第23章 国を治め、軍隊を統率する

 ワート大公は、ご満悦だった。号外を手にして、執務室のイスにふんぞりかえって座っている。


 号外には、サクヤたち連隊が討伐軍の本陣に連隊旗を高らかに掲げている場面が大きく描かれていた。連隊旗の色鮮やかな紋章は、ワグファイ大公国の紋章だ。


「わが大公国は、これで勇名を馳せるだろう」


 見出しには『ワグファイ軍の勇戦、共和国を撃破』とある。


「わが大公国も、これで名実ともに西方の覇者だ」


 ワート大公は、アクル少佐との裏取引のことなんて、すっかり忘れている様子だった。サクヤたち連隊の善戦健闘に満足し、戦勝気分に酔い痴れている。


 すぐさま勝利を祝う祝宴パーティーの挙行を命じた。ワグファイ大公国の要人たちが出席し、サクヤたち連隊からは小隊長クラス以上の連隊員が招待される。


 記者たちも呼ばれた。ワグファイ大公国の威光をPRするためだ。


 会場は、宮殿のぜいをつくした大広間だった。まばゆいシャンデリアの灯りに照らされ、会場全体が輝いて見える。


 大きなテーブルには美しい花が山のように飾られ、豪勢な料理が所せましと並べられていた。色とりどりのフルーツもてんこ盛りだ。


 パーティーは、立食だった。美麗な軍装のサクヤは笑顔で、ワート大公の隣に立っている。ワート大公に裏切られたにもかかわらず、わだかまりが少しも見られない。


 ワート大公は、サクヤをはべらせながら、記者たちを前にして、あたかも今回の戦勝がみずからの手柄であるかのように吹聴ふいちょうしていた。サクヤはニコニコしているだけで、何も言わない。


 離れたところにたむろしていた連隊員たちは、そんなサクヤのことが不満だった。きらびやかな軍服を身にまとっているが、表情は暗い。


「なんすか、あれ?」


 新人ルーキー大隊長はサクヤをイヤそうに見ていた。


「連隊長も大公にガツンと言ってくれると期待していたら、大公にヘラヘラするばかりじゃないですか。がっかりっすよ」


「黙らんか。連隊長のことだから、なにか考えがあってのことだろう」


 高齢ベテラン大隊長は冷静に言うが、もちろん内心ではおもしろくない。目を細めながら、サクヤのことを眺めていた。


 サクヤはと言うと、ちょうど記者の質問を受けているところだった。


「サクヤ連隊長も、今回の戦いでは英雄的な活躍をされました。きっと恩賞だって、たんまりともらったのではありませんか?」


 記者は野暮やぼなことを聞いてくるが、サクヤはにこやかに答える。


「もちろんだ。たんまりともらったぞ。大公には感謝してもしきれない」


 記者たちは「おお」と感嘆の声をあげた。ワート大公は満足そうにニヤケながらあごをさする。


「金額とか、中身とか、聞いてもよろしいですか?」


「問題ない。ワート大公は戦死者の遺族の面倒を見てくれると約束してくださった」


 記者たちは目を丸くして驚いた。


「あの、サクヤ連隊長、それはつまり遺族の世話が恩賞ということですか?」


 記者が念のために確認すると、サクヤは「そうだ」と笑顔でうなずいた。


「……」


 恩賞として遺族の世話など、これまで聞いたことがない。


 というか、兵士なんて使い捨てだ。とりわけ「移住者よそもの」の兵士なんて、ゴミも同然だ。死んだところで痛くもかゆくもない。ましてやその遺族に配慮する必要なんかないだろう。それなのに……。


「本当にそれが恩賞ですか? 他には何がありましたか?」


「わたしがワート大公の言葉に甘えて所望しょもうしたのは、それだけだ。ワート大公は太っ腹にも快諾してくれた。仁慈に厚い領主だと感謝している」


 ワート大公は、サクヤの好意的なコメントを聞き、まんざらでもない顔つきをしていた。そして、おもむろに口を開く。


「今回の戦いは、あの共和国が相手だ。かなりの苦戦だったが、連隊は死を恐れず戦ってくれた。死者に報いるのは当然であろう」


「おお!」


 記者たちは、おべっかで感嘆して見せた。


 単純なワート大公は、すなおに喜んだ。ドヤ顔で「遺族には年金を支給し、わが大公国が面倒をみてやる」と言い切った。


 恩賞として指揮官サクヤには何もなく、かわりに遺族に年金だなんて、前代未聞だ。おもしろい。ニュースになる。まちがいなく新聞に掲載され、広く知れ渡るだろう。


 そうなればワート大公も、前言を撤回できない。もし遺族の世話を見なければ、世間からウソつきと言われるだろう。体面を気にするワート大公には耐えられないことだ。


「これで戦友たちの遺族も、確実に年金をもらえる」と高齢ベテラン大隊長。驚きのあまり、目が皿のようだ。


「連隊長は最初からこれが目的で、あの大公と仲良くしていたんすね」と新人ルーキー大隊長。感動のあまり、目に涙が浮かぶ。


 連隊長サクヤも、自分を殺そうとした相手と笑顔で語りあうなんて、とてもイヤだったろう。こんなワート大公の自己満足のための祝宴パーティーだって、ボイコットしてもよかったはずだ。ワート大公に花をもたせるなんて、バカらしい。


