第1章 力があるから未来が開かれる

 美しい森の国――ファラム侯国は、乱世には珍しい平和国家だ。


 国は小さいが、東西を結ぶ交易路を領有しているので、経済的に潤っている。これがファラム侯国の強みだ。


 ファラム侯国を統治するファラム辺境伯――バスラ・ハル・ファラム侯爵は、その強みを活かして国をきりもりしていた。まだ15歳という若さだが、側近たちのサポートもあり、お金の使い方がうまい。


 もっとも、そのせいで、


「ファラムの連中は、周辺の大国に大金をみついで国の安全を買っている」


 そう揶揄やゆされることもある。


 だが、ハル侯爵には信念があった。


「強い軍事力をもつから、他国に警戒され、ひいては軍拡競争を招き、結果として戦争ばかりになってしまうのだ」


 だから、ファラム侯国は必要最小限の軍事力しか有していない。


 周辺諸国が軍拡を推し進める中、逆に軍縮を推し進めている。これは例えて言うなら、猛獣の群れの中、身を守る道具をなにも持たずに暮らしていくようなものだ。


 大丈夫なのだろうか?


「他国も自国も同じ人間だ。人間は猛獣と違って理性がある。話し合えば、きっと分かり合えるはずだ。その手本をわが国が示して見せる」


 そんなハル侯爵に対して、


「そんな夢想を抱くとは、辺境伯の地位にあるとはいえ、所詮15歳の若造こわっぱだな」


 こうバカにする声も聞こえる。


 その一方で、実際に戦争をしないで乱世を生き残っているハル侯爵の政治手腕を讃える声もある。一部では「まれに見る賢君だ」と評判にもなっていた。


 だから、ハル侯爵のことを慕い、移住してくる者も多い。その多くが戦争難民だが、ハル侯爵は快く受け入れている。


 多くの難民を受け入れても、ファラム侯国の財政はびくともしない。それほど豊かな国だ。


 もっとも国が豊かで、弱いとなれば、奪いとろうとしてくる国も出てくる。


 東の大国――ワンパ共和国がそれだ。なにかにつけファラム侯国を挑発し、開戦の口実を見つけようとしていた。


「決して挑発に乗ってはならない。共和国の人間とは絶対にいさかいを起こしてはいけない」


 ハル侯爵の名で、全土に布告されていた。


 それなのに――。


 ケンカはふりもの。


 自分にケンカする気がなくても、相手にケンカする気が満々なら、どうしようもない。


 事件はファラム侯国の首都――リンデルの居酒屋で起きた。


 共和国の隊商キャラバン隊員たちが、立ち寄った居酒屋で若い娘にからんだ。


 書くことをはばかられるほど卑猥ひわいな言葉を投げかけ、猥褻わいせつなことをする。


 店にいた客は、共和国の人間との無用なトラブルを避けるため、見て見ぬふりを決めこんだ。聞き耳を立てながらも、何事のないかのように酒を飲み、談笑している。


 ――ここで共和国の人間とケンカになれば、政府からも処罰される。


 他人事ひとごとで自分が損をするなんて、バカらしい。それくらい幼稚園児にだってわかるだろう。だから知らんぷり、気づかないふりをするのが得策だ。


 もっとも、そんな損得計算のできない人間は、どこにでもいるものだ。


「いい加減にしろ!」


 とある若者が「堪忍袋の緒も切れた」と言わんばかりに怒鳴り、若い娘を助けに入った。


 それまでのにぎわいはどうしたのか、店内はさっと静まりかえる。


 その場にいたファラム侯国の人間たちは、身の危険を察知したのだろう。一人また一人と店から出て行きはじめた。


「は? オレたちは共和国の人間だぞ。わかってんのか?」


 隊商キャラバン隊員の一人がすごんでも、若者は少しもひるまない。


「ここはオレたちの国だ。この国のマナーを守れないなら、出て行け!」


 その後は、殴り合いのケンカになったそうだ。


