第33章 姿勢を正し、言葉を慎む
サクヤは宮殿を出ると、騎乗して自宅に向かった。
にぎわう街とは対照的に、サクヤは顔色がさえない。
「受け入れてもらえるだろうか?」
ポツリとつぶやいた。
<イガレムス君主国か? ――なにしろ
「それもあるが……」
いつになくサクヤは歯切れが悪い。
<ん? なんだ? もしかしてスメラギのことか?>
「――そうだ」
<なにを気にすることがある?>
「なにをって――。スメラギ家の失政で、多くの臣下が
<で、それがどうかしたのか?>
なぜかフソウはそっけない。
「イガレムス君主国はスメラギの遺臣たちが建国したというではないか。はたしてスメラギ家の人間を受け入れてくれるだろうか?」
<おまえが黙ってればいいだけの話じゃねぇか。気にすんな>
端正で寡黙なら、敵もつけいるスキがない。
シャキッとしろ。黙っとけ。そうすりゃ敵もつけいりようがねぇ。
<前にも教えたろ?>
「その教えは、そんな使い方をするのものか?」
<そのへんの解釈はおまえに任せるが、改めて言っておくぞ。おまえはなにも悪くない。スメラギ家の失政と言うが、おまえがしくじったのか?>
「――そうではない。そうではないが……」
<だったら、シャキッとしろ。堂々と胸をはれ。おまえがうしろめたく感じる必要はねぇ>
「だが、そうは言っても、やはり一族としての責任はある」
<は? 一族としての責任? そんなものはねぇよ>
フソウは吐き捨てるように言った。
<いいか。よく聞けよ。悪いことをしたやつが悪い。悪いことをしてないやつは悪くない。たとえて言うなら、兄が人を殺したからといって、その弟を処罰してのいいのかって話だ。よくねぇだろ? 違うか?>
「違わない、が……」
<違わないんだったら、この件については終わりだ。以上!>
フソウがピシャリと言うと、サクヤは力なく「わかった」と応えた。
それにしても、とフソウは思う。
サクヤは考え方が高貴すぎる。責任感が強いっていうか、ノブレスオブリージが身についている。
そのせいで苦しむなら、そんなもんは捨てちまえ!
と言ってやりてぇが、それがサクヤのよさでもある。むげに捨てさせるわけにもいかねぇしな。
とにかくオレとしては、そのへんも含めて、サクヤを教え導かなくちゃなんねぇ。
まったく厄介な話だぜ。
でもまあ悪い気がしないのも、相手がサクヤだからか?
なんだかんだで、フソウは気持ちがほっこりしてきた。サクヤにやさしく語りかける。
<とにかくサクヤ、おまえはまだ修行の身だ。悩んでいる暇があったら鍛錬しろ。悩んでも悩むな。わかったな>
「わかった。――ありがとう」
サクヤはすなおに応え、ほほ笑んで見せた。こうできるあたりはサクヤも芯が強いよな、とフソウは思う。
そうこうしているうちに自宅が見えてきた。
自宅は駐屯地の近くにある
サクヤは士官用の厩舎に馬をあずけると、
深呼吸して、両手で軽くほっぺをたたく。笑顔をつくる。
「帰ったぞ」
サクヤがドアをあけると、リーシャはイガレムス君主国に行くための荷物を用意しているところだった。
「おかえりなさい、サクヤ様っ!」
リーシャは旅支度の手を休め、玄関までテテテとかけつけてきた。
「湯あみになさいますか? それともお食事?」
ニコニコうれしそうなリーシャは、まるで新婚さんのようだ。
「とりあえずシャワーを浴びようか」
「……」
なぜかリーシャは、サクヤの目をまじまじと見つめていた。
「ん? どうかしたか?」
言われてリーシャは、ハッとして「あ、いえ、なんでもないです。――すぐに用意しますね」と笑顔で応え、バスルームに向かった。
数分後――。
「準備できました」
リーシャに言われて、サクヤはバスルームに入った。
「お背中を流しましょうか?」
「ありがとう。――だが今日は遠慮しておこう」
サクヤがにこやかに謝辞するすると、リーシャは心配そうに、
「お体の調子とか、悪いんですか?」
「そんなことはないのだが、なんといえばいいか……。ほら、あれだ。あの日だから……」
サクヤが照れくさそうに言うと、リーシャは察した感じで、
「あ、そうなんですね。――わかりました。だったら、1人でごゆっくりしてくださいね」
リーシャは笑顔でバスルームから出た。出たとたんに表情が曇る。
――サクヤ様のうそつき。
それでもリーシャは元気をふりしぼり、とにかくキッチンに入る。料理を温め、食卓でサクヤを待つ。
入浴後、
そんなサクヤのことを、リーシャは幸せそうに見つめる。
けれど、今日はいつもみないに幸せな気もちになれない。なぜって、サクヤ様がなにか隠しごとをしているから。
食後、サクヤはいつものようにリビングのソファーに座り、新聞や書類に目をとおす。しかし、その目はうつろに見えた。
リーシャが食事の片づけをしながら話しかけても、返事がどことなく上の空だ。部屋のすみに立てかけられているフソウに
<あいつも大人ぶってはいても、多感な思春期だからな。いろいろあるんだろ。おまえもそうなんじゃねぇか? 人間ってのは厄介な生き物だな>
話をはぐらかされて、なにも教えてくれない。
だけど絶対になにかある!
