第17章 まずは「する」「しない」を決める

 ワート大公は、はじめてサクヤを見たとき、がっかりした。


 西方諸国に勇名とどろく「鬼神隊長」とは、どんな偉丈夫か。


 期待して待っていたのに、やってきたのは見るからに弱そうな少年だった。しかも、最初は少女かと見間違えたくらい、女の子のようにかわいらしい顔つきをしている。


「期待はずれもいいところだ」


 ワート大公は不機嫌だ。


 サクヤとの対面のあと、豪華な執務室に戻ると、ヒョウ柄のイスにもたれるようにドカッと座った。両足を黄金色のテーブルにドンと乗せる。


 ワート大公のあとを追うようにして執務室に入ってきた特使は、困り顔だった。


「大公閣下のおっしゃるとおり、外見的には頼りなさそうに見えますが――」


 特使が申し開きでもするかのように発言をはじめると、ワート大公は「“頼りなさそうに見える”のではなく、実際に頼りないのだ」と言い切った。


 特使は軽く嘆息し、言葉をつないだ。


「少なくとも樹海で妖怪に襲われながらも生還した強者つわものではあります」


「ふん。運がよかっただけだろう」


「ですが武運は将たる者には欠かせない資質でもあります」


「第3宰相、おまえは武運などといった目に見えないものが、本当にあてになるとでも考えているのか? もしそうだとすれば、おまえは政治家として不適格だぞ」


「いえ、あてにはしていませんが……」


「政治というのもは現実リアルだ。目で見てわかるものがすべてだ」


「はい。ですから、あの鬼神隊長が現実的に見て強いことは確かです」


「わかっとらんな。いかに鬼神隊長が強者つわものであっても、あれでは見劣りするではないか。あれが軍の先頭に立っても、将兵は不安になるだけだぞ」


 たしかにサクヤは若くて、かわいらしい顔つきをしているので、少しも威厳が感じられない。一般的な軍人と比べて背丈は低いし、体つきも貧相だ。どう贔屓目ひいきめに見ても、弱そうにしか見えない。


「ですが、量より質と申しますか、外見より実力が重要です。わが陣営の戦力となることはまちがありません」


 ワート大公は、これ見よがしに大きなため息をついた。


「第3宰相よ、おまえの言わんとしていることはよくわかる。だが、やはり人は見た目で判断するものだ。あれだと将兵からもあなどられ、ろくに統帥リーダーシップもとれないだろう」


「くどいようですが、ファラム侯国では見事に1000人を率いて勝利しており……」


「ここはワグファイだ。平和ボケのファラムとは違う」


 ワート大公はピシャリと言った。


 特使――ワグファイ大公国第3宰相ことワジール・タリート大臣は、黙りこんだ。


 これ以上は何を言ってもムダだろう。なにしろワート大公には、見かけで人を判断する癖がある。


 サクヤ様の見た目があのようである以上、ワート大公がサクヤ様に大仕事を任せることはあるまい。


 ならば、自分は何のためにファラム侯国まで出向き、必死になってサクヤ様をスカウトしてきたのか?


 まったく報われない。


 もっとも自分が報われないのは、大した問題ではない。それよりもサクヤ様を使わないとして、どのようにして大公国を守ればよいのだろうか?


 それとなくワート大公に尋ねてみる。


「なに? それを考えるのが、おまえたち臣下の仕事つとめではないか。何も策がないとは言うなよ」


 ワート大公はあきれたような顔で言い切った。


 かくしてサクヤは敬して遠ざけられたのだが、そのことをもちろんサクヤ本人は知らない。


 ワグファイ大公国では連日のように重臣たちが会議して、対策について話し合ったが、これといった名案は出なかった。むなしく日数ばかりがムダにすぎていく。


「戦うべきか、どうすべきか、もはや万策尽きた」


 重臣たちの正直な意見だ。


 そういう情けない状況だったので、ワンパ共和国から密使が来着したとき、ワート大公は「地獄に仏」とばかりに喜んだ。足もとを見られないようにするため会見を渋るようなふりをしながらも、通常よりも早めに会談の場がセッティングされる。