 これがいけなかった。


 事件後しばらくしてワンパ共和国からファラム侯国に宛て、外交電文が届く。


『わが共和国の人民が、貴国の領民に乱暴され、負傷した。これは両国の友好にとって由々しき事態であり、ただちに容疑者を引き渡されたい』


 ハル侯爵は、ただちに2人の重臣を執務室に呼び、対策を協議した。


「断固拒否であります!」


 バリード・ケイオス将軍は憤慨していた。


 今年で80歳を迎える老将だが、筋骨隆々で少しも衰えを感じさせない。ハル侯爵の信頼も篤く、ファラム侯国の国防を一任されていた。


「そもそも悪いのは共和国の隊商キャラバン隊員どもであり、わが領民は正しいことをしたにすぎません! むしろ謝罪すべきは共和国でありましょう!」


 ケイオス将軍の言うことは正論だろう。


 正論だとしても、正しいだけでは通用しないのが乱世だ。


 ハル侯爵は憂いに満ちた表情を傍らの若い紳士に向けた。ファラム侯国の最高文官――ヤシフ・スピオン宰相だ。まだ30歳にも満たないこの青年は、政治手腕に優れ、ハル侯爵を政治的に支えていた。


「ですが、将軍は1つ忘れておられるのではありませんか?」


 スピオン宰相は、ハル侯爵の視線に応えるようにおもむろに口を開いた。


「そもそも共和国の人間ともめるなと前もって禁令を出しておりました。今回の容疑者は、その禁令を破っており、必ずしも正しいとは言えません」


「は? ならば貴殿は、わが領民を共和国に差し出せと申すか!?」


「もちろんです。たった一人を差し出すだけで、わが侯国が無事に済むのであれば安いものではありませんか?」


「な、なんと……あきれて物も言えないとは、このことか」


 吐き捨てるように言うケイオス将軍に対して、スピオン宰相は少しムッとしたようだ。


「わたくしといたしましては、将軍の無責任な発言にこそあきれてしまいます」


「く!」


 ケイオス将軍はうなる。


「国を想い、領民を想う、このワシの発言が無責任と申すか!?」


「はい。そもそも共和国と事をかまえて、わが侯国に勝ち目はあるのですか?」


「勝ち目うんぬんよりも、大切なことがある!」


「残念ながら、わが侯国には共和国と戦って勝てる力はありません。この状態で戦えば、わが侯国は良くて属国、悪くて滅亡です。将軍は、それでもよろしいのですか?」


「よいわけがなかろう」


「ならば、容疑者を差し出すということでよろしいですね」


「そ、それは……」


 ケイオス将軍は、言葉が続かない。


 かつて猛将として勇名をはせた歴戦のケイオス将軍が、戦場に立ったことすらない若造に言い負かされて終わるのか?


 口で言ってもわからないなら、こぶしで語るしかない。鉄拳制裁だ。


 ケイオス将軍が顔を真っ赤にして、まさにスピオン宰相に殴りかかろうという素振りを見せたそのとき、ハル侯爵が発言した。


「将軍、ボクは宰相の意見が正しいと思うよ」


 ケイオス将軍は一転して情けない顔つきになり、スピオン宰相は勝ち誇ったような目をケイオス将軍に向けた。


「だけれど、領民は差し出さないよ」


 ケイオス将軍の表情がパッと明るくなり、スピオン宰相は顔が曇る。


「ですが侯爵閣下、それではどのようにして侯国を守るおつもりですか?」


「さすがは侯爵閣下であります! 仁慈に満ちたご決断、ご英断――それでこそ将兵も主君のため、祖国のために喜んで命を投げ出すというものであります!」


 ケイオス将軍はべためだが、ハル侯爵にもわかっている。


 ファラム侯国にはワンパ共和国と戦って勝てるだけの力がない。


 なにしろ相手のワンパ共和国は、超がつくほどの軍事大国だ。


 でも、だからと言って、自国の領民を他国に差し出すなんて、できるわけがない。


 それなら、どうしたらいい?