 だけど、それでも連隊長サクヤは、死んでいった戦友たちのためにガマンしてくれた。ワート大公と仲良くして見せ、遺族のために年金を勝ちとってくれた。


「なんて、いい連隊長なんだ!」


 連隊員たちは感動した。感極まって慟哭どうこくする者すらいる。そして、


(この連隊長に、どこまでもついていきたい)


 だれもが思った。


 ◇ ◇ ◇


 話は少し戻る。


 サクヤは戦いのあと、戦場でハル侯爵と久しぶりに再会した。


 ハル侯爵は「よくやってくれた」とサクヤをねぎらい、その無事を喜んだ。


 サクヤはと言うと、ハル侯爵の援軍をすなおに喜んでいた。


「もし侯爵の力添えがなければ、わたしたちは勝てなかっただろう。連隊を代表して、心から感謝する。ありがとう」


 その屈託のない笑顔を見ていると、なぜかハル侯爵は胸がキュンとなった。


(これが男惚おとこぼれってやつか)


 ハル侯爵は、はじめての感覚に戸惑いながらも、自分もおとこになれてきているんだと喜んだ。そして、サクヤの漢気おとこぎに報いてこそ、真のおとこだとも思う。


「サクヤはわが侯国を代表して、よくがんばってくれた。その功労に報いたい。ゆえに、ほしいものがあれば、なんでも申せ。それを恩賞とする」


 そういうことがあったので、サクヤは戦勝パーティーの数日後、ハル侯爵に手紙を書いた。


『侯爵の言葉に甘えて恩賞をいただきたい。恩賞として、連隊員およそ1000名と、その家族のファラム侯国への移住を許可されたい』


 何があったのか?


 それは戦勝パーティーの翌日のできごとだった。


 サクヤの宿舎に高齢ベテラン大隊長が、新人ルーキー大隊長を伴って、訪ねてきた。


 サクヤは不意の訪問客を喜んで迎え、客室に通した。リーシャに頼んで、2人にお茶を出してもらう。


 高齢ベテラン大隊長は開口一番、「どうか自分らを連隊長の家臣の列に加えていただきたい」と真顔で言う。


 いきなりのことでサクヤも面食らうが、とりあえず理由を聞いてみた。すると、


「連隊長は、いい連隊長です。こんな連隊長に巡り合えることは、これまでありませんでしたし、これからもないでしょう。ですから、連隊長についていきたいと思ったのです。これは、連隊員の総意です」


