣してくださらないでしょうか?」


 特使は平然とした様子で言った。


「サクヤを、か……」


 ハル侯爵は驚いた。


「はい。1頭のライオンに率いられたヒツジの群れは、1頭のヒツジに率いられたライオンの群れよりも強いと申します。名将サクヤ様が軍事顧問となってくだされば、わが国のみならず西方諸国の勝利もまちがいありません」


「う~む」


 ハル侯爵は困惑した表情で、スピオン宰相とケイオス将軍を交互にチラ見した。スピオン宰相はなにげに目をそらす。ケイオス将軍はさりげなく首を横にふった。


「特使殿はご存知ないかもしれないが、サクヤはわが臣下ではないのだ。客分なので、とりあえず本人の意向を確認してからでよいだろうか?」


 ハル侯爵が困り顔で言うと、特使はしめしめといった感じの笑顔になった。


「もちろんであります」


 ◇ ◇ ◇


 翌日、謁見室に通された特使は、サクヤの到着を待った。


 どのような偉丈夫が姿を見せるのか?


 特使は期待に胸を膨らませながらサクヤを待ったのだが、サクヤの到来を告げる案内アナウンスと共に目の前に姿を現わしたのは華奢きゃしゃで、背も高いほうでなく、女の子のような顔つきの見るからに弱そうな少年だった。


 特使が思わず目をパチクリさせていると、ハル侯爵が笑顔で「この者がサクヤだ」と紹介した。


「この御仁ごじんがサクヤ様……でありますか?」


 特使はにわかには信じられないといった顔つきだった。


「わたしを呼ぶときは“サクヤ”でいい。“様”づけは不要だ」


 サクヤはかわいらしい笑顔で言った。


 特使は呆気あっけにとられていたものの、気をとりなおしてサクヤに合わせて笑顔を見せた。


「滅相もございません。これから国賓として迎えようという方を呼び捨てだなんて、ご勘弁くださいませ」


「そうか。――まあ堅苦しいのは嫌いだが、特使殿にも立場があるからな」


 サクヤはすなおに応えてから、ハル侯爵に言った。


「わたしの意見を聞きたいということだったな?」


「うむ。サクヤには面倒ばかりかけて申し訳ないが、今回の援軍の件について、どう思うか?」


 ハル侯爵はためらいがちに言ったが、サクヤはためらいなく答えた。


「弱きを助け、強きをくじくのが、人の道だ。大公国が弱って助けを求めているのなら、喜んで助太刀しよう」


 ハル侯爵は驚く。


「ボクがみずから呼び出しておいてこう言うのはおかしいかもしれないが、即断即決して大丈夫か? 今回の件は重大だ。もっと慎重に考えるべきではないか?」


「まあ、たしかに慎重さは大切だが、あまり慎重になりすぎると臆病になる。臆病風に吹かれたら戦えない。勝てる戦にも勝てなくなる。だから問題ない」


 サクヤは、あっけらかんとして、こんなエピソードも付け加えた。


 キューシュー征伐という戦争があったとき、攻め手の総大将だったセンゴク・ヒデヒサは、自軍が負けるとすぐさま逃げ出した。


 そのせいで地位と領地を失うのだが、ここでヒデヒサは一念発起して名誉挽回をはかる。合戦の参加するたび、目立つ恰好をして、最も危険な場所を選んで戦うようにしたのだ。


 こうした死をも恐れぬ勇敢な戦いぶりで手柄をかさね、結果として名誉挽回にも成功したそうだ。地位と領地も取り戻したという。


 だが、それでもハル侯爵は、やはり心配そうだった。


「だが、サクヤ……」


「おお、さすがは武勇で知られる名将サクヤ様であります」


 特使がハル侯爵の言葉を遮るように発言した。


「今、心強いお言葉をいただき、心底より感激いたしました。ぜひとも苦境にあえぐわが国を――西方諸国を救っていただければと思います」


「全力は尽くすつもりだ。安心しろ」


 サクヤは気負った様子もなく、あっさり応えた。


「ありがとうございます。“死を恐れては生きられない”と申しますし、“幸運の女神は勇者を助ける”とも申します。死をも恐れぬ勇敢なサクヤ様が味方してくだされば、もはや勝ったも同然であります」


 特使は歯の浮くような言葉をならべて、サクヤを喜ばせようとする。


 サクヤはおだてに乗るような人物ではなかったが、それでも少しは嬉しそうに見えた。そんなサクヤにフソウがポツリとつぶやく。


<また火中の栗をひろいやがって。どこまでお人よしなんだよ>


 ◇ ◇ ◇


『闘戦経』第13章


〇原文・書き下し文


|孫(そん)|子(し)|十(じゅう)|三(さん)|篇(ぺん)は|懼(ぐ)の|字(じ)を|免(まぬがれ)れざるなり。


〇現代語訳


『孫子』13篇は、恐れを解消してくれない。

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