第11章 欲張らない
西部方面軍は総崩れとなった。将兵はだれもが恐怖にかられ、必死になって逃げていく。もはや戦意などない。
「今こそ反撃のときだ!」
決死隊のだれもが喜び勇んで追撃していく。敵兵を見つけ次第に撃ち殺し、手当たり次第に斬り殺していく。
ある者は放棄された機関銃を奪い、乱射した。乱れ飛ぶ弾丸が敵兵をまとめてハチの巣にしていく。
ある者は放置された迫撃砲を奪い、発射した。炸裂した砲弾が多くの敵兵をミンチに変えていく。
中には戦車を奪う者もいれば、大砲を奪う者もいた。
――戦友の
――弔い合戦だ!
決死隊は
命乞いをされても関係ない。敵はひとり残らず殺す。情けは無用だ。
戦意のない敵など、もはや敵ではない。殺し放題だ。辺り一面はまたたくうちに血の海と化していった。美しかった田園地帯も今や見る影もない。
どちらを見ても死体がころがっている。血の臭いがただよい、焼けた死肉の異臭が鼻をつく。この世の地獄とは、こういうことを言うのだろうか。
ひどい光景だが、それでもケイオス将軍は攻撃の手をゆるめない。
「だれ一人として生きて帰すな!
ケイオス将軍はサーベルを高らかに掲げ、決死隊に号令していた。
「敵を
殲滅戦だ。
敵を殺しつくし、その戦力を根絶してしまう。そうすれば次の戦争を抑止できる。
祖国の安全のためにも、敵に情けをかけるわけにはいかない。
それなのに、
『ただちに戦闘を中止し、兵を引け』
無線でハル侯爵の命令が伝えられた。
「今ここで敵を殲滅しておかなければ、後難となりますぞ」
ケイオス将軍は
『敵を追い払うことができたのだから、それで十分ではないか。無用な殺生はするな』
ハル侯爵のヒューマニズムか。それともスピオン宰相が「大勝すればワンパ共和国が激怒する」と恐れたのか。その辺の事情はわからない。
ただいくらケイオス将軍が食い下がっても、戦闘の継続は許されなかった。無線で何度かやりとりしたのだが、最後には、
『命令に従えぬというのなら、いくら将軍といえども解任せざるをえなくなる。だから、頼む』
最後の言葉にケイオス将軍は胸を撃ち抜かれたような感覚を覚えた。ガツンと脳天を叩かれたような衝撃を受けた。
ケイオス将軍は忠臣だ。主君から「頼む」と言われては、どうしようもないではないか。もはや言うことはない。ただちに停戦を号令する。
戦闘中止を命じる信号弾が打ち上げられた。
「逃げたい敵は逃がしてやれ。投降するというなら投降させてやれ」
ケイオス将軍の表情はこわばっていた。
◇ ◇ ◇
サクヤは敵の大将――オルム大佐を討ち取ってからは戦闘に参加せず、戦いのゆくえを静観していた。
血まみれの刀――フソウを手にしたまま、どこを目ざすともなく戦場を駆けてまわる。時おり馬が血みどろの死体をふみつけることもあった。時おり
しかし、サクヤは無表情だった。勝利を喜ぶこともなければ、惨劇を悲しむこともない。ただの傍観者となっていた。
<やりすぎ、たな>
フソウは少し
サクヤは「それはない」と弱々しく苦笑いした。その目には精気がなく、唇も青くなっているように見える。
<……ったく、次からは自分のスタミナくらい考えて暴れろ>
「その辺は、問題ない。馬にも乗れている。意識もある」
<おまえってやつは、また減らず口を――。まあ減らず口をたたける余力があるなら、よしとしてやるか>
「ふふ」
サクヤは血の気のない顔でほほ笑んだ。
<ともあれ引き際が肝心だ。サクヤ、おまえはもう戦うなよ>
サクヤは「必要がなければな」と力なく応えた。
<この戦いもひと段落ついたはずだ。――にしてもよ、ファラムの連中はどうするつもりだろうな?>
「……」
<このまま戦いを続けて、さらなる戦果の拡大を目指すか? それとも引き際が肝心と、兵を引くか?>
「……」
<てか、魚が死んだような目をしやがって、考える気力もねぇか。――まあ、ゆっくりしとけ。今のところ敵の殺気は感じられねぇしな。少しくらいボケッとしても問題ないだろう>
そうこうしているうちに停戦を命じる信号弾が上がった。
――ようやく休める。
サクヤはホッとしたが、そうした気もちはおくびにも見せない。意識的にそうしているのか、それとも自然にそうなるのか。その辺はよくわからない。
臨時の野戦司令部となった離宮に戻って下馬すると、さすがにふらついた。目まいがきて、たちくらんでしまう。
そのときサクヤの体を支えたのは、ケイオス将軍だった。
サクヤの体は見かけどおりに軽いし、やわらかい。こんな貧相な体つきで、よくあれだけの力が出るものだ。
ケイオス将軍は感心しつつも、申し訳ない気もちにもなった。