「だから自分らは軍を辞めます」と、新人ルーキー大隊長はにこやかに言う。


「自分らは失業者になります。もう後がありません。だから、必死ですよ。どこまでも連隊長に食い下がります」


「われらの勝手な願いのせいで、連隊長にはご迷惑をおかけして申し訳ないと思っております。ですが、生活費なら自分たちでかせぎますし、命がけで連隊長にお仕えします」


「ですから、連隊長がファラム侯国に帰るなら、自分らを一緒に連れて行ってください」


 そして2人の大隊長は、申し合わせたようにその場に土下座した。


 リーシャはシラッとした目で2人を見ていたが、サクヤは困っていた。


「おいおい2人とも、やめないか」


 サクヤは2人に立つように促すが、2人は土下座したまま動こうとしない。


「家臣になってもらうのは構わないから、おかしなマネはやめてくれ」


 こうしてサクヤは、高齢ベテラン大隊長と新人ルーキー大隊長に押し切られる形で、およそ1000名の連隊員を家臣として召し抱えることになったのだった。


 だからサクヤはファラム侯国に手紙を書いたわけだが、そんなサクヤに対してリーシャは不満だった。


「あたしに言えた義理ではないですけど」


 そう前置きしながら、リーシャは怒り口調で言った。


「大隊長さんたちは自分でかせぐとか言ってますけど、はじめての土地ですぐに稼げるわけないでしょう? 結局はサクヤ様が面倒をみないといけないんですよ」


「そのときは、そうするまでだ」


 サクヤはあっさり答えた。


「は? なにバカなことを言ってるんですか!」


 リーシャはあきれた。


「いいですか。サクヤ様は、バイト生活だったでしょ? ほぼ無収入みたいなものですよ。これで、どうやって面倒をみるんですか? そもそも面倒を見れるんですか?」


「それは実際にやってみないことには、わからない。だが、まあ行けば、なんとかなるだろう」


「いきあたりばったりですか?」


 リーシャは、ため息をついた。


「あいかわらずサクヤ様は後先を考えないというか、ほんと無謀ですよね」


「そうか?」


「そうですよ。戦うときだって、いつも死ぬ気ですし。少しは考えてください。そうしないと、いつか本当に死んじゃいます……」


 最初は怒り口調だったリーシャもトーンダウンし、だんだん涙声になってきた。


「安心しろ。わたしだって、きちんと考えている」


「なら、どう考えているんですか?」


 リーシャがつっこむと、サクヤは思わず「うっ」と言葉につまった。


「ほら、やっぱり何も考えてないじゃないですか」


「そうではない。そうではなくてだな……」


 困り顔のサクヤだったが、なにか思いついたらしい。パッとにこやかになり、「兵法だ」と言った。


「兵法?」


「そうだ。命を惜しんだら死ぬが、命を惜しまなければ生き残る。そういった兵法だ」


 そしてサクヤは、こんなエピソードを語った。


 あるところにタケダ・ノブシゲという武将がいたらしい。


 ノブシゲは、こんな教えを残したそうだ。


 戦場では命を惜しんではいけない。兵書『ゴシ』にもある。命を惜しむとかえって命を失うし、命を捨てるとかえって命が助かる。


「そういう兵法だ」


 ちなみに、サクヤの言う『ゴシ』の兵法とは、フソウから教えてもらったものだ。正式には『呉子』というタイトルらしいが、サクヤはそこまで知らない。


「つまり、生き残ろうとすると死ぬけど、死ぬ気でいくなら生き残るから、サクヤ様は死ぬ気で戦っているということですか?」


「そうだ」


「なんか納得いきませんけど、でもサクヤ様が生き残ってくれるっていうなら、あたしはそれで十分です」


「そうか。ありがとう」


 サクヤはホッとした様子でほほえんだ。


「でも、それは、わかりましたけど、だったら、連隊のみなさんは、どうやって面倒をみるんですか?」


「とりあえず、それも『ゴシ』の兵法で、なんとかしようと思っている」


「はぁ……」


 リーシャは気のない返事をした。


 ◇ ◇ ◇


 夜、サクヤはテラスに出て、月明かりで刀――フソウを照らしながら、手入れしていた。


<おまえは『ゴシ』とか言ってたけどよ、もしかして国を再興したいとでも思ったか?>


 不意にフソウが問いかけた。


「どうしてだ?」


<あの兵法は、国家運営に役立つ兵法だからだ>


「へえ、そうなのか」


 サクヤは意外そうだった。


「わたしはてっきり部下の面倒をよくみろという教えかと思っていた」


 確かに『呉子』の兵法を生み出した名将の呉起は、部下の面倒をよくみたことでも有名だ。


<おまえ、おれが説明したとき、ちゃんと聞いてなかったのかよ。――ともあれ、そういう教えもあるけどよ、それがすべてじゃねぇ>


「そう、だったか?」


<とりあえず、もう一回だけ教えてやるから、今度はちゃんと聞いとけよ>


 フソウは、サクヤに『呉子』のポイントを説明した。ポイントは6つあるらしい。


 第1は図国。国を経営することだ。国民をまとめ、人材をそろえ、軍備を整えることをいう。


 第2は料敵。敵情を把握することだ。敵情をさぐり、勝てそうなら戦い、そうでないなら戦わないことをいう。


 第3は治兵。軍隊を管理することだ。紀律、布陣、勇気、訓練、兵器などを充実させることをいう。


 第4は論将。すぐれた将軍を任用することだ。良将の資質として、良心と威厳をそなえ、統率と連絡を徹底し、敵情と勝機をつかむことをいう。


 第5は応変。臨機応変に戦うことだ。いろんな場合を想定して、あらかじめ対策を練っておくことをいう。


 第6は励士。兵士をやる気にさせることだ。信賞必罰を徹底し、戦死者の家族を世話することをいう。


<おまえが覚えていたのは、最後のところだけじゃねぇのか?>


「言われてみれば、そうかもしれないな」


 サクヤは苦笑いした。


<まったく……。今度こそは覚えとけよ。この兵法を知っておけば、少しはマシになる>


「ありがとう。ためになる。これから連隊のみんなを世話するわけだから、とても参考になる気がするぞ」


<参考になる?>


「国家運営に役立つなら、連隊運営にも役立つのではないか? 国家も連隊も組織という点では同じだからな」


<まあ役立つかもしれねぇが、余計なことだけは考えるなよ>


「わかっている。安心しろ」


 サクヤは自信たっぷりに笑って見せた。


 こういう場合のサクヤはたいてい余計なことをするので、フソウとしては心配になる。


 ◇ ◇ ◇


『闘戦経』第23章


〇原文・書き下し文


|呉(ご)|起(き)の|書(しょ)|六(ろく)|篇(へん)は|常(つね)を|説(と)くに|庶(ち)|幾(か)し。


〇現代語訳


『呉子』6篇は、ほぼまともなことを言っている。

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