リーシャはサクヤの目の前に立った。キッとした目つきでサクヤを見下ろす。
「ん? どうした?」
サクヤがいぶかしげにリーシャを見上げると、
「いいかげんにしてください」
リーシャは不満げにピシャリと言った。
サクヤがキョトンとしていると、
「サクヤ様は教えてくれましたよね。“つねに姿勢を正し、言葉を慎め。だらしなく、おしゃべりだと、敵につけいるスキを与える”って」
「あ、ああ、教えたな。――フソウの受け売りだがな」
「あたしは敵ですか?」
「はい?」
サクヤは意味がわからない。
「あたしは
「どう?」
「あたしのことを家族って思ってくれていますか?」
いつになく真剣な目でサクヤを見つめる。うるんでいる?
「もちろんだ。主人と従者は家族も同然ではないか。――それにしても、なにかあったのか? おかしいぞ」
サクヤは
「おかしいのはサクヤ様です!」
「?」
「あたしは敵じゃないんですよね? だったら、あたしの前で身構えないでください。だらしなくてもいいですから打ちとけて、いろいろ話して聞かせてください」
「……」
「なにかあったんなら、――悩みとかあるんなら、少しくらい話してください。なんの解決にもならないかもしれないけど……。だけど少しでも話したら、ちょっとは気が楽になるんじゃないですか? それが家族じゃないですか?」
必死に語りかけるリーシャの目から涙があふれた。
「なんでも1人で抱えこんでしまおうとするサクヤ様のことがすごく心配なんです」
リーシャは今でも傷だらけのサクヤを思い出す。
1人で無茶して、死にかけて。あんなサクヤ様の姿なんて、二度と見たくない。少しは命を大事にしてほしい。だから、
「あたしは頼りないかもしれないけど、少しは頼ってください」
「リーシャ……」
サクヤは真顔でそっと立ちあがり、両手でやさしくリーシャを抱きしめた。リーシャはサクヤの胸に顔をうずめ、むせび泣く。
「そこまで心配してくれる人間が近くにいてくれるだけで、わたしは
長らくサクヤは、
そんなサクヤにとって、かいがいしく世話を焼いてくれるリーシャは
だからサクヤは、リーシャのことを
「だから、そんなに気をもまないでくれ。――それに隠し事をしているわけではなく、ただ気持ちの整理がつかないのだ。だから話せない。これだけはわかってくれないか?」
「……はい」
リーシャはサクヤから離れ、赤い目ではにかんだ。
◇ ◇ ◇
どこまでも青い空。広漠とした大平原。ところどころに灌木の雑木林がある。
はるか南には険しい山並みが見える。どの山も頂上あたりが冠雪しており、高山なのだと一目でわかる。
ひるがえって見れば、共和国の大軍――南部方面軍がいた。
地上には轟音をたてながら先頭きって走る戦車隊。空には爆音を発しながら勢いよく飛ぶ航空隊。圧倒的な兵力で侵攻している。
砲兵隊の強力な支援射撃のもと、騎兵隊は大地を蹴って駆け、歩兵隊は
すでに航空隊による空爆が開始されていた。いくつもの複葉機が入れ替わり立ち代わり飛来しては、防御陣地を爆撃している。
後方にいる指揮車の上では、南部方面軍の総司令官――ナムル少将が、戦況を見守っていた。満足そうに双眼鏡をのぞきこんでいる。
「ようやく追いつめたな」
副官は「はい。ここまで苦労しました」と感慨深そうに応える。
これまで南部方面軍は、イガレムス軍の
だが、ようやくイガレムス軍の主力を防御陣地まで追いこむことに成功したのだった。
「わが共和国の物量作戦、人海戦術の前には、いかに少数精鋭を誇るイガレムス軍も無力だったというわけだ」とナムル少将。
「あとは飽和攻撃で仕上げですね」と副官。
南部方面軍は今、総力を結集して総攻撃しているところだ。兵力差はイガレムス軍の10倍もあるらしい。
イガレムス軍の防御陣地は、爆弾の雨にさらされ、砲弾の嵐に襲われていた。あらゆる建物が次から次に破壊されていく。ほとんどの砲座や銃座がすでに沈黙していた。
