第6章 骨のある人間になる

 西部方面軍は、陸と空から攻めてくる。


 戦車の無限軌道キャタピラが田畑を踏みにじり、町や村を蹂躙じゅうりんする。もちろん侯国軍の砲撃など、その分厚い装甲には通用しない。


 街道には兵士を満載したトラックが列を成していた。多くの新兵が補充されたのだろう。どの兵士も元気に見える。


 空からは複葉機の編隊が飛来し、侯国軍の陣地のみならず、町や村にまで爆弾を落としてまわった。


 対する侯国軍は、小銃を撃ち、野砲を放ち、高射砲で応戦する。が……、


「わが侯国軍には、もはや組織だって会戦する力は残されていません」


 残念ながらスピオン宰相の言うとおりだ。


 しかも、東部の要塞線も大半が先の戦闘で破壊されたままになっている。もはや防衛設備としては無力だ。


「だが徹底抗戦し、共和国の侵攻を少しでも遅らせて見せましょう」


 ケイオス将軍は、各地に伏兵を置いていた。ゲリラ戦だ。少数をもって多数をやくするには、もはやゲリラ戦しかない。


 思わぬところから敵を襲撃し、すばやく逃げる。敵を撃退できなくても、足止めすることはできる。1日足止めができれば、侯国の寿命が1日延びる。


「焼け石に水だけど、他に打つ手もない」


 ハル侯爵はひとり執務室の窓から、東方を見ていた。


 まだ豆粒ほどの大きさだが、遠くに飛びまわる複葉機や砲煙、爆炎を肉眼で目視できる。それほど敵は今、首都――リンデルに近づいている。


 ケイオス将軍は前線に出て、陣頭指揮を執っている。願わくば生還してほしい。


 スピオン宰相は各国に対して救援を求めている。が、もはや援軍は望めないだろう。


「もはやこれまで、ってやつかもしれない……」


 ハル侯爵はひとちながら、執務机の前に立った。


 おもむろに机上の受話器を手に取る。連絡する先は、スピオン宰相のいる宰相府だ。


「領民たちの避難状況は、どうか?」


『先ほど最後のグループがリンデルを経ったところです』


 電話口のスピオン宰相は、いつになく早口だった。あせっているのだろう。


「ならばサクヤも……」


『はい。侯爵閣下のご命令どおり、護衛役として同伴しました』


「そうか……」


 ハル侯爵はポツリとつぶやく。


 一抹の寂しさがわきあがってくるが、センチメンタルにひたっている暇などない。


 気をとりなおして言った。


「ここまでよくがんばってくれた。そろそろ潮時だと思うが、どうか?」


『はい。ここの陥落も時間の問題であります。脱出するなら少しでも早めがよいかと』


「では宰相も含め、まだ逃げていない家臣がいれば、とにかく急いで避難させてもらいたい」


『かしこまりました。それではそちらに取り急ぎ車をまわします』


「その必要はない」


 ハル侯爵は決然として言った。


「ボクは一国の元首として、ここに残り、城を枕に討ち死にする」


『な、なにを……。侯爵閣下はお家をつぶし、侯国を滅ぼ――』


「とにかく逃げよ。これは厳命だ」


 ハル侯爵は一方的に電話を切った。


 あまり長く話していると決意が鈍る気がしたからだ。


 とにかく自決の準備をしておこう。


 捕虜になって無様なところを見せるわけにはいかない。


 執務机の引き出しをあけ、中の護身用ピストルを手に取った。覚悟はできているはずなのに、なぜかピストルを持つ手が震えてしまう。


「城を枕に討ち死にとは、侯爵も骨があるな」


 かわいらしい声がした。


 ハル侯爵がハッと驚いて見ると、サクヤがいた。


 サクヤには首都――リンデルから西に向かって避難する領民の護衛をお願いしたはずだ。


 なかなか逃げようとしないサクヤを逃がすため……。


 ――なのに、どうして?