きっと無理して獅子奮迅の働きぶりをしてくれたのであろうが、それにもかかわらずこの結果とは、サクヤもさぞや無念であろう。
「すまぬ」
ケイオス将軍は自然と気持ちが声になった。
「サクヤにはせっかく活路を切り開いてもらったにもかかわらず、戦果が中途半端となってしまった。あいすまない」
サクヤはキョトンとしながら、そっとケイオス将軍の手を離し、自力で立った。
「わたしは妥当だと思うぞ」
「妥当? ――気づかってくださるな」
「気づかいなどではない。“欲は身を滅ぼす”というではないか」
「欲……?」
「わたしはむしろ侯爵の義将ぶりを見ることができ、助太刀した甲斐があったとうれしく感じているところだ」
「義将……?」
キョトンとしているケイオス将軍に対して、サクヤは語った。
どこぞにウエスギ・ケンシンという武将がいたらしい。義将と言われ、無敵の強さを誇ったそうだ。
敵から侵略されたときは鬼神のような強さで撃退する。しかし、領内から敵を駆逐したら、そこで戦いをやめていた。
強いのに決して他国を侵略しない。領土欲がなかったのだ。だからこそ名将として歴史に名を残せたのだろう。
「侯爵閣下はそのケンシンとやらと同じ義将であると、そうほめてくださるか」
忠臣ケイオス将軍は感激した。
ハル侯爵は、あいかわらずの
おそらく国際社会から、ハル侯爵は失笑されることだろう。そして、その後、そのとおりになる。
だから、ケイオス将軍は、サクヤもハル侯爵のことを
ところが、予想に反して好評価してくれた。臣下として、これほど嬉しいことはないではないか。
しっかとサクヤの手をとった。思わず涙が流れてくる。男泣きだ。
サクヤはケイオス将軍に笑顔を向け、そのまま気を失ってしまった。
◇ ◇ ◇
終戦から1か月。
ファラム侯国の首都――リンデルは賑わいを取り戻していた。
メインストリートは、あらゆる人種、いろんな国籍の人間で、ごった返している。雑然として見えるが、いずれも商人という点では共通していた。
「さすがは世界でも有数の交易国家だけのことはあるな」
サクヤは人ごみに
「それにしても以前よりも人通りが多い気がする」
<そりゃそうだろ。この前の戦争で物流がストップしてたんだしよ。それが一気に流れ出したんだ。最初は混雑するってもんだろ>
ファラム侯国は、世界でも有数の交易国家だ。東西を結ぶ交易路の上にある。
戦争が起きたせいで交易路が安全に通行できなくなり、商人や商品は東西で足止めを食らっていた。それが戦争も終わり、堰を切ったように一斉に動き出したのだから、混雑するのも当然だ。
「まあ、おかげでファラム侯国も潤い、復興資金にも困らない。結構なことだ」
<そうだぜ。ファラム侯国は金持ちだ。それなのによ、おまえは恩賞を断りやがって……>
「あんな大金など必要ないではないか」
サクヤたちは今、宮殿からの帰り道だった。論功行賞の結果として、サクヤには驚くような大金が下賜されることになった。
ところがサクヤときたら、
「先の戦いで侯国の民は
サクヤは恩賞を謝辞した。
いくらハル侯爵が勧めても、サクヤは固辞する。ついにハル侯爵は根負けし、代わりに……、
「下宿先の家賃を支払ってくれるというのだから、しばらくは困らない。それでいいではないか」
サクヤは満足げに言った。
いつまでも宮殿に
<食費とかどうすんだよ? 他にも生活費とかあるだろう?>
「あ、そう言えば、そうだな。――まあ、なんとかなるだろう。金は天下のまわしものだ」
<それを言うなら“まわりもの”な>
フソウは律儀にツッコミを入れた。
<――ったく、サクヤ、おまえは無欲というは、考えなしと言うか……>
「欲は身を滅ぼすと教えてくれたのは、おまえだろ? いいではないか。たとえ生活苦にあえぐことになろうとも、それもまた修行だ。ははは」
<おまえは、ほんと大物だよ>
フソウは
◇ ◇ ◇
『闘戦経』第11章
〇原文・書き下し文
|眼(め)は|明(めい)を|崇(たっと)ぶと|雖(いえど)も、|豈(あ)に|三(さん)|眼(がん)を|願(ねが)わんや。|指(ゆび)は|用(よう)を|為(な)すと|雖(いえど)も、|豈(あ)に|六(りく)|指(し)を|為(おも)わんや。|善(ぜん)の|亦(ま)た|善(ぜん)なるは、|却(かえ)って|兵(へい)|勝(しょう)の|術(じゅつ)に|非(あら)ず。
〇現代語訳
目はよく見えたほうがいいが、3つもいらない。
指先は器用なほうがいいが、6つもいらない。
最善を求めるのは、かえって戦って勝つ方法とならない。
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