 ハル侯爵は自問した。そして、自答する。


「たとえ勝てないにしても、負けなければよい。とにかく持久して、共和国が疲れて引き下がるのを待つ。どうだろうか?」


「はたしてあの共和国があきらめてくれるでしょうか……」


「なかなかの名案であります。かりに開戦となったとしまして、われら侯国軍の将兵は最後の一兵まで戦い抜き、必ずや一矢いっしを報いて見せましょう」


 ケイオス将軍の顔は力強く紅潮していく。


 スピオン宰相はと言えば、顔が少し青くなっているようにも見えた。


「まあ、共和国の西部方面軍が多大な流血を強いられたとなれば、侯爵閣下の作戦もうまくいくでしょうが……」


「宰相にはまた心労をかけてしまうが、ボクとしても開戦を避けたい。容疑者を差し出さない方向で丸く収まるように外交努力を続けてくれるだろうか」


「侯爵閣下のご命令とあらば、わたくしは臣下として全力を尽くすのみです」


 スピオン宰相は困り顔ながら、恭しく頭を下げた。


「将軍には守りを固めると同時に、東部の領民を西部に避難させてもらいたいのだが、可能だろうか?」


「侯爵閣下のご命令とあらば、たとえ火の中、水の中であります。必ずや達成してみせましょう」


 ケイオス将軍は、敬礼しながら胸を張って見せた。


 ◇ ◇ ◇


 居酒屋で事件の起きた夜。


 からまれている娘を助けに入った青年は、あっという間に隊商キャラバン隊員たちに囲まれ、あっけなくボコられた。


 青年は血まみれで倒れている。


 これ以上の暴行は、さすがに命が危なくなるのではないか。


 それなのに隊商キャラバン隊員たちは乱暴をやめようとしなかった。楽しそうに笑いながら、順番に蹴り続ける。


 そのとき隊商キャラバン隊員たちの背後から声がした。


「多数で一人をボコるなんて、それでもオトコか? まあ少なくとも“おとこ”ではないな」


 隊商キャラバン隊員たちは、


「はぁ?」


「なんだぁ?」


「テメェもボコられてぇのか?」


 みたいな悪態をつきながら、振りかえったところで――、


 大笑いした。


 そこに立っていたのは、威勢のいい奴かと思えば、ただの少年だったからだ。


 体つきは華奢きゃしゃだし、背も高くない。まるで女の子のような顔つきで、見るからに弱そうだ。その分厚いシャツも、カーゴパンツも、ブーツも、身につけているものはすべて薄汚れている。