「幸いにして侯国軍が上手に敵を足止めしてくれている」


 サクヤはさらりと言った。


「わたしが護衛するまでもなく無事に避難できそうだったので、とりあえず戻ってきた」


「は? ……どうして逃げないのか?」


 あせる侯爵に対して、サクヤには余裕があった。ほほ笑んでおり、少しも動じたところがない。


「逃げる必要性を感じないからな」


「感じないって? ここが危険なことは百も承知なはず」


「う~ん、どうだろうな? 侯爵がいる限り、この国は大丈夫だと思うぞ」


「はい?」


「たとえば、鉄筋コンクリートのビルは倒壊しにくい。どうしてか、わかるか?」


「こんなときに何を――」


「よいから答えてみよ」


 サクヤは笑顔ながらもピシャリと言った。その語気には、ハル侯爵を思わずひるませるほどの威圧感があった。


「それはコンクリートの中に鉄骨が入っているからであろう。――そんなことよりも、とにかく逃げよ」


 ハル侯爵は「これは命令だ」とも言う。が、サクヤはまったく聞く耳をもたない。


 そもそもサクヤには、ハル侯爵の命令に従う義務はない。別にハル侯爵の家臣でもなんでもないのだから。ハル侯爵の言うことを聞き流して話を続ける。


「鉄筋コンクリートの建物には、しっかりとした鉄骨があるから、そう簡単には倒れない。これは国も同じだ。骨がしっかりしていれば、そう簡単には倒れない」


「いや、だから、サクヤ……」


「もちろんファラム侯国とて同じこと。侯爵は侯国の柱みたいなものだが、侯爵には骨がある。だから、ファラム侯国はたやすく倒れたりなどしない」


 サクヤは自信に満ちた笑顔でハル侯爵を見つめている。


「そうは言っても、首都ここもまもなく陥落する。もうダメだって実はサクヤもわかっているのだろう?」


 ハル侯爵にしては珍しく、イラッとしていた。


 今さら激励されても……敵が目前に迫っている絶望的な状況にあって、どうしろと言うのか。どうしようもないではないか。


「もう逃げるか、死ぬかしか道はない」


 そしてハル侯爵は一国の元首である以上、尻に帆をかかげて逃げるみたいな無様なことはできない。


「だから……」


 今にも泣き出しそうなハル侯爵。いつの間にか辺境伯からただの15歳の少年に戻ってしまったかのようにも見える。


 サクヤは大きく嘆息し、ヤレヤレといった感じで淡々と言った。


「侯爵よ、そんなことでは勝てるいくさも勝てなくなるぞ」


「は?」


「たとえ居城を奪われようとも、わたしの知っている侯爵なら、いくらでも挽回できる。なにも死に急ぐことはない」


 サクヤは語る。


 どこの話だかわからないが、かつてオダ・ウジハルという小領主がいたらしい。


 ウジハルは何度も大領主から攻められ、その居城を奪われたそうだ。


 しかし、相手が強大で、自分が弱小だからといって、城を取られて泣き寝入りするようなウジハルではなかった。ウジハルは骨のある“おとこ”だった。


 いく度となく居城を奪われようとも、そのたびに必ずや不死鳥のごとくよみがえり、居城を取り戻している。


 そうして戦国の世を生き残り、天寿を全うした。


 そんなウジハルは、領民たちに親切で、領民たちからとても慕われていたらしい。


「侯爵は、ウジハルと似ていると思わないか。侯爵も領民たちにやさしく、領民たちから慕われている。だから、わかるだろう?」


 サクヤは慈愛に満ちた目でハル侯爵を見ている。


 そんな目で見られたら、ハル侯爵としては困る。自決の決意が鈍るじゃないか。ただでさえ死ぬのは怖いのに……。


 だからハル侯爵は、みずからを追いこむため投げやりに言った。


「だから、そのウジハルとかいう者のように、いくらでも不死鳥のごとくよみがえられると? ――そんなことあるわけない。ありえない」


 そのとき廊下をドタドタと駆けてくる音が聞こえてきた。


 宮殿にいた人間は全員、ハル侯爵が命令してとっくに避難させている。だれもいないはずなのに、だれだ?


 まもなく執務室の扉をノックして入ってきたのは、ケイオス将軍だった。


「失礼つかまつりますっ!」


 ケイオス将軍は敬礼する。


 ハル侯爵はいつもの習慣で自然に答礼した。が、心は当惑していた。


 前線で指揮を執っているはずのケイオス将軍が、どうしてここにいるのか?


 そもそもケイオス将軍は、どうして笑顔なのか?


 侯国軍には勝てる見込みが皆無だというのに……。


 もしかして絶望的すぎて気でもふれたか。もしくは、もう笑うしかないと吹っ切れたのか。


 ハル侯爵があれこれ考えているうちに話は進んでいく。


「サクヤよ、ここにおったか。探したぞ。少しは行き先くらい言って行け」


 ケイオス将軍の口調は高揚していた。


「そうか。失礼した」


 サクヤは恐縮して見せる。


「うむ。――そんなことより、準備はととのったぞ」


「さすがは将軍、早かったな」


 サクヤは満足げだ。


 ハル侯爵には、意味がわからなかった。準備って?


「将軍、何の準備か?」


「もちろん反攻の準備です。このいくさ、勝ちますぞ」


 ケイオス将軍は、胸を張って見せた。


 ◇ ◇ ◇


『闘戦経』第6章


〇原文・書き下し文

 

 |胎(はら)に|在(あ)りて|骨(ほね)の|先(ま)ず|成(な)る。|死(し)に|在(あ)りて|骨(ほね)の|先(ま)ず|残(のこ)る。|天(てん)|翁(おう)と|地(ち)|老(ろう)は|強(きょう)を|以(も)って|根(ね)と|為(な)す。|故(ゆえ)に|李(り)|真(しん)|人(じん)の|曰(いわ)く、|其(そ)の|骨(ほね)を|実(じつ)にす。


〇現代語訳


 生まれるときには骨がまずできる。死ねば骨がまず残る。天神も地霊も強さに根ざしている。だから老子は「その骨を充実させよ」と言っているのだ。

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