 機密事項に属するので、出席者はしぼられた。ワグファイ大公国からは、ワート大公と数名の側近だけが執務室に入り、密使と会談する。


 ワンパ共和国の密使は、ピット・アクルという青年だった。隊商キャラバン隊長としてワグファイ大公国に入国したそうだ。そのため商人の装いをしているが、


「今回は会談の場を設けていただき感謝します。ぼくはピット・アクルといいます。軍人です。階級は少佐ですが、議長の裁可も得ておりますので、議長代理とみなしていただいてもかまいません」


 アクル少佐は、ワグファイ大公国側の「目立たないようにしたい」という意向を尊重し、一人で会談に臨んでいた。たった一人でも堂々としているのは、よほど肝が座っているのか。それとも自信があるのか。


 ワート大公はイスにふんぞりかえり、「遠路はるばる大儀であった」とえらそうに言うと、密使として入国した理由を問うた。


「やはり“討伐”の件か?」


「いえ。貴国の裏切りを処断するのは討伐軍の役割であり、ぼくの役割は別にあります」


 アクル少佐はニヤニヤしながら言った。


「今、貴殿は“裏切り”と言われたが、聞き捨てならんな。わが国がいつ裏切ったというのか?」


 ワート大公は気色けしょくばみ、すごんで見せた。


 たしかに見かけ上は、ワグファイ大公国はワンパ共和国を裏切っていない。あくまでも裏で糸を引き、各国をそそのかしてワンパ共和国に反旗をひるがえさせたにすぎない。


「大公閣下、時間のムダですから、そういう話はやめませんか?」


 アクル少佐は、ばっさりと斬って捨てるように言った。あいかわらずニヤけている。


「いくらシラを切っても、こういう問題はシラを切りとおせるものではありません。それに第一、そういうことを詰問するために、ぼくはここまで来たわけでもありません」


「……! とにかく用向きは何か?」


「わが討伐軍と、貴国にいる鬼神隊長サクヤとを戦わせたいのです」


「!?」


 ワート大公や側近たちは、ハトが豆鉄砲でも食らったような顔をしていた。アクル少佐の言うことの意味がわからない。


「そういうわけですから、鬼神隊長サクヤに適当に兵力をあずけて、出陣させてもらえませんか?」


「そんなことよりも貴国がわが大公国を討伐しようとするのをやめてもらいたい。話し合いはそれからだ」


 ワート大公は威圧的に言うが、アクル少佐はあくまでもクールに受け流す。


「ですから、ムダな駆け引きはやめましょうよ。時間のムダでしょ?」


 ワート大公は「むむ」とうなる。


「あ、もちろん貴国に対する見返りは用意していますよ。これは議長の裁可も得ておりますので確約できます。貴国が望むとおり、討伐をやめましょう」


 ワート大公の顔つきがパッと明るくなる。わかりやすい大公だ。この大公、やはり政治向きのことは臣下に丸投げしたほうが、国のためになるのではないだろうか。


 むしろ無責任に丸投げすることが多いので、これまで大きな失政もなく、大公の座にいられたのかもしれない。


「そういうことなら、もったいぶらずに早く言えばよいではないか。もちろんわが大公国に異存はない」


 ワート大公の口調は、それまでと打って変わって穏やかだった。


「ならば、今回の“商談”は、“成約”ということで、よろしいですね?」


「もちろんだ」


 と言いかけて、ワート大公はハッとした。


「だが1つ問題がある。隣国の首都まで陥落した今、あの鬼神隊長に出陣しろと命じるのは、死ねと言うようなものではないか? はたして同意するか……」


「ああ、その点なら問題ありませんよ」


 アクル少佐は軽い調子で応えた。


「あの鬼神隊長サクヤに、今回の戦いをどうすべきか、相談してごらんなさい。みずから出陣を希望するでしょう。そうなれば適当な兵力でもつけてやってください。あとはわが討伐軍が好きにさせてもらいます」


「となると、わが将兵を犬死にさせねばならなくなるか。――それはそれで問題だな……」


 悩ましげなワート大公とは対照的に、アクル少佐はあくまでもクールに言う。


「それなら不要な将兵を集めて部隊を編成すればよいのではありませんか?」


「と申すと?」


「たとえばですね。古い話ですが、旧皇国スメラギから逃げて来て、それ以来ずっと貴国に住み着いた連中とかいるでしょう? そういった移住者を選抜すれば、貴国の純粋な領民を犬死にさせずにすむのではありませんか?」