 腰には立派な刀を差しているが、鉄砲や大砲が主流となっている今日、そんなものは護身用にすら役立たないのではないか。


 貴族の装飾品としては今でも通用するだろうが――となると、


「どこの没落貴族のお坊ちゃんかは知らねぇが、大人のケンカに子供が口出ししないほうがいいでちゅよ。ガハハハッ」


 隊商キャラバン隊員たちは、あざ笑う。


 少年は軽く嘆息し、あきれたような目で淡々と語った。


「わたしとしては手荒なまねはしたくない。もうやめておけ」


「あぁーん?」


 隊商キャラバン隊員たちは、チンピラのような顔つきで少年を威嚇いかくした。


 しかし、少年は少しも気にしていない。すずしそうな顔つきをしている。


「それともなにか? 他に思わくでもあるのか?」


「は?」


 隊商キャラバン隊員たちはメンチをきり、


「しばくぞ!」


「おら!」


 とすごんで見せた。


 それでも少年は気にしない。それどころかニヤリとして、おちょくるように言った。


「もしかして貴様らは共和国の工作員で、さしずめここでトラブルでも起こし、開戦の口実でも作りたいのか?」


 図星だったのか、隊商キャラバン隊員たちは途端に表情が険しくなり、互いに目配せしながら「るか?」「るしかねぇな」と目で語りあった。


 隊商キャラバン隊員の数人が同時に拳銃ピストルを抜き、少年に向ける。


 刹那、少年がすばやく動く。


 刀を抜いたかと思えば、次の瞬間には隊商キャラバン隊員たちの間を駆け抜けていた。


 隊商キャラバン隊員たちは次から次に気を失い、その場に倒れていく。


 何が起きたのかはわからない。


「峰打ちだ。安心しろ」


 少年は刀を鞘に戻した。


 とにかく少年が隊商キャラバン隊員たちを気絶させたことだけは確実だ。


「そこまでだ!」


 小銃を持った兵士たちが次から次に居酒屋に踏みこんできた。パッと見ただけでも10人以上はいるだろうか。


 ファラム侯国の憲兵隊が、居酒屋の店主からの通報を受け、駆けつけてきたのだ。


 関係者たちは隊商キャラバン隊員も、青年も、そして少年も、全員が捕縛され、そのまま憲兵隊の事務所に連行された。


 憲兵隊からの取り調べに際し、少年はサクヤ・サファルと名乗る。武者修行のため、各国を巡っているらしい。


「今どき武者修業とは、時代錯誤すぎないか?」


 憲兵隊長の感想だ。


 サクヤは取り調べられたあと、なぜか憲兵隊長と引き合わされた。


 憲兵隊長は、そのいかめしい外見とは裏腹に、紳士的な態度の中年男性であった。


「今回の件は、おそらくわが侯国と共和国との国際問題になる」


 憲兵隊長は一息入れ、意を決したように言葉をつないだ。


「そのとき、わが侯国がきみを守れるかどうかわからない。恥ずかしながら、わが侯国には共和国と戦って勝てる力がないからね。だから、今のうちに逃げなさい。きみのことは記録からも削除した」


 サクヤは、驚きをもって憲兵隊長の目を見つめ、答えた。


「そんなことをすれば貴官が困るのではないか。わたしは裁きにかけられるのは一向にかまわない。すべて覚悟の上で動いている。気遣いは無用だ」


「そうか……」


 憲兵隊長は穏やかな表情を見せた。


「きみは若いのに、しっかりしているのだな。だが、これは気遣いではない。きみはわが同胞を助けてくれた。ならば今度はこちらがきみを助ける番だ」


「……つまり恩返し、か?」


「まあ、そういったところだ」


「人生は意気に感ず。――そういうことなら、ありがたく貴官の申し出を受けたい。感謝する」


 釈放されたサクヤは、大きな荷物リュックを背負うと、憲兵隊の事務所をあとにした。深夜だが街はにぎわっている。ファラム侯国の首都――リンデルは不夜城だ。


 煉瓦れんが造りの建物の間、石畳の道を宿屋へと向かう。


「ファラム侯国の人間は、領主と言い、さっきの憲兵隊長と言い、お人よしが多い気がする」


 サクヤがポツリと感想を口にした。


<そんなだから、革命評議会の連中になめられて狙われるんだろ>


 腰の刀がそっけなく語る。


<で、まもなく共和国に攻められて滅びる。正義なき力は暴力だが、力なき正義は無力だとは、よく言ったもんだ>


「それもまたフソウの故郷くにの教えなのか?」


<なんかエライ奴の言葉らしいぜ。オレはよく知らねぇけど>


「そっか……」


 サクヤの返事は、どこか上の空だ。


<おい、サクヤ、おまえまた余計なことを考えてねぇか?>


「余計なことは考えていない。ただファラム侯国がこのまま滅んでもよいのかと思っていただけだ」


<それが余計なことなんだよ>


「ファラム侯国は、いい国だ。ファラム侯国に力が足りないなら、力を貸してやりたい」


<サクヤ、ひとの話を聞けよ。って、オレはひとじゃねぇけど。とにかく危ないことはするな。まずは身のほどをわきまえてだな――>


「わたしとフソウが力を合わせれば、少しは助力になるのではないか?」


<ったく。――まあオレの力があれば天下無敵だ>


「だったら決まりだな」


 ニコリとするサクヤの顔は、とても可憐に見えた。


 ◇ ◇ ◇


『闘戦経』第1章


〇原文・書き下し文


 |我(わ)が|武(ぶ)は|天(てん)|地(ち)の|初(はじ)めに|在(あ)り、|而(しか)して|一(いっ)|気(き)の|天(てん)|地(ち)を|両(わか)つ。|雛(ひな)の|卵(たまご)を|割(わ)るが|如(ごと)し。|故(ゆえ)に|我(わ)が|道(みち)は|万(ばん)|物(ぶつ)の|根(こん)|元(げん)、|百家(ひゃっか)の|権(けん)|輿(よ)なり。


〇現代語訳


 われらの武は天地の始まりからあったもので、それによって1つの気が天と地に分けられたのだが、この天地の誕生はヒナがタマゴを割って出てくるようなものだった。

 だから、われらのやり方は、すべての根源であり、あらゆることがらに白黒をつける基準である。

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