まるで大人が子供とケンカしているようなもので、南部方面軍のワンサイドゲームだ。
イガレムス軍は散発的に砲撃したり、銃撃したりする。が、焼け石に水だ。
イガレムス軍の将兵は身を守るために各所の地下壕にこもり、南部方面軍の圧倒的な攻撃に意気消沈していた。
かと思いきや、だれもが平然としていた。戦闘中なので緊張感はみなぎっているが、だからといって余裕は失っていない。
多くの将兵がこもっているので狭苦しく感じる地下指揮室で、老士官が「
「まだだ」
そう言葉少なに答えた青年は、
南部方面軍の地上部隊は、まるで
戦況としては、イガレムス軍にとって絶望的に見える。
それなのに
そんな
旧スメラギ皇国に伝わる話によると、チカノリはウエスギ・ケンシンという名将のもとで活躍した武将らしい。
優勢なときは無口だった。しかし、劣勢になると、途端に雄弁になったそうだ。
「どんな敵も敵ではない。嵐のなかのチリみたいなものだ」
大声でそう言いながら兵隊を鼓舞してまわったので、ケンシンから「剛の者」と評価されたらしい。
そして、ケンシンの後継者となったウエスギ・カゲカツも寡黙な猛将として有名だったそうだ。
その軍勢がキョウトという都市に進軍したとき、粛然と行軍して少しも話し声がしなかったらしい。
なんてことを老士官が思い出していたら、
「攻撃開始っ!」
力強く命じた。
「
号令一下、イガレムス軍が一斉に動き出した。
まるでアリの大軍のようにわらわらと地上に出た兵士たちは、すぐさま小銃を上空に向けて構えた。
「全力射撃っ!」
兵士たち全員が空に向かって同時に発砲した。
無数の銃弾が光線を描きながら、勢いよく空に向かって飛んでいく。
敵機のパイロットたちは、
「バカめ。この高度まで銃弾が届くものか」
「たかが小銃ごときで、こちらの防御版を貫けるとでも思ったか。
とあざ笑い、せせら笑う。
が、銃弾は届いたし、複葉機の装甲を貫いた。
かつて異世界でも、ニホン軍が小銃だけで敵機を撃墜し、それを教わったベトナム軍も同じようにしてアメリカ軍の飛行機を撃墜している。それと同じ戦法だ。
その一方で、沈黙していた
温存していたすべての野砲が一斉に火を噴いた。
砲弾は光線を描きながら飛んでいく。
だが、その程度の砲弾では、分厚い装甲をもつ南部方面軍の戦車には
はずだったのに、砲弾はいともたやすく戦車を貫通した。それも1輌だけではない。その射線上にいた後続の戦車までも貫通していく。多くの戦車を一撃で撃破した。
しかも、イガレムス軍の砲撃は、驚くほどに正確だ。敵の戦車を次から次に破壊していく。どんなに多くの戦車があっても、あっという間に全滅させられるだろう。そんな勢いだった。
「百発百中の砲1門は、百発一中の砲100門に勝る。俺のひいじいさんの口癖だ」
「そして、白兵戦では、俺たちの右に出る者はいない」
「突貫ですか?」と老士官。
「そうだ」
数千の騎兵が、南部方面軍の本陣――ナムル少将の指揮者を目ざして駆けていく。
南部方面軍の将兵は、イガレムス軍による想定外に強い反撃を受け、面食らっていた。ほとんどの将兵がすでに戦意を喪失している。
まさに
こうなれば楽勝だ。イガレムス軍の騎兵隊は、たやすくナムル少将の指揮者を囲むことができた。
かくして戦いは、イガレムス軍の圧勝に終わる。
「敵がうじゃうじゃいて
老士官がうれしそうに言うと、
「あたりまえだろ。俺をだれだと思っている? 旧スメラギ皇国の猛将――チガヤ・ニシノカミ・シュレイの
◇ ◇ ◇
『闘戦経』第33章
○原文・書き下し文
○現代語訳
だらしない姿勢をとるな。おしゃべりになるな。そのようにスキだらけなら、あくどい人にだまされて裏切られることになる。
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