「なるほどなあ」


 ワート大公はあごをさすりながら考える。


 アクル少佐は付け加えるように発言を続けた。


「そう言えば、貴国には“よそからの移住者が、もとからいた領民たちの仕事を奪っている”という問題もあるのでしょう? そうした内政問題を解決する役にも立つかもしれませんよ」


「たしかにな。――だが、どうやって移住者よそものだけを戦わせる? 差別とかなんとか言って騒ぐ連中も出てくるのではないか?」


「それなら、こう言えばよくありませんか? “おまえら移住者は、よそ者だから大公国に対する忠誠心がないと悪口を言われているが、今こそ忠誠心を示し、見返してやれ”とかなんとか訓示するのです。これなら大義名分も立ちますから、移住者たちも納得するのではないですか?」


「なるほど、それは名案であるな。それにしても貴殿は、よくもまあ立て板に水を流すようにスラスラと策を思いつかれるな。議長が貴殿を密使にした意味がよくわかった。貴殿は優秀な策士だ」


 ワート大公が珍しく感心したようすで言うと、アクル少佐は「恐縮です」とだけ応えた。


 ワート大公は会談後、すぐさまサクヤに相談をもちかける。


 サクヤは謁見室に案内された。そこでワート大公から、次のように質問される。


「討伐軍は隣国の首都を攻略し、いよいよわが大公国にまで攻めこまんとする勢いだ。なにかよい策でもあればよいのだが、なかなか思いつかん。こういうとき、貴殿ならどうするか?」


 サクヤは自信に満ちた笑顔で答えた。


「あれこれ考えていても仕方がない。するのか、しないのか、まずはそれを決める」


「ん?」


「すると決まれば、本気で考えるから、するための方策も思いつくだろう。しないと決めれば、同じくしないための方策も思いつくだろう」


「思いつかなかった場合は、いかんとする?」


「かりに思いつかなくても、とにかくやり始めればいい。事上磨練だ。厳しい現実が心を鍛えてくれる。窮すれば通ずというように、苦しんだ先に光明が見えてくる」


「つまり、“すると決めても、方策が思いつかないなら、やりながら考えればいい”ということか?」


「そうだ」


 サクヤは笑顔で力強くうなずいた。


「そんなことで勝てるのか?」


「当事者のやる気次第だが、勝てる」


 サクヤはキッパリと言い、こんなエピソードを紹介した。


 かつて猛将のシバタ・カツイエは、敵に城を包囲され、水源も奪われてしまった。このままでは飲み水がなくなり、戦わずして負けてしまう。


 だが、カツイエはひるまなかった。特段の策をろうすることなく、全員の目の前で城内の水がめをすべてかち割って見せる。


「水がなければ死んでしまう。どうせ死ぬなら、死ぬ気で戦おうではないか」


 かくしてカツイエの軍勢は決死の覚悟で敵に突進して戦い、ピンチを切り抜けたという。


「もし大公がやると決めたなら、やる気をもって事に当たれば必ず勝てる」


 断じて行えば、鬼神も之を避ける、ってやつだ。


「ならばサクヤ殿、言いだしっぺの貴殿に軍の指揮を任せてもよいだろうか? いかんせんわが大公国には将才に長けた人材が不足しておる。それを哀れと思い、助けてくれまいか」


 ワート大公の口ぶりは、最後のほうになるほど、まるで棒読みのセリフみたいになった。が、サクヤは細かいことを気にしない。


「もちろんだ。わたしはそのためにこの国に来たのだからな」


 サクヤは、ない胸を張って見せた。


「おお、そうか。感謝する。期待しておるぞ」


 ワート大公はうれしそうな顔つきでサクヤに謝意を示しながらも、心の中ではアクル少佐の言うとおりに事が運んだことに驚いていた。


(あんな若造でもこれほど知恵がまわるとなれば、共和国はどれだけ人材の層が厚いのか。――やはり共和国には逆らわぬほうが得策だな)


 ◇ ◇ ◇


『闘戦経』第17章


○原文・書き下し文


|軍(ぐん)は|進(しん)|止(し)ありて|奇(き)|正(せい)なし。


〇現代語訳


 軍事においては、進むか止めるかが優先であり、奇策とか正攻法とかは二の次だ。

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